おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【歩き旅と思索】 ~17・「私」の前に体験がある~

~簡単な自己紹介はこちらになります~

ojisanboy.hatenablog.com

 

私が歩き旅を始めた直接のきっかけは、学生時代、存在の不安に悩まされたことにある。
 
存在するとはどういうことか。私の存在とは。他人は果たして本当に存在しているのか。そういった、一見阿呆なことを、無限にあふれるような学生時間の中で、考え、苦しんだ。
 
ただ部屋の中でうんうん唸っていても仕方がないと、やむにやまれず動き出したというのが、正直なところだ。
 
この、「考えるより動く」「動いてから考える」といったような姿勢、考え方に、それなりの意義があることを、とある人物が短い言葉で表わしていた。
 
「個人あって経験があるのではなく、経験あって個人があるのである」
 
京都大学で長く教鞭をとった哲学者、西田幾多郎だ。彼の代表作とされる哲学書善の研究」の序文に登場してくる。
 
例えばデカルトの「我思う、ゆえに我あり」のように、「我」という存在を前提として出立する姿勢にはひとつ確固としたものがあるように見えるが、これでは「我」の存在は証明できても第三者の存在にはたどり着けない。
 
西田は、逆を行った。「思う、ゆえに“我”というもの(統一するもの)が想起される」、といった意味合いだ。
 
私とあなたが、公園でくつろいでいる。ともに、早春の青空を眺めるともなく眺めている。漂う白雲に魅せられている。こうしたとき、「私」「あなた」「白雲」が別個に存在するーと無条件に受け止めがちだが、そうした判断を下す以前の状態が、まだあるようだ。
 
経験しているのは、無理に言葉にするなら、風の「サラサラ」であり、まぶたの向こうにただよう「白」である。隣にすわるあなたと共に感じる「のんびり」だ。
 
区別を下す以前に、私たちがともに経験している出来事、状態。ここから、派生的に「私」「あなた」「白雲」が分かれてくる。
 
私もあなたも、確固独立した存在とはいえないのかもしれない。視界に映るもの、聴こえてくるもの、あらゆるものが、一つの何かを共有している。
 
この「体験」というものに浸ったとき、存在の不安がわずかなりとも癒される、そのように私は期待し、歩き旅を続けている。
 
ちなみに、上記の西田の言葉には、引き続いてこのような言及がある。
 
「・・との考えから独我論を脱却できた」
 
独我論とは、読んで字の如し、世の中には自分しかいない、あるいは自分の存在しか証明できない、という主張だ。これを西田は「脱却できた」と宣言している。この言葉にはものすごく勇気を与えられた。
 
正直にいうと、存在の不安というものは拭えない。これから先も、苦しむのだろうと諦めもしている。それでも、不惑を過ぎて唸るばかりも能がないと諦め、少しでも感じ気づいたことを綴っていくことにする。
 
~お読みくださり、ありがとうございました~
 

【サラリーマン・癒やしの和歌】7・自然の景色とこころが共鳴する

疲れたサラリーマンに、古の和歌が響く。

 

~簡単な自己紹介 

 

仕事でクタクタになったとき、心が疲れたときは、目に映るものすべてが味気なく見える。

 

心が晴れないから、見上げる夕空もどこかあせてしまう。

 

沈んだ心は、むしろ暗くひっそりとしたものを眺めるときこそ落ち着く。部屋のライトを落とし、静かな曲を聴く。沈んだなりの、癒し方があるように感じる。

 

古代の和歌にも、まさに同じような心境を詠った作品が数多くある。

 

その一つをご紹介する。

 

~以下、作品(全体で一つの歌)~

 

草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば

 

尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ

 

新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ

 

筑波嶺の よけくを見れば

 

長き日に 思ひ積み来し 憂へはやみぬ

 

~引用終わり、万葉集第9巻 1757番歌~

 

 

作者は屈指の歌人高橋虫麻呂。本人の来歴などの説明はひとまずおいておく。作品を声に出してみると、その小気味よいリズム感、繊細な心情を伝える言葉遣いに、思わず引き込まれる。

 

作者は、長く気に病むことがあったのだろう。官人としての勤めには理不尽と感じることも少なくなかっただろう。疲れ、活力を失ったこころを引きずり、何か癒しになることでもーと筑波の山を訪ねた。

 

晩秋。

尾花散り、雁の啼き声が寂しく響く。

見下ろす田園は、ススキの穂が秋風に吹かれ、白波のようにそよいでいる。

もの寂しさばかりをかきたてるような光景に、自分のこころがぴたりと共鳴した。

 

自分の浸っている心情は、自分だけのものではなかった。自然もそうであった。そのことを感じ、作者は孤独感が癒され、胸すいた。

 

最後のくだりがまた素晴らしい。

 

筑波嶺の よけくを見れば

長き日に 思ひ積み来し 憂へはやみぬ

 

自然の静まりとともに、憂いも鎮まった。

 

まるで現代のサラリーマンのために編まれたのではないかと錯覚させる名歌だ。出会えたことに感謝する。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

【サラリーマン、家系図をつくる】12・史料のほうからやってくる

家系図づくりを通じて、親戚をはじめさまざまな方と出会ってきた。

 

