おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【ブログ探訪】客観的に見る

こんにちは。おっさんです。

 

ブログ巡りを始めてから、ほぼ固定的にフォローさせていただいている方が何人かいらっしゃいます。皆さん趣味個性とも違っており、それぞれに読み応えと気づきがあります。ありがたいです。

 

その中の一人の方は、ご本人は気付いていらっしゃらないかもしれないが、読ませる。最後まで、ツーっと読んでしまう。

 

職場の元同僚との話とかも出てくる。デリケートな話もある。人間関係やらストレスにまつわるものも。

 

ともすればこうした現実的な話題は、ぼやきだったり誰かに対する愚痴になりがちだ。ところが、この方はそうはならない。

 

愚痴になりかける一歩手前のところで、「・・と考えているのは私」と一歩引いて考えている。そして、そのように書いていらっしゃる。

 

自分が愚痴のような感情を抱くことに、ひょっとしたら思い違いがあるかもしれない。相手にも理屈があるのかもしれない。自分のまだ知らない、相手の悩みがあるのかもしれない。そういったことに思いいたると、負の感情は和らいでいくものだ。

 

この方の投稿には、ものごとを客観的に見るというスタンスが終始徹底されている。だから、読む側としてはマイナス感情をもらい受けることなく、ポジティブな感情のまま読み通すことができる。あわよくば、新たな視点をいただくことができる。

 

こうした文章表現は、その方の人柄のなせるわざだと考える。

 

どなたとは申しませんが(おしつけがましくなるのはいやなので)、素晴らしい投稿を今後とも続けていただきたいと思っております。

 

書く側、読んだ側がともに何かつかむことができるものを私も綴っていきたいと思います。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【英語ニュース探訪】3・核の被害者がここにもいた

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

核にまつわる話がかまびすしい。持つべきか、持たざるべきか。

 

少なくともいえるのは、使ってしまうと破滅が待っているということだ。

 

日本人として核の使用はどんな条件下であっても賛成できない。広島、長崎は二度と繰り返すべきではない。はだしのゲンは漫画の世界でも読むのがきつかった。

 

日本人だからこそ強く主張できることだと思っていたが、この記事を見つけ、考えを改めさせられた。また、核の政治の罪深さを感じた。

 

www.yahoo.com

 

なんと米軍側にも少なからず被害者がいたのだ。

 

戦後、アメリカはソ連との核開発競争の過程で数多くの核実験を行った。舞台となった太平洋の環礁は、死の海となった。

 

  • Over a period of more than a decade, the US military conducted dozens of nuclear tests in the Pacific.

  • Years later, soldiers were sent to the Marshall Islands to try and clean up the fallout from the testing.

  • But many were exposed to contaminated food and dust, leaving them with severe and lasting health issues.

 

箇条書きの要約文があって助かる。最後の核実験を終えてから数年後、地域再生のため米軍や関係者が現地に派遣されたらしい。核汚染の実態について充分な説明も受けることなく。そして、彼らも被爆したという。

 

Ken Brownell, who was a carpenter when he served in the military in the late 1970s, was sent to the Marshall Islands in 1977 to build a base camp for hundreds of soldiers assigned to cleanup operations. These cleanup efforts involved a concrete dome that was built on Runit Island, one of 40 islands that make up Enewetak Atoll, which was used to deposit soil and debris contaminated by radiation.

 

なんと悲惨な。言葉がない。

 

この記事を通じ、核は使われた側も使った側も犠牲者を生み出している、今後もそのような事態を招きかねないとの思いを深くした。

 

その思いは、当事者間でも共有されているようだ。読者のcomment欄には、当事者や家族の投稿がたくさん寄せられている。一つ一つがいたましい。

 

Thousands of Americans have been "nuked" via military nuclear weapons testing. I am one of those. The Radiation Compensation Act excluded me due to the fact I had not met the minimum length of time employed at the test site by a contractor there. The test site was not one read about in the newspapers, but rather a "secret" one, where tests that violated the "Test Ban Treaty" were conducted in "secret".

 

同じ被爆者でも、爆発による直接被害か、記事で触れられているように(実験後の)間接的被害かによって、賠償額も扱いも違うのだという。

 

別の投稿では、同じ被爆者として日本人と交流を持ったアメリカ人が自身の交流について記述していた。日本人は長崎の人で、お互いが当事者であることからすぐに意気投合したという。長崎の人は毎年渡米し、そのアメリカ人のふるさとで講演などをしていたという。

 

核は既に持っている国が複数あるが、絶対に使っちゃいけない。そう思わされた記事だった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

【大将と私】17・ストレスフリー

変わり者の大将の紹介↓

ojisanboy.hatenablog.com

 

その人を前にすると、日ごろの悩みや胃の痛くなる話が頭から外れる。そんなありがたい存在がいれば、どれほどいいことか。

 

私には、幸いにもそういう得難い人物がいた。20代のころ、ひたすら入り浸っていた居酒屋の大将だ。

 

大将はいつ見ても、いつ話しても、ひょうひょうとしていた。目線は上を、いや、斜め上を、やや世間を小ばかにしたように眺めていた。私のような小心者が抱える世間じみた悩みとか憂いとかとは、とんと縁のない存在だった。

 

いくら心に重しを抱えていても、大将の店に入るやパッカーンと忘れることができた。ああ、そうや。俺の悩んでいることなんか、大将みたいな余裕、遊び心たっぷりの世界観に比べたら、ほんとごみみたいなもんなんや。

 

一杯目の生中をグビッといった瞬間から、それこそスコーンと大将的浮遊感の世界へと溶け込むことができた。

 

大将の棲む世界は独特だが、今考えると、大将の世界観のほうがなんぼもまともで、真実に近かったのではないかと思う。人生、悩みに足をとられてどれだけ無駄に心を身体をすり減らしていることか。生きていることは、それほど深刻に考えるほど重しも深刻さもないものなのかもしれない。ただ、フワフワと今あることを楽しんで、吸って吐いてをしていればいいものなんじゃないか。

 

苦しみから、人の中には酒におぼれたり薬に逃げたりすることもあると思う。だが、こんな一風変わった人物と出逢うことで、苦境の中でも澄んだ気持ちのよい風がこころにスッと吹き込んできてくれるかもしれない。

 

私はしがないサラリーマンであり、今も相当な小心者であり、すぐ自己嫌悪に陥るへたれ者である。だが、こうした人間でも目線を上に向けさせてくれる存在に逢えたことが、底の深いところで私に安心をもたらしてくれている。

 

今はもういない大将だが、私にとっては首相より大統領より法王よりもかけがえない存在だった。

 

日本の地方都市の、しがない飲み屋街でいただいためぐり逢いに、感謝している。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【ざんねんマンと行く】第37話・ネチネチ上司との闘い

「ガミガミ、ネチネチ、毎日うるさいんです」

 

新着メールを開くと、呪詛(じゅそ)の言葉が連綿とつづられていた。これまた、やっかいな仕事になりそうだ。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。活動を始めて1年が過ぎ、どんなエマージェンシーコールにも動じぬ胆力を養うに至っていた。今回の相談者は、どうも若手の会社員のようだ。安心するんだ若者、この私がなんとかしてみせよう!

