(あらすじ)
花咲きほこる奈良の都の大通りに、一人力なくたたずむ青年がいた。遠く九州を目指す、防人(さきもり)だ。ネットも電話もない時代。生きてふるさとの関東に帰れる見込みもなく、ただひたすら「お父さん、お母さんに愛の言葉を伝えたい」と願うのみ。切なる思いは時空を超え、人助けのヒーローことざんねんマンに届いた。ざんねんマン、何やらひらめいたか、青年を連れ都大路を練る牛車の貴人に何事かを頼んだ。せめて思いを詩にしていただけないか。真摯な願いの行く末は。
1300年の長旅を終え、ざんねんマンは現代に帰ってきた。あの青年、無事に九州までたどり着いたかな。貴人の方は、詩にしてくださっただろうか。さまざま湧いてくる興味にせきたてるように、近所の図書館に足を運んだ。
大伴家持が生きていた時代の、歌集を調べた。なんといっても、その代表作が万葉集だ。ここにヒントがあるかもしれない。4500を越える作品群に一つ一つ目を通すのは楽ではなかったが、無心にページをめくっていった。その中で、ある詩に目が釘付けになった。
【万葉集・巻20・防人歌】
父母が
頭(かしら)かきなで
幸(さ)くあれと
言いし言葉ぞ
忘れかねつる
【現代語訳】
お父さんとお母さんが
僕の頭を手でかきなでて
「幸せであっておくれ」と
言った言葉が
忘れられない
なんと、単純な詩であることか。技巧もない。ただ、ある場面を言葉にしただけにすぎない。何の教養も、感じさせない。
それなのに、なんだろう。光景が、目に浮かぶ。お父さんと、お母さんの、わが子に対する深みの知れない愛情を、ひしと感じとれる。とつとつとした言葉の中に、真心がこもっている。
これだ。
ざんねんマンは直感した。この詩が、あの青年の心中を描き上げたものに違いない。それにしても、あの希代の歌人は、どうしてこんな技巧の映えない作品に仕上げたのだろう。
詩心のないざんねんマンが家持卿の心中を推し量るのは少々無理があったが、それでも一端を類推することはできた。あのお方は、きっと青年と同じ目線に立たれたのだ。坂東の片田舎で暮らす人間にとって、詩も技巧も縁のないものだった。だけど、それだからこそ、朴訥な言葉が真なる思いを吐露する力になったのだ。
作者は記されていなかった。ああ、あの青年の立場を慮ったのだろうか。
やはり、あのお方はただ者じゃない。天才だ。
青年のその後は、ようとして知れなかった。旅路の先で遂に果ててしまったかもしれない。だが、父母に寄せる温かい思いは、一首の詩として永遠に残されることになった。
気持ちを伝えるのに、技巧はいらないのかもしれない。ただ、ひたすらに、心の内を言葉に乗せてあげれば、それで充分届くこともあるのだろう。
天才が教えてくれた、素朴さの重み。ひしとかみしめながら、今は黄泉の国で両親と安らっているだろう青年を思い浮かべた。「お兄さんの気持ち、今じゃ日本人みんながシェアしていますよ」
心がポッと温まるのを感じた。僕も、詩作にチャレンジしてみよう。素人なりに、いいものが作れるかもしれない。そして、あわよくば現代歌集に載って、歴史に刻まれるのだ。ぐっひっひ。
その後、ざんねんマンは下手の横好きで和歌づくりを始めた。だが、どう頑張ったところで川柳の域を出ないのが残念なのであった。
~終わり~お読みくださり、ありがとうございました。