史料を拝見させていただいたり、言い伝えを伺ったり、自分一人では知ることができなかった情報を得ることができた。大変感謝している。

 

いろいろ動いている中で、自然と地域の歴史そのものにも関心が広がり、史談会の史料などにも目を通すようになった。

 

そうした活動がどういうふうに伝わったのか分からないが、地域住民の方(私は存じ上げなかった)から、「代々保存してきた地域の史料があるので引き取ってほしい」と依頼が入ってきた。

 

歴史の重みがそのまま心理的負担になっているようだった。

 

私は歴史そのものに興味関心があり、喜んでお受けした。幅が10センチはあろうかという台帳だった。

 

江戸の時代、各地域には「講」という互助組織があった。人が亡くなったときには、地域を挙げて弔いをあげ、いくばくかの物資を捧げてきた。その帳面が残っていた。

 

野菜、金銭。誰が、何を、誰に捧げたのか。時系列に沿って、こと細かく記していた。

 

地域コミュニティーの密なつながりを実感させられた。私たちの先祖は、互いに身を寄せ合い、助け合い、生きてきたのだ。それは今では多少の息苦しさを感じさせるかもしれないが、こうすることで生き抜いてきた。

 

台帳には私自身の先祖の名もあった。ちゃんと寄付などもしていたようで、安心した。

 

私が責任をもって保管させていただいている、この台帳は、世界に二つとないものだ。そこには大名も侍も有名な商人なども登場しないし、歴史史料としての価値は乏しいかもしれない。だが、私自身にとっては、地域の先祖たちの足取りを記した貴重な宝である。

 

動いていると、史料のほうから近づいてきてくれることもある。何かの縁でやってきてくれた史料を、大切に守り、次の世代に引き継いでいくつもりだ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【ざんねんマンと行く】 ~第24話・誰の役にも立たない人間はいるのか~

「僕なんか、いてもいなくても同じだい」

 

高校2年生の哲郎は天井を仰いだ。

 

勉強はからっきし。運動神経なんてさらさら。おかげに髭が濃くて、おじさんみたいな顔をしている。それに加えて気弱なところがあるから、友達なんかろくにできない。学校でも、自分はなんだか空気みたいな存在だよ。

 

お父さん、お母さんは優しいけれど、僕の空しさまでは気付いてもらえない。

 

誰にも求められない、誰の役にもたたない。こんな人生送っていくの、つらい。このまま生きていっても、いいことない気がする。

 

「どうせ、僕なんていなくたって、いいんだ!」

 

大人に近づく大切な時期。深まる自我の不安と不信。諦め。半ば投げやり気味に発した嘆きを、一人の男がハートでしっかりと受け止めた。人助けのヒーローこと、ざんねんマン。「しばし待たれい」とつぶやくや、自宅のベランダをトンと立ち日暮れ間近の大空へ。哲郎の暮らす伊豆の漁村へツーと翔けた。

 

ぼんやりと窓越しに夕空を眺める哲郎と、空に浮かぶマント男の目が合った。「あなたは一体・・」

 

このおじさん、心の中が見えるのかな。不思議な力があるようだ。相談相手になってくれるかも。

 

いやいや、ちょっと待て。大人にありがちな説教攻めなんか喰らわされたら、たまらないぞ。

 

窓越しに、哲郎は先制攻撃に出た。「僕はねえ、誰の役にも立たない人間なんです!生きてても意味ないんだ」

 

・・

 

やや沈黙があった。ああ、やっぱりこのおじさんも頼りにならないか。そう思った瞬間、マント男が口を開いた。

 

いやその、まずもって私に出番を与えてくださいまして、ありがとうございます。

 

拍子抜けした。お礼言われちゃったよ。

 

そこには理由があった。悩める人、苦しむ人がいてこそ、ヒーローが力を出せる。人生に諦めを抱きかける青年の存在は、それ自体が人助けを使命とするざんねんマンに生きがいを与えていた。

 

お兄さんがいてくれるからこそ、私がいるんです。どこかのコメディアンも言ってたじゃないですか。君がいて、僕がいる、と。

 

なんだか「俺うまいこと言った」風のドヤ顔をたらすざんねんマンに、哲郎は反撃した。「そういう臭いセリフ、いらないから。じゃあ聞きますけど、僕、他に何か役に立っていること、あると思いますか?」

 

今度こそ何も答えられまいー。優越感とともに、一抹の寂しさをかみしめながら、哲郎はマント男のリアクションを待った。

 

と、2階の窓越しに応酬を交わす2人の眼下で、1台のミニバイクが止まった。「〇〇通運で~す。お届け物で~す」

 

「あっ」とつぶやき、哲郎が玄関に降りた。ささっとサインをし、手にした箱を抱えて戻ってきた。「大好きなプラモデルを注文してたんだ」

 

むっふっふ

 

ざんねんマンが不敵な笑みを浮かべた。なんだ、今度は何を言い出すんだ、この変なおじさんはー

 

お兄さん、つまりはそのプラモデル会社を助けてあげたというわけですな。あなたが商品を一個お買い上げになった分、そのプラモ会社も売り上げが増えた。そこの社員も家族も、助かった。これもまた、誰かのお役に立ったということじゃないですかな。

 

むむむ・・

 

これまた予想してない反撃に、哲郎は黙り込んだ。たたみかけるように、廊下の下から声が聞こえてきた。「てつく~ん、ごはんよ~」

 

哲郎の母親だった。息子のため、日々愛情を込めて料理をこしらえてくれていた。「今日はてつくんの好きな、シチューよ~」

 

むっふっふ。つまりはお母さんにも生きがいを与えていると。

 

ざんねんマンの低い笑いが、哲郎の心を今までにない潤いと不快感でかきまわした。くっそう、この変なおじさん、言ってることは当たってるけど、なんかいまいましいぞ。

 

あ!まだありますよお兄さん!

