おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【サラリーマンの英検1級攻略術】41・使えるサイト

限られた時間と予算の中で、英検1級に合格したい!という社会人の方をイメージしながら書いている。

 

※簡単なプロフィルは☆こちら☆になります

 

英語力を鍛えるうえで役立つサイトは山ほどある。ここ最近、私がお世話になっているサイトをご紹介する。

 

Yahoo | Mail, Weather, Search, Politics, News, Finance, Sports & Videos

 

ベタで申し訳ない。yahooのアメリカ本国版だ。これがいや、なかなか素晴らしい。

 

政治経済文化芸能スポーツ、なんでも取り上げている。ホットなニュースが満載だ。ニュースソースも右寄り、左寄り、ゴシップ紙と何でもござれ。あらゆる視点から日々の出来事が取り上げられ、分析されている。

 

そこで使われている英語は、まさに21世紀の言葉であり、覚えがいがある。そのまま使える。また、何より英語圏の人々の見方、考え方がうかがえる。表現を知るとともに、英米圏の思考に迫ることができる。こんな素晴らしい生きたテキスト、ないではないか。

 

私の勉強の仕方はこうだ。

スマホでヤフートップに飛ぶ(お気に入り登録している)

②気になったニュースを読む(5~10分で読める。この間、知らない単語があっても辞書を引かない。完璧に理解することを目指さず、文章の流れ、流し方、書き手の伝えたいことの把握に意識を向ける)

③同じニュースを2回読む(こうすることで中身がより深く入ってくる。気になった表現は「ははあ、こういうモノの言い方をするのか」などと感想をあえて心の中でつぶやきながら、意識に残るようにしながら、読み進める)

④どうしても気になる単語があれば、最小限、調べる

⑤(ここ大切!)記事の一番下にある「view comment」をクリック!ここでは一般読者が感想を投稿している。各ニュースを読んで、英米圏の人たちはどう感じたのか。異論、反論、なんでもあり。そこに目を通すと、さらに英米圏の考えを深く理解できる。また、ここではよりフランクな表現が登場する。スラングなど。これもまた学びがいがある。

 

このような流れだ。一つの記事に、どうだろうか、15分程度はかけている。長いとみるか短いとみるかは人によるだろうが、相当に充実した時間になることは間違いない。

 

最近読んだのはこれだ。実に面白い。

 

news.yahoo.com

 

ロシアのウクライナ侵攻に端を発した今回の混乱で、フィンランドの首相が「ヨーロッパは正直なところ、脆弱だ」と発言したというのだ。

 

傍目からみるとヨーロッパはさまざま問題を抱えながらも世界屈指の経済圏であり、軍事同盟(NATO)を持つ強力な統合体のようにみえる(私は)。ところが、この首相は率直に「実態はアメリカ頼み。私たちは自分たちで物事を解決できるだけの力と覚悟を持たなければいけない」と危機感をあらわにした。

 

いやあ、内部からの、しかも構成国の一つのリーダーがこのような率直な発言をするとは、驚いた。

 

記事の中では、EUの高官によるこのような発言も紹介していた。

 

"What would have happened if, instead of Biden, it would have been Trump or someone like him in the White House? What would have been the answer of the United States to the war in Ukraine? What would have been our answer in a different situation?" 

 

今回のウクライナ侵攻について、もしアメリカの大統領がバイデンではなくトランプだったら一体どうなっていたと思うか?と問うたのだ。記事によると、アメリカはこれまでのところウクライナに1兆円近い支援をしているが、もしビジネスマンのトランプさんが大統領だったら、これほどの支援をしてくれていただろうか?というわけだ。もしアメリカが支援の手を引っ込めたりしたら、我々EUはなすすべがなかったかもしれない、というわけだ。

 

この主張がどれだけ正当性を持つのかは分からないが、少なくともそのような危機感をヨーロッパ―のリーダーたちが抱き、明確に言葉として発しているのが非常に重く感じられた。

 

これだけでも興味深かったが、commentをみるとこれまたさまざまな意見が出ていて、読み甲斐があった。おおむね、ヨーロッパのアメリカ頼みの現状に危惧を抱いているようだ。その一つは以下の通り(抜粋)。

 

I am so glad that a Europe Nation finally says the truth, that they all know. Without America (for now) Europe Nations would fall. I hope that the EU will strengthen a mighty EU Army capable of defending all of their great Nations.

 

ちなみにこの記事とコメントだけで、おそらく数十のナウでいけてる英語表現に触れることができた。時事情勢に触れるだけでなく、最新の英語表現も学べる。それから、ニュース原稿なので、いかに読みやすく文章を書くかという意味でのテキストにもなっている。これは、読まない手はない。

 

ということで、アメリカのヤフーは一つ学習材料として活用してはいかがだろうか。

 

また、面白いサイトを発見したらご報告いたします。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【ざんねんマンと行く】 ~第36話・こころを伝えることに技巧はいらない(中)~

【(上)のあらすじ】

1000年以上昔。花咲きほこる都・奈良の大通りに、一人力なくたたずむ青年がいた。遠く九州まで防人として向かう途中。ネットも電話もない時代。生きてふるさとの関東に帰れる見込みもなく、ただひたすら「お父さん、お母さんに愛の言葉を伝えたい」と願うのだった。切なる思いは時空を超え、人助けのヒーローことざんねんマンに届いた。ざんねんマン、何やらひらめいたか、青年を促しあるところへ向かった。

 

~ここから(中)に入ります~

 

奈良の都を代表する通りに、朱雀大路がある。二人はそこに向かった。そこでは、貴人を乗せた牛車も行き交っていた。

 

