~簡単な自己紹介はこちらです~
一族の史料が満足に見つかるケースはほとんどないだろう。
家系図をつくるにしても、どこかで必ず抜け落ちたミッシングリンクに出くわす。
気がなえかけるが、そこで諦めてしまってはもったいない。
ヒントはどこかに必ず埋もれている、少なくともそう信じて、根気よく史料をなめまわすように調べつくすことが大切だ。
私の場合、明治期までは実家の仏壇にある過去帳+自治体の保管する除籍謄本を頼りに明治初期までスムーズにたどることができた(ここまではどこのご家庭でも可能のはず)。
そこから上は、一族(私の属している「分家」)の過去帳に記載がなかったため、分家の墓地を訪れ、墓石の一つ一つに刻まれた文字をワードで文書化していった。
それぞれの没年、墓石側面に時折刻まれている家族関係、戒名に出てくる単語(「到」「接」などの文字)などから、親子・兄弟姉妹関係を推測していった。
こうして、江戸中期ごろまで直系の家系図をつくりあげた(推測による部分はあるが、相当の信憑性があると自分では考えている)。
ただ、そこから上にたどる作業で難渋した。
我が家は分家とされていたため、本家とどこで分かれたかを調べる必要があった。本家とされる方の了解を得て、本家の家系図をすべてコピーさせていただくこともできた。だが、本家の代々当主や兄弟に、私の調べた分家当主たちの名前(俗名or戒名)は一人も見つけることはできなかった。
非常に落胆した。
だが、あきらめたくなかった。本家の過去長に登場する100人以上の人々の名前、分家の墓石に刻まれた名前の一つ一つを、あらためて調べた。
あるときだった。分家の墓石に刻まれた「清心尼」という文字に目がとまった。
たしか、本家の過去帳のどこかで見た。
史料を見直した。戒名の一部に「清心尼」という単語がある人物が、たしかにいた。
女性だったのか。
盲点だった。分家するなら男兄弟だろうと思い込んでいた。そうではなかった。
江戸中期の本家当主の兄弟姉妹の一人に、清心尼という戒名の女性がいた。妹だった。その方は、外から婿養子をもらい家を出たようだ。出た後も同じ名字を名乗り、その一族が現代に到っているのだと分かった。
推測の信憑性を確かめるため、お寺さんの過去帳も調べた(お寺さんの了解の上で)。そこにも「清心尼」の名があった。在住地は代々分家が暮らしている土地だった。
本家の系図とつながったことで、さらに数代さかのぼり、戦国末期まで実名(俗名or戒名)でたどることができた。計17代。
こうやって書くと簡単そうに聞こえるかもしれないが、実際は苦労した。なんといっても、答えが見つかるかどうか保証のない調査である。週末に貴重な時間を費やして調べることに、徒労感を抱きかけたのも事実だ。しかし、なんとも諦めきれない気持ちがあり、しこしこと4カ月間、調査を進めていった。結果がともったとき、実に晴れ晴れとした気持ちになった。
何より、ご先祖さまとつながったことの喜びが大きかった。
一族の直接の史料に基づいた調査は、上記でおおむね完了した。
だが、純粋な好奇心はそこでやむことがなかった。
さらに上をたどるための試みを始めた。
公文書、古文書の調査だ。
これについてはまたあらためてお話したい。
~お読みくださり、ありがとうございました~