 

あなたの好きだというシチュー。具材のジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ。どれも、育てている農家さんを助けてますね。お兄さんの胃袋が、日本のどこかで暮らしている農家さんと家族の役に立っているわけですよ!

 

息をし、食べ、寝ているだけでも、誰かを助けている。誰の役にも立たないという人間は、この地球上のどこにもいない。

 

うぬぬ・・

 

向かい合っているだけで、まだまだ実例を挙げられそうな空気に、哲郎はとうとう白旗を挙げた。「おじさん、確かにおじさんの言う通りですよ。僕は、誰かの役に立っている。それも、結構多くの人の、ね」

 

自分という存在が、世の中にあっても、許されていいのか。安らぎが、沈んでいた哲郎のこころをちょっとだけ軽くした。

 

そうですよ、お兄さん。だから投げやりになるんじゃなくて、自分なりに生きていくんですよ。

 

目立たなくたっていい。もてなくても、頭が悪くても、運動音痴でも、おっさん顔でも、いいじゃないですか。

 

「みなまで言うなー!」

 

哲郎は涙目になりながら、ざんねんマンを遮った。おじさんのおかげで元気は沸いてきたけど、ちょっとイライラさせるんだよなあ。

 

「もう僕は大丈夫です。ありがとう。あ、あと、もうこれからは僕が悩んでも飛んでこなくて大丈夫ですから!自分で対処しますから!」

 

青年の「再訪問お断り」宣言は、ドヤ顔が鼻につくヒーローへの反発から出た言葉ではあったが、こころの自立に向け確かな一歩を踏み出したことのサインでもあった。

 

とうとう部屋に入れてもらえぬまま、お役御免となった。ざんねんマン、それではーと短くあいさつをすると、とっぷり暮れた大空へと舞い上がった。

 

今日もなんとか人助けをこなしたヒーロー。青年の宣言に頼もしさを覚えるとともに、「今晩はかあちゃんのシチュー、いつもに増して食べるんだぞー」と哲郎が聞いたらまたいきりたちそうな上から目線でエールを贈るのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

☆これまでの出動記録☆

【サラリーマン・宇宙感動記】9・目に見えないもの

目に見えるものだけが、世の中のすべてではない。

 

これは道徳や宗教に限った話ではないようだ。

 

夜空を見上げると、私たちの地球の兄弟星である金星や火星がひときわ明るく輝いている。

 

それぞれ、走るコース(公転軌道)が異なる。外側のコースほど距離が長くなり、1周するのにかかる時間も延びる(金星224日、地球365日、火星686日、木星11年、土星29年)。

 

陸上競技と同じだ。第1コースのほうが有利。どの世界も、そんなものだろう。そう考える。

 

ところが。視野をもう少し広げると、私たちの常識では理解できないような世界が広がっている。

 

太陽系が属している、天の川銀河。直系10万光年の巨大な星々の集団は、それぞれが長い時間をかけて銀河中心部の周りをぐるりと走り続けている。ちなみに太陽系は、銀河中心部から約2万8千光年離れたところにいる。

 

そこで考える。私たちより内側にいる恒星系は、より早く一周できるのだろう。反対に、外側にいる恒星系は私たちより足が遅いのだろう。

 

これが、どうも違う。どれも同じ。第1コースの星も、第3コース、第10コースの星も、同じ速さでぐるぐる走っているというのだ。

 

それをどうやって確認したのかは、科学者ではないので分からないが、世界の天文学者たちがそう指摘しているので、そうなのだろう。

 

一体どういうことなのか。

 

実は天文学者たちの間でもまだ分かっていないという。

 

正体不明の重力で、星々を引き寄せている存在を、彼らは「ダーク・マター(暗黒物質)」と名付けた。

 

眼には見えず、肌で触れることもできないが、しかと存在する何かの巨大な力により、あらゆるものがつながっている。

 

なんと不思議。ロマンを感じさせることか。

 

宇宙のことは、知れば知るほど不思議が芽生えてくる。奥が深く、楽しく、ワクワクしてくる。こころを、少年少女の時代に戻してくれる。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

過去の感動記

 

【サラリーマンの英検1級攻略術】~21・実際に使われた文脈のまま覚える~

限られた時間と予算の中で、英検1級に合格したい!という社会人の方をイメージしながら書いている。

 

※簡単なプロフィルはこちらになります

 

単語、イディオムは幾ら覚えても充分ということはないだろう。

 

なるべくたくさん覚えたい。それが1級合格につながる。ただ、覚え方にも工夫が必要だ。市販の単語帳を味気なく覚え込んでいくだけが道ではないと思う。

 