「あ、あの車だよ。あそこに、かの有名な兵部大輔(ひょうぶたゆう)様が乗っていらっしゃるだよ」

 

商人たちの立ち話が聴こえてきた。どうやら、二人に向かってくる牛車の1台に、有名人物が乗っているらしい。さらに聞き耳を立てていると、「家持様」との単語が出てきた。間違いない、あの人だ。

 

古代日本が生んだ希代の天才歌人大伴家持(おおともの・やかもち)。あゆれんばかりの教養に加え、人のこころを深くつかみ、共感し、表現する詩作の力は抜きんでており、最古の歌集の一つ「万葉集」を編纂したことで歴史に名を刻む。

 

あのお方に、お願いするんだ。

 

ざんねんマン、馬鹿の一つ覚えとばかりに、同じセリフを繰り返した。あの天才歌人に、この青年の思いを形にしてもらうんだ。あのお方なら、素晴らしい詩にまとめあげてくださるはず。幸あらば、その詩が人づてに広まり、坂東で暮らすご両親まで届くかもしれない。

 

牛車が近づいてきた。地面にかしづく商人たちとは対照的に、青年の手を取り通りの真ん中に駆け出した。ざんねんマン、勇気を振り絞って、叫んだ。

 

畏れ多くも兵部大輔さま!私は坂東で暮らす一庶民でございます。隣におりますこの者は、防人として九州に向かう途中の若者でございます。遠くふるさとで暮らす両親を案じております。切なる思いを、何卒大輔さまのお力で、詩として形にしていただくことはできませぬでしょうか!

 

地に伏して請うた。隣の青年も、地面にのめり込まんばかりに額を擦り付けた。

 

簾(すだれ)が、はらりと巻き上げられた。中から、高貴な装束に身を包んだ男性が現れた。

 

悠然としたたたずまいに、言葉にならない教養と品がにじむ。ざんねんマンと青年、口をあんぐりと開けたまま、しばらく声が出なかった。

 

貴人の手招きに従い、牛車に近寄った。ざんねんマンは、かくかくしかじかと青年の境遇を説明した。緊張のあまりブルブルと震える青年に、貴人は問いかけた。

 

「そなたは、父と母を、慕っておるのじゃの」

 

無言で、青年は大きくうなずいた。首を何度も振る中、最後の別れの場面を思い出した。お父さんとお母さんは、ひたすら僕を抱きしめてくれたです。優しい言葉を、かけてくれたですよ。おいらにとって、二人は命そのものだですよ。

 

青年の、言葉足らずだが、真心のこもった言葉の一つ一つに、貴人は深くうなずいた。天才歌人の心の中で、すでに詩作の胎動が始まっていた。

 

貴人との邂逅は、ものの10分ほどで終わった。護衛の者たちに「頭が高~い!」とたしなめられ、通りの端に追いやられた。貴人を乗せた牛車は、まばゆくそびえる平城宮へと消えていった。

 

やることは、やった。あとは、あのお方がどんな作品にしてくださるかだ。いつ、どこで、どんな手段で形にされるのかは分からない。けれど、それを心の頼みに、九州への旅を続けてほしい。

 

ざんねんマンの言葉に、青年は大きくうなずいた。「おじさん、ありがとう。僕も、少し人生に希望ができた。これからどうなるか分からないけれど、僕は生きれるだけ生きてみる。決して途中であきらめたりはしないよ」

 

眼(まなこ)の奥に、力がみなぎっていた。ざんねんマンも、その姿を見てうなずいた。大丈夫だ。君の願いは、必ず形になるはずだ。

 

二人はがっちりと手を握り合った。「じゃあ、私はこれで」とざんねんマンは手を振った。青年も「おじさん、ありがとう」と笑顔で返した。

 

1300年の長旅を終え、現代に帰ってきた。あの青年、無事に九州までたどり着いたかな。貴人の方は、詩にしてくださっただろうか。さまざま湧いてくる興味にせきたてるように、近所の図書館に足を運んだ。

 

~(下)に続く~

【大将と私】16・底知れぬファン層

変わり者の大将の紹介↓

ojisanboy.hatenablog.com

 

50を超えたおっさんなのに、不愛想なのに、どこまでも愛嬌があり、慕われる居酒屋の大将がいた。

 

私も他のファンに負けないくらい、大将に入れ込み、頻繁に大将の店に足を運んでいた。それこそ、20代の独身のころは毎日に近いペースで通っていたと思う。

 

大将のファン層はだいたい分かっている。そんなうぬぼれめいた思いもあった。まあ、そんなこと威張って誰が手を叩いてくれるのかと突っ込まれそうだが。

 

とまれ、そんな思い込みは、大将が黄泉の国に旅立った1年以上もたったころ、いともあっさりと覆された。

 

地方の特急列車に腰かけていたとき、見覚えのある風貌の男性が通路沿いに歩いてくるのを認めた。名前が出てくる前に、「おお」と声を掛けた。目が合うと、やはり常連さんの一人だった。懐かしい。自由席だったこともあり、そのまま向かい合って座り、思い出話に花を咲かせた。

 

面白いのは、常連さんの隣にもう一人、若い男性が座っていたことだ。てっきり大将とは無関係の人と思っていたら、「私も通っていました」とおっしゃるので驚いた。

 

よくよく話やその表情を伺っていると、たしかに大将が胸を開きそうな好人物だ。こんな方が、あの空間で、同じように呑み、笑っていらっしゃったとは。ぜひご一緒したかった。

 

まったく、私のうぬぼれは空想に過ぎなかった。自嘲しながらも、大将が亡くなった後になってなおこうやって大将つながりで人のつながりを築くことができていることに、素朴な喜びを覚えた。

