おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【随想】個と全

 

午後の柔らかな陽射しに誘われたかのように、色褪せた一枚の葉が枝の元を離れた。

 

初めて体験する己の自由を喜ぶかのように、無限に広がる空間をヒラヒラヒラと舞った。

 

やがて湿り気を帯びた大地に触れ、永遠に動かぬものとなった。

 

ついさきほどまでは、一本の立派な樹木の一部であった。一部にすぎなかった。

 

それが、枝を離れた刹那、「葉」という独立した個物の立場を得た。束の間ではあったが、他の何物とも異なる輪郭を持った。

 

まもなく大地の一部となり、おそらくそれほど日を置かないうちに腐葉土として形も色も失う運命を待つ身となった。

 

もはやどこに移ろいようもない、将来の土くれは、どの姿が本来の己だったのだろうか。

 

樹木の一部分として、枝先で陽射しを無心に吸収していたころか。

 

母体に別れを告げ、自由と個性を楽しんだ滑空の間か。

 

大地に触れ、その輪郭も色合いも何もかも溶けてなくなる無限のこれからか。

 

葉というかたちの中に、無限の過去と未来が含まれている。それは連鎖し、はじまりもおわりもない。

 

どれもが己であるように見える。

 

同時に、どれもがかりそめのようにもおもえる。

 

輪郭を与えようとするのは見る側であり、葉そのものには何の頓着もないかもしれない。

 

アイデンティティというものは、かりそめの世界の中で形をこしらえようとする無理の最たるものなのかもしれない。

 

あがくこともなく、嘆くことも不安におびえることもなく、ただ淡々と生の過程を感じ、移ろっていけばいいのかもしれない。

 

大地の無限に浸ったとき、新たな生の過程が始まるのだろう。

寅造と落ち葉

暗闇の中に、童子の笑い声が響いた。

自分の幼少期を思い出すようで、こころが少しばかり甘酸っぱさでにじんだ。

あともう少しで米寿を迎えるところだった寅造は、猛暑にやられたか、居間でばったり倒れた。いっときは意識を失った。たまたま里帰りしていた娘家族に助けられ、一命をとりとめたものの、大学病院の医師は絶対安静を言いつけ、しばらくは専門病棟から抜け出せぬ身となった。

「こりゃ。楓斗(ふうと)。病室で走り回っちゃダメでしょ。おじいちゃん起こしちゃうから」

娘が語気強くも明るさの伴った口調でたしなめた。ああ、みんな、いるんだ。

寅造は、自分の身に何が起きたのか、はっきりとは理解していなかった。が、無機質・無臭の空間に横たわっている状況から、自分の身に軽視できない事態が起こったのであろうと推測できた。

みんなに迷惑、かけちゃったなあ。

申し訳なく、意識が戻ったにもかかわらず、しばらくまぶたを開くことができなかった。

寅造一人が横渡る病室には、娘家族に息子夫婦がそろっていた。子どもというものは、親がどう言って聞かせてもはしゃぎ回ることをやめない。しまいには娘も我が子を抑えることを諦め、久しぶりに再会した兄と義姉と暮らしのことについてあれこれとよしなしごとについてつぶやき合った。

暮らしというものはどこまでも単調で、味気ないようでいて、変化がある。感情の起伏を伴うような出来事も折々に発生し、その一つが一生を左右するようなことさえある。子どもたちの会話の端々に、そうした生き生きしたものが感じられた。

血を分けた次世代の語らいを鼓膜で感じ取りながら、寅造はもはや時代が自分の代から次の世代へと確実に移っているということを肌身で受け取った。

この場においても、主役は倒れた寅造のようでありながら、その実は暮らしを切り盛りする子どもたちであった。寅造は、2家族の再会を促した単なる触媒のような存在にすぎなかったのかもしれない。

振り返ってみると、俺の人生はどの段階を切り取ってみても、軽かった。少なくとも自身にはそう感じられた。

開けようと思えばいつでもできるまぶたを動かさないまま、寅造はこれまでの歩みを思い返した。

引っ込み思案で運動神経はからっきし。勉強は中の中といったところで、進学でも就職でもこれといって世間様に胸を晴れるような道をたどることはなかった。

ついでにいえば出世街道というものとも縁はなく、たいして目立つ業績も残さず、平々凡々とサラリーマン生活を勤め上げ、誰かに特別惜しまれるということもないまま現役生活を終えた。

やれ、これから相方と小旅行でも楽しむかとささやかな計画を立てかけていたところに、伴侶が倒れた。別れを言うまもなかった。寅造は、自分を「人」たらしめている支柱を失い、ただの「ノ」とでもいうような、漂う浮草となった。

俺の人生とはいったい、何だったんだろう。

寅造はまぶたの下で目玉を動かした。自分の居場所を見つけたかった。

ただ、考えるほどに冷酷な現実が立ちはだかった。俺のことを心から必要としてくれる人間は、おそらくこの世には存在しない。

息子、娘と孫たちは、既に自分たちの暮らしを築き上げている。

サラリーマン時代もそうだった。もっと遡れば、学生時代もそうだ。ああ、なんと軽い存在なんだ、俺は。

「帰りたい」

孫が駄々をこね始めた。無機質な病室に飽きが来たのだろう。ああ、家族と一緒の空間も終わりか。

川面の浮草のように個性のない人生を送ってきた。とりとめもなく、語るべきエピソードもなかった。

が、今にして思うと苦しみは少なかったように思う。ガツガツと上を向いて突進する人間ではなかった分、諦めも早く、競争やら醜い争いごとから縁遠くあることができた。金、地位、名声をものにしていった人間たちはいたが、その少なからぬ割合が、得るほどに笑みを失っていくように見えた。上を向き続けることには、何か表現しがたい重荷がからみつくのかもしれない。

寅造には、退職後も折々に飲みに出る仲間が何人かいた。かつての職場の同僚たちだ。肩書をなくしてからも、気安く付き合える仲間がいるのは、幸せなことだ。

あけすけにいって、俺がいてもいなくても、みんなはおそらく楽しく飲む。けれど、俺がいてもみんなの気分を悪くさせるものではない。そしてたまにはみんなの笑いをとったりする。枯れ木も山の賑わいというが、俺はどこか名のしれぬ小山の濡れ落ち葉の一枚として、誰かのなにかの腐葉土になればそれでいいかもしれない。

そこまで考えて、寅造は何か心持ちが軽くなったように感じた。

「おじいちゃん、目を開けた!」

孫が叫んだ。娘家族と息子夫婦の視線を独り占めした寅造は、これ以上ないというほど相好を崩した。

【ざんねんマンと行く】 ~第44話・日常に埋もれゆく性(さが)からの脱皮(上)~

ブルルルル

枕元でスマホのバイブ音が響いた。日曜の朝なんだけど、今日も今日とて早いこってすなあ。

人助けのヒーロー・ざんねんマン。活動が知られるにつれ、来客・電話・各種勧誘のアプローチも増えてきた。布団でぬくぬくと過ごす時間が短くなるのはちょっぴり惜しいけれど、しがない中年男にお声がけくださるのは実にありがたく、光栄なことだ。

はい、もしもし。何かお困りごとの相談でしょうか。

・・返事がない。

緊張しているんだろうか。それともいたずら電話か。しばらく待ったが、変わりはなかった。

あのすいませんが、もしご用がないようでしたらここで失礼しますよ。なにしろまだ布団があったかいもんで・・

二度寝の態勢に入りかけたところで、ようやく電話の主が口を開いた。「待ってください。あ、でも、もういっかな」

なんですかまったく。電話かけといて「もういっか」とは。ざんねんマン、小者ながらヒーローとしての自尊心に火が付いた。おたくさまねえ、何のご相談か分かりませんが、あっしを見損なってもらっちゃあ、困りますよ。

啖呵を切られて相手もふんぎりがついたようだ。「いやあですね、最近なんだか、暮らしに張り合いなくって」

電話の主はアラフィフの男性。会社員。妻子に恵まれ、派手さはないものの手堅い人生を送っている。ただ、定年がうっすら意識にのぼり始めたころから、心のどこかにつかみどころのない徒労感が芽生えだしたのだという。

出世の可能性も、おおかた先が見えてきた。体力もガタがきて、大好きな酒も最近は控えめにしている。多趣味なほうだったが、最近は面倒くささが勝り、チャレンジすること自体を控えている。

「なんだか、単調な毎日なんす。まあでも、どうしようもないっすよねえ」

話し方も実に淡泊だ。自分で結論を出しかけている。さきほどの「もう、いっか」にも垣間見える、半ば投げやりな姿勢は、ざんねんマンの心に少しばかり引っかかるものがあった。

おたくさまねえ、相談内容は分かりましたけどね、日曜の早朝に起こされた私のほうの気持ちはどうなるですか?布団のぬくぬく、最高なんですよ?それがもう、抜けていっちゃってるんですよ。ああ、もったいない。

「うわっ、ちっさ。そんなどうでもいいことで目くじら立ててるんかい・・」

電話の男がサバサバと言ってのけた。これがざんねんマンの怒りに油を注いだ。ちっちゃいことに幸せ感じてて、何が悪いんですか!おいらにとってはねえ、「週末の布団ぬくぬく」はスポーツチャンネルの野球観戦と同じぐらいの楽しみなんですよ!ちっちゃくて上等、しょぼくて上等だぁい!