 

若者のメールによると、職場の上司がなんとも嫌味な男で、へきえきしているらしい。仕事はまあ、できる人物なのだが、指示の出し方、評価の仕方一つに皮肉やら自慢が混じるのだという。

 

「君ねえ、これぐらい1日で倒せないようじゃあまだ半人前だ」

「私なんかは誰の手も借りずにこなしてきたもんだ。まあ仕方ない、誰かに応援を頼んでやろう」

 

余計な一言が多すぎる上司というのはいるもんだ。このネチネチ親父、なんとかギャフンといわせられないものか。

 

つまりは上司に逆襲したい。それが若者の相談だった。

 

逆襲するったって、相手は一筋縄じゃいかないひねくれ野郎だからなあ。正攻法で向かったって、簡単にはいかないぞ。なんとすべきか・・

 

ざんねんマン、とりあえず若者とZOOMで面談。社会経験だけはちょいとばっかし多めに重ねている者として、若者に現実的なアドバイスをした。

 

・正面から歯向かったら、後で仕返しされかねない(それが会社組織だ)

パワハラなら訴えやすいが、ムカムカさせるだけのイラハラはまだ認知度が低い(労基署もたぶん動いてはくれんよ)

・上司もそこそこ仕事ができるのが余計にイライラするというのは、よくわかる。いるんだよなあそういうやつ。そこは共感する。

・と、いうことで、まともにやり合おうとするのは得策じゃないと思う。

・結論。まあ、聞き流すのが一番いいんじゃないでしょうかねえ。

 

若者「うーん、なんかその、『長いものには巻かれろ』的な考え方がなんとも頼りない・・残念なおっさんだ」

 

若者に鋭く指摘され、ざんねんマンは思わずいきり立った。なんとな、頼りないとな!残念とな!ええ、そうですよ、私は頼りない不惑のおっさんですよ!ですがねえ、こうしてなんとか働いてやっていけてるんですよ。頼りなくて上等!長いものに巻かれて、上等!

 

どうせなら、徹底的に、巻かれてみたらどうですかい、若者さんよお!

 

ざんねんマンの開き直ったような挑発に、若者は当惑した。どういう意味なんだ。

 

ガミガミ、ネチネチはなんとも嫌なものだが、それを除くと上司の発言には確かにまともな指摘も散りばめられていた。仕事の段取り。資料のまとめ方。取引先へのアプローチの仕方と、気配りのポイント。経験と工夫から生まれた知恵の部分には、傾聴に値するものが多かった。

 

相手のネチネチクリンチにこねくり回されながらも、タコのようにしなやかによじらせ、心身がダメージを受けるのを防ぐ。むしろ、相手の中に潜む「知恵」というパワーだけをしたたかに吸い込ませてもらえばいいじゃないか。

 

長いもの(ネチネチ上司)に巻かれて結構。こっちは、しっかり栄養分だけいただけばいいんだ。

 

相手を人間だと思うから腹が立つ。だったら、いっそのこと今はやりのAI(人工知能)かなんかだと思ってしまえ。

 

SNSでよくつぶやく、〇〇BOTみたいなもんだ。

 

BOTが何を言ったって、腹は立たない。どんなきつい指摘をしてきたって、怒りは沸かない。むしろ冷静に受け止められる。

 

「おじさん、俺、なんか打開策が見えた気がするわ」

 

画面越しにも、若者の瞳に力がみなぎるのが分かった。そうか、若者。なんでもいい、歯向かうばっかりが人生じゃないよ。しなやかに、したたかに、生きていくんだ。

 

ZOOM画面を閉じると、ざんねんマンは若者の健闘を祈り、缶ビールをプシューとやった。

 

その後。若者は一つの創作アイテムをつくりだし、上司のネチネチ光線から知恵という栄養分だけを吸い込む画期的な仕組みを構築することに成功した。

 

名付けて「BOT-PHONE」

 

見掛けは普通のワイヤレスイヤホンだが、内部に音質をデジタル風味にする変換器を取り付けている。これで、外部から入ってくる人の声はみんな「BOT」風になる。

 

「君ってのは、何回言っても覚えない人間だなあ」

 

これは、BOT-PHONEではこう聞こえる。

 

「キミッテノハ、ナンカイイッテモ・・」

 

無機質なカタカナ音が、AI感を見事に演出している。あはは。BOTに愚痴を言われたって、痛くもかゆくもないさ。さてさて、おいらは役に立つところだけ耳をそばだたせてもらうことにするかなあ。

 

若者は上司の愚痴を余裕の笑顔で受け止めつつ、実はうまくかわしつつ、仕事の容量だけを吸収させてもらい、業務の質を高めていくことに成功した。そのからくりを知ろうと周りの同僚たちが助言を請いはじめた。まるで湖畔に投げ込んだ小石から波紋が広がっていくように、BOT-PHONEは静かに、職場に浸透していった。

 

その存在はやがて管理職以上にも知られることとなった。「最近、若手の業績が上がっていると思ったら、そういうことだったのか」

 

その中に、あのネチネチ上司もいた。うれしいような、情けないような、複雑な気持ちがした。俺の言うことは、それだけ若いやつらに嫌な思いをさせていたのか・・

 

そういえばちょっと前から、俺がしゃべろうとすると決まって部下が「ちょっと待ってください」と手で制してきた。そしておもむろにイヤホンを装着し、「じゃ、どうぞ」と満面の笑みで発言を促すのだった。

 

俺はつまり、BOT扱いだったのだ。ぶっちゃけ、信用も信頼も、されてなかったのだ。

 

く、悔しい~!!