私は徹底してあることを貫いた。

 

実際に使われた文脈のまま覚える

 

ということだ。例えば英語ニュースの文章。「この表現(単語・イディオム)は使える」と思ったら、文章をそのままノートに写す。こうすることで、該当する表現の生きた使い方を修得できる。

 

例えばBBCニュースを例にあげてみる。最近の配信記事で

 

Ukraine anger as Macron says 'Don't humiliate Russia'

 

という見出しの記事があった。フランスの大統領が、ロシアを侮辱するな、対話のテーブルにつかせることが大切だーと主張したことに対し、ウクライナ当局が反発した、という話だ。

 

ニュースそのものはさておき、今すぐにでも使いたくなる表現が実に多い。例を挙げると

 

Italy's Prime Minister Mario Draghi has aligned himself with Mr Macron, suggesting Europe wants "some credible negotiations".

 

イタリアの首相はフランスに足並みをそろえたーというくだり。下線部のような表現をする。ふむふむ。「~と一直線上にならぶ」という表現はよく in alignment with...というのを使うが、動詞として使うときはこのように表現するのか。

 

勉強になった表現は、そのまま単語帳(アプリ)に書き込んでいる。単語帳は片面に問題を、裏面に正解を書き込むが、私の場合は

 

〇片面(問題)

→「~と足並みをそろえる(~と同調する)」「a- oneself w-(←これはイディオムを思い出す誘い水) 」

 

〇裏面(正解)

→「align oneself with...

(段落を変え、具体文も載せる)「Italy's Prime Minister Mario Draghi has aligned himself with Mr Macron

 

上記の赤い部分が実際に書き込む内容だ。この形で単語帳をつくり、めくり、生きた形で表現を体にしみこませている。

 

市販の単語帳は、出題の可能性が高いものを集めてはいると思うが、果たして生きた形で身に着けられるか、疑問がある。その表現が英語圏のメディアや日常会話で本当に使われているのか、分からない。一方、上記の方法であれば、新鮮で実践的な表現のみを、効率的に覚えることができる。しかも、楽しい。表現を覚える感動がある。自分で、自分の感動する表現を発掘し、吸収していくのだ。

 

少なくともこのやり方で合格できたので、「私は市販の単語帳だと三日坊主でぜんぜん進まん」という方がいらっしゃったら上記方法をおススメしたい。英検1級のみならず、2級3級志願者も同じだ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【歩き旅と思索】 ~16・旅で出逢った猛者たち~

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ただひたすら歩き、まちからまちへと移り行く。一筆書きのような形で、日本国内を歩きつないでいく。

 

これはこれで一つユニークな旅ではないかと思うが、道中では「こんな猛者がいるのか」と驚かされる旅人に出逢ったことがある。

 

強烈だったのは、段ボール箱一つをかごに入れて自転車旅をする女性2人組。たしか山口県内のコンビニで休んでいるときに遭遇した。

 

山口県では、私はとある初老のおじさんと意図せぬ二人旅をしていた。そのときのワンシーンでもある。

 

駐車場でしゃがみこんで一息ついていると、その二人組がやってきた。自転車を止め、こちらも小休止をとる様子だった。

 

夏だった。二人ともすっかり日焼けしている。年のころは、20歳前後だろうか。妙齢だ。大丈夫だろうか。心配していると、相方のおじさんが気軽に声をかけていた。

 

聞くと、こちらのコンビも自転車で長旅をしているらしい。行き先は覚えていないが、やはり遠くを目指しているようだった。

 

驚いたのは夜のねぐらだ。なんと、自転車のかごに入れた段ボール箱に体を入れて寝るのだという。

 

どうやって体を入れるのか、説明はよく覚えていないが、それがポリシーらしかった。

 

より自然に近く、なるべく文明の利器に頼らず、自分の力で、旅をする。そういう意思を感じた。

 

かたや、こちら男二人はいずれもそれなりのキャンプを携帯している。そこそこの安全に守られ、快適な夜を過ごしている。それに比べたら、なんと大胆で勇気のあることか。

 

心底、驚いた。

 

二人ともべっぴんさんだったのも、驚きに拍車をかけた。

 

身を守るためだろうか、腕のあたりにタトゥーをしていた。やや危険な香りを漂わせることで、暴漢から身を守ろうとしているのだろうーと隣のおじさんが私にささやいた。

 

まだ休んでいる我々を横目に、女性コンビはささと自転車をこぎだした。後ろ姿は、颯爽としていた。

 

いろんな旅をしている人が、この地球上のさまざまなところで、今この瞬間も活動しているのだろう。ペダルをこぎ、歩みを進め、オールをかぎ、アクセルをふかせているのだ。

 

それぞれの旅に、こだわりがあり、発見がある。どれも素晴らしい。

 

私は私の旅を楽しみ、深め、味わっていくつもりだ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【サラリーマン・癒やしの和歌】6・酒と古代

疲れたサラリーマンに、古の和歌が響く。

 

~簡単な自己紹介~

【サラリーマン・癒やしの和歌】1・疲れたこころに染み入る - おじさん少年の記

 

どうしようもないことで悩んだり、

起きてもいないことに怯えたり。

組織で働いていると、あれやこれやと悩み事を抱えるものだ。

 

