おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【サラリーマンの英検1級攻略術】~17・SNSで海外の生文化を知る~

限られた時間と予算の中で、英検1級に合格したい!という社会人の方をイメージしながら書いている。

 

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英検1級に直接関係する話ではないかもしれないが、欧米の文化について理解を深めておくことはとても有益だ。

 

書物から得る知識も大切だが、できれば現在進行形で起きている出来事や人々の生の感想も知りたいところだ。

 

こうしたとき、非常に役立つツールがある。過去に何度か紹介しているが

 

hellotalk

 

世界中の外国語学習者を対象にした、無料アプリだ。私は昨年2月ごろから使っている。非常に重宝している。

 

hellotalkにはタイムラインという機能(共通掲示板のようなもの)があり、何か投稿すれば旬なものから上に掲載されていく。

 

その投稿内容が、それぞれのお国柄を反映していて、読んでいるだけで実に面白い。

 

先日はアメリカ在住の多くの人々が

 

easter

 

について記載をしていた。「我が家では卵をこんなふうにペイントしたよ」などといった感じだ。

 

私はクリスチャンではないのでその文化をよく知らなかったが、ある投稿者に質問すると、英文で詳しく教えてくれた。ご存じの方も多いかと思うが、キリストの復活を祝う伝統行事とのことだ。卵をその象徴ととらえ、大切にしているのだという。

 

そういえば、年明けのころは「New Year's Resolution」についての投稿が目立った。日本語でいえば「新年の抱負」といったところか。こんな言い方をするんだ。勉強になった。

 

中国のほうでは、2月の春節がやはり面白かった。この時期は日本の正月に当たる。家族と過ごすのが定番。色鮮やかな家庭料理を数多くの人々が投稿していた。中国大陸は広く、その料理も地域によってさまざま。眺めているだけで旅をしているような気分になる。

 

話がそれたが、こういった語学学習者用アプリは語学そのものに加え、お互いの文化を知り、学ぶうえでも非常に有益なツールだと感じている。

 

hellotalkだけでなく、他にも同様のアプリは多数あると考える。自分にあったものを探し、うまく使うことが語学力・異文化理解力アップの足がかりになるのではないだろうか。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【歩き旅と思索】 ~12・歩くスピードだからこそ感じ取れる風景美

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一歩ずつの移動には、ほとんど風景の変化はない。やや飽きることもたびたびだ。だが、それだからこそ、視界が突然開けたりすると、言葉にならない感動を覚える。

 

静岡県は沼津から西海岸に向かって歩みを進めていたときのことだ。


海岸線に出るため、しばらくクネクネと続く上りの林道を抜ける必要があった。これが結構、傾斜があり、ひざに負担が掛かった。

 

頃合いは夏。ちょうど木陰に守られる形になり、助かったが、どこまで続くのか分からない上り道を進むのは正直、気が滅入った(当時はスマホがなく、地図を頼りに歩くしかなかった)。

 

1時間半ほど歩いたころか。「もう勘弁してくれぃ」と誰もいない山道でぼやいていると、不意に、明るい陽射しがまぶたを照らした。道が開けたようだ。

 

数歩進み(記憶の限り。本当はもうしばらく進んだかもしれない)、言葉を失った。

 

大海原が、広がっていた。

 

右手に富士、左手にはどこまでも続く太平洋。


いつしか自分は、かなりの高さがある崖のてっぺんまでたどり着いていた。そこから眺める景色は、また格別だった。陽射しをいっぱいに浴び、照り返す海原は実に雄大で、眺めているこちらまで心がどこまでも広がっていきそうだった。

 

もう一つ、驚きがあった。これだけ広大な景色なのに、波の音が、全く聞こえなかったのだ。

 

全くの、静寂。車の行き交う音もしない。これだけの見事な光景を、私一人が独り占めさせてもらっているような、特別な感慨を覚えた。ありがたい、と感じた。

 

どこまで続くか分からない林道で、鬱々と歩を進めてきたことが、この景色の美しさを味わう伏線になった。そう感じる。

 

その後、社会人となり、家族を連れレンタカーでこの地を訪れた。感動をシェアしたかったからだ。家族はもちろん感動してくれた。だが、私が歩き旅で感じたような胸の高鳴りまでは共有できなかったようだ。私の欲張りというべき期待だった。

 