ひとしきりまくし立てると、再び電話越しに沈黙が訪れた。

完全に、引かれてしまったか。今回こそは人助けに失敗したーとばかりにざんねんマンが頭を垂れていると、先ほどとは違ったトーンのつぶやきが漏れ聞こえてきた。

「こんなしょぼいことで、ムキになれるあんた、すごい」

褒めているのかけなしているのかは分からないが、男が真心から話していることは分かった。

「ありがとう、おっさん。おれ、しょぼいことから見直していくわ

ガチャ

切り方も実にあっさりとしていた。もうちょっと柔らかい物腰でものを言えんものかなあ。

・・・

それから1週間後。週末恒例の「布団ぬくぬく」を、再びスマホ元気なバイブ音が打ち破った。

~(下)に続く~

【創作】造物、被造物

東の島で生まれ育った男にとって、はるか西の大陸からやってきた女の言うことは理解に苦しんだ。

 

「造物主は、いらっしゃるんです」

 

我々の理解を超えた世界にたたずむ何者かが、目に見える限りのあらゆるものを産みだしたのだという。

 

試みに考えてみよ、例えばこの身体。誰もが同じように目や鼻や口を持つ。その根拠を探っていくと、微細なDNAの世界があり、そこには正体不明の何者かの手によるとしか思えない、生命の設計図が描かれている。

 

「それが証拠です」

 

科学者だという女は、その肩書とはおよそ似つかわしくなく、神秘の絶対者の存在を、断言した。

 

異論を許さぬとでも言い出しそうな、やや威圧的な物腰に、男はひるんだ。

 

「まあ、そういう考え方もあるのかもしれませんが」

 

口では譲歩を見せたものの、男の心の中では全く異なる発想がうごめいていた。

 

確かに我々生命は、ある意志を持った者の力で存在を得たのかもしれない。生を与えられたという点は事実であり、その意味で我々は皆、被造物だ。だが、被造物という受け身なだけの存在なのだろうか。

 

我々は造られた。そしてその一方で、命をつむぐ。女性は自ら腹を痛めて子を生む。生が生を産み出す。それだけではない、我々は内在する想像力と創造力をもって、さまざまな作品を世に送り出す。造形物であったり、散文であったり、鼓動であったりする。

 

そのどれもがオリジナルであり、個性であり、原点である。

 

我々は、造られたものであると同時に、造るものでもあるのではないか。

 

男は沸き起こる思索と言葉をポーカーフェイスの内側に押し込めた。女と対立したくはなかったからだ。何事も穏便に済ませたいのが男の傾向であり、弱さでもあった。東の島の人間にありがちな、愛しくも哀しき事なかれ主義だ。

 

「理解してくれたんですね」

 

女は満足したようにうなずいた。

 

女が去った後、男は沸き起こることをやめない思索に身を預けた。

 

造られたものが造るものであるなら、世界の中心的存在というものはどこにあるのか。

 

そんなものは、ないのかもしれない。どれもが中心であり、いうならば造物主なのだ。ちょうど、この宇宙空間に中心点がなく、どれもが中心といえばいえないこともないのと同じことだ。

 

私も、先程の女も、足元の小石も、みな中心だ。そこに階級も区別もない。

 

そこで思索は一つの区切りをつけたが、いましばらく逍遥を楽しむことにした。

 

ここで結論としてしまうと、先程の女の信念を真っ向から否定することになる。私は、そのようなことをしたくない。女の考えにも一理あるはずだ。私の考えと、女の考えと、その間にある矛盾を、どのようにとらえたらよいのだろうか。

 

考えのどちらかが正しく、どちらかが間違っているのか。

 

男は、唸った。

 

島の人間にありがちな、なんでも受け入れる鷹揚な、言い方を変えればずぼらな性質を発揮し、両の意見をそのまま受容してみることにした。

 

我々の知覚が及ばない先に、世界の設計者たる絶対者がある。

 

一方で、絶対者はあらゆる生に内在する。造られたものは、自らが造物主となり、限定的な絶対者として世の中に足跡を残す。

 

つまりは、絶対者の目線でみるか。それとも被造物の目線で世界を見渡すか。違いはただそこにあり、根本はなんら異なることはないのではないか。

 

そのように考えて、誰を傷つけることもない。論旨破綻しているかもしれないが、私はこのように考え、両の考えを尊重していくことにしよう。

 

対立を好まない男は、もう既に姿のない女をまぶたに浮かべ、つぶやいた。「あなたの言うこと、受け入れますよ」

 

世界を見る目が、一つ広がったような心持ちがした。

 


【短編】選択

振り返ると挫折ばかりの人生だった。

 

進学では3つほど選択肢があったが、親のいうがままに補欠合格した進学校を選んだ結果、予想に違わず落ちこぼれとなった。もとより自信のある人間ではなかったが、輪をかけて自己不信、自己否定の塊となり、卒業後は同級生の誰も知らないような遠方の大学へと逃げた。

 

社交的ではなく、大学時代はどちらかというと苦痛の4年間だった。集団の中で、誰に意識されることもなくたたずんでいるのは、無人島に一人取り残されている以上に孤独だった。

 

そういうことで就職先もパッとせず、そのころには親からも見放された。正確に言うと、諦められた。世の親であれば誰しも我が子に期待を寄せるものだ。だが、私の場合はそれに応えられなかった。体ばかりは世間一般の男子と同じように成長していったが、それと反比例するように私の能力の現実が中から中から現れてきた。

 

昆虫は脱皮を繰り返して成長する。皮の内側から現れるのは瑞々しい生命であり、いつもそこには力がみなぎっている。だが、私の場合は逆であり、皮を脱ぐたびに能足りんの小心者がますます形見狭そうに肢体を晒した。

 

それでもたしかに出会いはあり、家庭を構え、一家の主としてそれなりの務めを果たした。家族からはどう思われているか分からない。まあこういうとみもふたもないが、あまり頼りがいのないお父さん、といったところが正解だろう。

 

私は実の親からも、そして家族からも、たいして期待されることはなかった。親は既に鬼籍に入っているが、雲の上からいまだに私に対してため息をついているかもしれない。「うちの子は、結局何事も成し遂げられなかった」と。

 

語るべきことの少ない人生も、あっという間に終盤に差し掛かろうとしている。後戻りのできない、一回こっきりの旅路で、私は見苦しくも今更ながら「たられば」に思いを巡らせている。恥ずかしいことだが、これが正直なところだ。

 

もし、少年時代に違う学校を選んでいたとしたら。自分の進みたかった実業系高校で技術を学んでいたとしたら。おつむの出来を職人の技でカバーし、どこか製造業の工場に就職することができたとしたら。

 

人付き合いの苦手な自分でも、会社という組織の中でそこそこの居場所を確保することができていたかもしれない。ひょっとしたらある程度の評価と尊敬を得ることができていたかもしれない。そして、これまた違った出会いにめぐり合わせていたかもしれない。

 

実際に就職した先でも、もっと活躍できるチャンスはあったように思う。恥も外聞もなく、社内の力ある人にすりよっていけばまた違った未来が開けていたかもしれない。事業でも私なりにアイデアはあったが、提言するのはおこがましく感じられて遂に言い出さずじまいに終わったことは何度もある。

 

そうしてこうして、後悔ばかりで塗りたくられた私の人生キャンバスはもうほとんど描き込む余白がなくなろうとしている。

と、スマホがブルルと震えた。ショートメッセージだ。送信者は馴染みのXさんだ。「週末、飲まんかい」

 

Xさんは、私がY支店に配属されていたときに出会った。もともとは仕事の取引先のカウンターパートだったが、お互い押しの強くない性格が共鳴したこともあり、いつしか飲み仲間へと発展した。

 

私より一回り上だが、いばらず、人の話に耳を傾ける包容力にあふれ、一緒にときを過ごさせてもらうだけで癒やされた。二人で飲む酒は、その中に何か隠れた滋養強壮剤でも入っているのかとでも思わせるほどエネルギーに溢れていた。

 

私の「たられば」頭に、雷が落ちたように感じた。

 

もし、私が違う学校に進んでいたとしたら。おそらく違う就職先を選び、違う人と家庭をつくることになっていただろう。そうしたら、私はXさんと出逢うことはなかったはずだ。

 

それでいいか。

 

いや、よくない。私の人生に幅を与えてくれた、Xさんとの出会いをなくして、私の半生はない。

 

よくよく考えた。親に言われて選んだ進学校では、ほとんど楽しい思い出はなかったが、自分の能力の限界を人生の早い段階で思い知らされることができた。おかげで私は図に乗った人間になることなく、人様を見下したり蹴落としたりしようとする人間にならずにすんだ。

 

数こそ少ないが、思いやりのある同級生ともそれなりの関係を築くことができた。

 

結婚相手は、正直にいって、私なんぞのような人間にはもったいない人だ。容姿という面でいえば必ずしもモテるタイプの女性ではなかったが、彼女の人柄や機転に心がほだされた。そして2人の命を授かった。

 

私が人生で違う道を選んでいたら、この妻に出逢うことなく、2人の子に生を与えてあげることはできなかった。

 

それでいいか。

 

嫌だ。絶対、嫌だ。私は、仮に時間をさかのぼる機会を与えられたとしても、やはり同じ道を進みたい。

 

人生は後悔の連続だが、一つ一つの選択に、かけがえのない意味があるのかもしれない。

 

Xさんからのショートメッセージに、こう返した。

 

「もちの、ろんですよ」

 

週末の酒は、いつもに増して美味いものになりそうだと思った。




語学学習と営業メール

語学が好きで、英語と中国語を個人的に勉強している。

 

学生時代に英検準一級を取得したものの、一級の壁は高く、20年ほど受験を見送っていた。

 

サラリーマンとなり学習意欲も時間も溶けていく中でなぜか再びやる気を持ちおこし、40手前で英検一級に挑戦、合格することができた。

 

一つの到達点を通過し、すがすがしい気持ちに浸るとともに自らの実力不足を実感する日々だ。このため毎日、英語ニュースや個人投稿に目を通し、ビビッドな英語表現を吸収している。

 

そんなときに、ときおり、語学留学会社からの営業メールが届いたりする。

 

かいつまんでいうと、「うちの会社の宣伝投稿をしてくれませんか。してくれたら、代わりにおたくの投稿を宣伝します」という内容だ。

 

すんごく、ださくないかい。

 