ときには思う。もう、どうでもいいわぃ。と。

 

しるしなき

ものを思はずは

一杯(ひとつき)の

濁れる酒を

のむべくあるらし

 

巻三(三三八)

 

考えても

仕方ないことを思うくらいなら

1杯の

濁り酒でも

呑んだほうがましだ

 

出典は万葉集。詠み手は大伴旅人。ちょうど「令和」の宴を主催した人物だ。

 

千年以上の昔から、先祖たちは同じように悩み、語り、呑んでいた。

 

どうしようもないことで心を砕いても仕方がない。

なるようになれ。

 

そう吹っ切り、目の前のささやかな喜びに浸ってもいいじゃないか。

元気と励ましを与えてくれる歌だ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【サラリーマン、家系図をつくる】12・近所の名士の歴史も辿る

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自分の家の系図をつくる中、どこかで壁にぶち当たることになる。

 

新たな史料(1次ソース)が見つからなくなるのだ。

 

ここが限界かーと思わず膝を屈したくなりそうだが、諦めてはもったいない。

 

私が取り組んだことの一つに、

 

近所の名士の歴史も辿ってみる

 

ということがある。そういう家庭には大抵立派な古文書があり、公立図書館に寄贈されているケースが少なくないのだ。

 

私がよく参考にさせていただいたのは、地域の複数の庄屋さんだ。図書館にいけば「〇〇庄屋記録」といった形で江戸時代の記録が保管されている。

 

その地域で、侍の時代に何が起こり、住民の誰が何をしたのか、天変地異や土地の境界争いにどう向き合ったのか。さまざまなことが書かれてある。

 

そういった文献の中に、しばしば地元住民の名が記されている。お上に年貢減免を具申する際の連名による署名、などだ。

 

私はこうした文献の中に先祖の名をいくつか見つけた。地域が苦労しているとき、住民の一人として名を連ね、動き、地域のために力を尽くした先祖を誇りに思った。

 

「我が家は代々農民の家系だから」などと卑下することなかれ。意外と多くの人物が古文書には登場する。

 

もう一つ、名士の歴史には参考になる情報がある。地域のコミュニティがいつ、どのような形で形成されたのかについての概観を推し量ることができる。

 

意外に聞こえるかもしれないが、日本は昔から小規模ながらも「移住国家」だった。戦国の世が終わり、江戸の時代が始まった際、封建領主は転封につぐ転封で領土をあちらこちらへと移された。それに伴い、配下の武士や町人、とりまきの人たちがごっそりと移動して回った。

 

さらにさかのぼって、鎌倉・室町の時代にも人の移動はあった。特に鎌倉初期は各地に守護として有力武士が赴任することになり、配下の侍たちが付き従った。この数が意外と多いようで、名字を聞けば「あ、あの三浦半島の出の一族だな」と推測できることもある。

 

日本の地方都市にいたるまで、過去数百年の間に実に多くの割合の人たちが大移動を経験している。たまたま移動しないまま明治を迎えた人もいるかもしれないが、そこは調べてみないと分からない。

 

その点で、名士の古文書には由来がはっきり書かれていることが多く、地域の歴史を知る上でも大いに参考になる。私の住んでいる集落は、どうやら戦国末期の戦禍を逃れ、ある地方から移ってきた人たちがつくりあげたコミュニティである可能性がある(ただこれは調査した複数の名士の記録に記されている情報。地域全体に敷衍して考えてよいものかは分からない)。

 

まあこのようなことで、土地の名士の記録には地域全体の成り立ちを推し量る手がかりが詰まっている。ぜひ目を通してはいかがかと思う。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】~第23話・ぜいたく反対を叫ぶ男の顛末~

ピンポーン

 

週末の昼下がり。午睡をむさぼっていた、人助けのヒーローこと「ざんねんマン」のアパートに、来客があった。

 

モニター越しに映ったのは初老の男性。肩に何やら、たすきを掛けている。「またまた、変なおいさんが来ちゃったよ」。ボヤきながらドアを開けた。

 

はじめまして。私は今度の国政選挙に立候補しようと思っとります、山田と申します。このたび、人助けのプロにぜひ、応援弁士としてご協力いただきたく、お願いに上がりました。

 

たすきには、手書きで大きく「ぜいたく反対党」と書かれている。やっぱり、面倒くさそうだ。

 

山田氏の訴えることには、いちおう理屈があった。今の日本は昔ほど景気が良くはない。その中で、一部のリッチ層が国富の多くを占め、その他市井の人々が生活に苦しんでいる。この不条理を変えたい。リッチ反対。リッチは敵だ。お金持ち、追放!