こうした体験を、他の地を訪れたときにも感じている。「むおおお」と言葉にならない叫びが口を突いて出たことがある。それはまた別の機会に触れたい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【サラリーマン・癒やしの和歌】2・センチな心に万葉は響く

万葉集の素晴らしいところは、自然風景と人の心が歌を通して見事に一致していることだ。

 

見たもの、聞いたもの、触れたもの感じたものに、自分の心をそのまま重ね合わせる。自然に対して優しくなれる。そう感じる自分の心も柔らかく、温かくなる。癒やされる。

 

万葉の優れた歌を紹介する本を読み、次の一首を知った。

 

夏の野の

繁みに咲ける

姫百合の

知らえぬ恋は

苦しきものそ

 

(巻8・1500)

 

大意を説明する必要すらないかと思われるが、念のため

 

夏の野の

茂みに咲いている

ヒメユリのように

(他の雄々しく生える雑草に隠れ、その存在を)気づいてもらえない恋は

苦しいものですよ

 

まるがっこの部分は、私の類推だ。詠み手の本意とは違うところがあるかもしれないが、受け止め方は自由ということでご容赦いただきたい。

 

とにかくこの歌、詠み手の繊細な心境がひしと伝わってくる。

 

詠み手の女性(ヒメユリ)が自らの思いを伝えたくても、

他の人々(周りの雑草)を押しのけてまでするずうずうしさは発揮したくない。

ただ、相手(ヒメユリのそばを通り掛かる人)に気づいてほしい。

 

野に咲く花に自らを重ね、現代人の心にも響く歌を詠み上げた。

 

万葉の時代に生きた人々の、みずみずしい心とものの見方に、心が洗われる気持ちがする。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

 

 

 

【サラリーマン、家系図をつくる】8・複数史料の共通点をくまなく調べる

~簡単な自己紹介はこちらです~

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一族の史料が満足に見つかるケースはほとんどないだろう。

 

家系図をつくるにしても、どこかで必ず抜け落ちたミッシングリンクに出くわす。

 

気がなえかけるが、そこで諦めてしまってはもったいない。

 

ヒントはどこかに必ず埋もれている、少なくともそう信じて、根気よく史料をなめまわすように調べつくすことが大切だ。

 

私の場合、明治期までは実家の仏壇にある過去帳自治体の保管する除籍謄本を頼りに明治初期までスムーズにたどることができた(ここまではどこのご家庭でも可能のはず)。

 

そこから上は、一族(私の属している「分家」)の過去帳に記載がなかったため、分家の墓地を訪れ、墓石の一つ一つに刻まれた文字をワードで文書化していった。

 

それぞれの没年、墓石側面に時折刻まれている家族関係、戒名に出てくる単語(「到」「接」などの文字)などから、親子・兄弟姉妹関係を推測していった。

 

こうして、江戸中期ごろまで直系の家系図をつくりあげた(推測による部分はあるが、相当の信憑性があると自分では考えている)。

 

ただ、そこから上にたどる作業で難渋した。

 

我が家は分家とされていたため、本家とどこで分かれたかを調べる必要があった。本家とされる方の了解を得て、本家の家系図をすべてコピーさせていただくこともできた。だが、本家の代々当主や兄弟に、私の調べた分家当主たちの名前(俗名or戒名)は一人も見つけることはできなかった。

 

非常に落胆した。

 

だが、あきらめたくなかった。本家の過去長に登場する100人以上の人々の名前、分家の墓石に刻まれた名前の一つ一つを、あらためて調べた。

 

あるときだった。分家の墓石に刻まれた「清心尼」という文字に目がとまった。

 

たしか、本家の過去帳のどこかで見た。

 

史料を見直した。戒名の一部に「清心尼」という単語がある人物が、たしかにいた。

 

女性だったのか。

 

盲点だった。分家するなら男兄弟だろうと思い込んでいた。そうではなかった。

 

江戸中期の本家当主の兄弟姉妹の一人に、清心尼という戒名の女性がいた。妹だった。その方は、外から婿養子をもらい家を出たようだ。出た後も同じ名字を名乗り、その一族が現代に到っているのだと分かった。

 

推測の信憑性を確かめるため、お寺さんの過去帳も調べた(お寺さんの了解の上で)。そこにも「清心尼」の名があった。在住地は代々分家が暮らしている土地だった。

 

本家の系図とつながったことで、さらに数代さかのぼり、戦国末期まで実名(俗名or戒名)でたどることができた。計17代。

 