 

ネチネチ上司は、その日から「打倒BOT」を心に誓った。部下がBOT-PHONEを装着しようとすると、「ちょっと待ってくれ」と哀願するようになった。俺を人間としてみてほしい、ちょっとでいいから信用してほしい、その気持ちから、今までのネチネチをやめ、いたわりの気持ちから語り掛けるようになった。

 

ネチネチ上司は、いつのまにか気配りのきくホカホカ上司へと変身していた。もう、BOT-PHONEは必要なかった。職場の生産性とチームワークは、それまでに増して高まっていった。

 

若者の会社の成功事例は、そのままビジネスシーンへも横展開を遂げた。同社製の独自商品として正式に発売され、大企業をはじめ各地、各業界へと急速に浸透。海外進出も果たした。

 

そして面白いことに、どこかの段階で、BOT-PHONEの売り上げは緩やかに天井を打った。それの手を借りずとも職場の空気を変え、生産性を高める道を、世の中のネチネチ上司、ガミガミ管理所が探り始めたのである。

 

BOT-PHONEの流行を伝えるテレビニュースを見ながら、ざんねんマンはうまい酒を飲んだ。まあ、いうたらおいらが商品の生みの親みたいなもんだ。若者も、おいらにたっぷり感謝していることだろうよ。

 

あ、あんまり偉そうに話してるとBOT-PHONE装着されちゃうかな。自慢話はそこそこにしておこっと。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【歩き旅と思索】 39・知られない感動

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

進むルートも、目的地も、気の向くまま。そのときの気分に従って一筆書きのかたちにつないで歩くばかりの旅には、有名な観光地との出会いこそ少ないけれど、その土地その場所を通りがかった人だけが味わうことのできる感動に恵まれることがある。

 

山口県は下関から海岸線沿いに北上していたときのことだ。

 

のどかな農村をテクテクと歩いていると、道端の草原に1本の大木が根元から倒れているのを認めた。

 

おそらく、台風でやられたのだろう。見事にボキリとやられている。なんまいだ。

 

太い幹にばかり目がいっていたが、その倒れた幹から小枝という小枝がいずれも空へと垂直に伸びあがっている様子に目を見張った。枝の先には緑の葉がこれでもかといわんばかりに広がっている。なんと、生きていたのだ。

 

生命力って、こういう姿をいうのか。

 

一見、死に果てた老木にしかすぎないものが、生の力をあきらめず、残された脈を頼りに枝を伸ばし、葉を広げ、みずみずしい光を発していた。

 

この大木に限らず、人間とかほかの生き物にもあてはまるのではないか。そのとき、ストレートに感じた。

 

あきらめず、やみくもにでも手を伸ばしてあがいていると、生は生きる道を探り当てるのだろう。

 

生きている間は、生きている限りは、あがき、もがくのも悪くないかもしれない。

 

その倒れた大木は、なんということのない田舎道沿いにあったので、はっきりした場所も覚えていない。ただ、とてつもなく深くありがたいものを見させていただけたことに感謝している。

 

世の中には知られない感動に巡り合わせることができるのも、歩き旅の醍醐味だ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【英語ニュース探訪】2・マーケットの転換期

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最近の記事で、懐かしい名前を見つけた。「おやおや?」と心がややざわめいた。

 

Peter Schiff 氏。

 

2008年のリーマンショックの前から、バブルがはじける恐れについて強いトーンで警鐘を鳴らしていた人物だ。

 

今でこそ「そりゃあれだけサブプライムローンが蔓延してたら弾けるのは当然だろう」と多くの人が言うだろうが、当時はそうではなかった。多くの人が住宅市場のさらなる活性化を予想し、期待し、投資していた。

 

その流れに水を差す形で、Schiff氏は警告を発し続けていた。アメリカの大手テレビ局から呼ばれては、やや小馬鹿にされていた(嘘つき少年、煽り野郎、といったトーンで)が、数カ月たって、Schiff氏の懸念のほうが正しかったことが示された。

 

そのShiff氏が、再びマスコミで扱われるようになったことにビクリとした次第。

 

finance.yahoo.com

 

上記のリンク先で、Schiff氏はcrypto currencyについて懐疑的な見方を示している。

 

最近も仮想通過に携わる企業が破綻したが、これは一過性の動きではなく、仮想通貨市場自体の終わりの始まりにすぎないーというわけだ。

 

彼の発言や投稿として、記事では以下のように引用されている。

 

“This is not a #crypto winter. That implies spring is coming. This is also not a crypto ice age, as even that came to an end after a couple of million years,” he writes in a tweet. “This is crypto extinction.”

 

この市場は氷河期でもない。なぜなら氷河期はいずれ収束するからだという。むしろ crypto extinction(仮想通貨の絶滅)という表現がぴったりだ、とまで指摘している。

 

私は株式投資などはしていないが、この御仁が登場してきたときは市場の動向に注意したほうがいいと思う。

 

混乱の時期をやり過ごす策の一つとして、ご本人は「有事の金」、つまりgold投資をすすめている。まあ、財布に余裕のある方はこれに投資して損はないのだろう。

 

記事を読み進めると、ややうさん臭そうな話も混じってくる。信ぴょう性はおいておいて、投資有望な対象として、たばこ産業が挙げられている。

 

これは何もたばこ産業に成長性があるからというのではなく、配当率が極めて高いから、というのが理由だ。まあ、配当を高くしておかないと人が寄らない、という事情もあるのかもしれない。

 

The maker of Kent and Dunhill cigarettes pays quarterly dividends of 74 cents per share, giving the stock an attractive annual yield of 7.0%.

 

7%か。すごいな。日本の銀行の金利に比べたら雲泥の差だ。ただ、もちろん健康によくはない産業に投資することの是非はあるだろう。

 

If you’re comfortable with investing in so-called sin stocks, British American and Philip Morris might be worth researching further.

