おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【サラリーマン、家系図をつくる】12・史料のほうからやってくる

家系図づくりを通じて、親戚をはじめさまざまな方と出会ってきた。

 

史料を拝見させていただいたり、言い伝えを伺ったり、自分一人では知ることができなかった情報を得ることができた。大変感謝している。

 

いろいろ動いている中で、自然と地域の歴史そのものにも関心が広がり、史談会の史料などにも目を通すようになった。

 

そうした活動がどういうふうに伝わったのか分からないが、地域住民の方(私は存じ上げなかった)から、「代々保存してきた地域の史料があるので引き取ってほしい」と依頼が入ってきた。

 

歴史の重みがそのまま心理的負担になっているようだった。

 

私は歴史そのものに興味関心があり、喜んでお受けした。幅が10センチはあろうかという台帳だった。

 

江戸の時代、各地域には「講」という互助組織があった。人が亡くなったときには、地域を挙げて弔いをあげ、いくばくかの物資を捧げてきた。その帳面が残っていた。

 

野菜、金銭。誰が、何を、誰に捧げたのか。時系列に沿って、こと細かく記していた。

 

地域コミュニティーの密なつながりを実感させられた。私たちの先祖は、互いに身を寄せ合い、助け合い、生きてきたのだ。それは今では多少の息苦しさを感じさせるかもしれないが、こうすることで生き抜いてきた。

 

台帳には私自身の先祖の名もあった。ちゃんと寄付などもしていたようで、安心した。

 

私が責任をもって保管させていただいている、この台帳は、世界に二つとないものだ。そこには大名も侍も有名な商人なども登場しないし、歴史史料としての価値は乏しいかもしれない。だが、私自身にとっては、地域の先祖たちの足取りを記した貴重な宝である。

 

動いていると、史料のほうから近づいてきてくれることもある。何かの縁でやってきてくれた史料を、大切に守り、次の世代に引き継いでいくつもりだ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~