 

大将っち、すげえ。

 

心から湧いてきた、偽らざる感情だ。

 

大将はどこまでも深く、客の一人一人と向き合った。心の絆をはぐくんだ。底知れぬファン層とネットワークに、感動と感謝の気持ちが沸いて出る。

 

大将にはもう会えないけれど、まだ見ぬ常連さんたちとの新たな出会いを通じて、新鮮な感動をかみしめられることが嬉しい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【ブログ探訪】ありのまま

こんにちは。おっさんです。

 

ブログ巡りをしていて、思わず目がとまる、足がとまる先というのがあります。

 

その中の一つが、ありのままの自分をさらしているもの。

 

少し前からフォローさせていただいているのは、最近独立開業したという男性。アラ還。設備投資もかけたという。覚悟がいったろう。

 

投稿の中では、しかし力みすぎることなく、淡々と、ご自身の目指される事業像、そのための課題、現状を、淡々とつづっていらっしゃる。

 

その方の投稿を、私はまるで自分がその当事者であるかのような感覚に浸りながら読み進めている。

 

これから先、どうなるんだろう。ああ、たしかに今世の中はインバウンドが戻ってきたとはいえ、すぐに顧客をつかむのは容易ではないかもしれない。うむ、開業の道は決して平たんではなさそうだ。

 

それでも、悲観することなく、前を向き視線をやや上げながら、一歩一歩道を進んでいる。

 

読者を共感させるなにかが、その投稿にある。

 

ありのままで、自然体な投稿というスタイルに、ひとつまた深い表現の世界があるのだと気づかされます。

 

うむ、ブログ巡り、おもしろし。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【歩き旅と思索】 37・弁当屋のおばちゃん

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

ザックを背負い、黙々と歩く旅を続けていると、どこかで誰かが声を掛けてきてくれる。

 

熊本県は南部、通称「ループ橋」と呼ばれる円周形をした橋に差し掛かったときのことだ。

 

季節はまだ涼しい5月ごろだったと記憶する。さあてこれから少しばかり力を入れんとなあと思って橋を目指していると、道端のプレハブのような建物から声が掛かった。「お兄ちゃん」

 

弁当屋のおばちゃんだ。私の恰好を見て、旅の者だと気づいたのだろう。

 

「さっきもね、お兄ちゃんと同じように旅をしているお兄ちゃんが通りかかったのよ」

 

おばちゃんによると、自転車をこいで長旅をしている様子の若者がいたのだという。

 

「そのお兄ちゃんにもあげたから」

 

おばちゃんは、つくりたてであろうお弁当箱を一つ、私に手渡してくださった。食べなさい、これで元気つけて、残りの旅を頑張りなさい。そういう励ましを、まだ温かみのある包みから感じることができた。

 

このおばちゃんは、このときもそうだけれど、これまでも、めぐり合わせた人に、温かい気持ちをいっぱいに渡し続けてこられたのだろう。おそらく、これからも。

 

私は礼を述べ、ありがたく頂戴した。その足で、ループ橋に向かっていった。上りだったか下りだったか覚えていない(上りだったかな?)が、あの長い橋から望む南側(鹿児島方面)の光景は非常に雄大で心穏やかにさせられた。

 

心が満たされたのには、おばちゃんのお弁当という心のホカ弁も抱えていたことも間違いない。

 

ひとつの風景、記憶に残る心象のそれぞれに、こうした人との出会いがある。いただきものは、それ自体ありがたいが、それ以上にその人の心の温かさを分け与えていただける。それがエネルギーになり、20年近くたった今も忘れられない思い出となっている。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ママさん探訪】6・店の「やりがい」

スナックとは、お酒を飲むところである。

 

グラスを傾け、気が向けばマイクを握る。隣り合った客と打ち解けることも少なくない。

 

では、ママさんにとっての「やりがい」とは何だろう。お金儲けか。ステータスか。はたまた、他の何かだろうか。

 

今月、店をたたんだスナックがある。そこに私は3年ほど前から折々に通っていた。最初に訪ねたのは呑ん兵衛友達に連れられてだった。それから、その店とママさんの雰囲気が大好きになり、一人でも通ったり、職場の仲間を連れてママさんを喜ばせたりもした。

 

ママさんの店がよかったのは、そのお人柄もあるが、なんといっても気前の良さにあった。

 

「〇〇ちゃん(私の下の名前)、お歌、お上手~!」

 

一曲歌い終えるたびに、ママさんがパチパチと誉め言葉とともに、ちょっとした「おひねり」をくれる。チョコレートだったり、ヤクルトだったり。それがまた、なんともうれしい。

 

夏の祭りでおもちゃを当てた子供のような心境になった。

 

うれしくって、どんどん歌う。ほかのお客さんも、負けじとマイクを握る。お互い、応援する。いつしか一緒に歌ったりする。一つの歌で、お店に居合わせたメンバーが一節ずつマイクを回しながら歌ったりした経験は数えきれない。

 

宴もたけなわ、店を閉める丑三つ時(午前2時)になると、ようやくママさんが「は~い今日はおしまい」と帰宅を促す。ママさん、今晩も、ありがとう。

 

別れ際に、何度かあった。「これ、持って帰りよ」

 

まだ空けてない焼酎の五合瓶だ。え、こんなん、もろうていいんですか。

 

「いいんよ」

 

ママさんはニッコリするばかりだ。ありがとうございます、じゃあ遠慮なく、いただきます!

