~簡単な自己紹介はこちらです~
自分の家の系図をつくる中、どこかで壁にぶち当たることになる。
新たな史料(1次ソース)が見つからなくなるのだ。
ここが限界かーと思わず膝を屈したくなりそうだが、諦めてはもったいない。
私が取り組んだことの一つに、
近所の名士の歴史も辿ってみる
ということがある。そういう家庭には大抵立派な古文書があり、公立図書館に寄贈されているケースが少なくないのだ。
私がよく参考にさせていただいたのは、地域の複数の庄屋さんだ。図書館にいけば「〇〇庄屋記録」といった形で江戸時代の記録が保管されている。
その地域で、侍の時代に何が起こり、住民の誰が何をしたのか、天変地異や土地の境界争いにどう向き合ったのか。さまざまなことが書かれてある。
そういった文献の中に、しばしば地元住民の名が記されている。お上に年貢減免を具申する際の連名による署名、などだ。
私はこうした文献の中に先祖の名をいくつか見つけた。地域が苦労しているとき、住民の一人として名を連ね、動き、地域のために力を尽くした先祖を誇りに思った。
「我が家は代々農民の家系だから」などと卑下することなかれ。意外と多くの人物が古文書には登場する。
もう一つ、名士の歴史には参考になる情報がある。地域のコミュニティがいつ、どのような形で形成されたのかについての概観を推し量ることができる。
意外に聞こえるかもしれないが、日本は昔から小規模ながらも「移住国家」だった。戦国の世が終わり、江戸の時代が始まった際、封建領主は転封につぐ転封で領土をあちらこちらへと移された。それに伴い、配下の武士や町人、とりまきの人たちがごっそりと移動して回った。
さらにさかのぼって、鎌倉・室町の時代にも人の移動はあった。特に鎌倉初期は各地に守護として有力武士が赴任することになり、配下の侍たちが付き従った。この数が意外と多いようで、名字を聞けば「あ、あの三浦半島の出の一族だな」と推測できることもある。
日本の地方都市にいたるまで、過去数百年の間に実に多くの割合の人たちが大移動を経験している。たまたま移動しないまま明治を迎えた人もいるかもしれないが、そこは調べてみないと分からない。
その点で、名士の古文書には由来がはっきり書かれていることが多く、地域の歴史を知る上でも大いに参考になる。私の住んでいる集落は、どうやら戦国末期の戦禍を逃れ、ある地方から移ってきた人たちがつくりあげたコミュニティである可能性がある(ただこれは調査した複数の名士の記録に記されている情報。地域全体に敷衍して考えてよいものかは分からない)。
まあこのようなことで、土地の名士の記録には地域全体の成り立ちを推し量る手がかりが詰まっている。ぜひ目を通してはいかがかと思う。
~お読みくださり、ありがとうございました~