 

こうした「sin stocks(罪深い株?)」に投資することにやぶさかでない方は検討の価値があるだろう、と記事執筆者は触れている(Schiff氏の運営する投資会社の投資実績として、たばこ産業が高いウエートを占めているのは事実のようだ)。

 

crypto currencyにまつわるマーケットの動向、資産の避難先について、この記事を信用するか否かは各読者の判断にゆだねられるだろうが、Schiff氏の名前を見たら「おやおや?」と少しピリリとしたほうがいいかもしれない。マーケットが、一つの転換点を迎えようとしている。

 

なお、この記事のコメント欄も、時間があれば目を通してみることをオススメする。Schiff氏を支持する意見もあれば、否定的な声もある。どの意見を参考にするか、信用するか、評価するかは、各人の判断によるだろう。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

 

【短編】10・究極のバランサー(最終章)

地球上の大陸という大陸に散らばった貧乏神様たちは、喜んでいいのか悪いのか分からないが、仕事をしっかり果たした。

 

金周りが良くなりすぎていた地域で、物価上昇の勢いが緩やかになっていった。大黒天様の登場で続々と発見されていた金鉱山も、やがて鉱脈発掘の動きが鈍った。インフレの過熱に警戒心をあらわにしていた各国の中央銀行も、利上げの動きを止めた。

 

資産は本来の価値を取り戻し、ヒト・モノ・カネの巡りもちょうど人間の血流のように健全さを取り戻した。

 

今、どんな状況になっているんだろう・・

 

天才科学者の吉田は、何でも見える独自開発の特殊ゴーグルを装着し、テレビニュースに見入った。

 

どの画面にも、吉田が送り出した二体の神様が映っていた。

 

大黒天様が、小槌を振って金銀財宝、インフレマインドをブオオーと振りまく。すると、向かい合う貧乏神様が、歯のすっかり抜けた口を大きく空け、すっかり吸い込む。両者、一歩も譲らず。プロレス関係者も瞠目の一大デスマッチが繰り広げられていた。

 

大黒天様「ホ~ッホッホッホッ」(高く澄んだ笑い声)

貧乏神様「グヘ~ッへッへッへッ」(いや~なだみ声)

 

「ホッホッ」と「グヘーッ」の応酬は、両者が徐々に近づき、ピタリと触れ合った瞬間、驚くべき結末をもたらした。

 

一閃とともに、両者とも溶け合って消えてしまったのだ。

 

「これは、どうしたことなんだ」

 

吉田は突然の出来事に目を白黒させた。豊富な科学の知識を総動員し、からくりを考えた。

 

あれか。

 

世の中には、私たちの目に見える「物質」と、同じく質量は持つけれど触れることも見ることもできない「反物質」がある。両者が触れ合うと、エネルギーが相殺されて一体となり、消滅してしまうのだ。

 

まさか、神様の世界も同じとは・・

 

ほんとかウソか知らないが、一応辻褄は合いそうな理屈に吉田は冷静さを取り戻した。これで、世の中がまた元に戻ってくれそうだ。

 

ふと、嫌な予感がした。このままだと、地上から大黒天様も貧乏神様も、一体残らず消えてしまうじゃないか!それはさすがに、申し訳ない。

 

大黒天様と貧乏神様のデスマッチは、既に14組目まで終わっていた。残るは量産前の「本体」のみ。まさに横綱対決。舞台は、この30年景気の低迷やら急な為替変動に振り回されてきた東洋の島国・日本だった。

 

サラリーマンの聖地・新橋駅のSL広場で、両者は相まみえていた。SLが時折ならすポオーという汽笛が、まるでゴングのように対決ムードを盛り上げる。もはや最終ラウンドか。

 

「もう、いいんです!」

 

酔客が行き交う広場で、特殊ゴーグルをつけた吉田が甲高く叫んだ。周りのサラリーマンは白い眼をしているが、気にしなかった。

 

「大黒天様、貧乏神様、すいませんでした。戦いは、もう終わりです。私の浅はかな知恵で、お二人に、世の中にご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ない」

 

福の神、疫病神、運、不運。世の中のあらゆるものは、絶妙なバランスの上でつり合い、安定しているのかもしれない。そこに人の手を加えようとしたこと自体が、間違いだったようだ。

 

世の中は、それ自体が究極のバランサーなのかもしれない。

 

わずか1メートルほどにまで迫った二体の神様の間に入り、吉田が力強く叫んだ。「勝負はここで終わり!大黒天様も、貧乏神様も、ありがとうございました」

 

やっぱりお一人ずつが、いいんだ。

 

福の神が増えすぎることの弊害は痛いほどわかった。一方、疫病神が存在していることの意義も、ちょっと理解できたような気がする。

 

不況の中でこそ、モノのありがたみが分かるとも考えられる。米粒一つの大切さをかみしめることができる。モノが足りない時代だからこそ、人々が身を寄せ合い、助け合う。疫病神は正直、あまりお近づきにはなりたくない存在だけれど、学べることは少なくないかもしれない。

 

吉田は二体の神様の肩を優しくたたくと、「もう自由です」とささやいた。神様たちは「さようか」とつぶやくと、地面をトンとけり夜空へと溶けていった。

 

苦節30年の末に生み出した石臼も、今やトラブルの元だ。石臼の内部にはめ込んでいた、量産用の半導体チップを取り出した。ゴミ箱にポイと投げ入れた。「石臼は石臼でいい」

 

人生の長い旅路の中では、福の神にたまたま祝福されることも、逆に疫病神にまとわりつかれてしまうこともあるだろう。ただ、いつ、どこで、どのようにまみえるかは、分からない。選り好みも、できない。何事も、自分の思うようにはできないのだ。そんな世の中だから、一つ一つの経験を、嘆くことなく、奢ることなく、ありのままに受け止め、人生の肥やしにしていきたいものだ。

 

研究室に戻った吉田は、再び石臼に手を掛けた。そのまなざしは穏やかだった。手元には、近所の喫茶店で買ったコーヒー豆があった。「こいつで、挽きたてを味わうとするか」

 

鼻孔をくすぐる香りが、研究室に充ちた。

 

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

 

【短編】10・究極のバランサー(下)

天才科学者の吉田がタクシーを飛ばして向かったのは、再び空港だった。

 

「今度の旅ほど、気が乗らないことはない」

 

ため息をつきながら、国際便の搭乗ゲートへ。各便の離着陸時刻を伝える大型スクリーンを見上げた。「これだ」

 