 

おひねりのチョコレート、トマトジュース、そしてたまに五号瓶を抱え、ホクホク顔で家族の眠る自宅に帰ったものだ。

 

ママさんは「もう年だから」と30年近い店の歴史に幕を下ろすことにした。御年、既に70後半だと思う。ママさんには、本当にたくさんの楽しい思い出をいただいた。

 

ママさんはなぜああも気前がよかったのか。ママさんはそのことについて明かしたことはないが、おそらく、お店をやり、お客さんが楽しく過ごすのを見るのが生きがいだったのではなかろうか。

 

人生がクライマックスを迎えようとする中、求めるのは紙幣ではなく、縁あって居合わせた一人一人の笑顔だったのではないか。

 

そうだとすると、ママさんはまさに望むものを手に入れた。それだけでなく、私を含め一人一人のお客さんも、ママさんのおかげで楽しくて忘れられない思い出をいただけた。

 

お互いに、与え合えた。

 

ママさん、ありがとう。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

 

 

【ママさん探訪】5・深夜の一品

人には誰しもこだわりがある。それは飲み屋の大将もそうであり、スナックのママさんも同様である。

 

そこにその人自身の味わいがあり、店の魅力になっていることが少なくない。

 

ある晩のことだ。私はいつものように飲み屋をはしごし、呑ん兵衛友達と一緒にあるスナックに転がり込んだ。もう時間は、とっくに日付変更線を越えていた。

 

もう、飲めれん。

 

正直、勢いだけで入り込んだ。もはや何をしようという気持ちもない。ただなんとなく飲み屋の雰囲気をいましばらく味わいたかった。それだけだった。

 

「まあまあ、どうぞ」

 

すっかりヘベレケの私たちの様子に配慮するでもなく、ママさんは一品盛った皿をカウンターのテーブルに置いた。

 

出し巻きたまごだ。

 

当然ながら手料理。できたて、ホヤホヤだ。ここのママさんは、誰がきても何時にきても、まずは手料理でもてなすのが信条のお方のようだった。

 

「もう、食べれな・・」思わず弱音がポロリ出てしまった。するとママさんは、無言で、鬼の形相をにじませた。

 

あかん、あかんやつや、ママさんを噴火させる一歩手前のところまで追いつめてしまった。いや、追い詰められた。

 

覚悟を決め、もう入らん腹に詰め込むべく、出し巻きたまごの一切れを口の中に放り込んだ。

 

フゴ、フンフン・・・

 

私は思わず目を丸くした。絶品だったのだ。

 

「うまいっす、ママさん!!」

 

ママさんは喜ぶでもなく、「当然よ」とばかりに小さくうなずくとグラスを洗った。

 

深夜の出し巻きたまこで活力をやや取り戻し、その後小半時ばかり、夜を楽しみ尽した。ママさん、ありがとうございました。

 

スナックのママさんの中には、このように料理が上手い方が少なくない。これもスナックの魅力の一つである。ただし、時間に関わらず提供される可能性があるので、なるべくなら腹になんぼか余裕を持たせて訪ねるといいのだろう。

 

地方にいくほど、スナックは奥が深くなる。食を含めて、楽しみ満載だ。


~お相手くださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ~第36話・こころを伝えることに技巧はいらない(上)~

商人たちでごったがえす大通りを、春の陽気があたたかく包む。

 

ときは天平勝宝。宮殿の置かれた奈良の都は今、まさに盛りを迎えようとしていた。

 

喧噪とは裏腹に、通りの端で一人疲れ果てたようにしゃがみ込む青年がいた。

 

遠く坂東からやってきた、名もなき一庶民。国の守りを固める防人として引っ立てられ、はるか西の九州に向かう途中であった。

 

「おなか、減ったなあ。もう、蓄えもないよ。せめて、今日一日分の食べ物だけでもありつければ」

 

ギュルルル、と胃袋がうめく。ニキビの交じる若い男は、空腹を忘れんとばかりに一層身を固くした。

 

坂東の片田舎でそれなりに幸せな暮らしを送っていた。けれど、ある日突然里長(さとおさ)がやってきて、「お前は若くて元気がある」と有無を言わさず男を防人に命じてきた。青年や家族に、拒む余地はなかった。旅が命がけだった時代、防人として遠く九州まで徒歩で向かうことは、それ自体が今生の別れとほぼ同義であった。

 

「お父さん、お母さん、元気してるかなあ。泣き虫の弟は、今日もエンエン泣いているのかなあ。みんなにまた、会いたいなあ」

 

胃袋がうなり、こころは寂しさで飢える。僕の人生、もうそろそろ限界かも。せめて、家族に僕の気持ちを、愛を、伝えたかった。もしこの世に神様がいるのなら、このささやかなわがままを聞き届けていただきたかった。

 

「このまま、永遠に眠ってしまおうか」

 

青年が諦念の境地に至った、その刹那。真実の願いは時空を超え、21世紀に暮らす男の胸にズババーンと刺さった。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。芽吹き始めた公園の桜を眺めながらジョギングにいそしんでいたが、タタタッとペースを速めて春霞の空へ飛んだ。そのまま都内のアパートに一直線。ちゃぶ台に置いていた手作りのおにぎりをつかむと、机の引き出しを空け、タイムマシーンに乗り込んだ。

 

1300年のときを超え、まもなく男のたたずむ奈良の都にたどり着いた。力なくうずくまる男の傍らに、座った。そっと、語り掛けた。

 

こんにちは。おなか、へりましたよね。これ、もしよかったら。

 

持ってきたおにぎりを、青年に手渡した。

 

「え、これ・・・お米ですか!うわあ!!!」

 