私は自分の投稿で「語学留学」なんて言葉は一つも使ったことがない。したことがないからだ。語れる経験がそもそもない。それなのに、ろくに投稿を読みもせず、こうしたメールを寄越してくる。

 

チャットGTPじゃないんだから、せめて一回は一つの投稿文を読んでみようよ。そうしたら、おたくの会社の役に立つ投稿者でないことは分かるはずだよ。

 

武士の情けで企業名は書かないが、二度目はないと覚悟されたい。

 

語学愛好者を甘くみないでほしい。

 

それから、留学だけが語学の解ではない。

 

【小説】無限地下ホテル・3

客室の壁が南国の浜辺を映し出すB1360フロアを後にすると、私は再びエレベーターに乗り込んだ。

下降するほど、奴らと相まみえる可能性が高まる。なにしろ奴らは私とは反対に無限の地下層から上がってきているからだ。

これ以上降りなければ、私は気の済むまで南国の浜辺を楽しむことができた。心に馳走を思い浮かべるだけでそれらは足元に現れ、屠りあおることができた。

なのに、私はそこで多とすることができなかった。心の内にひそむ無防備な好奇心とマゾヒスティックな本性をかきたてられ、下へ下へと強い意志をもって向かっていった。

エレベーターの階層表示版は、ついに電光表示することをやめた。地下1360階だろうが1万階だろうが、深いということに変わりはなく、乗客に伝えることにさして意味はないだろうと判断したかのようだった。

それもそうだ。そもそも、表示をやめたこと自体が私自身の心の内を代弁したにすぎないようにも思えた。

グウーンと無機質な振動音だけを身体に伝え、エレベーターはしばらく無限の闇への旅を続けた。

もうそろそろいいかと思ったところで、意を汲み取ったかのようにエレベーターは停止した。そして毎回のごとく静かにドアは開き、私はフロアへと足を踏み出した。

濃いオレンジ色の照明灯は瞳の奥を少しばかり強く刺激した。ただそれは痛みを呼び起こすものではなく、むしろ幾ばくかの興奮をもたらした。

あらかじめ予定されていたかのように、とあるドアの前で自然と足が止まった。そしてこれまでと同じように、それほど躊躇することなくドアノブをひねった。

暗闇だけが広がっていた。

部屋の広さ、間取り、そういったものはほとんどわからなかった。ただ、通路側の照明のオレンジ色が差し込んだ部分だけ、フローリングと壁の一部だけが、そこが客室であることを伝えてくれた。

暗闇には魑魅魍魎の存在が似合う。おそらくここで私は件の怪物と遭遇し、人生の最期を迎える瞬間にふさわしい厳粛な心持ちに浸る猶予も与えられずパクリとやられてしまうのだろう。

ええままよ、どうとでもなれ。私は小心者の性分から生まれて初めて解き放たれたかのようにかえって落ち着き、堂々と闇の奥へと歩を進めた。

意外にも、何者の気配も感じることなく、20畳ほどの室内をぐるりと巡り終えた。

ただの黒だと思っていた空間だが、瞳を凝らすと、あちこちに存在を伝えるものがあった。

塩一粒よりも小さい白の群れが、向こうの向こうの向こうに漂っていた。

これはおそらく漆黒に浮かぶ遥か遠方の星々だろう、と私は直感した。21世紀の今でも、少し都会を離れ海辺で夜空を見上げてみれば、乳の流れる川と例えられる恒星群を認めることができる。

粒の一つ一つは、何らのメッセージも発することなく、ただかすかに光という力を放っていた。存在するということだけを周囲に示していた。そこには意味も価値も歓喜も悲観もないように感じられた。

あるものがあるという、ただそれだけの広がりに、私はなぜか心落ち着いた。特段の食欲も沸かず、時間を忘れてぼうと立ち尽くした。

音もなく、息を吸い、吐いた。

隠遁者と呼ばれた人たちは、このような空間で、あるいはこのような心境で生を全うしたのだろうか。それはある種の「悟り」と呼べるものだったのだろうか。

いろいろと思索がうごめきだし、私は「次に行こう」とつぶやいた。

私は人間としてたいして成長していないし、悟りとも縁遠い存在だ。ここの闇はどこか神秘すぎて少々居心地が悪かった。私にはもったいないように感じられた。

ドアを明け、再び強いオレンジ色の照らす通路へと出た。心身に興奮が蘇った。友人を待たせていたかのように、私は半ば相棒となったエレベーターの下へ足早に向かった。

【短編】舗装

【短編】舗装

編集

アスファルトの道は、住宅地の中心部を走り、通学する児童から自転車の高校生、勤め人の車などでいつも雑としていた。

日々、朝夕、さまざまな光景が繰り広げられた。不機嫌な表情でハンドルを握る会社員が通り過ぎたかと思えば、ジャンケンで負けたのであろう児童がランドセルを3つも4つも抱えて横断歩道を小走りにかける様子が見る大人をほのぼのとさせた。

雨がふれば、水たまりというほどでもないがそこここにちょっとした透明なスクリーンが生まれた。雨がやむと、アスファルトでもあちこちで晴れ間がのぞけた。

1日のうちに、一体どれほどの人間がこのアスファルトを踏みしめたことだろう。タイヤが踏みならしたことだろう。数え切れない接触が、そこを舞台に瞬間、瞬間、生まれていた。そうでありながら、誰にとってもおそらく、大した記憶には残っていなかった。

アスファルトは、単なる舗装にすぎず、個々人の人生を織りなす舞台としてはみなされていなかったのだ。

ある日、工事の人たちが現れ、人々の踏みしめてきたアスファルトを掘り返し始めた。道路改修だ。

人々と無数の、無限といってもよいほどの接触を重ねてきたアスファルトは、誰に惜しまれることもなく、形を失っていった。

道路として、確とした役割と居場所を与えられていたようにみえたかつての構造体も、こぶし大ほどの固まりに砕かれてしまうや、あっけないほどにその個性を失い、名前をつけることすらできない味気ない物体の世界に放り捨てられた。

アスファルトは、物言う口を持っていなかった。人間と、世の中と、やりとりする術を持っていなかった。最期まで、どの誰とも通じることなく、人間の認める世界から姿を消した。

言葉も心も持たない物質ではあるが、世の中に残したものは、あった。それは、横断歩道を渡った児童の脚に残る感触の記憶であった。水たまりが瞳に映す青であった。一つ一つの接触が、体験が、一人ひとりの人間にとって欠くことのできない人生履歴となっていた。

四方を支配する人間の世界が広がっている、しかし影でそれを支える存在がある。言葉なく心なく、表現手段は持たないが、人間や生きるものと常に、ともに在る。世界は、随分と深い。

ある朝。人々は、いつもの道路が真新しく黒々と照り映える舗装に入れ替わっているのに気づいた。新たな、紡がれることのない物語が、合図なく滑り出した。

【ざんねんマンと行く】 口下手な居酒屋大将のささやかなる挑戦

日はとっぷり暮れたが、玄関の暖簾(のれん)が揺れる気配はまだない。

駅前の小さな居酒屋。切り盛りする50代の勝(まさる)は、テレビの野球中継を見るともなく眺め、「だめだコリャ」と苦笑いした

会社を早期退職し、夢膨らませて始めた自分の城。若いころから料理が好きで、いつか店を持ちたいと思っていた。腕には自信があった。たまたま立ち寄った客が、自分の料理を口にしたときに漏らす「ほぉ」というため息に、ひそかな喜びを感じていた。

だが、生来の話下手。夜の世界では欠かせない、コミュニケーション力というか、営業トークというか、とにかくお客さんを楽しませる会話力に欠けていた。しかも、カウンターだけのこじんまりした空間。美味しくはあっても盛り上がりに欠けるムードの中で味わう料理は、客に物足りなさを感じさせていた。

客は増えない。何より、「常連さん」ができない。近くには格安居酒屋チェーンまで進出し、状況は厳しさを増していた。

これからどうしよう、退職金は開店費用にほとんど突っ込んじゃったし、今さら追加の投資もできない。このまま赤字を垂れ流すくらいなら、いっそ店を畳むしかないのか。でも、料理の道には未練がある。何か打開策がないものか。誰か、ヒントだけでもくれないかしらー

悩めるアラフィフの心の叫びを、近くの焼き鳥屋で串をつまんでいた男がしかと受け止めた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。皿に盛られたささみ、レバー、ねぎまをペロリと平らげると、勘定を済ませ勝の店に駆けた。

ガラガラ

本日最初のお客さんに、勝の疲れた瞳に光が灯った。「いらっしゃいませ」

ただ、それから先の言葉が出ない。ただ黙って注文を待つばかり。ざんねんマン、ヒーローというよりは一人の呑ん兵衛として、早速この店の課題を見抜いた。おじさん、もっとしゃべらんと。

「あ、とりあえず生で。それから魚盛り合わせもお願いします!」

今日も飲みながら仕事するか。何から切り出すかー。思案にふけっていると、ジョッキとともに盛り合わせの皿が登場した。

見栄えから惹きこまれた。白身、赤身に甲殻類と、海の幸が陶器の上で調和の美をかもしだす。まずはーとマグロの切り身を醤油に浸し、口に含む。うん、うまい。視覚、味覚、食感が、ざんねんマンを悦楽の世界にいざなった。

大将、ちょっとこの盛り合わせ、すごすぎじゃないですか。

勝は顔をあげた。嬉しくてたまらない。でも、「ありがとうございます」の一言がいえない。恥ずかしい。「ああ」とだけつぶやくと、照れを隠すようにうつむいた。

その後もざんねんマンはいくつか注文してみた。勝は得意な魚料理でも上手にこなせるようで、メニュー表はさまざまな料理が載っていた。アスパラバター、ニンニクの芽炒め、馬のたてがみ。どれも見た目よく、香りよく、美味しい。舌を喜ばせる。感動のため息を漏らすたび、勝は照れを隠すかのように下を向いた