目線の先には、見慣れぬ都市の名があった。今、世界でも飛びぬけて不況で低迷している、とある地域だった。ものが売れず、賃金は上がらず、金の巡りも人の巡りも道端のぬかるみのように泥水のようによどんでいた。

 

福の神効果で手にした100万ドルも、プライベートジェット機をチャーターしたこともあり残り1万ドルと減っている。現地までの座席は当然、エコノミー。ここから先も、えらい大変な道のりになりそうだ。節約、節約。

 

もう、既にあの御仁のワールドに引きずりこまれようとしている。

 

降り立った都市は、なんともうら寂しかった。行き交う人々の表情も、どこか乏しい。青空までが空しく映るよ。さて、探すか。

 

酔客の数よりも多い野良猫を横目にしながら、閑古鳥のなく歓楽街を歩いた。それほど進むこともなく、お目当ての御仁を見つけた。見るからにみすぼらしいーといっては失礼だが、正直お近づきにはなりたくないタイプの方だ。

 

「あのう・・」

 

吉田は意を決し、着古したヨレヨレシャツをまとった初老の男性に話しかけた。「ホイホイ、なんじゃらホイ」

 

返事をする様子も、どこか品がない。すっかり歯の抜けた口をあんぐり空け、カラカラと笑う御仁は、誰あろう貧乏神その人だった。

 

「貧乏神様、すいませんがちょっとこちらへ」

 

できるだけ触れたくない。貧乏神様に、吉田の抱えた石臼のところまで寄ってもらった。そして一瞬のタイミングをみつけ、貧乏神様の体を石臼の隙間にえいやと押し込んだ。痩せ細ってるから、スルリと入った。貧相なのも、たまには悪くない。

 

「ウヒョー、なにをするんじゃ」

 

石臼の隙間からかすれた声を上げる神様を、吉田がなだめた。「ちょっとの辛抱ですから」

 

まったく、苦節30年で生み出した装置で、まさか疫病神を量産する羽目になるとは。天を仰ぎながら、吉田は石臼を引いた。ちょうど大黒天様と同じだけ、15回。

 

全身の力を使い果たし、地べたにへたりこんだ吉田の目の前には、貧相な恰好のおじいさんがしっかり15人。この世で最もみすぼらしいといっても過言ではないメンズがそろった。

 

「さあ、これから皆さんに頑張ってもらいますよ」

 

大黒天様のときのように、タイミングよく大型トラックが通りかかることもなかった。人も車もほとんど通らない歓楽街を、トボトボ歩いた。ひざがガクガクになりながら、なんとか海辺の港にたどり着いた。

 

「すいませんが皆さん、一人ずつこっそり飛び乗ってください」

 

吉田は港の沖合に浮かぶ無数の船影を指さした。世界のあちこちに向かう貨物船だった。

 

「なんと、わしをエスコートしてくれんのか」

 

分相応ですよーという本音が出そうなのをぐっとこらえ、「世界を救うためですから」と波間へと促した。

 

ジャボーン

 

痩せ細った貧乏神様たちが、次々とベタ凪の海原へ飛び込んでいく。華麗にクロール、というわけもなく、犬かきをしているのかおぼれているのか分からない摩訶不思議な動作でヨロヨロと船影に向かっていった。

 

~(最終章)に続く~

続きは明日!

【短編】10・究極のバランサー(中)

既に福の神の強運をおすそ分けしてもらった吉田、何を思ったか目の前の大通りに突如、飛び出した。そして、たまたま通りすがった大型トラックを止めた。「運転手さん、空港までヒッチハイク、お願いできませんか」

 

無理にもほどがあるといわれそうな相談だったが、今の吉田には幸運をぐいと引き寄せる力があった。運ちゃんは「なんだかよく分からないけれど、いいよ。おいら、何かウハウハでイケイケな気分になってきたところだし」と快諾。そりゃそうさ。なんたって今ここには、福の神が15人もいるんだから。言っても分からないであろう説明を口にするのを控え、黙って荷台に大黒天様ご一行を放り込むと、空港までぶっ飛ばしてもらった。

 

はるばる東の島からやってきたことを伝えると、運ちゃんは「そんな遠くから」と驚いた顔を見せた。と、手前の信号が赤に変わった。運ちゃんがブレーキを踏むと、助手席の収納スペースのふたが開き、3枚のチケットがハラリと落ちてきた。

 

「ここで出会ったのも何かの縁だ。これ、記念に持ってきな」

 

こないだ買った、宝くじだという。吉田は「じゃあ」と1枚だけいただいた。空港に着き、運ちゃんに深々と礼をすると、小さくつぶやいた。「私のいただいた1枚も、運ちゃんの手元に残った2枚も、たぶん大当たりしてるよ」

 

運ちゃんには見えていない大黒天様15人を荷台から降ろした。スマホで宝くじサイトをチェックすると、やっぱりそうだ。100万ドルが当たってる。空港の特殊応接室に駆け、全額換金してもらうと、そのままプライベートジェットをチャーターした。

 

運が向いてきた、向いてきたぞう!

 

空港のスタッフには見えない「チーム大黒天」で大挙、チャーター便に乗り込む。行き先は、丸い地球のあちこちだ。

 

アジア、ヨーロッパ、北米、南米。なんなら南極もいっとくか。大陸という大陸の上空で、吉田はこっそり客室のドアをこじ開け、落下傘部隊ばりに大黒天様を一体ずつ放り出していった。「あとは頼みましたよ、大黒天さま~っ!」

 

量産された大黒天様による「福の神効果」は、すさまじかった。不景気、高失業率、賃金安にあえいでいた国が、地域が、あれという間に息を吹き返した。人々は上を向くようになり、ものが売れ、お金が回り、まるで人間の血流のようにあらゆるものが巡り始めた。

 

「これだ、これが私の望んでいたものなんだ・・」

 

故郷の島国に帰り着いた吉田は、テレビ越しに伝えられる世界各地のニュースに、相好を崩した。

 

世の中を、人々を苦しみから救い上げる独自プロジェクトは、まったくの成功裏に終わったかにみえた。

 

ただ、そこから少しずつ、世界は吉田の予想もしていない様相を見せ始めた。

 

異変はまず、元から景気のそこそこよかった南の国で起きた。「ここ最近、新たな金鉱脈が続々と見つかっている関係で、金価格が下がり続けています」

 