当時、米は貴人しか口にできない高級食材だった。「ありがとう」の一言を発するのも忘れ、青年は飲み込まんばかりにおにぎりをほおばった。

 

ゴクリ

 

大きく上下する喉仏(のどぼとけ)が、青年の喜びと安心を物語った。

 

「すいません、お礼もしないうちにいただいてしまって。それにしても、あなたは一体・・」

 

私ですか。まあ、人助けが本職の、しがない男ですよ。気にしないでください。それはそうと、お兄さんは遠く坂東で暮らすご家族のことが気にかかっているみたいですね。

 

「そうなんです。見てのとおり、僕は蓄えのないただの若造です。なんとか旅路の半分まではこれましたが、残り半分の道のりを歩き通せるか、自信はありません。せめて、産み育ててくれた父母に感謝の言葉でも伝えたいと思っているんです。まあ、それもかなわぬ夢と諦めているんですけどね」

 

ふむう

 

物資に恵まれた21世紀に生きるざんねんマン、若い男の悩みに胸を揺さぶられた。今の時代みたいに、メールでメッセージをやりとりしたり、動画でリアルなトークをしたりすることはできないのか。一度離れてしまったら、再び交流することは本当に難しいんだ。なんと切ないことか・・

 

ちょっと待ってくださいね。何か方法はあるはずですよ。

 

ざんねんマン、ない知恵を絞った。乏しい歴史の知識をたどった。当時は電話やメールがない代わりに、詩(うた)を読み、気持ちを表現する文化があった。それこそ、貴族から一般庶民まで。詩は、身分や地域の垣根を超えて人々が楽しめる、一大エンターテインメントだったのだ。

 

お兄さん、ちょっと歩きませんか。

 

ざんねんマン、何やらひらめいたかのうように促した。けげんな表情で見上げる青年に、微笑みで返した。

 

~(中)に続く~

【サラリーマンの英検1級攻略術】40・英検3級水準から短距離で1級に合格する方法

限られた時間と予算の中で、英検1級に合格したい!という社会人の方をイメージしながら書いている。

 

※簡単なプロフィルは☆こちら☆になります

 

今この瞬間こそ英語レベルは高くはないものの、意欲はある、頑張って1級をとりたいーという社会人の方がいらっしゃるかもしれない。

 

どうすれば忙しい時間を割いて合格水準にまで到達することができるか。私なりの考えを提案させいただきたい。

 

まずは、基本的な文法をかっちり抑えることだ。英語は第1~第5文型(SV、SVC、SVO、SVO1O2、SVOC)から基本的に成り立っている。逆にいうと、何かメッセージを英語で発したいと思えば、この5パターンのうちどれかの形を活用すればいい。実にシンプルだ。

 

これをしっかり身に着けた上で、補足的なルール(関係代名詞、受動態など)も合わせて学んでいく。これで、もう大方、1級ラインが見えている。

 

私大の入試問題のように、重箱の隅をつつくような文法問題は解けなくて全く問題ない。「使える英語」を話す・書く・理解するうえで、こうした細かな文法はほぼ役に立たない。基本さえ押さえれば、英検1級は解けるし、書ける。

 

基本的な文法を抑えた上で、あとは一定のボリュームの英文を、読む+音読する。文章を読みながら、実際に使われた単語やイディオムをメモし、自分だけの単語帳をつくっていく。

 

流れは上記だが、実用的な参考書というのがある。私自身の経験からイチオシを紹介する。

 

【文法理解】

〇ビジュアル英文解釈(駿台文庫)

 →上下2巻。毎回、適量の英文と日本語訳、文法解説が載っている。少しずつ文法を学んでいける(階段式)。1日1課、英文をノートに写す+訳を自分なりに書く+赤ペンで添削する~という作業をこなす。60課を消化した段階で、驚くほど実力がついていることに気づくだろう。

 

〇テーマ別英文読解教室(同)

 →上記テキストの上級版。これをこなせば怖いものなし。テキストは超難関大学の入試問題。

 

ボキャブラリー増強】

hellotalk(過去の投稿) 

 →無料の手作り用単語帳アプリ。これを駆使することで効率的に語彙を増やしていくことができる。

 

英語だけでなく、語学は「聞き流しで覚えられる」ものではない。非ネイティブはやはり、文法から入っていくしかない。逆にいうと、それが最短経路だと考える。自転車の乗り方(順番)を理解し、実践し、繰り返していくうちに、やがて乗り方そのものを忘れる(文法を意識しなくなる)。

 

大学入試で最も近いタイプの問題を出すのは東京大学だろう。小難しい単語や熟語を交えることなく、比較的平易な単語で読み込ませる内容の問題を解かせる。英作文も、要約問題もある。1級と比べると東大のほうがまだやさしい。なので1級対策がそのまま東大対策になる。受験生の子供さんがいたら、親子で1級にチャレンジするのも熱くていいかもしれない。

 

主要5教科のうち、英語だけは勉強するものではなく楽しむもの(友達をつくる手段)だと考える。ぜひぜひ、関心のある方は一緒にがんばりましょう。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

【歩き旅と思索】 36・酒のネタになる

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

土地土地を歩いてつなぐ旅では、なるべく自然を味わうため、テント泊をするようにしている。

 

だが、市街地に入るとそうもいかない。安宿で一晩を明かすことになる。

 

そういったときも楽しみがある。土地の飲み屋探検だ。

 

一日歩き、固くなった両脚をほぐし、さて一杯いくか。

 

九州を南下し、鹿児島市内に入ったときのことだ。相部屋の宿でザックを降ろし、身軽な恰好になって飲食店街をふらふら歩いた。その中に、「うどん」と書いた赤ちょうちんが妙に気になり、特に考えることもなくのれんをくぐった。