こうやって書くと簡単そうに聞こえるかもしれないが、実際は苦労した。なんといっても、答えが見つかるかどうか保証のない調査である。週末に貴重な時間を費やして調べることに、徒労感を抱きかけたのも事実だ。しかし、なんとも諦めきれない気持ちがあり、しこしこと4カ月間、調査を進めていった。結果がともったとき、実に晴れ晴れとした気持ちになった。

 

何より、ご先祖さまとつながったことの喜びが大きかった。

 

一族の直接の史料に基づいた調査は、上記でおおむね完了した。

 

だが、純粋な好奇心はそこでやむことがなかった。

 

さらに上をたどるための試みを始めた。

 

公文書、古文書の調査だ。

 

これについてはまたあらためてお話したい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【サラリーマン・宇宙感動記】4・巨大なディスク

夏の夜空の見どころといえば

天の川だろう。

東洋では「川」に見立て、西洋では「ミルクの道(ミルキー・ウェイ)」とみた。

どちらも星々の散らばりを雄大な流れと受け止め、さまざまに物語を創造した。

私は40手前で星空に興味を持つまではほぼ全く意識することがなかったが、

あらためて見つめ直し、多少の知識を得ると、実にスケールの大きいステージを毎晩目の当たりにしていることに驚き、少し震えた。

夏の星座である、射手座の矢の先と、さそり座の尾っぽが交わるあたりに、私たちの住む天の川銀河の中心部がある。

この中心部には巨大なブラックホールがある。

それを中心として、億兆の星々が、ほぼ同じ平面上に並んで連なっている。

私たちの太陽系は、その連なりのやや外側に位置している。

ちなみに、星々は中心部に近いほど多く集まっている。

そのため、中心部を眺めると無数の星々がまるで川かミルクのように密度の高い空間として迫ってくるわけだ。

瞳に映るのは、単なる星々の太い道(川)にすぎない。だが、こうした多少の知識と想像力を踏まえて眺めてみると、実は1枚の壮大なディスクが広がっており、その上に私たちの太陽系が乗っかっているのだと気づかされる。

なんとまあ、壮大な円盤の上で私たちは存在していることか。

 
ふぁあ
 
40にして、深夜にため息が漏れた。
 
~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ~第20話・殿様の悲哀(上)~

余(よ)は、生まれる時代を間違うた。

 

ときは17世紀。寒風吹きすさぶ、越前国・福井。ここで長らく殿様を務める藩主・松平忠直(ただなお)公の気持ちは、深く沈んでいた。

 

江戸幕府の開祖・徳川家康公の孫として生まれ、何不自由ない幼少期を送った。恵まれすぎた環境は、しかし「足ることを知る」という健全な倫理観を少しずつむしばんだ。

 

幕府誕生から15年後、最後の内戦・大阪冬の陣で大勲功を挙げたが、恩賞が少ないと不満を爆発させ、幕府との間に亀裂が深まっていった。

 

不満、不信の矛先は自らの領国に向いた。ささいなことで癇癪を起こし、遂に家臣を殺めるほどの乱行を繰り返すようになった。その結果、幕府から隠居を命じられたのである。

 

頼んでもないのに、偉い武将の家系に生まれ、統治者の座に座らされた。自由があるようで、何もない半生だった。せめて一度、違う世界をのぞいてみたい。この時代ではない、どこかを眺めてみたい。

 

数奇な運命の下に生まれた男の願いは、時空を超え、一人の男の心に届いた。人助けのヒーローこと「ざんねんマン」。都内のアパートで一人夜食をとっていたが、味噌汁を勢いよくすすり上げると、机の引き出しを空けて自作のタイムマシーンに飛び乗った。

 

時空トンネルを抜けたところで、ご対面。忠直公、驚きと喜びを全身で露わにした。「そちが、余の願いを叶えてくれるのか?!」

 

そうですね、本当は時空をゆがめるようなことは許されていないのですが、願いが切実なようですので、ほんの少しだけご案内しましょう。

 

21世紀の東京。ざんねんマンの暮らすアパートの一室にご案内した。殺風景な部屋ながら、窓越しに街中を行き交う人々が見える。と、1台の原付バイクがブイーンと駆け抜けた。

 

「おお、なんと速く走る乗り物なのじゃ!」

 

忠直公、興奮で窓にかじりつく。続いて現れたるは二人乗りのオープンカー。実におしゃれなデザインだ。ハンドルを握る妙齢の美しい女性に目を奪われていると、車道に沿って走る鉄路を特急列車がゴゴゴーと轟音を立てながら追い抜いていった。