テレビのアナウンサーが伝えるニュースは、あまりありがたくない情報が多くを占めるようになっていた。

 

どうも、福の神効果が極端に振れてしまっているようだ。世の中の富が、財宝が、給料が、あらゆるものが満たされあふれるようになったことで、かえって資産価値が目減りしはじめたのだ。

 

まさに、有難迷惑。富は、増えすぎてもあまりよろしくはなかったのか。耳にしたくないニュースが地球上のあちこちから伝えられるようになり、吉田は底知れぬ恐怖を覚えた。

 

「このままでは、みんなが奈落の底に落ち込んでしまう」

 

南極の地下深くからレアアースが大量に見つかった。もはや、レアじゃなくなろうとしている。

 

南無三!吉田は智慧という智慧を振り絞った。そして、ある打開策を思いついた。

 

「まさか、あんな御仁に力を借らないといけなくなるとは」

 

吉田は、これ以上ないというくらい顔をしかめた。しばらく、うーんと唸った後、意を決して再び研究室を飛び出した。

 

~(下)に続く~

続きは明日!

【短編】10・究極のバランサー(上)

「とうとう、できたぞ・・」

 

額ににじむ汗をぬぐうと、白衣の吉田は長く息を吐いた。

 

苦節30年。長かった。天才科学者の吉田といえども、世紀の装置の開発には難渋を極めた。

 

だが、道なき道を踏み分ける旅もこれで終わりだ。世の中が大きく変わる。みんなが、暮らしが、よくなるんだ。

 

到来する桃源郷時代をイメージするだけで、吉田のほおは緩んだ。

 

見掛けはただの石臼だ。取っ手がついている。それをえっこらしょと回すと、ちょいとしたサプライズが生まれる仕組みになっている。

 

何が起きるのかは、実際に試してからのお楽しみだ。吉田は早速、手元のボールペンを拾い上げた。「こいつを、臼の隙間に挟んで、と」

 

グリグリグリと、時計回りに転がしていく。ちょうど一周したところで、先ほどのがコロリと転げ落ちてきた。

 

しかも、2本。

 

そう。この石臼は、モノを何でもコピーすることができるのだ。3回まわせば、先ほどのペンが3本出てくる。いわば無限の量産マシーンというわけだ。

 

「よし、上出来」

 

吉田は上気した頬で石臼をそのまま抱え上げると、研究室を飛び出した。こいつを使って、はやく量産したいものがあった。

 

何が増えると、世の中が豊かになるだろうか。食糧か。たしかにそれもある。ただ、量産するにはこの石臼では物足りない。もっともっと、効率的に。知恵を使うんだ。

 

吉田は今いちばん景気のいい、とある国に空路飛んだ。ものは売れまくり、街には人々の希望と意欲が満ち溢れている。大通りの雑踏をかきわけ道を進んでいると、お待ちかねのターゲットが、いた。

 

吉田の開発した特殊ゴーグルを通した先に見えたのは、デプッとおなかの膨らんだ好々爺。片手で小槌を握っている。「ホ~ッホッホッホッ」と高く響く笑い声が、一帯に心地よくこだまする。好々爺が、小槌を上下に軽く振るだけで、黄金色に輝く財宝がポロポロポロと砂利石のようにこぼれ落ちている。

 

大黒天様。アジアの人々が古来より敬いあがめてきた至高の存在の一人だ。物理法則を越えた存在もキャッチできる吉田の特殊ゴーグルは、今成長期にあるこの国を陰で支える“縁の下”をしかと捉えていた。

 

この方に、地球のあちこちに散らばってもらうんだ。そして、金銀財宝を、「景気」という上げ潮ムードを、振りまいてもらうんだ!

 

一般の人々が気づかず通り過ぎる中、吉田は道端にたたずむ至高の存在に話しかけた。「大黒天様、どうか人類のためにお力添えを」

 

初めて面と向かって語り掛けられた大黒天様、一瞬目をギロッとさせたが、すぐまた普段のホクホク顔に戻った。「ホ~ッホッホッホッ。そのう、わしに何か、できるかのう」

 

大黒天様、ちょっと窮屈ですが、失礼!

 

小太りのおじいさまをえいやと抱え上げると、傍らの石臼の隙間にむぎゅりと押し込んだ。「ちょっとの辛抱ですから、我慢、我慢」

 

はみ出る小腹を臼に押し込み、吉田はえいやと石臼を回し始めた。よいしょ、よいしょ、よいしょ・・・この際だ、いけるとこまで、いってまえ!

 

頑張って15周ほどさせ、精魂尽きて地べたにへたり込んだ吉田の前には、でっぷりした小腹をペチペチと気持ちよさげにたたく好々爺が15人、そっくりそのまま同じ格好で並んでいた。

 

「ありがとうございます、大黒天様!さあ、これからが大仕事ですよ」

 

さきほどの疲れもどこへやら、吉田はむっくりと起き上がると、目の前の大通りへと飛び出した。

 

~(2)に続く~

続きは明日!

【ざんねんマンと行く】 ~第36話・こころを伝えることに技巧はいらない(下)~

(あらすじ)

花咲きほこる奈良の都の大通りに、一人力なくたたずむ青年がいた。遠く九州を目指す、防人(さきもり)だ。ネットも電話もない時代。生きてふるさとの関東に帰れる見込みもなく、ただひたすら「お父さん、お母さんに愛の言葉を伝えたい」と願うのみ。切なる思いは時空を超え、人助けのヒーローことざんねんマンに届いた。ざんねんマン、何やらひらめいたか、青年を連れ都大路を練る牛車の貴人に何事かを頼んだ。せめて思いを詩にしていただけないか。真摯な願いの行く末は。

 

 

1300年の長旅を終え、ざんねんマンは現代に帰ってきた。あの青年、無事に九州までたどり着いたかな。貴人の方は、詩にしてくださっただろうか。さまざま湧いてくる興味にせきたてるように、近所の図書館に足を運んだ。

 

大伴家持が生きていた時代の、歌集を調べた。なんといっても、その代表作が万葉集だ。ここにヒントがあるかもしれない。4500を越える作品群に一つ一つ目を通すのは楽ではなかったが、無心にページをめくっていった。その中で、ある詩に目が釘付けになった。

 