 

おお、バーみたいな雰囲気だな。カッコいいぞ。

 

私は黙ってカウンターに座り、うどんと何か一品を頼んだ。マスターは、白髪がまじるが結構のイケメンだ。ノリがよさそうで、しばらくするとマスターのほうから話しかけてきた。「出張ですか」

 

私は自分の旅のことを話した。歩いてつなぐ旅をしていること、今日ようやく鹿児島入りすることができ、東京から一本線で結ぶことができて感慨深く感じていること、市街地が面する錦江湾沿いの国道をぐるりと半周したが、歩道が狭すぎる上にトラックが真横をバンバン走り、命の危険を感じたこと。

 

聞き上手のマスターはうんうんと興味深げにうなずいてくれた。いやあ、私なんかの話に耳を傾けてくださって、ありがとうございます。マスター。

 

実に充実したひとときを過ごし、さてどうしよう、もう一品何か頼もうかしらんと思っていると、新たなお客さんが入ってきた。常連さんのようだ。

 

マスターはひとしきり世間話を交わすと、したり顔で語り始めた。

 

「このお客さんねえ、ずっと歩いて旅しているんだって」

 

私の体験は、既にマスター自身の「ネタ」となっていた。酒に欠かせないつまみのようなものだ。常連さんも「へえ~それは変わった趣味ですね」といったニュアンスの反応をし、私を興味深げに見つめた。

 

面白いもので、こうしたネタは新たなネタをたぐり寄せるようで、常連さんの一人が私の出身地にある大学の卒業生と分かった。「僕、〇〇に住んでたんですよ。懐かしいなあ」

 

話は私の歩き旅から私の出身地へと飛び、またそこでしばしローカル話で盛り上がった。

 

私個人の体験が、誰かの酒のつまみになり、それが触媒となってまた新たな話題を生み出す。生の化学反応を体験しているようで、実におもしろかった。

 

歩き旅はなかなか世間的に認知されていないタイプのレジャーだと思うが、それなりに面白さがあり、人々の関心を引き起こす。少なくとも「酒のネタ」「つまみ」になることは間違いない、といっても言い過ぎではないかもしれない。

 

ということで、これからも誰かの、大将の、マスターの、ママさんの、酒のネタになるべく、歩き旅を続けるつもりである。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【サラリーマン・宇宙感動記】23・飲み会のネタに使えるかもしれない宇宙ワード

コロナに振り回される日々も、少しずつですが落ち着きを取り戻しつつあるように感じます。

 

飲み会も、ぼちぼちやろうか。忘年会もやりたいところだ。

 

そんなときに、やっぱり準備しておきたいのは、場をあっためる小ネタでしょう。笑える小咄、へぇ~とうなずくうんちく、なんでもいいや、とりあえず一つか二つは持ってれば、みんなを楽しませることができる。「〇〇さんって、おもしろい」ってヒューヒューいわれるかもしれない。

 

そんな小ネタの候補に入れて損はないのが、宇宙ネタです。

 

この分野、あまり詳しい人、いない。ライバル、少ない。しかも、聞くと結構面白い。ということで、使えそうなネタを一つご紹介いたします。

 

最近はアメリカ政府がUFO調査の正式な組織をつくったり、宇宙の話題が尽きません。ちょっと前までは「宇宙人」って聞くとオカルトものだとレッテルを張られていましたが、これからは本気でマジで探索する時代になっているようだ。

 

ところで、私たちの地球の近くで生命がいそうな星はあるでしょうか。そしてそれは、どこでしょうか。

 

ここでいったん間をおいて、答えを明かす。それは

 

エウロパ

 

木星の衛星の一つだ。見かけは氷に包まれた死の星だけど、内部は液体の水で満たされているという。というのも、木星の強力な重力のおかげで地殻が刺激され、熱を発しているらしい。この熱で内部の氷が溶かされているというわけだ。

 

NASAは近く探査機「エウロパ・クリッパー」を打ち上げ、この星をくまなく調べる予定だ。

 

生命のいそうな星はまだまだある。私たちの太陽系に最も近い恒星に、プロキシマケンタウリがある。太陽よりも小さく表面温度も低い赤色矮星の周りを、いくつかの惑星が公転している。その中で少なくとも2つは恒星との距離が適度に離れ、生命をはぐくめる「ハビタブルゾーン」内にある。

 

ここはエウロパと同じかそれ以上に生命がいる可能性が高いようで、NHKなんかはこの惑星の特集も組んでいる。そこで暮らす生き物を勝手に想像し、3Dで再現なんかしている。なんとも無責任なような気がしないでもないが、まあ夢があっていいかもしれない。

 

ということで、エウロパプロキシマ・ケンタウリは覚えていて損はない星だ。もし飲み会で場が詰まったら、さりげなくネタにしてみるとちょっとは間が持つかもしれない。

 

持たないかもしれない。

 

イタい反応がかえってきたら、別の宇宙ネタで巻き返せるかもしれない。

 

またあらためて宇宙ネタを提案していこうと思う。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

 

 

 

【ママさん探訪】4・客も濃い

酒の濃さに負けないくらいに濃いのが、スナックのママさんである。

 

ママさんの濃さは、常連客の濃さにも釣り合う。

 

20代のころよくお世話になっていたスナックXには、ママさんの強烈な寄り切りもなんのそのと押し返さんばかりにアクの強い常連客Y氏がいた。年の頃はそう、当時還暦前だったか。私はその方となぜが意気投合し、勝手に「兄貴」と呼ばせていただいていた。

 

