おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【大将と私】1・愛される「変わり者」

私はアラフォー、嫁さん子持ちのしがないサラリーマンだ。

 

今でこそそれなりに落ち着いた暮らしをしているが、20代前半までは彼女がいたこともなく、友達も多くなく、自信もなく、どうにも息詰まる青春時代を送っていた。

 

真っ黒といっていいぐらいに映えなかった人生に、初めてといっていいくらい刺激と元気を与えてくれる人が現れた。

 

とある地方都市でしこしこと一人で居酒屋を営んでいた、とある大将だ。

 

私が転勤で訪れ、ふらりと立ち寄ったのが縁で、付き合いが始まった。店の大将と、常連客。ただそれだけの関係だが、どうにもお互いの気が合ったのか、そこから一生ものの付き合いが始まり、私の人生にとって欠かせない数々の思い出を築くことができた。

 

大将はコロナの嵐が吹き荒れる中、病で息を引き取った。アラ還。早すぎる旅立ちだ。親なし、兄弟なし、遺族なしの天涯孤独の身だった。それでも、誰からも愛されるキャラのおかげだろう、お別れの式には心ある30人ほどの人々が集まった。誰もが大将のことを慕い、思い思いに別れの言葉を掛けた。

 

大将の“卒業”から2年ほどがたった。折々に大将のことを思い出すうち、ふと記憶を書き残しておきたくなった。世の中に、こんな変わり者で愛されるおっさんがいたのだということを、誰かに知っていただければ幸いだ。

 

大将の変わり者ぶりを物語るエピソードはたくさんあるが、まずは一つを紹介したい。

 

ある晩のこと。平日だったと思う。店の中は客の私一人だけだった。ただでさえ景気の悪い田舎の飲み屋街。お客さんが入らなくても仕方ない。と、大将が大きく伸びをしながらつぶやいた。

 

「あ~力いっぱい暇じゃわい(実際は方言でちょっとユーモラスな感じ)」

 

閑古鳥が鳴くのを嘆くどころか、そんなギリギリの環境をむしろ楽しんでいるようだった。

 

大将、変わってるわ。

 

私は素朴に思った。どこにそんな心の余裕があるんだろう。というのも、私は前に聞いていたのだ。大将に貯金はなく、店の引き出しにすべてを突っ込んでいることを。しかもその有り金全部も、申し訳ないが中古の軽も買えるかギリギリのラインだった(はず)。本来なら、老後も考えてしこしこ真面目に稼がないといけないんじゃ、ないんかい。

 

だが、私の心の突っ込みも意に介さず、大将は暇を楽しむかのようにテレビの野球中継を見るともなく見ていた。私がちょこちょこ生のおかわりを頼んだり一品料理を頼んだりするのを、少し面倒くさそうに聞き、ササっと手際よく出してくれた。ずぼらな恰好とは裏腹に、味はピカイチ。しかも激安。ここらへんのアンバランスさも大将の魅力だった。

 

この晩がそうだったかはよく覚えていないが、大将は暇なとき、よく店を早じまいして飲みにつれ出してくれた。居酒屋に行ったり、スナックで歌ったり。そこでは必ず大将がお代を出した。私が払おうとすると、大将は怒った。「何考えておるんか、こーん」と。目先のお金のことより、酒に付き合ってもらった礼をすることの方が大将にとっては大切なことのようだった。

 

杓子常軌に生きるより、目の前の、瞬間瞬間のドキドキワクワク、人との出会い、トークを純粋素朴に楽しんでいるようだった。大将は、文字通りの「自由人」だった。

 

変わり者の人生を、変わり者になれなかったしがないサラリーマンが、少しずつ書き綴っていこうかと思う。大将の人となりを知っていただき、クスッと笑ってもらえたら幸いだ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~