 

「な、なんと・・技の進んでいることか!」

 

とどめを刺すように、ざんねんマンが空を指さした。その先には、ちょうど離陸したばかりの飛行機。「あれはですね、たくさんの人を乗っけて、遠いまちに運んでくれる乗り物です」

 

忠直公、もはや驚きで言葉も出てこない。「江戸から京まででしたら、湯あみをするぐらいの時間で、着いてしまいます」との説明も、耳に入っていない様子だった。

 

腹が減っては戦ができぬとばかりに、ざんねんマン、出前でラーメンを注文した。ややあって自宅に届いたのは、とんこつラーメン、餃子、キムチ、炒飯。「殿様、どれでもお好きなものを」と勧めると、忠直公は殿様らしく、遠慮なしに箸を伸ばし始めた。

 

う、うまい・・。この、胡椒の効いた飯は、最高じゃな。そちたちは、こんな美味な馳走を、毎日口にしておるのか。さてはおぬし、どこか高貴な家の出の者か・・

 

いや~まさか。私はただのしがない会社員ですよ。みんな、これぐらいの出前はとれる生活を送っています。

 

見るもの、聞くもの、口にするもの。すべてが新しく、美しく、素晴らしい。しかも、既に殿様のような職業はなく、みんな平等らしい。忠直公、自分より400年後に生まれた世代の暮らしを、心から羨ましいと思った。わしも、この時代に生まれたかった・・

 

「すまぬ、ちょいと厠に」

 

忠直公が腰を上げた。ざんねんマン、トイレに案内した。洋式便座の使い方を教えてあげた。それでは殿様、ごゆっくり。

 

10分後、トイレのドア越しに、うめき声ともあえぎ声ともつかぬ音が漏れてきた。

 

「おおっ、おぅ、おふう~~」

 

それはまさに、殿様がウォシュレットの水しぶきを受けている瞬間なのであった😅


バタン


戻ってきた忠直公の瞳には、感動と、安らぎが浮かんでいるように見えた。

 

技術は進んでいる。民(たみ)の暮らしも豊か。余のように、生まれながらに仕事を運命づけられている者は多くないらしい。これほど素晴らしい社会が広がっているとは。

 

「おぬしの時代は、まこと素晴らしい。もはや、民には悩みも憂いも、何もないのじゃろうのう」

 

忠直公の希望に満ちた表情とは対照的に、ざんねんマンはやや寂し気にうつむいた。

 

「そうです。と答えられれば、よいのですが」

 

~(下)に続く~

 

週末出動!

 

 

 

【サラリーマンの英検1級攻略術】~16・BBCニュースがやっぱり役立つ~

限られた時間と予算の中で、英検1級に合格したい!という社会人の方をイメージしながら書いている。

 

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英検1級に合格するには、語彙力と長文読解力を磨くことが欠かせない。

 

時事ネタをベースにした、最新ワードを交えた文章が望ましい。

 

難解すぎてもよろしくない(1級の文章題はそこまで難解というわけではない、学術論文ではない)。かといってくだけたエッセーだと物足りない。

 

中間の、文章のボリュームもほどほどで(5分程度で読み切れる)、起承転結のはっきりしたものがいい。

 

もろもろ考えると、やはりBBCニュース(オンライン版)がベストあるいはそれに近いと考える。

 

何より、文章が読みやすい。ほどよい程度に知らない単語と出逢う。そういった単語は実用的で、覚える価値がある。1級合格後も使える。

 

振り返ると、私自身はBBCニュースに非常にお世話になってきた。

 

いわずもがなだが、閲覧無料だ。これも大いに助かった。

 

スマホ用のアプリもある。それを落とせば、通勤途中でも簡単に読める。

 

まだ試したことのない方にはぜひおすすめしたい。

 

あと、その他「ここのサイト、いいよ~」というのがあったらぜひ教えていただきたい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【歩き旅と思索】 ~11・考えることの限界

学生時代、「存在」というものについて考えた。

 

積極的に考えたかったわけではない。自分が存在するということ、他人が存在するということ、この世の中のあらゆるものが存在するということが、本当にそうといえるのか、確信が持てなくなったことが根っこにある。

 

思春期であればだれもが程度の差こそあれ抱く疑問ではないかと思う。私もその一人だった。私の場合は、その疑問と表裏一体の形で、不安が伴った。

 