・・・そうだ、今日はこの大将を助けないといけないんだった。

悦楽の世界からようやく我に返ったざんねんマン、無言でうつむく大将の頭頂部を眺めながら、策を練ることにした。

そうだ、今日はこの大将を助けないといけないんだった。悦楽の世界からふと我に返ったざんねんマン、無言でうつむく大将の頭頂部を眺めながら、策を練った。

まず、話をしようにも会話が続かない。どうしたもんか。こうなったら、独り言作戦でいくか。

ざんねんマン、一人でぶつぶつと思ったこと感じたことをつぶやいていった。

あー、ここの料理、とっても美味しいなあ。でも、なんかちょっと寂しいなあ。話、したいなあ。やっぱり、コミュニケーションって大事だよなあ。

下を向きながらもしっかりと聞いている勝は、ざんねんマンの一言一言にピクピクと体を震わせて反応した。

(そうなんだ、コミュニケーションが、大切なんだ。それは、分かっているんだ。でも恥ずかしくって、できないんだよ)

勝は心の中で答えた。その気持ちを汲み取ったかのように、ざんねんマンは続けた。あー、確かに世の中には口下手な人っているよなあ。まあ、無理強いしたってきついだろうしなあ。だったら、やり方変えたらいいかもなあ。

例えば、気持ちを口ではなく文字で伝える。暖簾に書く。看板に書く。メニュー表に書く。今日の気持ち、料理に込めた思い。読んでもらえるかは分からない。リアクションがくるあてもない。逆に引かれるかもしれない。それでも、何もしないよりはましだ。人柄を、料理にかける思いを、分かってもらうためには、やってみて損はない。

ざんねんマンの、聞こえよがしにつぶやくアドバイスは、勝の鼓膜にジンジンと響いた。そうだよな、このまま無策でいてもジリ貧だ。書くのはちょっと恥ずかしいけど、しゃべるのに比べたらまだましだ。いろいろ、試してみることにするか。

熱燗にも手を伸ばし、すっかり出来上がったざんねんマンをなんとか玄関まで送りだした後、勝は大きく深呼吸した。「明日から、挑戦だ!」

 

「今日から、挑戦だ!」

ざんねんマンとの邂逅から一晩明け、勝は一つ大きく深呼吸をした

飲食の世界、やっぱりお客さんとのコミュニケーションは大切だ。話下手の自分は、他の手を考えよう。

もとからお客さんは減っている。何をしたって、恥ずかしいことはないさ。

真面目な勝は、店名を記した暖簾の余白に「会話は苦手ですが味だけは自信があります」と素直な気持ちを書いた。店の壁に掛けているボードには「まずもってこんな小さな居酒屋に足を運んでくださり、ありがとうございます。味だけは自信があります。ただ、お話は苦手です、ご容赦を」との一文を添えた。

旬な食材が入ると、ボードにその魅力や料理で工夫した内容をつづった。文の最後は、いつものように「お話は苦手です、ご容赦を」の一言で締めくくった。

客を呼び込みたいのか、近づけたくないのかー。なんとも分かりづらい文句で打ち出した店は、しかし変わり種を求める一部のサラリーマンらの興味をそそった。

しゃべりの苦手な大将が、必死に客を呼び込んでいる。それだけでも好奇心をそそるに充分だった。なんといっても、味がいい。あと、大将がべしゃり下手を公言しているから、トークが盛り上がらなくても不満はない。客は、大将に話しかけこそしないものの、「あー、超うまかったー」と一人つぶやけば充分気持ちは伝わった。大将がポッと頬を赤らめ、うつむく姿がその印だった。

勝は少しずつ心を開いていった。相変わらずトークはできなかったが、暖簾の余白には「おひとりさま、独り言、大歓迎。喜んで聞き役務めます。ただトークは苦手なので許してね」とつづった。

会話に代わり、つぶやきやぼやきといった一方通行にみえる表現が、新たなコミュニケーションツールとして存在感を発揮しはじめた。苦しみ、嘆く客には、慰めの言葉を掛けるこそできなかったものの、勝は一品をサービスして元気づけた。客のほうも「ありがとう」と返す代わりに「あぁ、疲れた心に染み入るなあ」と聞こえよがしにつぶやいた。

押しの弱い大将の下に、同じく控えめな性格の客が集い始めた。一人でゆっくり飲みたい。でも誰かと交流もしたい。かといって、トークはうまくない。そんな客にとって、勝の店はまさに砂漠のオアシスのような存在として光り輝いた。

トークの上手い人は世渡りも上手いことが多い。ただ、たとえそうでなくても、世の中を生きていく方法はあるはずだ。コミュニケーションのやりかたは千差万別。自分の性分にあったやり方を探せば、道は拓ける。そう信じたい。

店の売り上げが上向いてきた後も、勝の口下手は相変わらずだった。ただ、そのことに気おくれや迷いはもうなかった。「しゃべり下手を公言する変わり者の大将」として、細々と、しかし着実に、店を安定軌道に乗せていった。

店の復活を陰で支えたざんねんマン。知名度の高まりに羨望の念を抱くとともに、「僕もしゃべりすぎの性格、ちょっと見直さそうかな~」と舌をペロリ出すのであった。

~終わり~

お読みくださり、ありがとうございました。

【ざんねんマンと行く】 第44話・純粋無垢な少年少女にこそ見えるものがある

「ともだちが、しにそうなんです」

 

たどたどしい平仮名に、助けを求める者の切なる気持ちがにじんでいた。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマンの自宅に届いた一通のハガキ。差出人の住所は鹿児島県指宿市とあった。文字を覚えたばかりの子供だろうか。とにかく、親友の命が危ないとつづっている。鉛筆書きの「たすけてください」という一文が、ひときわ濃くにじんでいた。

 

文面を三たび読み直したざんねんマン。「待たせはせん」とつぶやくや、アパートの窓を勢いよく開け放った。掛け声よろしく南の空へ翔けた。

 

日が暮れるころ、少年の暮らす指宿に到着。玄関前でウロウロしていると、気配を察知した少年が家から飛び出てきた。

 

「あ!おじさん、ひょっとして、あのざんねんマン?」

 

まあ、その、そうだよ。

 

名前を呼ばれて照れるヒーローに、少年は尊敬のまなざしを寄せてきた。いやあ、恥ずかしいやらうれしいやら。子供の純粋な瞳ほど、無垢で心をくすぐるものはない。

 

「ざんねんマン、僕についてきて!」

 

少年はざんねんマンを手を引っ張り、山手の方向へ駆け出した。どうやら、「しんゆう」の元に向かうようだ。

 

10分ほど駆けると、かなり大きな湖が開けてきた。指宿の観光名所・池田湖だ。湖畔に飾られた、巨大な恐竜の模型が目を引く。

「ざんねんマン、ここ!」

 

日が暮れ、ひと気もすっかりなくなった湖のほとりで、少年はようやく止まった。こんなところに誰がいるのか。首をかしげるざんねんマンに、少年は「ちょっと待ってて」と目くばせをした。片手で湖面を優しくたたき、ポワンポワンと不思議な音を響かせた。

 

5分たったろうか。視界の向こうから、ニョロリと長い首のようなものを突き出した物体が、ゆっくりと2人の下に近づいてきた。ボートだろうか。いや違う、顔があるな。これは・・

 

「イッシーだよ。」

 

少年は、茶化す風でもなく答えた。イッシー、とな・・

 

イッシーとは、池田湖で1970年代に“誕生”したUMA(未確認生物)だ。イギリスのネス湖で確認されたUMAの本家・ネッシーの人気にあやかり、現地の自治体や観光関係者らが担ぎ出した。

 

地元では、あたかも本物の恐竜が生息しているがことく、もっともらしい「証言」や「写真」をとりそろえた。それが観光客の興味を引き付け、訪れた人々も信じたふりをして湖畔で記念写真を撮った。イッシーのモニュメントは人気撮影スポットになり、地元の観光振興に大いに貢献している。

 

まさか本物が棲んでいるとはー。大人の誰も、思いもしなかった。

 

少年がいうには、初めて遭遇したのは昨年の夏。酷暑が列島をたぎらせていたある昼下がり、自転車で湖畔を巡っていた少年の目の前に突如、現れたのだという。

 

人目を避け、ひっそり暮らしているイッシーも、うだる暑さに思わず首を湖面から突き出した。プハーと大きく深呼吸したその瞬間、少年とばっちり目が合った。

 

驚きと感動の色で染まった少年の澄んだ瞳は、人間を恐れるUMAの警戒心をも溶かした。種の違いを越え、“2人”の間には友情が生まれた。

 

ただ、他の人間が、しかも大人が知ってしまったら、大事になる。2人の交流は、決まって夕暮れどき、湖面をたたく少年の合図で始まった。イッシーは、少年が顔を撫でてあげるととても喜んだ。少年を首の上に乗せ、湖面をぐるぐると巡ることも少なくなかった。長く孤独の中で暮らしてきたイッシーは、友と同じ時間を過ごす喜びを心から味わっているようだった。

 

楽しい日々にも、しかし限界が近づいてきた。

 

 

 

少年とイッシー。種を越えた交流の日々にも、限界が近づいていた。

 

一つは食の問題。決して広くない池田湖には、体の成長し続けるイッシーの腹を満たすほど大きな魚は棲んでいなかった。さらに、近年の温暖化が追い打ちをかけた。夏場は湖の温度も上がり、さしもの恐竜も“ゆでガエル”状態だ。このままだと、死んでしまう。

 

少年は、意を決して何人かの大人に実情を打ち明けた。イッシーの腹を満たすだけの餌を工面してくれるよう、拝み倒した。だが、大人たちは少年の言葉を信じてくれなかった。「イッシーなんて、いるわけないさ」

 