兄貴はとにかくまあ、ビールが好きで、グラスをあおるあおる。そして、ママさんにちょっかいを出す。そしてママさんを怒らせる。

 

ママさん「あんたなんかなあ、出入り禁止や!」

 

兄貴も負けていない。「おお、やってみるならやってみれ!」

 

バターン

 

ドアを閉めてどこか行ってしまう。こんなことがちょこちょこあった。

 

ある年末の夜。しんしんと雪が降り積もる中、兄貴はいつものようにドアをバターンと閉めてお出かけしてしまった。ああ、どこか別のスナックにでもなだれこんでいるんだろうか。まあ、こっちのお会計はまだしてないから、最終的に戻ってくるのは分かってるんだけどね。ママさんも、分かっている。

 

ただ、季節が季節だけにちょっと気になった。いつものごとく、酔っぱらっていた。「ママさん、僕ちょっと気になりますんで、外見てきます」

 

お店の外には水路がある。昔、酔客がそこに転落して命を落としたという話も聞いていた。兄貴、まかり間違っておっこったりしてないやろうな。大丈夫なようだった。

 

100メートルも離れないところに、お寺が連なる区画があった。その通りの入り口のところで、あぐらをかいてめをつぶる人影があった。

 

兄貴やった。

 

びっくりした。

 

なに、やっとんですか兄貴!

 

「いやのう、ちょいと静まろうと思って」

 

身体の芯までブルブルくる師走の夜中に、このおじさんは一人地べたに腰を降ろし座禅をしていたのである。ママさんを怒らせて反省したかったのか、はたまた雪化粧をほんのりしてみたくなっただけなのか。ピュアなのかアホなのかまったくこのひとは。それはともなく、しばらく座っていたせいだろう、頭の上には雪が結構積もってしまっていた。

 

「兄貴、寒くって風邪ひきますよ。またママさんとこ、戻りましょう」

 

私は促して再びお店に連れ戻した。ママさんは、あきれたような顔をしている。私がさきほど目にした光景をママさんに伝えると、「ああもう、バカもバカバカの、何回言ってもきりがないくらいだね」とキツーい一撃を兄貴に喰らわせた。兄貴は、口ではあれこれ言っていたけれど、ママさんに相手してもらえて、まんざらでもなさそうだった。

 

兄貴がいるときはいつもこんなやりとりが繰り広げられ、最後は仲直りする。ママさんはいっつも怒っているようで、実は楽しんでいるようでもあった。

 

実写版「トムとジェリー」を見ているようだった。

 

スナックは、カウンターを挟んでこちらも向こうも真剣勝負だ。どっちが一番楽しむか。愉しませるか。競い合う中で、どちらもアジが濃くなり、いつしかお互いに支え合う関係になるのかもしれない。

 

今晩も、日本中のあちこちで、ママさんと常連さんのバトルもどきが愉しく繰り広げられているであろう。

 

~お相手くださり、ありがとうございました~

【ママさん探訪】3・かわいい朝令暮改

日本文化は酒にある。酒は飲み屋にあり、その魅力は地方都市に宿る。

 

地方都市の飲み屋で幅を利かせているのが、我らがスナックのママさんである。

 

スナックではときとして、お客さんではなくママさんが主導権を握る。ママさんが王様であり、客は召使になる。ママさんが黒といえば黒になり、翌日白といえば白になる。

 

そんなわがままなママさんになぜか惹きこまれてしまう酔狂な客がどの店にもおり、そういう輩が店を支えたりしている。

 

若いころはキャバレーで売れっ子さんだったというママさんがいた。知り合いに連れられて足を運んだときからよくしていただき、多少ではあるが気に入っていただけた(と思う)。

 

帰りがけ、そのママさんがこっそり私に耳打ちしてきた。

 

「〇〇君(私の名前)はいい子だから、今度から〇〇君だけ2000円にしてあげる」

 

ええ!まじっすか!

 

当時独身だった私は小躍りした。まあもともとそのお店は居放題飲み放題3000円のお店だったのだが、それでも1000円のディスカウントはうれしかった。何より、私だけに特別価格でサービスしていただけるというのが妙に優越感をくすぐった。

 

そういうことがあってから、翌週だったか、あらためてママさんとこに足を運んだ。たしか、一人だったろうか。

 

楽しく飲み、歌わせてもらった。ママさんは聞き上手で愛嬌もあり、とても楽しかった。

 

さて、ご精算といくかなあ。ママさん、お勘定。

 

ママさん、さらりと答えた。

 

「はい、3000円」

 

変わらんのかーい!

 

という心の叫びを口にする勇気もなく、静かに笑みを浮かべながら「楽しかったです」といわれた代金をお支払いしたのである。

 

あのときのママさんのディスカウント発言はなんだったのか、ひょっとしたら次お店にいったら今度こそは本当に値下げしてくれるんじゃないか、いろいろ期待もあったが、やっぱり3000円に落ち着いた。

 

まあその、わざわざ上げてから落とさんでほしかった。トホホ

 

とまれ、当時の「〇〇君だけ2000円」と、あらためて訪れたときの素面で「3000円」発言は今でも鮮烈に覚えている。

 

これがスナックか。これがママさんなのか。

 

日本のママさん、やりよりますのう。

 

かわいい朝令暮改も、ママさんの魅力なのである。

 

そう思わんと、やっとられん!