瞳に映るものが、映るということをもって、どうして「ある」とみなすことができるのか。手にものを握る、そのものの感触、重さの感覚をもって、存在するといえるのか。何とも不確かな認識で我々人間が暮らしているように感じられ、ひどく不安にさいなまれた。


そこからの脱却を図るために始めたのが、哲学と歩き旅だ。最初に取り組んだのが哲学。ハイデッガーデカルトなど古の賢人の著作に当たってみた。疑問については「その通り!」と膝を打つ指摘が多かったが、打開策については納得できる説明がないように感じた。

 

たとえばデカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り」は、「思う」という現在進行形で進む行為・現象自体を存在の根源に据えるという点で根拠がしっかりしている。しかし、その後に続く「われ在り」で輪郭がぼやけた。

 

どうしていきなり「われ」が登場するのか。ただ単に「思う」という行為があるだけではないか。強いていうなら、「思う」という行為を統べる主体を、仮に「われ」と呼んでいるだけではないか。行為が先にあり、「われ」は後から結果的に類推される架空の存在にすぎないのではないか。

 

若造の屁理屈とみられるだろう、その通りだ。が、とにかく私は存在にまつわる不安を解消したかった。

 

で、歩き旅を始めた。考えても答えは出ない。自分の体で、存在を成り立たしめる「空間」を感じるしかない。

 

香港スターがいったように、「考えるな、感じるんだ」の中に、真実があるのだろうと考える。

 

まだまだ歩きも足りない、疑問も不安も解消することはできない。それでも、やはり歩く中で得る感覚、気づき、発見というものは、ある。地球上の、さらに過去にさかのぼってみれば、同じようなことで悩み苦しみ不安に陥っている(陥った)人も少なくないのではと考える。その人たちに(あるいは未来の人たちに)何か安らぎとなる言葉を伝えるべく、今後も仕事の合間を縫って、ちびちびと歩き旅を続ける。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

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【サラリーマン・癒やしの和歌】1・疲れたこころに染み入る

社会人となり、会社組織でかわいがられしごかれ、少々息切れがしてきたころのことだ。入社1年をすぎたころだったか。

 

仕事で回る先の方が体育会系の方で、お話をしているだけでエナジーをもらえていた。

 

知識を誇るような方ではなかったが、あるときふと和歌の話に触れられた。

 

昔の日本人の詠んだ歌には、いいものがたくさんあるという。

 

一つ、作品を教えてくれた。

 

思ひ出づる

時はすべなみ

豊国(とよくに)の

由布山(ゆふやま)雪の

消ぬべく思ほゆ

 

王侯から庶民にいたるまで、あらゆる人々の作品を集めた歌集・万葉集の一首(第10巻・2341番)だ。

 

大意は以下のようなものだ。

 

(慕っているあのひとを)想い出すときは

(何も手に付かず)どうしようもない

豊国(豊後の国。現在の大分県)にある

由布岳にうっすらつもった雪のように

(あっという間にとけて私が)消え入りそうなほど(に切ない)

 

歌は、その方の出身地を舞台にした作品だった。

 

九州の山は、冬に一時的に雪をたたえることはあるものの、温かい気候のためすぐに溶けてしまう。その雪のはかなさに、詠み手は自らの心を見いだしたようだ。

 

自然の光景と、自分のこころが一致した、見事な歌だと私は感じた。

 

その方から、万葉のいくつかの歌を教わった。

 

そこから、自分でも万葉集を購入し、好きな歌を少しずつ発掘していくようになった。

 

自然風景と見事に溶け合った、素晴らしい感動の世界が広がっていることに気づかされた。

 

家持、憶良、虫麻呂。こうした天才歌人たちに加え、詠み人知らずの作品の中にも、現代人のこころを打つ珠玉の作品が実に多いことを知り、驚かされた。

 

仕事に、暮らしに、人間関係に疲れた現代人を、こうした歌のひとつひとつが癒やしてくれるだろうことは疑いないと私は考える。

 

一首ずつ、自分自身のこころに深く響いた作品を紹介していきたい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

 

 

 

 

 

【サラリーマン、家系図をつくる】7・過去帳より昔の先祖を調べる方法

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多くのご家庭には過去帳があると拝察する。亡くなった祖父母やその両親、そのまた両親・・と続いていく。

 

ただ、よほどの名家でない限り、明治期あたりまでさかのぼったところで途切れているところが大変ではなかろうか。

 

