おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。創作物語(「ざんねんマンと行く」=各話読み切り)など、書いていきます。からだはおじさん、こころは少年。

【サラリーマン、家系図をつくる】8・複数史料の共通点をくまなく調べる

~簡単な自己紹介はこちらです~

ojisanboy.hatenablog.com

 

一族の史料が満足に見つかるケースはほとんどないだろう。

 

家系図をつくるにしても、どこかで必ず抜け落ちたミッシングリンクに出くわす。

 

気がなえかけるが、そこで諦めてしまってはもったいない。

 

ヒントはどこかに必ず埋もれている、少なくともそう信じて、根気よく史料をなめまわすように調べつくすことが大切だ。

 

私の場合、明治期までは実家の仏壇にある過去帳自治体の保管する除籍謄本を頼りに明治初期までスムーズにたどることができた(ここまではどこのご家庭でも可能のはず)。

 

そこから上は、一族(私の属している「分家」)の過去帳に記載がなかったため、分家の墓地を訪れ、墓石の一つ一つに刻まれた文字をワードで文書化していった。

 

それぞれの没年、墓石側面に時折刻まれている家族関係、戒名に出てくる単語(「到」「接」などの文字)などから、親子・兄弟姉妹関係を推測していった。

 

こうして、江戸中期ごろまで直系の家系図をつくりあげた(推測による部分はあるが、相当の信憑性があると自分では考えている)。

 

ただ、そこから上にたどる作業で難渋した。

 

我が家は分家とされていたため、本家とどこで分かれたかを調べる必要があった。本家とされる方の了解を得て、本家の家系図をすべてコピーさせていただくこともできた。だが、本家の代々当主や兄弟に、私の調べた分家当主たちの名前(俗名or戒名)は一人も見つけることはできなかった。

 

非常に落胆した。

 

だが、あきらめたくなかった。本家の過去長に登場する100人以上の人々の名前、分家の墓石に刻まれた名前の一つ一つを、あらためて調べた。

 

あるときだった。分家の墓石に刻まれた「清心尼」という文字に目がとまった。

 

たしか、本家の過去帳のどこかで見た。

 

史料を見直した。戒名の一部に「清心尼」という単語がある人物が、たしかにいた。

 

女性だったのか。

 

盲点だった。分家するなら男兄弟だろうと思い込んでいた。そうではなかった。

 

江戸中期の本家当主の兄弟姉妹の一人に、清心尼という戒名の女性がいた。妹だった。その方は、外から婿養子をもらい家を出たようだ。出た後も同じ名字を名乗り、その一族が現代に到っているのだと分かった。

 

推測の信憑性を確かめるため、お寺さんの過去帳も調べた(お寺さんの了解の上で)。そこにも「清心尼」の名があった。在住地は代々分家が暮らしている土地だった。

 

本家の系図とつながったことで、さらに数代さかのぼり、戦国末期まで実名(俗名or戒名)でたどることができた。計17代。

 

こうやって書くと簡単そうに聞こえるかもしれないが、実際は苦労した。なんといっても、答えが見つかるかどうか保証のない調査である。週末に貴重な時間を費やして調べることに、徒労感を抱きかけたのも事実だ。しかし、なんとも諦めきれない気持ちがあり、しこしこと4カ月間、調査を進めていった。結果がともったとき、実に晴れ晴れとした気持ちになった。

 

何より、ご先祖さまとつながったことの喜びが大きかった。

 

一族の直接の史料に基づいた調査は、上記でおおむね完了した。

 

だが、純粋な好奇心はそこでやむことがなかった。

 

さらに上をたどるための試みを始めた。

 

公文書、古文書の調査だ。

 

これについてはまたあらためてお話したい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~