あるときは、信用できる近所のおじさんを連れてイッシーに引き合わせた。おじさんは、ほぉと大きくうなずいた後、「こりゃすんごい工作をしたもんじゃな」と少年の頭をなでた。本物の恐竜だとは最後まで信じてくれず、「学校の文化祭、楽しみしとるよ」と見当違いなコメントを残して帰ってしまった。

 

観光協会の人にも打ち明けた。イッシーと撮った、渾身のツーショットも見せた。だが、事務局の人からは「ごめんねえ、もうネタとしては古いわぁ」となだめられてしまった。

 

見たものを見たままに受け止めることなく、「これはこうあるもの」とバイアスをかけてとらえてしまうのが大人のようだった。理屈、常識という型枠の中で安住する代償として、可能性や秘められた真実を見出す力を自ら手放しているように見えた。

 

僕らだけで、なんとかしなければ。

 

「ざんねんマン、助けて!イッシーを、生き延びさせて!」

 

切なる願いに、しがないヒーローの心も大きく揺さぶられた。なんとするかー

 

少年。少年は、イッシーがイッシーでなくなっても、大丈夫かい。

 

ざんねんマンの問いかけに、少年はポカンと間の抜けた顔をした。「どういうこと?」

 

イッシーは約40年、池田湖のマスコットキャラクターとして存分に頑張ってきたよね。でも、もう卒業してもいい時期なのかもしれないよ。この町の観光振興は、もうイッシー本体がいなくても揺るがないほどに土台ができている。イッシーは、もっと底が深くて魚も多いところで暮らすほうがいいんじゃないかな。

 

「海、か・・・」

 

少年は、池田湖の南へと視線を投げた。

 

池田湖から直線距離にして約3キロ。山林を抜けたところに、遥か太平洋が広がっていた。あそこなら、無限に食べ物にありつけるだろう。ひょっとしたら、イッシーと同じく奇跡的に生き延びた仲間の恐竜にだって逢えるかもしれない。

 

池田湖から離れる以上、イッシーの名はもう名乗れない。再び会うことも難しくなる。それでも、親友が生き延びられるのなら、その道を選ぼう。

 

「ざんねんマン、ありがとう!それでいこう!」

 

方針は固まった。言葉を交わさずとも、2人も考えはイッシーに伝わったようだった。体重〇トンにも上る巨体が、陸にあがった。

 

池田湖を舞台にした壮大な引っ越し作戦、成功なるか?!

 

 

池田湖を舞台にした、イッシーの壮大な引っ越し作戦が始まった。

 

大きなハードルがあった。海原にたどり着くには、いくつかの公道を横切る必要がある。ここで人間にちょっかいを出されたら面倒だ。

 

安心するんだ。人や車がきたら、この私が食い止めよう。

 

ざんねんマンがポンと胸をたたいた。

 

夜の田舎道とはいえ、何台かが引っ越しチームの手前に姿を見せた。ドキリとする場面が何度かあった。が、そのたびに大人たちの凝り固まった先入観に助けられた。

 

機転の利かないざんねんマン、手前で止まったドライバーたちにうっかり本当のことを漏らしていた。「すいません、今この先でイッシーの引っ越し作業をしてるんですよ。申し訳ないんですが、湖の反対側を迂回してくれませんかねえ」

 

ドライバーたちは10人が10人、同じような対応を見せた。「ヤバいおじさんがいる」と。車両という車両、人という人が180度向きを変え、危険人物から逃げるように去っていった。

 

誰も、話をまともに聞こうともしなかった。歴史の奇跡をまじかにしながら、いともあっさり邂逅のチャンスを放り捨てた。それは引っ越し作戦チームにとってはこの上ない幸運ではあったが、人類にとっては少し寂しい出来事でもあった。

 

ざんねんマンが汗だくになりながらドライバーたちとやりとりしている間に、少年とイッシーの姿は見えなくなっていた。山を越えたか。海にたどり着けたか。

 

東の空がうっすら白み始めたころ、山から少年が姿を現した。一人だった。作戦は。イッシーは。途中で力尽きたかー

 

言葉を待ち、つばをごくりと飲み込んだざんねんマンに、少年はゆっくりうなずいた。「いけたよ」

 

道なき道を踏み分け、無限の可能性が広がる海原へと、見事にたどり着いていた。

 

別れ際。海辺で、少年はイッシーの首を優しくなでた。おそらく、今生で再びまみえることはないだろう。イッシーは動くことなく、最後の抱擁をかみしめているようだった。

 

見たものを見たままに受け止める。感じる。純粋無垢なる心を持った人間だからこそ、世紀のの出逢いに恵まれることができた。親友とは別れてしまったが、濁りのない心と心はしっかりとつながっている。少年の瞳は、安らぎで満ちていた。

 

「もう、イッシーでもなくなっちゃったね」

 

池田湖を離れた今、名前も変わらないといけない。これからは大海原を広く泳ぎ回ることになる。舞台は地球だ。Earth(アース)だけに、アッシーか。

 

ちょっとださい感じもするけど、優しい名前で、それほど悪くない。誰の足替わりになるでもなく、思うがままに世界を旅するんだよ。

 

濁りのない少年の眼に浸り、史上類を見ない大引っ越し作戦を支えたざんねんマン。大きく伸びをし、一仕事終えた充実感を味わいながら「ウッシー、エッシーの引っ越しも手伝うぞ~」とまだきてもいない依頼に向け意欲を燃やすのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 第43話・幽霊界の原点回帰

う~ら~め~し~や~

 

草木も眠る丑三つ時(午前2時)。布団をかぶっていびきをかいている耳元で、薄気味悪いかすれ声が響いた。

 

背筋に嫌な汗がにじむ。人助けのヒーロー・ざんねんマン、実はかなりの怖がりだ。頼む、聞き間違いであってくれーと願いながら布団をまくると、部屋の隅っこで宙に浮く白衣の老婆とばっちり目が合った。

 

いたよ。

 

言い伝えさながらに、三角巾で額を覆い、両手の甲をこちらに見せてだらりと下げている。あと、足首から下が透けている。まさに日本のザ・幽霊だ。

 

上目遣いにざんねんマンの方を向いたまま、悲しげに「う~ら~め~し~や~」を繰り返す。なんだか聞いているこちらもいたたまれなくなってきた。ざんねんマン、覚悟を決めた。はい、幽霊さん、大丈夫ですよ。どうされましたか。私なんかでお役に立てることがありましたら、助けますよ。

 

一度深く頭を下げた後、幽霊は切々と語り始めた。

 

私は幽霊界でも由緒ある一族の末裔です。代々、柳の木を棲み家としてきました。お侍さんたちが治めていた時代は、人間たちからそれはもう怖がられたものです。浮世絵にもよく登場しましたね。いい時代でした。

 

ところが。海の向こうから機械や技術を母体にした「文明」が入り込んできてから、流れがすっかり変わってしまったのだという。

 

幽霊などといった非科学的なものは、信じない。人間の妄想だー。こうした考えが浸透していくにつれ、幽霊たちは存在感を失っていった。

 

復権に向けた動きもあった。アメリカでは、幽霊たちが人間世界で食べ物をあさりまくるなどの悪さを繰り返した。人間の特別チーム(ゴースト・バスターズ)との激闘にまで発展した。が、2度の大激戦の末、敗れ散った。

 

中国では死者の霊の一部が蘇り、ピョンピョンと跳ね回るキョンシーとして地上を闊歩した。カンフーの卓越した技も披露する彼らは子供たちの憧れの的となり、映画でシリーズ化されるほどの大反響を巻き起こしたが、最後は人間(道士)の手で丁重に葬られた。

 

日本では、テレビ画面からはみ出てくるという離れ業をこなす幽霊が出現。その名「貞子」は恐怖の代名詞として日本の若者たちの話題をかっさらった。だが、あまりに有名になりすぎ、プロ野球の始球式に招かれるなど大衆化が進んでしまった。もはや幽霊としての存在感は消え失せていた。

 

昔ながらの幽霊たちの居場所が、なくなっている。私たち幽霊を、お化けを、救ってくださいまし。

 

白髪の老婆は、すがるような目でざんねんマンを見つめた。またまた難しい問題だ。どうするべきか・・

 

しがないヒーローだけど、やれるだけのことはやってみよう。ない知恵を絞った。一つのアイデアにたどり着いた。効果があるか分からないけど、試してみよう。

 

英気を養うため、「今日は悪いけど休ませて」と頼み込んだ。うらめしそうに見やる幽霊にいったん退場を促した後、再び布団をかぶった。

 

明日は、動くぞ。

 

夜が、明けた。

 

あのおばあちゃんの幽霊、期待してるだろうなあ。お化けの復権か。難しいけれど、無策ではないぞ。

 

ざんねんマン、乏しい知識ながらも、幽霊の世界について振り返ってみた。

 

そもそも幽霊はシンプルな存在だ。人が亡き後、魂だけが残り、この世に残した未練をあらわすかのように、人間たちに姿を見せるのである。

 

彼らの登場する舞台は、家屋の一部屋だったり、老木の幹だったり、うっそうと生い茂る樹林の中だったりする。どれも、何ということのない空間だ。が、そこで感じるかすかな風のそよぎ、鼓膜をなでるわずかな響き、肌に触れるものの感触が、人間の第六感を呼び起こし、この世ならざる者たちの存在をひしと感じさせてきた。

 

この世に存在するものは、必ずしも見たり聞こえたりするものだけではない。そのことを幽霊たちはさりげなく気付かせてくれていた。地球上で自分たちが一番偉く強いと考えがちな、人間の思いあがりがちな心に、謙虚さをもたらしてくれていた。

 

人間界にとって、幽霊さんたちは大切な存在だ。

 

ざんねんマンは思った。最近の幽霊は、どうも見栄えに走りすぎている。超人的なパフォーマンスを見せたり、ビルをぶっ壊したり、巨大になったり。より刺激的な路線に向かってしまい、もはやエンタメ業界と境目がはっきりしなくなっている。

 

彼らが元気であり続けるためには、“原点回帰”が必要だ。

 

日が暮れるころ、ざんねんマンは住宅街から少し離れた小川のほとりにいた。散歩の人がちらほらいたが、やがていなくなった。お供の役を務めたのは、川に沿って等間隔で並ぶ、大きな柳の木だった。

 

さて、始めるか。

 

ざんねんマン、ザックを降ろすと、スマホと自撮り棒を取り出した。

 

 

枝の大きくしなった柳の木の下で、スマホのカメラを自分に向けた。

 

こんばんは!今日は人助けならぬ幽霊助けのため、現場にきております。

 

呼びかける相手は、動画投稿サイトに開設している自分のチャンネルのフォロワーたちだ。地味だがしこしこと続けている活動のおかげで、チャンネル登録者数も少しずつ増えている。

 

今回のタイトルは「体験!幽霊の奥深い世界」

 

いや~、幽霊とかゴーストとかいいますけど、最近はどうも見せ方が過激になりがちですよね。派手派手路線が行き過ぎて、皆さんもそろそろ飽きてきているんじゃないですか?幽霊さんたちも反省しているようです。そこで今晩は、彼らの「生まれ故郷」から、その魅力をお伝えしていきたいと思います!