ここから上を、どうたどるか。私の実体験を踏まえて提案したい。

 

最も効果的な方法は、お墓を調べることだ。一族の墓が眠る地に足を運び、墓石の一つ一つについて、正面・両サイドに刻まれた文字を解読していく。スラスラとはいかないので(苔むしていて読みづらいこともある)、とりあえずデジカメなどで撮影してデータ化する。

 

先祖、その両親、その両親ーと代々のお墓が並んでいるはずだが、誰と誰が親子関係にあるのか、そうそう簡単には分からない。解き明かすカギは二つある。

 

①没年から親子関係を推測する

②墓石に刻まれた戒名を調べ、親子関係を推測する

 

①については比較的簡単だ。亡くなった時代から(例えば享保など)、同時代に生きた人を夫婦ないしは兄妹と推測することができる。墓石の側面には「◎◎妻」などと関係が書いてあることもあるので、大いに参考にしたいところだ。

 

②についても意外とヒントが詰まっている。私の場合、ある代の戒名(夫婦)で「到」「岩」「接」といった文字があった。その二人の時代からややくだった時代(30年程度)に没した人(特定の一人)にも、同じ文字がたまたまあった。こうした関係から、二人とこの人物は親子関係だろうと推測した。これはもちろん個人的な推測に過ぎないが、同じ墓地に葬られていることなどから、あながち的外れではないと考えている。

 

私はこの手法を使い、江戸後期から上に4代分をさかのぼることができた。

 

以前書いたが、私の家は「分家」であると父から聞いていた。本家とされる方にも協力を仰ぎ、本家の過去帳(戦国末期~現代)をコピーさせていただくこともできた。さあ、これで家系図の完成だ、そう期待していたが、簡単にはいかなかった。

 

私、父、祖父・・と分家のルーツを現代から上にたどっていき、上記の方法などで江戸中期ごろまではさかのぼることができたが、分家当主の名前(俗名・戒名)を本家過去帳の中に認めることができなかったのだ。

 

困った。分家といいながら、どこで枝分かれしたのか分からない。このままだと、うちは本家とされる家とは縁もゆかりもないという話になる。

 

本家の過去帳には歴代当主の兄弟姉妹が無数に記載されていた。しかし、男の名前に該当する人物は見当たらなかった。

 

数週間ほど、頭を抱える日々が続いた。

 

突破口を切り開く上で手がかりを与えてくれたのが、分家の墓地だった。この点については次回詳細に記載したい。どなたかのお役に立てれば光栄だ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【サラリーマン・宇宙感動記】3・太陽系内の「命」

私たちの太陽系内で、今のところ生命が確認されているのは地球だけだ。

 

だが、世界中の優れた科学者たちによると、ほかにも命が見つかる可能性があるらしい。

 

個人的に期待するのは、

 

土星の衛星・エンケラドゥス

 

外見は何ということもない、氷の星だ。

 

だが、暑さ数キロ~数十キロに及ぶ分厚い氷の層の下に、液体の水の世界が広がっているという。

 

土星の強力な重力が引き金となり、この一見静かな氷の星の地殻が刺激され、中心部で高熱を発しているらしい。ちょうど地球の深海で起きている現象と同じだ。超高圧・高温の世界でも、活動している生物は地球にもいる。それと同様に、あの輪っかが印象的な惑星の近くで、ひそかに命がはぐくまれているのかもしれない。

 

それは私たち地球人の想像を全く超えた存在であるかもしれない。永遠の闇の中で暮らす彼らにとって、時間という概念はないかもしれない。光もない。視覚というものがない。触覚や聴覚を研ぎ澄ました、特別な空間・時間感覚の中で命をつむいでいるのだろう。

 

数年前、土星の探査機・カッシーニエンケラドゥス付近を通過し、氷の地表から吹き上がる水の柱を確認したという。その水分を詳しく調べれば、生命の痕跡がつかめるかもしれないそうだ。楽しみはつきない。

 

宇宙でただ一つだけかと思われていた生命が、地球のほかにもあるということが分かれば、実に素晴らしいことだ。

 

我々は孤独ではない。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【お得感を出してポン】~親離れしかけのチビを抱っこしたいときの秘策~

こんにちは。おっさんです。

 

子どもも小学校中学年をすぎると、だんだん親の膝に乗ってくれなくなります。

 

特に娘。

 

