おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【歩き旅と思索】 ~1・自己紹介~

私は学生時代より、趣味で歩き旅をしている。ある地点をスタート地点とし、ゴール地点まで数日掛けて歩く。

 

次に休みがとれたら、前回のゴール地点を振り出しに、次の目的地まで歩く。

この繰り返しで、日本列島は鹿児島から北は福島県まで歩いた。

1本の線でつなぎ、そこから枝分かれしていく形で、ほかに九州横断、伊豆半島縦断などをしている。

 

たくさんの出会いがあった。

 

長崎県内の国道を歩いていたときのことだ。真夏の昼下がり。突如、目の前に一台の普通車が止まった。

歩道を遮る形で急停車したので、身構えた。

 

運転席から出てきたのは、30前後のお兄さんだった(当時私は大学3年生だった)。

 

「この道、ずっと歩いてたでしょ」。

 

朝から私に気づいていたらしい。旅人だと確認すると、「がんばってください」と声かけしてくれるとともに、ペットボトルのお茶を1本、くださった。お兄さんの暖かい気持ちに「ありがとうございます」と自然に頭が下がった。

 

ただ一つだけ、腑に落ちないことがあった。

 

ペットボトルが、ぬるかったのだ。ほぼ、常温だ。旅人にあげるならば、キンキンに冷えたボトルを選ぶもんじゃないだろうか。

失礼ながらそんな考えが沸いてきた。

 

車が去るのを、手を振りながら見送った後、ようやく気付いた。

 

お兄さんは、かなり前から私のことを探してくれていたのか。歩き続ける旅人を何とか励まそうと思って、国道沿いに車をいったりきたりさせていたのだろう。だから、普通は冷えているはずのペットボトルが、ここまでぬるくなっていたのだ。

 

そう思い至ると、今度はボトルの生暖かさが、お兄さんの暖かい人柄を表したものとしてとてもありがたく、大切なものとして迫ってきた。そのボトルは道中、おいしく、少しずつ、いただいた。

 

歩いているだけで、人の暖かみに浸らせていただくことができる。

歩き旅は、だからやめられない。