万葉集・巻20・防人歌】

父母が

頭(かしら)かきなで

幸(さ)くあれと

言いし言葉ぞ

忘れかねつる

 

【現代語訳】

お父さんとお母さんが

僕の頭を手でかきなでて

「幸せであっておくれ」と

言った言葉が

忘れられない

 

なんと、単純な詩であることか。技巧もない。ただ、ある場面を言葉にしただけにすぎない。何の教養も、感じさせない。

 

それなのに、なんだろう。光景が、目に浮かぶ。お父さんと、お母さんの、わが子に対する深みの知れない愛情を、ひしと感じとれる。とつとつとした言葉の中に、真心がこもっている。

 

これだ。

 

ざんねんマンは直感した。この詩が、あの青年の心中を描き上げたものに違いない。それにしても、あの希代の歌人は、どうしてこんな技巧の映えない作品に仕上げたのだろう。

 

詩心のないざんねんマンが家持卿の心中を推し量るのは少々無理があったが、それでも一端を類推することはできた。あのお方は、きっと青年と同じ目線に立たれたのだ。坂東の片田舎で暮らす人間にとって、詩も技巧も縁のないものだった。だけど、それだからこそ、朴訥な言葉が真なる思いを吐露する力になったのだ。

 

作者は記されていなかった。ああ、あの青年の立場を慮ったのだろうか。

 

やはり、あのお方はただ者じゃない。天才だ。

 

青年のその後は、ようとして知れなかった。旅路の先で遂に果ててしまったかもしれない。だが、父母に寄せる温かい思いは、一首の詩として永遠に残されることになった。

 

気持ちを伝えるのに、技巧はいらないのかもしれない。ただ、ひたすらに、心の内を言葉に乗せてあげれば、それで充分届くこともあるのだろう。

 

天才が教えてくれた、素朴さの重み。ひしとかみしめながら、今は黄泉の国で両親と安らっているだろう青年を思い浮かべた。「お兄さんの気持ち、今じゃ日本人みんながシェアしていますよ」

 

心がポッと温まるのを感じた。僕も、詩作にチャレンジしてみよう。素人なりに、いいものが作れるかもしれない。そして、あわよくば現代歌集に載って、歴史に刻まれるのだ。ぐっひっひ。

 

その後、ざんねんマンは下手の横好きで和歌づくりを始めた。だが、どう頑張ったところで川柳の域を出ないのが残念なのであった。

 

~終わり~お読みくださり、ありがとうございました。

【英語ニュース探訪】1・大統領発の新語

英語を学ぶのにふさわしい教材は、市販の教科書や問題集ばかりではない。

 

むしろ、日々地球の各地から配信されるニュースや記事の中にこそ、学びや驚き、発見があるといえるかもしれない。

 

私は語学を趣味にしている一介のサラリーマンにすぎないが、同好の士のため、「これは面白い」と感じた記事はなるべくシェアしていきたい。英語を学ぶ人は年齢層も語学水準も関心も幅広く、どの方も刺激や学びのソースを求めていると考えるからだ。英検3級水準以上の実力がある方を想定して、イイ!と感じたものを紹介していこうと思う。

 

私個人の語学経歴についてはこちら(英語)こちら(中国語)をご参照いただきたい。

 

最近、「おおっ!」と興味深く読ませてもらった記事がある。

 

www.voanews.com

 

言語は国を問わず、絶えず新たな単語を生み出し続けている。中でも、強い影響力を持つ人物からは、時代の要請に応えるために数多くの言葉がひねり出されているようだ。

 

この記事は、アメリカの歴代大統領が生み出した新語に焦点を当てている。それにしても、これほど多くの単語たちが大統領発だったとは。正直、驚いた。

 

一つ一つが興味深いが、例を挙げると

military-industrial complex(軍産複合体

 

記事によると、これは1961年にアイゼンハワー大統領が生み出したそうだ。その理由については

 

to warn against the powerful alliance of the military, government and private corporations. (軍、政府、民間企業の力強い連携に対して警鐘を鳴らすため=私訳)としている。今や日本語でも「軍産複合体」という単語はすっかり浸透しているが、こんなところにルーツがあったとは。

 

政治でもう一つ、

solid majority(安定多数)というのがある。日本でも選挙特番では必ず登場する単語だ。これは、ニクソン大統領が生みの親だそうだ。

 

ちょっと歴史背景の知識が必要な単語もあった。向こうの国では定着している言葉のようだ。

 

loose cannon(危険人物、危なっかしい奴、やらかしかねない奴)

 

これはルーズベルト。cannonは艦船に載せる大砲のことで、昔は綱でしっかり船体に固定させていたという。固定がしっかりしていないと、甲板の上で思わぬ方向に動いたりと実に危なかったようだ。そんな場面を思い起こしたのか、ルーズベルトさんはこんな言葉を生み出したようだ。おそらく、実際にcannonがlooseになって水兵たちを冷や冷やさせたことがあったのだろう。そして、そんな言葉にぴったりの人物がいたのだろう。

 

最後に、これは正直、驚いた。

 

cool

 

こちらはリンカーン。もちろん、「寒い」という意味では以前から使われていた。リンカーンは、そこに「かっこいい」「よい」という意味を新たに加えたのだという。

 

この記事で紹介されている大統領発の新語は20ぐらいに及ぶ。眺めるだけでも面白い。それだけ大統領に影響力があり、センスがあり、時代のニーズをつかみとる肌感覚に優れていたといえるのではないか。

 

英語の勉強にもなるし、何か雑談のネタぐらいには使えるかもしれない。一読する価値はあるかと思う。coolな言葉が並んでいる。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【歩き旅と思索】 38・テントの次にいい寝ぐら

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

歩いて土地をつなぐ旅では、なるべくテント泊をするようにしている。

 

できる限り自然を味わっていたい、空間のつながりを実感したいというのが旅の大きな目的の一つであり、それには野営が一番となる。

 

ただ、市街地に入るとテントは張れない。おまわりさんの御厄介となるからだ。そこで、次善の策として別の寝ぐらを探すことになる。

 

今までの旅で、まず探してきたのはこれだ。

 

カプセルホテル

 

これはどうも歩き旅と相性が合う。ザックをかついでトボトボ歩くだけの旅に、大きな宿泊ルームはいらない。むしろ最小限のスペースを確保し、しっかり体を横たえて疲れをとることさえできれば充分だ。