少しずつ自立心が芽生えていく娘に対し、父親のほうはというといつまでも抱っこ抱っこしていたい。

 

「◎◎ちゃん、お膝、おいで~」

 

呼びかけても、昔のようにおとなしく乗りにきてはくれない。

 

私はいろいろ試しました。そのいくつかは、多少功を奏しました。

 

寂しいお父さん連中のために開陳します。

 

「◎◎ちゃん、お父さんお膝、おいで。もう、お父さん明日、あれだから」

 

ちょっと寂し気に話しかけます。お父さん、明日から、なんなんだろう。出張かな。しばらく、帰ってこないのかな。

 

心配そうな顔で見上げる娘を、優しく抱きしめる。やったね。うっしっし。

 

まあ、明日から「また仕事がはじまる」というだけの話なんですけどね。

 

嘘は言ってない。ただチビが勘違いしただけ。

 

何回もやるとさすがに引っかからなくなりますが、これで数回は抱っきんこに成功しました。コツは、少し寂し気なトーンで語り掛けることです。

 

これで通じなくなったら、また別のを考えたらいい。

 

ほかの作戦も編み出しましたが、また次の機会に開陳します。

 

世のお父さん方、一緒にがんばりましょう。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ~第19話・亡き人を偲ぶ~

こらえようと思っても、こぼれる涙を止めることができない。

 

公私でお世話になった、人生の先輩が、世を去った。


急性期の病におかされていたらしい。人づてに調子が悪いとは聞いていたが、まさかこれほど早く、あっけなく逝ってしまうとは。

 

玄関前のポスト。訃報のハガキを手にした誠は、しばし立ち尽くした。

 

亡くなった方は、仕事の取引先の社長さんだった。事業規模は大きいのに、いばることの決してない、人を気遣うことのできる人物だった。年齢が2まわりも違うのに、当時30代だった誠にも気さくに声を掛けてくれた。よく居酒屋に連れていってくれた。スナックには何度一緒に行ったことか。もう一人の”呑み仲間”と一緒に、マイクのリレーをした光景が忘れられない。

 

その人のおかげで、楽しい思い出をたくさんつくることができた。せめて、生きている間に、感謝の言葉を伝えたかった。いや、何とかして伝えたい。今からでも何かできないか。誰か、智恵を与えてほしい。

 

真摯な祈りを、一人の男がしかと聞き届けた。人助けのヒーロー、人呼んで「ざんねんマン」。東京は荒川の河川敷でジョギング中だったが、よいさぁと掛け声よろしく誠のいる金沢へと飛び立った。

 

「誠さん、その方のこと、本当に好きだったんですね」

 

ざんねんマンの問いかけに、誠は深くうなずいた。はい、あの方の純粋な人柄が、本当に好きでした。人としてね。いつも明るく、笑顔でした。しかも、人の悪口は言わないんです。一緒にいるだけで、安らげました。失礼な言い方になるかもしれませんが、僕にとっては年の離れた親友のような存在でした。

 

彼を慕う人々に気を遣わせまいと、最期まで病状の進行状況を詳らかにしなかったようだ。お葬式も家族でひっそり執り行ったと、ハガキにつづられていた。去り際も本当に、あの社長さんらしい。

 

「私にも、そんな人がほしかった・・」

 

いつもは能天気な様子のざんねんマンが、しんみりとつぶやいた。

 

ヒーロー稼業は見た目ほど華やかではない。日ごろは身分を隠し、しがないサラリーマン生活に耐えなければいけない。正体がばれると、みんなが頼ってくるかもしれないからだ。誰ともつかず離れずの関係でやっていくからこそ、いざというときに本領を発揮できる。やりがいはある。ただ、寂しさはぬぐえない。

 

「親しい人との思い出があること自体、うらやましいです」

 

心から恨めしそうに見上げられた誠は、面食らった。慰められるかと思いきや、むしろ嫉妬されるとは まあ確かに、社長さんといると楽しかったですよ。カラオケで歌っていたクラプトンの「crossroads」は、シビれたなあ。スナックのママさんは「てっちゃん」って親しげに話しかけてたなあ。

 

「誠さんの話を聞いていると、その『てっちゃん』さんが目に浮かぶみたいだぁ」

ざんねんマンに、笑顔が戻った。

 

記憶とは不思議なものだ。その人の胸の内にある限り、それは既に躍動力を失った「過去」にとどまる。だが、ひとたびそれが誰かに語られると、今まさに展開する「体験」としてよみがえるのだ。