 

真面目に会社員生活を勤め上げ、一線を退いた後、世の中の矛盾に目が向くようになったのだという。「ビジョンを国策に落とし込む必要がある」と語る瞳には熱情があふれていた。政党として旗揚げする肚らしい。

 

語るほどにヒートアップする山田氏とは対照的に、耳を傾けるざんねんマンのテンションは下がっていく。「そうは言われましても、まあその結局、お金持ちへの嫉妬・・」

 

余計な一言が、山田氏の逆鱗に触れてしまった。「し、嫉妬とな!!そ、そんなことは、断じて、なあ~いっ!!」

 

だが、明らかに本音を指摘された模様 😂ややあって、山田氏が口を開いた。「でも、あなただってお金持ちは嫌いでしょ?」

 

私ですか?どうして私がお金持ちを嫌いにならないといけないんですか?私が迷惑こうむっているわけでもないですし、関係ないですよ。それよりですね、居酒屋でたまたま居合わせた紳士から一杯おごってもらうことのほうがありがたいってなもんで。やっぱり本当のお金持ちは使いどころを分かっていらっしゃる 😎

 

さもしい貧乏人根性を恥ずかしげもなくひけらかすざんねんマンに、今度は山田氏が圧倒される番だった。この男、究極の“負け組”か。いや、もしかしたら人生の“勝ち組”なのか・・・

 

自分の幸せとはどこにあるのだろう。他人と比べたときの立ち位置か。そこに絶対的な安心は、ない。誰かを憎んだところで、それで自分が幸せになるわけではない。

 

もちろん、お金持ちが富をかき集めることは、不平等を感じさせなくもない。だが、能力があり努力の末につかんだものなら、異議を申し立てる余地はない。むしろ、そういった富を使わないまま口座に眠らせておくことの方が問題だろう。

 

お金は世の中で出回ってこそ価値がある。血流と同じ。使ってなんぼなのだ。お金持ちよ、お金を稼ごう。そして、どんどん、ジャンジャン、使っていこう!

 

山田氏の瞳の奥で燃え盛っていた、嫉妬の炎がスーと静まった。代わりに、80年代を彷彿とさせるバブル魂に火が付いた。

 

「ありがとう!向かうべき道が、見えました!」

 

両のまなこをかッと開くと、たすきを脱ぎ取った。手書きしていた政党名の「反対」をマジックペンでかき消すと、赤字で大きく「賛成」と書きかえた。

 

なんとも分かりづらいたすきになった😂

 

山田氏は嬉々とした表情でドアを開け放ち、昼下がりの街中へと消えていった。

 

それから数週間後。ネットの動画投稿サイトで、山田氏の開設したチャンネルがバズり始めた。その名も「ぜいたく賛成党」。番組内で、山田氏は熱く視聴者に語りかけていた。

 

リッチな皆さん!お金を、使いましょう!それで世の中が潤うんです。

 

リッチな方だけじゃありませんよ。世の中のお父さん、ぜひ、お金を使いましょう!居酒屋、行きましょう!スナックで、歌いましょう!それで大将、ママさん、出入りの酒屋さんが、潤うんですよ。

 

お父さん、ぜひ帰宅の際は、奥様に花束をプレゼントしましょう!奥様も喜ぶ。家庭円満。それに、地域の花屋さんだって助かります。たまにはパチンコだって。勝ったら、子供さんにおもちゃをプレゼント。お父さんの家庭内地位、あがりますよ。

 

山田氏の訴えは、外で飲みたいサラリーマンたちの恰好の口実になった。「これだよこれ!今の時代に求められるのは、こんな考え方なんだ!!」。奥さんを説得し、飲み屋に繰り出す人が急増した。

 

昼間のレストランも、ランチ会を楽しむ奥様方でにぎわいだした。

 

世の中の“血流”が良くなるにつれ、少しずつ税収も増え、貧困など社会的な課題が緩やかながら改善へと向かっていった。

 

今やフォロワー〇万人を抱えるようになった山田氏。「選挙よりこっちの方が楽しいし、儲かる」とすっかり初心を忘れ、しこしこと動画を投稿するのであった。

 

一方のざんねんマン。山田氏の活躍を称えつつ「むふふ、彼からはぜひ一杯奢ってもらわんとなあ 」と不敵な笑みを浮かべるのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

☆これまでの出動記☆

 

【サラリーマン・宇宙感動記】8・格安の望遠鏡でこそ感じる宇宙のダイナミズム

アナログ機器のほうがいい仕事をすることもある。

 

40手前のころ、単身赴任先のアパートでクリスマスを迎えた。

 

「お届け物」ですと連絡があり、受け取ったものは細長い段ボール箱だった。

 

望遠鏡だった。

 

私が当時、星の魅力に目覚めてしまい、やたら電話で妻に星やら宇宙やらの話をしていたのが影響したようだった。

 

「サンタさんが、こんなのくれたよ!」

 

興奮気味に語る私を、電話越しの妻は嬉しそうに聞いてくれた。

 

マイホームやらローンやらでぜいたくはできない。サンタの贈り物は、決して高価なものとはいえなかったが、私は贈ってくれた誰かさんの気持ちがうれしく、また、星空に近づける喜びもあって、夜が待ちきれなかった。

 

日が暮れた。ビル群の街灯に邪魔されながらも、筒先を夜空に向けた。まずはお月さまがターゲットだ。

 

このお月さま、動く動く。

 

クレーターでぼこぼこになった地表をとらえたかと思うと、スルスルと画面が横に流れ、やがて球体ごとレンズから外れてしまう。

 

何度もチャレンジする。やがて欲が出て、もうちょっとアップで観たいと思い、レンズを変えて倍率を上げる。難度は上がるが、面白い。山のような起伏が見える。ちょっとしたジオラマを眺めているような感覚に浸る。だが、うっとりする間もなく地表がレンズの向こうに消え去っていく。