 

三日月があっという間に沈み、暗闇が一帯を包んだ。柳の幹を背に、じっと立ち尽くす。スマホの光に照らし出されたざんねんだけの表情には、恐怖がありありと浮かんでいる。

 

いや~、薄気味悪いですね~。柳の葉のサラサラって音も、なんだか人の手がこすれ合っているような、不気味さを感じさせますね~

 

ヒュンと風が首元をなでただけで、思わず体をのけぞらせる。柳の枝がそろりと肩に触れた瞬間、「おおうっふぅ」と声にならない叫びをあげ、腰を崩す。生来の怖がりが、リポートを実に臨場感あふれるものに仕上げていた。

 

(そろそろ幽霊さん、登場してくれないかな。怖いけど、出てくれないと視聴者が満足してくれないよ。ちょっとでいいから)

 

恐怖に全身をぐっしょりしたたらせながら、中継を続けた。だが、幽霊のほうは姿を現さない。ネット中継は初めてで、腰が引けてしまったようだ。

 

「なんだよ、何も出ねえじゃん」

「やらせでも幽霊見せてくれるのかと思ったのに」

 

コメント欄は落胆の声であふれた。やらかした。僕が見せられたのは、ただビビりもだえうろたえる中年おやじの醜態だった。

 

失意に浸った。が、このままでは幽霊一族を助けられない。諦めず、翌日の夜も柳のそばに立った。その次の晩も。

 

1週間を過ぎたころ、評価がじわりと変わってきた。

 

「柳1本にこれだけビビれるのは、一つの才能かも」

「少なくとも、やらせじゃないな」

「恐怖とか幽霊って、こんな何でもないところでこそ感じるものなんじゃないかな」

「いるかいないか、分からない。そんな微妙な立ち位置にいるのが幽霊だと思う」

 

親や言い伝えで耳にしてきた幽霊観を、視聴者たちは振り返り始めた。人間の側も、幽霊たちに多くを求めすぎていた。欲が欲を呼び、遂にはニューヨークの摩天楼で暴れまわるマシュマロの化け物を生み出すほどに脱線していた。人間の側の反省も促した。

 

「俺、今度の週末、柳の木にいってみよっと」

「私も友達と」

 

人々は「柳オフ」なる集会を始めるようになった。廃墟のようなおどろおどろしさこそないものの、ひんやりした夜風に、ふいに聞こえる小石の転がる音に、異界の者の存在を感じ取った。それは、地球上に君臨する人間が少しばかり謙虚になり、頭(こうべ)を垂れる貴重な機会をもたらした。

 

幽霊たちも、廃墟など目立つばかりの“心霊スポット”から、地域に散財する柳の下へと帰っていった。たわわにしなる枝の下で、人間と幽霊が再び魂の交流を重ねだした。やがて、幽霊たちはかつての確固とした存在感を取り戻していった。

 

ある晩。布団をかぶっていたざんねんマンの耳元で、ふたたびあのかすれ声が聞こえてきた。ざんねんマン、もう目を開けることはなかった。おばあちゃん、もう大丈夫だよね。柳の下に、お帰り。そう心の中でつぶやくと、老婆の幽霊は「あ~り~が~た~や~」とハイトーンで返し、部屋は再び静寂に包まれた。

 

幽霊を救い、人間の純朴さを取り戻す手助けもしたざんねんマン。「今回は頑張ったかな」と自らをねぎらい、缶ビールをプシューと空ける一方、「もう柳の下の深夜中継は勘弁だ」とぼやくのであった。

 

~完~

 

お読みくださり、ありがとうございました。

 

【ざんねんマンと行く】 第42話・人知れず積む善行


「さーいよいよ長丁場の始まりです!感動の瞬間を、捉えられるか?!」

玄関前で、リポーターがやけに高いトーンで叫んだ。

各テレビ局が折々に手掛ける、24時間密着シリーズ。病院、ポリス、コンビニ・・と、あらゆる対象をネタにし尽くし、もはや残るトピックはないかと思われる中、とある局が最後の希望とばかりにあるターゲットに食指を伸ばした。

人助けのプロこと、ざんねんマン。

助けを求められると、100%の確率でミッションを達成してきた。その活動の様子をカメラで追いかけることができれば、刺激を求める視聴者に響くかもしれない。

気がかりなのは、映(ば)えないこと。ビームなどの大技も出ない。リスクはある。だが、もしかしたら、疲れた現代に多少なりとも潤いを提供できるかもしれない。これで一発当てたら、第2弾、第3弾とやっていくつもりだ。

事前に収録の了解を得た上で、とある日の正午、カメラクルーは本人の暮らすアパートの玄関をノックした。

あ、どうもどうも。今日はわざわざ大勢で。

やたらニヤケた顔が画面にドアップで映る。「ヒーロー」の風格はあれよと流れ去った。クルー一行、やや興ざめした気分を押し隠し、えいやと気合を入れ早速撮影モードに突入だ。

「いやー、なんともつつましいお部屋ですね。こちらが人助けのヒーローのご自宅です。本邦・初公開!」

リポーターが情感あふれんばかりに見どころを伝えようとするが、なんせ男一人暮らしの1DK。殺風景の観は否めない。ちゃぶ台に置かれた、食べかけのヨーグルトが侘しさを醸し出す。

「さてざんねんマンさん、早速ですが次の出動はいつごろに・・」

リポーターがマイクを向けてくる。そうですね、まあ突然といいますか、毎回いきなり仕事が飛び込んでくるわけですよ。それこそ今この瞬間にもひょっとしたら・・

そのときだった。ざんねんマンが言い終わらないうちに、玄関のチャイムが鳴った。

「さすが、さすがは人助けのプロ!休む暇もないのか!」

色めきだつクルーを笑顔で制しながらドアを空けた。そこには、なじみのラーメン屋の大将が立っていた。

「呑竜軒ですぅ。いつもありがとうございや~す」

出前で頼んだチャーシュー麺と餃子、キムチを床に置いた。いやぁ、こっちこそすいません、一人前なのにね。大将のラーメンは、一回食べたらやめられないですよ、まったく。

玄関でしばし雑談する二人に、クルーは言葉にならないイライラが沸き起こるのを感じた。

あーすいません、皆さんがいらっしゃる前に出前を頼んどいたんですよ。忘れてましたわ。

振り返りざま、それほど悪びれるでもなく頭をかくヒーロー。クルー一同は嫌な予感がわくのを感じた。今回の取材は、厳しい戦いになるかもしれないぞ。

その後はなんとも単調な時間が過ぎた。来客なし、電話なし、助けを求める心の叫び、なし。あっという間に日が傾く。夜の戦いに備え、一同がストレッチで体をほぐしはじめたころ、今度はざんねんマン自身が叫んだ。

はあっ!

再びクルーに緊張が走る。今度こそは出動かー

しまった、洗濯機のボタン押すの、忘れてた!

やってもうたとばかりに天を仰ぐ異色の主人公に、一同の疲労は倍にも3倍にも募るのであった。

期待をせず、「そのとき」を待ち続けた。が、変化なし。とうとう就寝時間となり、ざんねんマンは「申し訳ないですけど、お先に寝ま~す」と布団をかぶった。

一方のクルー陣。少しでも撮れ高を確保せねばと、眠気と戦い続けた。ときどき、ざんねんマンの布団がピクピクと動いたが、どうやら夢の中で壮大な人助けをしているためのようだった。現実の世界でやってほしかった。残念。

夜が明けた。24時間収録が終わるまで、残りわずか6時間。百戦錬磨のクルー陣に、「敗北」の二文字がちらついてきた。このまま何も起こらなかったら、俺たちは負けだ。

かといって、無理やりに救出劇を仕立て上げるわけにもいかない。いかさま、フェイクは今、最も世の中に嫌われているところだ。「そのとき」がやってこなければ、それであきらめるしかないのだろう。

気負いをなくしたところで、少しだが心持ちも楽になるような気がした。どうせ不漁なら、何か暇つぶしでも探そうかー

クルーのアシスタントの女性が、最初に動き出した。

夜が明けた。24時間収録が終わるまで、残りわずか6時間。撮れ高なく、言いようのない敗北感が部屋を覆う中、カメラクルーのアシスタントの女性がふと口を開いた。

「すいません、これ、片付けていいですか」

女性が指さしたのは、ちゃぶ台に置かれた食べかけのヨーグルト。もはや酸化が進んで食べられない。男の一人暮らしにありがちな光景だ。お掃除しないと、ばっちいよ。

いやぁ、すいませんねえ。ずぼらな性格なもので

頭をポリポリかきながら、ざんねんマンが頭を下げる。なんとも頼りないおじさんだこと。「お部屋、きれいにしないと体に悪いですよ」と語る女性の声には、生来の優しさがにじんでいた。