 

ということで、大都市には必ずあるカプセルホテルにはよくお世話になっている。

 

カプセルホテルには大きな魅力がある。大型の浴場がだいたい併設されているのだ。凝り固まった足腰の筋肉をほぐし、湯船に身体を浮かべて「大」の字になる。ああ、最高だ。

 

これだけでも充分ありがたいのだが、カプホの中には宿泊客専用の居酒屋スペースを設けているところもある。これがまた、たまらん。

 

疲労がたまり、もう外出はしたくないと思ったときには、そこがオアシスになる。

 

中ジョッキからはじまり、つまみ、刺身、焼き鳥なんかをいただく。テレビの野球中継なんかをぼおっと眺めながら、頭空っぽの状態で心身を癒す。

 

鹿児島県は中心部で一泊することになったとき、私は迷わず駅前のカプホを選んだ。お、居酒屋コーナーまであるじゃないか。ありがたい。大浴場で体をほぐした後、カウンターでグビりと飲み始めた。

 

意識してはいなかったが、気づくと両隣に中年の男性が座っていた。片方の人はサラリーマン風。もう一人はガタイがよくて、トラックの運ちゃんかな。

 

誰が、ということもなく、いつしかビール片手に語らいだした。

 

お互いの仕事のことを少し。あとは、自分の人生のこと。愉しんでいること。私は今自分がしている歩き旅のことを話した。私より一回り以上年上のお二人は、興味深く私の話を聞いてくれた。

 

カプホらしく、空間が煌々と照らされた超健康的な雰囲気の中で、まるで修学旅行中に夜更かしをする小学生のような気持ちで楽しく飲み語らった。

 

ふと時計を見ると、もう深夜2時ごろになっていたと記憶する。

 

「ああ、楽しかった、兄ちゃん、旅、がんばってな」

 

ガタイのいい兄ちゃんがエールを贈ってくれた。言葉の温もりが、今も忘れられない。

 

自然とつながったままのテント泊には野営ならではの醍醐味があるが、カプホ泊もたまには悪くない。その中で、心温めてくれる意外な出逢いにまみえることもある。

 

自然を軸にしながらも、こうした文明の粋をたまには頼っていくつもりだ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【サラリーマン・癒やしの和歌】13・時代を越えて届くフレーズ

疲れたサラリーマンに、古の和歌が響く。

 

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

ある詩の、楽曲の、たった一つのフレーズが、時代を越えて生き残り、人々の胸を打つことがある。

 

今から千年以上も昔に編まれた、一首の和歌もその一つだろう。

 

心なき

身にもあはれは

知られけり

鴫(しぎ)たつ沢の

秋の夕暮れ

 

ものごとの分別もまともにつかない

私のような一介の人間でさえも

「あはれ」というものの奥深さ、神秘を感じ取ることができるものだ

まさに今、鴫(しぎ)が飛び立つ

この秋の夕暮れの光景の中に

(自然に、神仏に、感謝するばかりだ)

 

このような意味だろうか。

 

作者は、平安末期、武士団の勃興が一つの時代を切り開こうとしていた時期に生きた、西行法師だ。

 

難しい表現の一切ない、見方によっては実に単純な構図の作品なのに、どこまでも深く心のひだにしみわたってくる。

 

心なき身にも

 

このひとことに、私は胸をわしづかみにされた。人生経験を重ねながら、人格の一向に練れていない現実に対する自嘲、反省。そんな情けない現実を生きながらも、言葉で表しようのない存在の神秘、宗教心というものを、わずかといえども感じ取ることができたことの喜び。「心なき」の一言が、こうした感動の大きさを伝えるための最強の伏線になっている。私は、そう感じる。

 

私自身は、いつこの作品に初めて触れたのか覚えていないが、折に触れてこの「心なき身にも」が口をついて出そうになる。

 

恥ずかしくって日常生活では使わないが、心の中ではつぶやいている。

 

たった8文字が、千年の歴史を越えて、少なくとも一人の人間の胸に居続けている。

 

和歌のすばらしさに、脱帽するばかりだ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

 

【サラリーマンの第2外国語挑戦】6・英語ニュースからは見えない世界

簡単な自己紹介です↓

ojisanboy.hatenablog.com

 

外国語は英語さえ話せれば充分という向きがあるかもしれない。

 

だが、二つ目の外国語を抑える、少なくとも手を出してみることは大きな意味がある。

 

英語圏の価値観から脱することができるということだ。

 

海外ニュースは、英語圏をベースにした報道機関発のものが多い。BBCしかり、CNNしかり。ロイターしかり。西洋的価値観に基づき、世界中の出来事を評価・分析している。そこには客観性が一定程度保たれているとみられるが、一面的な見方で語られていると感じることが少なくない。

 

例えば中国について。英語圏発のニュースを見る限りでは、真っ赤っ赤で危険な国だーとの印象を受けざるをえない。まあたしかに、政治体制をみると極めて強権的であり、日本が学ぶべきところはほとんどないように思える。

 

だが、そこで暮らす一人一人の住民に目を向けると、これがかなり変わってくる。私たち日本人と同じように、笑い、泣き、支え、助け合っている。

 

私は言語学習でhellotalkという無料アプリを利用している。そこを通じ、数多くの中国人(日本語学習者)と交流(音声トークなど)を重ねている。

 

彼らにそれぞれのふるさとの話(食、文化、産業)について伺っていると、実に多様で、ときに日本人以上に自然や伝統を愛し大切にしている姿に感銘を受ける。

 

個人のレベルでみると、日本人は中国人に学ぶところが大いにあるように感じる。

 

それもこれも、言語学習を通じてつながることができた。やはり現地の言語を話せないと、交流もすんなりとは進まない。何より、現地の言語を学ぼうとする姿勢をみせるだけで、向こうの人は喜んでくれる。胸を開いてくれる。

 

というようなことで、第二外国語は学ぶことそれ自体に意義があると考える。それは中国語に限らず、ベトナム語でもタイ語でもドイツ語でも同じだろう。

 

英語圏のメガネを通さず、現地のメガネで語り、見る。すると、それまで気づかなかったような発見に出逢える。

 

第二外国語に挑戦されている皆さま、一緒に楽しんで参りましょう。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~