【歩き旅と思索】 ~10・文明という礎の上で生きる私
~簡単な自己紹介はこちらになります~
歩き旅では、乗り物の利用は極力控えている。
なるべく文明の利器に頼らず、自分の脚を動かし続けることで、暮らしている空間の広がりを実感したいと考えるからだ。
だが、それは無茶であり、我が儘だと自省する。
九州は東海岸の漁村を歩いていたとき、路面が異常にムックリと盛り上がっているのに気づいた。
盛り上がりの近くには、何の木か分からないが、これまで不自然な方向に伸びる樹木があった。
おそらく、その樹の根っこだろう。
人間の都合で勝手に固いアスファルトに覆われ、何とも苦しそうな、あるいは、そんな人間文明の都合には簡単に負けぬぞといわんばかりの、生命力を感じた。
私は自然人を気取って歩く旅をしているが、何のことはない、しっかりと現代文明の恩恵(道路というインフラ)に預かり、自然に犠牲を強いる中で旅を味わっているのだ。
江戸時代の人のように、純粋無垢の自然人、旅人にはなれない。そのことを自覚した上で、それでも自然に関心を抱き、感謝し、現代人なりの旅を続けていきたい。
~お読みくださり、ありがとうございました~