いろんなところに、手入れの必要な個所があった。ごみかごはもう一杯。ちゃんとゴミ袋に移して、さっさとステーションに出さないと。今日がちょうど可燃ごみの日だったので、女性はサササと手際よく片付けた。

男性陣も、暇をもてあましてか部屋の中を見回しだした。ったく、ざんねんマンさん、シンクの排水口がほとんど詰まってるじゃないですか。

年長のメンバーが、若手にポケットマネーを渡すと、詰まりを解消する溶液を買いにいかせた。

あー、やっぱりここも。風呂も同じだね。

男性連中、手分けしてそこここの排水口と格闘を始めた。まあなんと全く生活能力のないヒーローなんだ。口々にぼやきつつも、心の中では別のことも考えた。

こんな冴えないおじさんも、映えないなりに人助けをしているんだよな。生活に、目が行き届かないところも、あるのかな。ちっとは、僕らもお手伝いしてあげようかな。

「人助けの現場密着」という本来の目的を忘れ、一同が黙々と
ざんねんマンの部屋掃除に打ち込んだ。

そこには「撮れ高」も、視聴率も、会社の評価もなかった。ただ純粋に、冴えないおじさんの生活空間を普通レベルに戻してあげようとの思いがあった。

見違えるほど、とまではいかないが、訪問前と比べればずいぶんと部屋がきれいになった。

一同が心地よい疲労の汗をぬぐっていると、聞きなれたチャイムが窓の外から流れてきた。正午の知らせだ。

終わった。

視聴者に届けられる成果物は、何もなかった。カメラクルーのリーダーは、「こりゃ上からたんまり絞られるな」と苦笑いした。

実際、一同は会社に戻るや幹部から大目玉を喰らった。何もないなら、何かをつくれ。誰かにSOSを発信させろと。だが、映像の真実を求めるクルーに、いかさまは選択肢に入っていなかった。

申し訳程度に、リーダーがある映像を見せた。「いやですね、あまりに暇なもんで、僕らざんねんマンさんのお部屋を掃除したんですよ」

ゴミを手際よく片付ける女性アシスタント。排水口の詰まりと戦う男性スタッフ。その額ににじむ汗は、見る人の心を爽やかにさせてくれそうだった。

「いやいやいや、お掃除番組撮りにいってもらったわけじゃないんだよ!」

幹部の怒りに油を注いでしまった。こっぴどく叱られた。丸一日かけて、プロのカメラクルーが収穫物なしで帰ってくるとは。お前たち、今日は一日反省してなさい!

顔も見たくないとばかりに、一同はオフィスを追い出された。

あー、なんか疲労感のたまる24時間だったなあ。出前頼むなら先言っといてほしかったよね。あと、洗濯機は朝回しとかないとね。そういうとこに、生活感のなさがにじんでたね。

でも、俺たち、お掃除がんばったよね。ごみ片付けたし、シンクきれいになったし。今晩はあのおじさんも気持ちよくお風呂入れるだろうなあ。

駅への帰り道、一同は不思議な1日を振り返った。目に見えた収穫も評価も得られなかったが、心の中に何か温かい力のようなものが沸いてくるのを感じた。

人知れないところで積む善行こそ、その人にすがすがしい活力を与えてくれるのかもしれない。

競争社会で戦うテレビマンたちに、図らずも癒しの機会をもたらしたざんねんマン。すっかりきれいになった部屋を見回しながら、「また3か月先ぐらいにきてくれるとありがたいんだけどな~」と何とも情けないことを考えるのであった。

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】第41話・矛と盾

この年になって、ささいなことで頭を悩ませるとは。まったく、ただの頭でっかちの、でくの坊か。俺は。

 

中空を見上げ、自嘲気味に「だめだこりゃ」とつぶやいた。

 

黒縁眼鏡にスーツをピシりと着こなした姿は、まさに学者然としている。名の知られた大学で論理学を講じる哲男にとって、世間の諸問題はすべからく筋道立てて向き合うことで解決されなければならないはずのものであったが、ことわが身のこととなると途端に難しくなり、打つ手も見つからず途方にくれるのであった。

 

高校生の娘がいる。学業のほうはそこそこ頑張ってきたようで、この調子でいけばどこかの4年制大学には行けそうだ。なのに最近、「舞台俳優になりたい」などと切り出してきた。進学するつもりはないと。まったく、雲をつかむようなことを。成功者など一部もいない世界で、名を成すことなどできるはずもない。

 

これをいい機にーと人生の歩むべき道を諭そうとしたところ、「お父さんは私のことを見てない」と叫んだきり、口もきかなくなってしまった。頼みの妻まで「この子の人生だから」とやんわり肩を持つ始末。まったく、私の親心と至極まっとうな見解を、どうして理解できないのか。それなりの大学に通って、それなりの会社に就職することが、一番安全で正しい道なのに。

 

人生で最も身近な人に対してさえ、正論の一つも説き伏せることができない。それだけではない、長く円満だった家庭内にすきま風まで入り込んできた。寂しい。そして、みじめだ。俺は一体、研究者として何を学んできたのか。世間で実践できてこその学問ではないのか。あと、明かすのは恥ずかしいが、正直、娘に嫌われたくない。嫁さんにも。今、家に居場所、ない。

 

行きつけのカフェ。いつも注文しているお気に入りのコーヒーも、今日はひときわ苦く感じられた。誰か、俺の悩みを解きほぐしてくれないものか。

 

哲男が座るカウンターの隣で、同じく淹れたてのコーヒーをすする男がいた。人助けのヒーローこと、ざんねんマン。哲男の慟哭を心中でしっかと受け止めるや、おもむろに口を開いた。

 

お互いに、言い分があるってことですかなあ。

 

何を知ったようなことをーと哲男がギョロリにらんだ。「私のほうが正しいに決まってるんだ。娘と妻の言ってることなんて、甘っちょろい夢物語にすぎないんだ」

 

夢物語、上等じゃないですか。夢のおかげで人生に張り合いができるんですし。生まれたからには、やりたいことしないと。娘さんの言うことにだって理屈があると私は思いますよ。あ、もちろんお父さんの言うことも分かりますけどね。どっちが正しいとか間違ってるとかいう話じゃないと思いますよ。

 

まあその、いわゆる「矛盾」ってやつですかねえ。

 

カッコいいこと言うたったとばかりにしたり顔を垂らすざんねんマンに、哲男は苦虫をつぶしたような表情を返した。

 

「君ね、『矛盾』なんて一言で片づけられる問題じゃないんだよ」

 

言いながら、哲男はその言葉の意味をあらためて考えた。

 

「君ね、『矛盾』なんて一言で片づけられる問題じゃないんだよ」

 

言いながら、哲男はその言葉の意味をあらためて考えた。

 

矛と盾、か。世の中に、何でも貫くという矛がある。一方、何物をも通すことを許さないという盾がある。二つがぶつかり合ったらどうなるか。

 

いや、ぶつかり合うことはない。そんな場面は生まれない。なぜなら、どちらかが負けた場合、嘘を言っていたことになるからだ。そもそも「何でも貫く」矛も、「何物をも通すことを許さない」という盾も、存在しないのだ。

 

私の考えが「矛」だとしたら、娘の考えは「盾」か。どちらも絶対に正しいというわけではない、ということか。言い換えれば、どちらにも言い分があるということか。

 

解決しようのない問題というものが、あるのかもしれない。それはそれとして、ありのままに受け入れればいいのかもしれない。憤ったり、悲しんだりすることもない。

 

哲男は、ふさがっていた気持ちが少しばかり軽くなるのを感じた。もういい、娘は娘で自分の信じることを主張したらいい。その代わり、俺も折れないぞ。だって、どっちも理屈があるんだから。あとは、なるようになるだけさ。

 

「まあ、君の言うことも一理あるかもしれないね。結局、世の中の真髄は『矛盾』の二文字で表すことができるということだよ。矛盾は矛盾として、これからも世の中に存在し続けるのだ」

 

真理の一端をつかんだ喜びをかみしめるかのように、哲男が晴れやかな表情で語った。「まあ、サラリーマン風情にこの深淵な論理が理解できるとは思えないがね」

 

なんだか偉そうだなあ。「矛盾」って言葉使ったの、おいらが先なのに・・・

 

子供じみた反論を口にしたい衝動をこらえ、「ああそうですか、そうですか」とそっけなく返すのが精いっぱいだった。

 

それにしても、短い言葉の中に智慧というものは秘められているものだ。何十年も難解な言葉をこねくり回してきた哲男は、生活の中で使い古された言葉にも深い真実があることにあらためて気づき、新鮮な感動を覚えた。

 

家庭不和の打開に手を貸したざんねんマン。表情から憂いの色が消えた哲男に安堵しながら、「娘さんにやり込められるといい」と悪いことを考えるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【歩き旅と思索】 49・デジャビュ

地点から地点へと歩いてつなぐ旅を20年している。

 

40代となり、体力は確実に衰え、1日に歩ける距離も短くなってきた。

 

ただ山あいの集落を歩き、海沿いのひなびた田舎道をたどり、ときおり大都市の雑踏を抜ける。その繰り返しにすぎない。

 

それなのに、飽きない。なぜか。

 

デジャビュ、がないのだ。

 

歩く先、それぞれに個性がある。名前もないような小山でさえ、その山にしかない個性的な稜線が連なっている。海辺の道は、くねくねと曲がっているが、その曲線はその土地にただ一つの形だ。

 

一つとして同じ形風景の土地はない。見ていて、飽きない。

 

深い入江を半周すると、また新たな入江が現れたりする。似たりよったりの光景だが、どれもが違い、独特の雰囲気を醸している。

 

土地を歩く人の言葉も、似ているようで微妙に違っている(1日歩く中でも感じることがある)。

 

