おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】第41話・矛と盾

この年になって、ささいなことで頭を悩ませるとは。まったく、ただの頭でっかちの、でくの坊か。俺は。

 

中空を見上げ、自嘲気味に「だめだこりゃ」とつぶやいた。

 

黒縁眼鏡にスーツをピシりと着こなした姿は、まさに学者然としている。名の知られた大学で論理学を講じる哲男にとって、世間の諸問題はすべからく筋道立てて向き合うことで解決されなければならないはずのものであったが、ことわが身のこととなると途端に難しくなり、打つ手も見つからず途方にくれるのであった。

 

高校生の娘がいる。学業のほうはそこそこ頑張ってきたようで、この調子でいけばどこかの4年制大学には行けそうだ。なのに最近、「舞台俳優になりたい」などと切り出してきた。進学するつもりはないと。まったく、雲をつかむようなことを。成功者など一部もいない世界で、名を成すことなどできるはずもない。

 

これをいい機にーと人生の歩むべき道を諭そうとしたところ、「お父さんは私のことを見てない」と叫んだきり、口もきかなくなってしまった。頼みの妻まで「この子の人生だから」とやんわり肩を持つ始末。まったく、私の親心と至極まっとうな見解を、どうして理解できないのか。それなりの大学に通って、それなりの会社に就職することが、一番安全で正しい道なのに。

 

人生で最も身近な人に対してさえ、正論の一つも説き伏せることができない。それだけではない、長く円満だった家庭内にすきま風まで入り込んできた。寂しい。そして、みじめだ。俺は一体、研究者として何を学んできたのか。世間で実践できてこその学問ではないのか。あと、明かすのは恥ずかしいが、正直、娘に嫌われたくない。嫁さんにも。今、家に居場所、ない。

 

行きつけのカフェ。いつも注文しているお気に入りのコーヒーも、今日はひときわ苦く感じられた。誰か、俺の悩みを解きほぐしてくれないものか。

 

哲男が座るカウンターの隣で、同じく淹れたてのコーヒーをすする男がいた。人助けのヒーローこと、ざんねんマン。哲男の慟哭を心中でしっかと受け止めるや、おもむろに口を開いた。

 

お互いに、言い分があるってことですかなあ。

 

何を知ったようなことをーと哲男がギョロリにらんだ。「私のほうが正しいに決まってるんだ。娘と妻の言ってることなんて、甘っちょろい夢物語にすぎないんだ」

 

夢物語、上等じゃないですか。夢のおかげで人生に張り合いができるんですし。生まれたからには、やりたいことしないと。娘さんの言うことにだって理屈があると私は思いますよ。あ、もちろんお父さんの言うことも分かりますけどね。どっちが正しいとか間違ってるとかいう話じゃないと思いますよ。

 

まあその、いわゆる「矛盾」ってやつですかねえ。

 

カッコいいこと言うたったとばかりにしたり顔を垂らすざんねんマンに、哲男は苦虫をつぶしたような表情を返した。

 

「君ね、『矛盾』なんて一言で片づけられる問題じゃないんだよ」

 

言いながら、哲男はその言葉の意味をあらためて考えた。

 

「君ね、『矛盾』なんて一言で片づけられる問題じゃないんだよ」

 

言いながら、哲男はその言葉の意味をあらためて考えた。

 

矛と盾、か。世の中に、何でも貫くという矛がある。一方、何物をも通すことを許さないという盾がある。二つがぶつかり合ったらどうなるか。

 

いや、ぶつかり合うことはない。そんな場面は生まれない。なぜなら、どちらかが負けた場合、嘘を言っていたことになるからだ。そもそも「何でも貫く」矛も、「何物をも通すことを許さない」という盾も、存在しないのだ。

 

私の考えが「矛」だとしたら、娘の考えは「盾」か。どちらも絶対に正しいというわけではない、ということか。言い換えれば、どちらにも言い分があるということか。

 

解決しようのない問題というものが、あるのかもしれない。それはそれとして、ありのままに受け入れればいいのかもしれない。憤ったり、悲しんだりすることもない。

 

哲男は、ふさがっていた気持ちが少しばかり軽くなるのを感じた。もういい、娘は娘で自分の信じることを主張したらいい。その代わり、俺も折れないぞ。だって、どっちも理屈があるんだから。あとは、なるようになるだけさ。

 

「まあ、君の言うことも一理あるかもしれないね。結局、世の中の真髄は『矛盾』の二文字で表すことができるということだよ。矛盾は矛盾として、これからも世の中に存在し続けるのだ」

 

真理の一端をつかんだ喜びをかみしめるかのように、哲男が晴れやかな表情で語った。「まあ、サラリーマン風情にこの深淵な論理が理解できるとは思えないがね」

 

なんだか偉そうだなあ。「矛盾」って言葉使ったの、おいらが先なのに・・・

 

子供じみた反論を口にしたい衝動をこらえ、「ああそうですか、そうですか」とそっけなく返すのが精いっぱいだった。

 

それにしても、短い言葉の中に智慧というものは秘められているものだ。何十年も難解な言葉をこねくり回してきた哲男は、生活の中で使い古された言葉にも深い真実があることにあらためて気づき、新鮮な感動を覚えた。

 

家庭不和の打開に手を貸したざんねんマン。表情から憂いの色が消えた哲男に安堵しながら、「娘さんにやり込められるといい」と悪いことを考えるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~