 

月も動けば、地球も動いている。そうだった。

 

サンタのくれた望遠鏡は、子どもの入門向けのようなもので、天体の自動追尾といった高度な機能はついていなかった。それがあれば、一度レンズに収めるだけでレンズからそれることはない。そうした先端機材に比べると、私の「相棒」はいささか不便ではあったのだが、おかげで私は地球のダイナミックな動きを身近に感じることができた。

 

私たちの地球は、時速約1400キロという途方もない速さで自転をし、時速11万キロで太陽の周りを駆けている。地球は、とどまることなく動き続けている。

 

私たちがいるのは、まさに宇宙船地球号なのだ。

 

その事実を体で感じさせてくれたサンタ望遠鏡に、素朴に感謝し、今も相棒として付き合い続けている。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

過去の感動記

 

【サラリーマンの英検1級攻略術】~20・「読みこむ」か「覚える」か~

限られた時間と予算の中で、英検1級に合格したい!という社会人の方をイメージしながら書いている。

 

※簡単なプロフィルはこちらになります↓

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私は3年ほど前に1級に合格したが、当時から迷っていることがあった。

 

英文を読み込むことに力を注いだらいいのか、あるいは英語表現を覚える(単語、熟語)ことに重点を置いたほうがいいのか

 

効率よく語学力を高める上で、この点では正直、いまだに答えが出ない。

 

読み込めば読み込むほど、英語表現を体にしみこませることができると思う。ただ、瞬間的に単語・熟語が出てくるようになるかというと、そういうことはない。一方、単語・熟語を一つ一つ着実に覚えていくと、長いニュースやレポートなども比較的苦労することなく読みこなしていくことができる。ただ、英文のリズム感はそれほど満足につかめないかもしれない。

 

悩んだが、合格するまでは「半々」でいくことにした。

 

結果的に合格できたのでよしとしたいところだが、もう少し読み込む方に力を入れてもよかったのかな、とも考える。やはり言語は使う、慣れるが基本だと考えるからだ(根拠はない)。

 

今も実は迷っている。どんどんボキャブラリーを増やしたい気持ちと、いやいやそんなことより読んで読んで吸収していったほうが結果的には早いはずだという気持ちが交錯している。

 

どちらもやればいいわけだが、なにしろ時間が潤沢にはない。限られた時間の中で語学力を伸ばしていきたい。

 

正直、この点で明確な自分なりの提言ができない。

 

1級に合格したからといって視界が完全に開けるわけではない、まだまだ語学道の途上であり、おそらく人生かけても7合目ぐらいまでしか到達できないかもしれない、と感じている。それがノンネイティブの現実かもしれない。

 

このように、ぐらぐら揺れ動いている人間でも結果的には1級に合格できたので、これからチャレンジを考えていらっしゃる方はひるまずどしどし挑戦していっていただきたい。

 

そして語学力向上の秘訣をご指南いただきたい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【歩き旅と思索】 ~15・自分と合わないものにも交わる~

~簡単な自己紹介はこちらになります~

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歩き旅の良さの一つは、自分のペースで、自由気ままに、ゆっくりと1日を満喫できるところにある。

 

ただ、それがそうもいかないときも、ある。

 

学生時代、広島県は岩国市から山口県に入ったあたりを歩いていたときのことだ。

何ということもない、田舎道の交差点で信号待ちをしていたら、後ろからきた1台の自転車が止まった。

 

乗っていたのは初老のおじさん。「旅、してるの?」そんなことを尋ねてきた。ザックをしょった私の姿に、長旅であることを理解したのかもしれない。

 

おじさんも、これまた自転車で長距離の旅をしているとのことだった。確か北海道から下っており、このまま鹿児島、そしてフェリーで沖縄まで目指すのだという。

 

徒歩旅の私と、自転車旅のおじさん。そこから、お互いに何かを申し出るというわけでもなく、並んで歩き出した。なにせ、向かう方向が同じだからだ。

 

私は正直にいうと、一人で風景や言葉の変化を味わいたかったから、おじさんが「じゃ」と言い残して去るのを待っていた。だが、おじさんのほうはそうではなかったようだ。

 

自分が会社の役員をしていること、中小企業だが、最近は有名どころの大学生も入社してきて鼻が高いこと、それから、もろもろ、子どもさんのことなど、はっきりいって自慢話を延々と続けてこられた。

 

これじゃ、風景も言葉も楽しめないよ。

 

気が滅入った。だが、「すいませんが私は一人で旅をしたい」などと言い出せる雰囲気でもなく、ひたすら横で「はい、はい」とうなずくしかなかった。

 

そこから、おじさんと並んで歩く旅が1週間近く続いた。

 

気が、重かった。この間、山口県の自然や旧跡、スーパーなどで山口弁を耳にする機会が、なくなった。聞こえてくるのはおじさんの自慢話ばかり。

 

昼間は元気なおじさんも、夜になると恐がりになるようだった。当時は私もゲリラ的に野宿をしていたので、どちらが言い出すでもなく、日が暮れるころになると「あの神社の境内にテント張ろうか」などと言い出した。私は寝るときぐらいは一人になると決めていたが、おじさんは怖いようで「あれだったら俺のテントで寝てもいいよ」と誘ってきた。それだけは勘弁つかまつるとばかりに、体よく断った。

