変わり者の大将の紹介↓
その人を前にすると、日ごろの悩みや胃の痛くなる話が頭から外れる。そんなありがたい存在がいれば、どれほどいいことか。
私には、幸いにもそういう得難い人物がいた。20代のころ、ひたすら入り浸っていた居酒屋の大将だ。
大将はいつ見ても、いつ話しても、ひょうひょうとしていた。目線は上を、いや、斜め上を、やや世間を小ばかにしたように眺めていた。私のような小心者が抱える世間じみた悩みとか憂いとかとは、とんと縁のない存在だった。
いくら心に重しを抱えていても、大将の店に入るやパッカーンと忘れることができた。ああ、そうや。俺の悩んでいることなんか、大将みたいな余裕、遊び心たっぷりの世界観に比べたら、ほんとごみみたいなもんなんや。
一杯目の生中をグビッといった瞬間から、それこそスコーンと大将的浮遊感の世界へと溶け込むことができた。
大将の棲む世界は独特だが、今考えると、大将の世界観のほうがなんぼもまともで、真実に近かったのではないかと思う。人生、悩みに足をとられてどれだけ無駄に心を身体をすり減らしていることか。生きていることは、それほど深刻に考えるほど重しも深刻さもないものなのかもしれない。ただ、フワフワと今あることを楽しんで、吸って吐いてをしていればいいものなんじゃないか。
苦しみから、人の中には酒におぼれたり薬に逃げたりすることもあると思う。だが、こんな一風変わった人物と出逢うことで、苦境の中でも澄んだ気持ちのよい風がこころにスッと吹き込んできてくれるかもしれない。
私はしがないサラリーマンであり、今も相当な小心者であり、すぐ自己嫌悪に陥るへたれ者である。だが、こうした人間でも目線を上に向けさせてくれる存在に逢えたことが、底の深いところで私に安心をもたらしてくれている。
今はもういない大将だが、私にとっては首相より大統領より法王よりもかけがえない存在だった。
日本の地方都市の、しがない飲み屋街でいただいためぐり逢いに、感謝している。
~お読みくださり、ありがとうございました~