【歩き旅と思索】 ~15・自分と合わないものにも交わる~
~簡単な自己紹介はこちらになります~
歩き旅の良さの一つは、自分のペースで、自由気ままに、ゆっくりと1日を満喫できるところにある。
ただ、それがそうもいかないときも、ある。
学生時代、広島県は岩国市から山口県に入ったあたりを歩いていたときのことだ。
何ということもない、田舎道の交差点で信号待ちをしていたら、後ろからきた1台の自転車が止まった。
乗っていたのは初老のおじさん。「旅、してるの?」そんなことを尋ねてきた。ザックをしょった私の姿に、長旅であることを理解したのかもしれない。
おじさんも、これまた自転車で長距離の旅をしているとのことだった。確か北海道から下っており、このまま鹿児島、そしてフェリーで沖縄まで目指すのだという。
徒歩旅の私と、自転車旅のおじさん。そこから、お互いに何かを申し出るというわけでもなく、並んで歩き出した。なにせ、向かう方向が同じだからだ。
私は正直にいうと、一人で風景や言葉の変化を味わいたかったから、おじさんが「じゃ」と言い残して去るのを待っていた。だが、おじさんのほうはそうではなかったようだ。
自分が会社の役員をしていること、中小企業だが、最近は有名どころの大学生も入社してきて鼻が高いこと、それから、もろもろ、子どもさんのことなど、はっきりいって自慢話を延々と続けてこられた。
これじゃ、風景も言葉も楽しめないよ。
気が滅入った。だが、「すいませんが私は一人で旅をしたい」などと言い出せる雰囲気でもなく、ひたすら横で「はい、はい」とうなずくしかなかった。
そこから、おじさんと並んで歩く旅が1週間近く続いた。
気が、重かった。この間、山口県の自然や旧跡、スーパーなどで山口弁を耳にする機会が、なくなった。聞こえてくるのはおじさんの自慢話ばかり。
昼間は元気なおじさんも、夜になると恐がりになるようだった。当時は私もゲリラ的に野宿をしていたので、どちらが言い出すでもなく、日が暮れるころになると「あの神社の境内にテント張ろうか」などと言い出した。私は寝るときぐらいは一人になると決めていたが、おじさんは怖いようで「あれだったら俺のテントで寝てもいいよ」と誘ってきた。それだけは勘弁つかまつるとばかりに、体よく断った。
いつまでこの旅は続くのか、と思っていたところ、関門海峡を抜け九州に入ったところで、行き先が別れた。おじさんは熊本方面。私は大分ー宮崎方面。惜別の辞を語るでもなく、お互いに言葉少なく「じゃ」と別れた。
今考えても、おじさんとの1週間はどんな意義があったのだろうかと思う。いや、意義も何もないのかもしれない。ただ、私の心の底にふつふつとした不満がたまっていたことは認めざるをえない。
少し損をしたような気もするが、これも旅の貴重なワンシーンなのかもしれない。人生、自分の思うようにばかりはいかないのだ。旅もしかり。
感動があったわけではないのに、今もずっと記憶に残る、おじさんとの1週間だった。
~お読みくださり、ありがとうございました~