【サラリーマン・癒やしの和歌】13・時代を越えて届くフレーズ
疲れたサラリーマンに、古の和歌が響く。
~簡単な自己紹介はこちらです~
ある詩の、楽曲の、たった一つのフレーズが、時代を越えて生き残り、人々の胸を打つことがある。
今から千年以上も昔に編まれた、一首の和歌もその一つだろう。
心なき
身にもあはれは
知られけり
鴫(しぎ)たつ沢の
秋の夕暮れ
ものごとの分別もまともにつかない
私のような一介の人間でさえも
「あはれ」というものの奥深さ、神秘を感じ取ることができるものだ
まさに今、鴫(しぎ)が飛び立つ
この秋の夕暮れの光景の中に
(自然に、神仏に、感謝するばかりだ)
このような意味だろうか。
作者は、平安末期、武士団の勃興が一つの時代を切り開こうとしていた時期に生きた、西行法師だ。
難しい表現の一切ない、見方によっては実に単純な構図の作品なのに、どこまでも深く心のひだにしみわたってくる。
心なき身にも
このひとことに、私は胸をわしづかみにされた。人生経験を重ねながら、人格の一向に練れていない現実に対する自嘲、反省。そんな情けない現実を生きながらも、言葉で表しようのない存在の神秘、宗教心というものを、わずかといえども感じ取ることができたことの喜び。「心なき」の一言が、こうした感動の大きさを伝えるための最強の伏線になっている。私は、そう感じる。
私自身は、いつこの作品に初めて触れたのか覚えていないが、折に触れてこの「心なき身にも」が口をついて出そうになる。
恥ずかしくって日常生活では使わないが、心の中ではつぶやいている。
たった8文字が、千年の歴史を越えて、少なくとも一人の人間の胸に居続けている。
和歌のすばらしさに、脱帽するばかりだ。
~お読みくださり、ありがとうございました~