 

語っていこう、あの人のことを。

 

誠は深く息を吐き、吸った。「ありがとう、ざんねんマン。心が晴れました」

 

寂しさはぬぐえない。それでも、あの人のことを語れば、聞いた人の心の名で、生き生きとよみがえる。今まさに、ざんねんマンの瞳の向こうでは、スナックのソファから立ち上がったてっちゃんが、拳を握ってのどを震わしているじゃないか。あの人のことが心に浮かぶたびに、思い出を語ろう。それが、あの人の供養になり、心の交流になるのだ。

 

瞳に光が戻った誠を見て、ヒーローもひと安心した。「僕も何か、元気もらえました」

それじゃ、と帰途に就いたざんねんマン。澄み渡る夕暮れ空を気持ちよさげに泳ぎながら、「今晩はスナック行ってcrossroads歌おう」と早速てっちゃんの友達を気取るのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【歩き旅と思索】 ~10・文明という礎の上で生きる私

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歩き旅では、乗り物の利用は極力控えている。

 

なるべく文明の利器に頼らず、自分の脚を動かし続けることで、暮らしている空間の広がりを実感したいと考えるからだ。

 

だが、それは無茶であり、我が儘だと自省する。

 

九州は東海岸の漁村を歩いていたとき、路面が異常にムックリと盛り上がっているのに気づいた。

 

盛り上がりの近くには、何の木か分からないが、これまで不自然な方向に伸びる樹木があった。

 

おそらく、その樹の根っこだろう。

 

人間の都合で勝手に固いアスファルトに覆われ、何とも苦しそうな、あるいは、そんな人間文明の都合には簡単に負けぬぞといわんばかりの、生命力を感じた。

 

私は自然人を気取って歩く旅をしているが、何のことはない、しっかりと現代文明の恩恵(道路というインフラ)に預かり、自然に犠牲を強いる中で旅を味わっているのだ。

 

江戸時代の人のように、純粋無垢の自然人、旅人にはなれない。そのことを自覚した上で、それでも自然に関心を抱き、感謝し、現代人なりの旅を続けていきたい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

【サラリーマンの英検1級攻略術】~15・日本人がスピーキング苦手な理由について考える~

限られた時間と予算の中で、英検1級に合格したい!という社会人の方をイメージしながら書いている。

 

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ojisanboy.hatenablog.com

 

日本人はよく、「読み書きはできるが話す・聞くのが苦手」といわれる。

 

まるで日本人の語学力が欠落しているかのような、得体のしれない劣等感のようなものを植え付けさせられているような気がする(自分たちが自分たちに)。

 

これはなぜか。私自身も確かにスピーキングが苦手だったので、理由をつかみあぐねたまま30代を迎えていた。

 

英検1級を目指して本格的な勉強を開始して以来、その理由が自分なりに見えてきた。あくまで私見だが、単純だ。

 

書き言葉と話し言葉はまったく違う

 

ということだ。文章として接する英語と、音声として触れる英語との間では、使う単語やフレーズが全く違うのだ。それこそ違う言語かというほど。

 

あなたはどう思いますか

 

この内容について、書き言葉であれば「what do you think」とするだろう。学校なら◎をもらえるはずだ。だが、アメリカの映画やドラマなどを見ていると、これだと少しきつい印象を与えるようだ。代わりに

 

what's your take?

what are your thoughts?

what do you make of it?

 

こんな表現を耳にした。takeって、何だっぺ?そんなぼやきが出てきそうだ。こんなの、日本の教科書に載ってなかったぞ。先生に文句の一つや二つも言いたくなる。

 

それぐらいに、話し言葉と書き言葉の間には違いがあるのだ。

 

ということで、話し言葉を学ぶ上では、まるでゼロから新しい言語を学ぶつもりで臨んだらいいのではないかと私は考える。「話せない」のはあなたのせいではない。学校が教えてこなかったからだ(学校もそこまで手を伸ばせないのだろう)。

 

落ち込まず、むしろ「こんな豊かな表現があるのか」と感動しながら、会話体の表現をこつこつ覚えていく姿勢がいいのではないだろうか。

 

ちなみに私は留学経験も滞在経験もなく、連日ひたすら会話体の表現をメモしている。終わりの見えない旅だが、一つ一つの表現との出会いに小さな喜びと興奮を感じている。それが語学学習の原動力になっているともいえる。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~