出会い、出会い、出会いの連続だ。

 

感動だったり、印象だったり、落胆だったり、土地土地で受ける印象は異なるが、どれもが新鮮だ。

 

日常生活はパターン化しがちで、既視感のある出来事であふれているが、歩き旅をしているとそういったデジャビュの世界から束の間でも抜け出すことができるように感じる。

 

自然、街、土地は、どれもが個性的で、味わいがある。歩き旅を通じて、そのことにつくづく気付かされる。

【ざんねんマンと行く】 第40話・「黒幕」との対決

ピンポーン

 

アパートのチャイムが鳴った。古い建物だから、誰でも敷地に入ってこれる。面倒だけど、結構面白い出会いもあって、悪くないんだよな。

 

玄関ののぞき穴の向こうには、ビシッとスーツを決めた中年の男が立っていた。

日陰なのにグラサン。片手には何か入ってそうな紙袋。どこか闇のありそうな御仁だ。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。やや警戒しながらドアをギギ―と開けた。はい、どなたさまで・・

 

「突然のところ恐れ入ります。私はその、郊外でしがない・・ンセイ稼業をやってい・・ものでありまして・・」

 

ところどころ、聞き取れない。聞き直そうとすると、小声で制してきた。「まあその、できればお部屋でご相談を・・」

 

勢いに押され、中に通した。散らかっていますが、どうぞ。

 

ようやくグラサンを外した男は、目つきの鋭さが印象的だった。銀髪が目立つところをみると、アラ還か。

 

男の相談内容は意外とシンプルだった。「自分のブランド力を上げたい」という。世間の人気を集めるのが欠かせない仕事らしい。ただ最近、どうもその人気を若い成長株に奪われてしまったようだ。以前は黒塗りのハイヤーで官庁街から飲み屋街までを巡り倒していたのに・・。さぞ景気よくやっていたであろう往時への未練が、ねっとりした語り口から伝わってきた。

 

「ということで、つまらないものですが、これを」

 

片手の紙袋を、そろりとざんねんマンのひざ元に寄せてきた。むむ、中に何か入っている。


茶帯に包まれた、白い封筒。しかも結構分厚い。これはもしや・・

 

「まあ、よしなに」

 

中年男がニヤリと笑った。勘の悪いざんねんマンでも、さすがに中身は推測がついた。現ナマだ!

 

ということは、あなたはつまり、「センセイ」ですか?

 

「いやあ、まあ、センセイだなんて、そんな。う~しゃっしゃっしゃ」

 

男は明らかに上機嫌になった。センセイ、いい響き。周りから言われて嬉しくなるなんて、子供っぽい人だなあ。とまれ、それならそうと早くいってくれればいいのに。もったいぶるおじさんだ。まあでもセンセイ、どうして私なんかに相談を?

 

「まあ、それはね、あなたの助けが必要になったからだよ」

 

センセイのスーツをよく見ると、ちょっとくたびれていた。ひげもちゃんと剃れていない。なんだか、覇気がないっちゃあ、ない。あ、つまりはその、「元」センセイと・・

 

「それ、いうなー!」

 

センセイが羞恥心も露わに両手で自分の顔を隠した。ああもう、今となってはただのおじさんじゃん。おじさん、で、具体的に何をしてほしいんですか。

 

元・センセイは再びねちっこい眼差しを寄せてきた。「君の人助け達成率が100%ということはよく知っている。でもどうせあれだろう、ヤラセとかサクラでごまかしているんだろう?まあそれはいいんだ。やり方はどうでもいいから、私の知名度を上げてほしいんだよ」

 

ざんねんマンのひざ元に置いた札束は、その手付金というわけだった。

 

さて、どう動く、ざんねんマン!

 

 

札束と、その意味を理解したざんねんマン。トロリ溶けてしまうかと思いきや、活気盛んな江戸っ子よろしく吠えだした。

 

そんな、失敬な。わたしはですよ、確かに小粒なヒーロー稼業でしのがせていただいてますけどね、ヤラセも仕込みも、一度もやったことなんか、ないですよ。こんな札束で人を動かそうだなんて、人を小馬鹿にするにもほどがありますよ。それにね、札束とか、古すぎますよ。どうせやるならね、ビットコインとかユニコーン候補のIPO前株とかでしょ!

 

「いうたな、いいよったなー!」

 

元・センセイは烈火のごとく怒った。羞恥を隠すかのように、昔の武勇伝をぶちまけてきた。

 

「俺だってなあ、かつては料亭に足しげく通ってだな、他のセンセイとか経済界の重鎮たちと大事な話をしてたんだ。こんなふうに茶封筒を渡したり、もらったりしたことだって、何十回もあるんだぞう。それで世の中を動かしていたんだ。みんな知らないだろうけど、俺こそが世の中のフィクサー、つまり『黒幕』だったんだ」

 

自分で言うかいな。ざんねんマン、ちょっと吹いた。偉そうなこと言ってますけどね、結局あれでしょ、新進気鋭の若手に票を持ってかれちゃったんでしょう。地盤も看板もカバンもない新人にね。ださい、ださい!

 

今は世の中が大きく変わろうとしている。以前のように、「密室」で「密談」して物事を決める時代ではなくなってきている。そもそも情報はSNSですぐ世間に筒抜けになる。隠そう隠そうとしても、いずれ露わになる。古臭い昭和のやり方でやっていると、時代から取り残されるだけだ。

 

情報は「隠す」から「出す」方向へ。裏で操る「黒幕」が暗躍する時代から、何事にもオープンスタンスで臨む「丸腰」が輝く時代へ。着実に変わりっているニーズを理解し、しっかり応えるこれからの世代こそ、人々の支持を得て活躍していくのだ。

 

「むむむ、ムオオ~ン」

 

おじさんは、何か動かされるところがあったか、慟哭した。

 

「おふぅ、この年になって、ようやく自分の時代遅れっぷりに気づかされるとはな・・」

 

憑き物がとれたかのように、おじさんは澄んだ瞳を向けてきた。「この札束、返してもらうな」

 

ざんねんマン、やや未練ありげに封筒を眺めた。まあセンセイ、諭吉さん数枚ぐらいだったら、選別代わりってことで世間的にもOKかと・・

 

「なあに甘っちょろいこと言ってやらぁ。『黒幕』のいらない世の中とあっちゃ、こんな『袖の下』も出る幕はないってもんさあ」

 

百人以上は詰まっていたであろう諭吉の団体が、膝元からもろとも去っていった。小粒のヒーロー、小金持ちになった妄想をかき消すのにしばし必死となった。

 

元・センセイのおじさんは、来たときとはうってかわって軽い足取りでドアの向こうへと去っていった。おじさん、再就職できるのかなあ。

 

ざんねんマンの心配もなんのその、おじさんはちょっと違った形ながら見事にカムバックを果たすことになった。

 

黒塗りのハイヤーを乗り回し、「黒幕」ぶりを発揮していた元・センセイ。ざんねんマンとの、子供顔負けの口喧嘩を通じて、何か憑き物がとれたかのように澄んだ瞳を取り戻した。

 

両者の邂逅から数週間後。オフィス街から一本奥に入ったところで、蝶ネクタイを付けた元・センセイの姿があった。

 

「いらっしゃいませ」

 

低く落ち着いた声は、静かな世界に浸りたいビジネスパーソンカップルたちをじんわり温かく迎え入れていた。

 

グラスを手際よく拭きながら、さりげなく注文を待つ。口数は少なく、しかし最大限の気遣いを払いながら。カウンターの一人一人は、無言でたたずむセンセイの存在に気づいていないかのようでもあった。

 

センセイは、古巣の稼業に戻ることをあきらめた。あそこはもう、若い世代に託すべきだろう。俺なんかがかきまわす時代じゃない。すっぱり、未練を絶った。一方で、自分の持って生まれた個性を活かしたいとの思いを抑えることはできなかった。模索した末にたどり着いたのが、この仕事場だった。

 

今、一介のバーテンダーとして働いている。学生時代にちょっとだけバイトしていた。そのときの経験を生かし、人づてに知り合った店のオーナーに拾ってもらうことができた。

 

これまでさんざん「闇」「裏」の世界をひた走ってきた。秘密に秘密を重ね、ときに泥をすするようなこともしてきた。どこか後ろめたさもあった人生の経験は、意外にも新たな世界でプラスの方向に働くようになった。

 

秘密は決して漏らさない。気配りをきかせることができる。贈り物のポイントをわきまえている。人心の機微を相手にする、お酒の世界に欠かせない魅力だった。

 

相手の懐にすっと入っていける気安さは、間もなく常連客たちのハートをつかんでいった。口数こそ少ないながら、世渡りで苦労している若者には、実践的な処世術をさりげなく提言した。仕事でミスを犯し、取引先に菓子折り持っていくビジネスマンには、品物の選び方や差し出すタイミングを指南した。会社のドロドロした派閥争いの話を漏らされることもたびたびあったが、自分の肚一つにすべてを抑え込み、それがますます客の信用を集めた。

 

年がたち、ためたお金で独立した。人様には語れぬ闇を秘めていたセンセイは、誰からも慕われるバーのマスターとして本来の輝きを発揮し始めた。そこにはかつてのような近寄りがたい「黒幕」の面影はなかった。すっかり角がとれ、誰の心をも捉えて離さない「丸腰」そのものの魅力で満ち溢れていた。

 

人生を一周まわり、新たに生まれ変わることに成功した元・センセイ。かつて罵倒もした小粒ヒーローに心から感謝し、後に店に招いてたらふくご馳走した。

「これもあなたのおかげです」

 

一方のざんねんマン。すっかり景気も良くなったセンセイの姿にゲスな根性を揺り動かされたか、「諭吉さんを持て余してたら私がぜひ使いまわしてしんぜましょう」と小粒っぷり全開で馳走をねだるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~