おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【サラリーマン、家系図をつくる】1・自力でたどる醍醐味

私は地方都市に暮らすしがないサラリーマンだ。

 

10年ほど前、親父と酒を飲んでいたとき、ふと「家系図、つくれないか」と親父がつぶやいたのをきっかけに、作成に向けて動き出した。何の知識も経験もなかった。

 

だが、結論からいうと、父を含めて17代前(戦国末期)まで、実名(一部、戒名のみ)とともに遡ることができた。

 

ここまで書くと、名家か武家かと誤解されるかもしれない。が、違う。厳密にいうと、地侍の子孫だ。江戸時代は、侍ですらなかった。

 

こんなことも、家系図を調べだす前までは全く知らなかった。それまで、我が家の歴史など曽祖父ぐらいまでをうっすら聞いているぐらいだった。それが、自分自身も信じられないほどに遡れたのは、ひとえに亡き先祖たちの霊が励ましてくれたおかげだと思っている(私は特段の宗教心があるわけではないが、そう感じている)。

 

自分の歴史をたどることは、自分自身の、そして家の誇りを抱くことにつながる。とても大切な取り組みだと考える。

 

家系図には、直径の先祖だけでなく、その兄弟、妻、養子などが登場してくる。生年、没年が載っている。調べるほどに、若くして亡くなった人のなんと多いことか、驚かされる。

 

愛する息子、娘たちを、20に至るまでに9人も亡くしてしまった、そういう代の先祖も見つけた。

 

おそらく流行病にやられたのだろう。どれだけつらかっただろう。

 

縦に、横に広がる系図と、一つ一つのお名前を眺めているだけで、さまざまな思いが沸き上がってくる。それだけに、生き残った子孫の一人として、一族の歩みをしっかり記録し、興味を示してくれた親族たちに語り継いでいかねばと思う。

 

どこまでさかのぼれるかは各家庭によるだろうが、自分自身の手と足で探す努力をしていると、何か言葉で説明のできない不思議な力が働いて、一歩でも二歩でも前進できると私は信じる。

 

系図の線をつなぐ作業は簡単ではない。ミッシングリンクともいうべき空白が出てくる。そこがつながらなければ家系図としては完成しない。そこで諦めることなく、行政資料、家の過去帳、寺の過去帳、図書館の文献、親族の証言、墓石に刻まれている文字、こうしたものを一つ一つ目を皿にしてチェックしていくと、どこかで「はぁあああ」と思わず声が漏れるほどのキーワードに出逢ったりする。線がつながるのだ。自分で調べるからこそ味わう苦労があり、喜びがある。

 

家系図をつくるに当たっては、まったくの手探りで臨んだが、今考えると幾つか鍵となるツールがあった。それを一つ一つ、私の記憶をたどる形で、書き記していきたい。