 

いつまでこの旅は続くのか、と思っていたところ、関門海峡を抜け九州に入ったところで、行き先が別れた。おじさんは熊本方面。私は大分ー宮崎方面。惜別の辞を語るでもなく、お互いに言葉少なく「じゃ」と別れた。

 

今考えても、おじさんとの1週間はどんな意義があったのだろうかと思う。いや、意義も何もないのかもしれない。ただ、私の心の底にふつふつとした不満がたまっていたことは認めざるをえない。

 

少し損をしたような気もするが、これも旅の貴重なワンシーンなのかもしれない。人生、自分の思うようにばかりはいかないのだ。旅もしかり。

 

感動があったわけではないのに、今もずっと記憶に残る、おじさんとの1週間だった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【サラリーマン・癒やしの和歌】5・風との触れ合いが新たな言葉を生み出す

疲れたサラリーマンに、古の和歌が響く。

 

~簡単な自己紹介~

【サラリーマン・癒やしの和歌】1・疲れたこころに染み入る - おじさん少年の記

 

万葉集を読んでいると、ことばというものが実に繊細で、自然や心情の機微をありのままに的確にとらえることのできる優れた詠い手がそろっていると感じる。

 

この、日本人の心のバイブルともいえる大作をまとめあげた人物は、歌人で高級官僚だった大伴家持だ。家持の歌はどれも細やかで情愛に満ちた表現であふれている。その中でも一首は実に素晴らしいと感じたのでご紹介したい。

 

我が宿(やど)の

いささ群竹(むらたけ)

吹く風の

音のかそけき

この夕べかも

 

(大意)

我が家の庭に

群生している竹に

吹く風の

音のかすかな

この夕べであることだ

 

この作品に出てくる「かそけき」という単語は

他の史料にもほとんど出てこない単語なのだそうだ。

おそらく「かそけし」を終止形とする形容詞だろう。

 

群生する竹の、細く薄い笹の葉にさらさらと吹きそよぐ風が、

聴こえるか聴こえないかの静かな振動を伝えてきた。

そのわずかな空気の揺れ、鼓膜との触れ合いを、家持は

 

「かそけき」

 

という新たな単語で表現した。

 

こうした、柔軟で常識にとらわれないものの見方、表現をするところが、

万葉歌人たちの素晴らしいところだ。

 

まだまだ探ればあるはずで、楽しみながらページをめくっていきたい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

【サラリーマン、家系図をつくる】11・言い伝えをあらためて検証する

~簡単な自己紹介はこちらです~

ojisanboy.hatenablog.com

 

家系図をつくる際、過去帳や除籍謄本とした文字媒体での記録に加え、祖父母などからの言い伝え、伝承というものも参考になることが多いと考える。

 

そこには、世代から世代へ語り継がれていく中で若干の齟齬・勘違い・誇張などが混じっていく可能性はあるが、見過ごすにはもったいない真実があるのではないか。

 

ここまで書いて、私にも何かお話できる具体例があればいいのだが、残念ながらそれほどたいした口承はない。ただ、家系図づくりにある程度本格的に取り組んだ者として、他の方々が雑談で一家の言い伝えについて触れられるのを耳にすることが折々にあり、「そんな素晴らしい伝承があるなら裏がとれるんじゃないですか」と申し出たくなるのだ(仕事関係の方なので差し出がましいと思って言えていない)。

 

「うちの先祖は◎◎の戦いで敗れて落ち延びたらしい」「代々、小刀を守り継いできたらしい」

 

こんな話をちょこちょこ伺う。それは、それなりに理由があり、証拠となるブツも見つかる可能性がある。あるいは、その伝承そのものを真実と仮定して地域の歴史史料に一回目を通してみることをお薦めしたい。ご先祖がどれだけ重い役割を果たしていたか(当時の地域社会で)が分かる可能性が高い。

 

私が仕事を通じて知り合ったある方は、経歴や言い伝えを聞く限り、戦国大名の傍系子孫だった。だが、その方は歴史に興味関心が高くないのか、ご存じでなかった(あるいは、うっすらご存じであってもその希少性を意識されていなかった)。

 

他人である私が力んで話すことでもないので、それなりに触れる形でとどめたが、こうしたケースは意外とあるのではないかと感じている。

 

一歩でも動くことで、事態が変わることもある。

 

仕事で付き合いのある方の御父上のお話だ。その方は先祖から「うちは戦国武将の家系だ」と言い伝えられてきたらしく、ある時期、自分の苗字にゆかりのあるとされる一地方の集落を訪れたという。すると、地域の住民から「殿が帰ってきた」と歓待されたというのだ。

 

もう数十年前の話だ。本当にその「殿」の子孫であるかは分からない。だが、御父上が実際に一歩を踏み出したことで、現代に至って予想もしていない出会いが生まれた。

これはとても素晴らしいことではないかと思う。

 

何か言い伝えがあれば、確かめてみること。少なくとも手と足と頭を動かしてみること。すると、何か新しい発見、感動、出逢いがあるかもしれない。おすすめしたい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~