 

と正面切っては言えないので、ここでボヤくことにする。

 

~お相手くださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ほとばしる噺家の宿願

大人に近づくにつれ、よく言われたもんです。


「個性を出せ」と。


部活でも趣味でも、個性を出し、自分らしさを磨くことで、学校や会社でも認められる存在になれるんだと。

でもね、そんな無理して個性って磨かないといけないものなんでしょうか。

 

胸張って言える特技や趣味がなくても、いいんじゃないでしょうか。ないことそれ自体も、個性かもしれないじゃないですか。

「えぇ~、昔々、あるところに、こどものなかなか授からない夫婦が、おりまして、・・」

おどおどした口調で男が切り出したのは、落語の定番ネタだった。

営業の終わった下町の演芸場。無人の観客席を前にした一人稽古。緊張する必要もないのに、既におでこが汗ばんでいる。

二十歳の男は小学生のころから噺家に憧れ、高校を出て憧れの師匠の門をたたいた。師匠のネタは何百回、何千回と聴き、寝言で口からセリフが勝手に流れ出すほど吸収している。笑いのツボもつかんでいる。だが、生来のあがり症。高座ではどもりにどもり、会場を静まり返らせる大失敗を繰り返してきた。

でもやっぱり、落語でみんなを笑わせたい。毎日のいやなこととか、ぜんぶ笑い飛ばして、ハッピーになってもらいたい。

熱い想いがかえって重荷になるのか、セリフがどうしても詰まる。

「あーいかんいかん!なんとかせんと!落語の神様、助けてくださいまし~っ!」

腹の底から沸き起こる男の願いは、一人の男に届いた。

ざんねんマン。

日本で生まれた人助けのヒーローだ。ただ、これといった特技はない。「助けて」の一言に弱く、どこでも駆けつけてしまう。この日は近場で夕飯の火鍋をつついていたこともあり、5分ほどで演芸場にたどり着いた。ドアをそろりと開いた。

「おおっー?」

高座から見下ろす男の瞳は、驚きと興味の色であふれた。
願いを受けて、神様がきてくれたのか。きっと、何かいいアドバイスとか、励ましの言葉をくれるんだろう!

だが、ざんねんマン、誠に残念なことに、落語の世界はよく知らない。人気の噺家柳家喬太郎ぐらいしか知らない。何も語ることができず、ただ観客席の隅っこから男を見上げるのみであった。

~ったく!なんの助けにもなんね~じゃねーか!

がっくりと肩を落とした男、「神も仏もあったもんじゃねえ」とあきらめの境地に入ったか、気を取り直したようにネタの稽古を再開した。

「長く子供のいなかった夫婦、ようやく授かった男の子をことのほかかわいがりまして。長生きしてくれよとなと、近所のお寺さんに縁起の良い名前を付けてもらうことにしたそうなんです。その名前が・・」

落語の定番「寿限無(じゅげむ)」のセリフが、神がかったようにスラスラと口から飛び出す。「海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)・・」

空気が変わった。口をかみそうな早口言葉を、男は楽器を奏でるかのように楽しげに語りきったのであった。

目の前には、ただ黙りこくるだけのざんねんマン。何の役にも立たない。一方、何の邪魔にもならない。いてもいなくても大して影響のない、実に軽い存在が、かえって「無用の用」として働くことになった。男の心を緊張の鎖から解き放ち、潜在能力を引き出す触媒の役割を果たしたのだ。

「要は、無心になる、ということだったのか・・・」

今まで、観客の反応ばかり気にしてきた。だけど、そうじゃない。本当に楽しいと思うことを、そのままに表現してあげればいいんだ。純粋で無心に表現したことが、お客さんに伝わるんだ。

右手をたたみにポンと置き、得心したように深くうなずいた男は、高座から「ありがとよ、おいらはもう、大丈夫だ」とざんねんマンに呼びかけた。

「ありがとよ」 その言葉を耳にすると、照れ屋のざんねんマン、思わず顔を伏せた。とまれ、人を救うことができた。一礼し、ドアを開ける横顔は、やけにニヤけていた。

ざんねんマン、今日も結構、いい仕事をした。ただ、人助けできたわけを分かっていないところが、ざんねんマンたるゆえんなのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ママさん探訪】2・迫力がある

人生と言えば酒。酒といえば飲み屋。飲み屋といえばスナックだ。

 

特に地方都市のスナックほど個性があふれ、一歩間違うとやけどしそうなほど手痛い洗礼を浴びることもある。かもしれない。

 

結構ドキリとする瞬間がある。平日の午後。ちょいと仕事で気が抜けた瞬間なんかに、着信が入る。名前をみると、ママさんだ。

 

やべえ。最近、いってねえ。

 

そ知らぬふりで出ない手もあるが、後がやっかいだ。深呼吸して、出る。

 

あ、ママさん、お疲れ様でーす。

 

ママさんのセリフはドスがきいている。「〇〇君(私の名前)、最近いそがしいねえ」

 

私をいたわっているわけではない。「いそがしいから最近お店に来れてないねえ、そろそろ来ないかねえ」と催促しているのである。

 

ああ、そうですねえ、ちょっと最近、いろいろあって。あーそうだ、僕最近、仕事落ち着いたんですよ。ちょっと久しぶりに、ママさんとこ、いくかなー

 

「うんうん。今日は手作りのカレーたっぷり仕込んだからねえ」

 

き、きょう、ですか・・

 

ガチャりと切れてしまった。

 

こうして急遽ママさんとこに足を運ぶのである。これが四半期に1回くらいはあった。

 

さすがに所帯を持ってからはこうした催促の電話はなくなったが、独身時代はすごかった。

 

押しが強くて、迫力があって、けど頼り甲斐もあって楽しいのが、ニッポンの地方のママさんなのである。

 

これが、やめられんのんじゃ~

 

~お相手くださり、ありがとうございました~