おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【歩き旅と思索】 39・知られない感動

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

進むルートも、目的地も、気の向くまま。そのときの気分に従って一筆書きのかたちにつないで歩くばかりの旅には、有名な観光地との出会いこそ少ないけれど、その土地その場所を通りがかった人だけが味わうことのできる感動に恵まれることがある。

 

山口県は下関から海岸線沿いに北上していたときのことだ。

 

のどかな農村をテクテクと歩いていると、道端の草原に1本の大木が根元から倒れているのを認めた。

 

おそらく、台風でやられたのだろう。見事にボキリとやられている。なんまいだ。

 

太い幹にばかり目がいっていたが、その倒れた幹から小枝という小枝がいずれも空へと垂直に伸びあがっている様子に目を見張った。枝の先には緑の葉がこれでもかといわんばかりに広がっている。なんと、生きていたのだ。

 

生命力って、こういう姿をいうのか。

 

一見、死に果てた老木にしかすぎないものが、生の力をあきらめず、残された脈を頼りに枝を伸ばし、葉を広げ、みずみずしい光を発していた。

 

この大木に限らず、人間とかほかの生き物にもあてはまるのではないか。そのとき、ストレートに感じた。

 

あきらめず、やみくもにでも手を伸ばしてあがいていると、生は生きる道を探り当てるのだろう。

 

生きている間は、生きている限りは、あがき、もがくのも悪くないかもしれない。

 

その倒れた大木は、なんということのない田舎道沿いにあったので、はっきりした場所も覚えていない。ただ、とてつもなく深くありがたいものを見させていただけたことに感謝している。

 

世の中には知られない感動に巡り合わせることができるのも、歩き旅の醍醐味だ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~