おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【短編】10・究極のバランサー(最終章)

地球上の大陸という大陸に散らばった貧乏神様たちは、喜んでいいのか悪いのか分からないが、仕事をしっかり果たした。

 

金周りが良くなりすぎていた地域で、物価上昇の勢いが緩やかになっていった。大黒天様の登場で続々と発見されていた金鉱山も、やがて鉱脈発掘の動きが鈍った。インフレの過熱に警戒心をあらわにしていた各国の中央銀行も、利上げの動きを止めた。

 

資産は本来の価値を取り戻し、ヒト・モノ・カネの巡りもちょうど人間の血流のように健全さを取り戻した。

 

今、どんな状況になっているんだろう・・

 

天才科学者の吉田は、何でも見える独自開発の特殊ゴーグルを装着し、テレビニュースに見入った。

 

どの画面にも、吉田が送り出した二体の神様が映っていた。

 

大黒天様が、小槌を振って金銀財宝、インフレマインドをブオオーと振りまく。すると、向かい合う貧乏神様が、歯のすっかり抜けた口を大きく空け、すっかり吸い込む。両者、一歩も譲らず。プロレス関係者も瞠目の一大デスマッチが繰り広げられていた。

 

大黒天様「ホ~ッホッホッホッ」(高く澄んだ笑い声)

貧乏神様「グヘ~ッへッへッへッ」(いや~なだみ声)

 

「ホッホッ」と「グヘーッ」の応酬は、両者が徐々に近づき、ピタリと触れ合った瞬間、驚くべき結末をもたらした。

 

一閃とともに、両者とも溶け合って消えてしまったのだ。

 

「これは、どうしたことなんだ」

 

吉田は突然の出来事に目を白黒させた。豊富な科学の知識を総動員し、からくりを考えた。

 

あれか。

 

世の中には、私たちの目に見える「物質」と、同じく質量は持つけれど触れることも見ることもできない「反物質」がある。両者が触れ合うと、エネルギーが相殺されて一体となり、消滅してしまうのだ。

 

まさか、神様の世界も同じとは・・

 

ほんとかウソか知らないが、一応辻褄は合いそうな理屈に吉田は冷静さを取り戻した。これで、世の中がまた元に戻ってくれそうだ。

 

ふと、嫌な予感がした。このままだと、地上から大黒天様も貧乏神様も、一体残らず消えてしまうじゃないか!それはさすがに、申し訳ない。

 

大黒天様と貧乏神様のデスマッチは、既に14組目まで終わっていた。残るは量産前の「本体」のみ。まさに横綱対決。舞台は、この30年景気の低迷やら急な為替変動に振り回されてきた東洋の島国・日本だった。

 

サラリーマンの聖地・新橋駅のSL広場で、両者は相まみえていた。SLが時折ならすポオーという汽笛が、まるでゴングのように対決ムードを盛り上げる。もはや最終ラウンドか。

 

「もう、いいんです!」

 

酔客が行き交う広場で、特殊ゴーグルをつけた吉田が甲高く叫んだ。周りのサラリーマンは白い眼をしているが、気にしなかった。

 

「大黒天様、貧乏神様、すいませんでした。戦いは、もう終わりです。私の浅はかな知恵で、お二人に、世の中にご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ない」

 

福の神、疫病神、運、不運。世の中のあらゆるものは、絶妙なバランスの上でつり合い、安定しているのかもしれない。そこに人の手を加えようとしたこと自体が、間違いだったようだ。

 

世の中は、それ自体が究極のバランサーなのかもしれない。

 

わずか1メートルほどにまで迫った二体の神様の間に入り、吉田が力強く叫んだ。「勝負はここで終わり!大黒天様も、貧乏神様も、ありがとうございました」

 

やっぱりお一人ずつが、いいんだ。

 

福の神が増えすぎることの弊害は痛いほどわかった。一方、疫病神が存在していることの意義も、ちょっと理解できたような気がする。

 

不況の中でこそ、モノのありがたみが分かるとも考えられる。米粒一つの大切さをかみしめることができる。モノが足りない時代だからこそ、人々が身を寄せ合い、助け合う。疫病神は正直、あまりお近づきにはなりたくない存在だけれど、学べることは少なくないかもしれない。

 

吉田は二体の神様の肩を優しくたたくと、「もう自由です」とささやいた。神様たちは「さようか」とつぶやくと、地面をトンとけり夜空へと溶けていった。

 

苦節30年の末に生み出した石臼も、今やトラブルの元だ。石臼の内部にはめ込んでいた、量産用の半導体チップを取り出した。ゴミ箱にポイと投げ入れた。「石臼は石臼でいい」

 

人生の長い旅路の中では、福の神にたまたま祝福されることも、逆に疫病神にまとわりつかれてしまうこともあるだろう。ただ、いつ、どこで、どのようにまみえるかは、分からない。選り好みも、できない。何事も、自分の思うようにはできないのだ。そんな世の中だから、一つ一つの経験を、嘆くことなく、奢ることなく、ありのままに受け止め、人生の肥やしにしていきたいものだ。

 

研究室に戻った吉田は、再び石臼に手を掛けた。そのまなざしは穏やかだった。手元には、近所の喫茶店で買ったコーヒー豆があった。「こいつで、挽きたてを味わうとするか」

 

鼻孔をくすぐる香りが、研究室に充ちた。

 

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~