「ともだちが、しにそうなんです」
たどたどしい平仮名に、助けを求める者の切なる気持ちがにじんでいた。
人助けのヒーローこと、ざんねんマンの自宅に届いた一通のハガキ。差出人の住所は鹿児島県指宿市とあった。文字を覚えたばかりの子供だろうか。とにかく、親友の命が危ないとつづっている。鉛筆書きの「たすけてください」という一文が、ひときわ濃くにじんでいた。
文面を三たび読み直したざんねんマン。「待たせはせん」とつぶやくや、アパートの窓を勢いよく開け放った。掛け声よろしく南の空へ翔けた。
日が暮れるころ、少年の暮らす指宿に到着。玄関前でウロウロしていると、気配を察知した少年が家から飛び出てきた。
「あ!おじさん、ひょっとして、あのざんねんマン?」
まあ、その、そうだよ。
名前を呼ばれて照れるヒーローに、少年は尊敬のまなざしを寄せてきた。いやあ、恥ずかしいやらうれしいやら。子供の純粋な瞳ほど、無垢で心をくすぐるものはない。
「ざんねんマン、僕についてきて!」
少年はざんねんマンを手を引っ張り、山手の方向へ駆け出した。どうやら、「しんゆう」の元に向かうようだ。
10分ほど駆けると、かなり大きな湖が開けてきた。指宿の観光名所・池田湖だ。湖畔に飾られた、巨大な恐竜の模型が目を引く。
「ざんねんマン、ここ!」
日が暮れ、ひと気もすっかりなくなった湖のほとりで、少年はようやく止まった。こんなところに誰がいるのか。首をかしげるざんねんマンに、少年は「ちょっと待ってて」と目くばせをした。片手で湖面を優しくたたき、ポワンポワンと不思議な音を響かせた。
5分たったろうか。視界の向こうから、ニョロリと長い首のようなものを突き出した物体が、ゆっくりと2人の下に近づいてきた。ボートだろうか。いや違う、顔があるな。これは・・
「イッシーだよ。」
少年は、茶化す風でもなく答えた。イッシー、とな・・
イッシーとは、池田湖で1970年代に“誕生”したUMA(未確認生物)だ。イギリスのネス湖で確認されたUMAの本家・ネッシーの人気にあやかり、現地の自治体や観光関係者らが担ぎ出した。
地元では、あたかも本物の恐竜が生息しているがことく、もっともらしい「証言」や「写真」をとりそろえた。それが観光客の興味を引き付け、訪れた人々も信じたふりをして湖畔で記念写真を撮った。イッシーのモニュメントは人気撮影スポットになり、地元の観光振興に大いに貢献している。
まさか本物が棲んでいるとはー。大人の誰も、思いもしなかった。
少年がいうには、初めて遭遇したのは昨年の夏。酷暑が列島をたぎらせていたある昼下がり、自転車で湖畔を巡っていた少年の目の前に突如、現れたのだという。
人目を避け、ひっそり暮らしているイッシーも、うだる暑さに思わず首を湖面から突き出した。プハーと大きく深呼吸したその瞬間、少年とばっちり目が合った。
驚きと感動の色で染まった少年の澄んだ瞳は、人間を恐れるUMAの警戒心をも溶かした。種の違いを越え、“2人”の間には友情が生まれた。
ただ、他の人間が、しかも大人が知ってしまったら、大事になる。2人の交流は、決まって夕暮れどき、湖面をたたく少年の合図で始まった。イッシーは、少年が顔を撫でてあげるととても喜んだ。少年を首の上に乗せ、湖面をぐるぐると巡ることも少なくなかった。長く孤独の中で暮らしてきたイッシーは、友と同じ時間を過ごす喜びを心から味わっているようだった。
楽しい日々にも、しかし限界が近づいてきた。
少年とイッシー。種を越えた交流の日々にも、限界が近づいていた。
一つは食の問題。決して広くない池田湖には、体の成長し続けるイッシーの腹を満たすほど大きな魚は棲んでいなかった。さらに、近年の温暖化が追い打ちをかけた。夏場は湖の温度も上がり、さしもの恐竜も“ゆでガエル”状態だ。このままだと、死んでしまう。
少年は、意を決して何人かの大人に実情を打ち明けた。イッシーの腹を満たすだけの餌を工面してくれるよう、拝み倒した。だが、大人たちは少年の言葉を信じてくれなかった。「イッシーなんて、いるわけないさ」
あるときは、信用できる近所のおじさんを連れてイッシーに引き合わせた。おじさんは、ほぉと大きくうなずいた後、「こりゃすんごい工作をしたもんじゃな」と少年の頭をなでた。本物の恐竜だとは最後まで信じてくれず、「学校の文化祭、楽しみしとるよ」と見当違いなコメントを残して帰ってしまった。
観光協会の人にも打ち明けた。イッシーと撮った、渾身のツーショットも見せた。だが、事務局の人からは「ごめんねえ、もうネタとしては古いわぁ」となだめられてしまった。
見たものを見たままに受け止めることなく、「これはこうあるもの」とバイアスをかけてとらえてしまうのが大人のようだった。理屈、常識という型枠の中で安住する代償として、可能性や秘められた真実を見出す力を自ら手放しているように見えた。
僕らだけで、なんとかしなければ。
「ざんねんマン、助けて!イッシーを、生き延びさせて!」
切なる願いに、しがないヒーローの心も大きく揺さぶられた。なんとするかー
少年。少年は、イッシーがイッシーでなくなっても、大丈夫かい。
ざんねんマンの問いかけに、少年はポカンと間の抜けた顔をした。「どういうこと?」
イッシーは約40年、池田湖のマスコットキャラクターとして存分に頑張ってきたよね。でも、もう卒業してもいい時期なのかもしれないよ。この町の観光振興は、もうイッシー本体がいなくても揺るがないほどに土台ができている。イッシーは、もっと底が深くて魚も多いところで暮らすほうがいいんじゃないかな。
「海、か・・・」
少年は、池田湖の南へと視線を投げた。
池田湖から直線距離にして約3キロ。山林を抜けたところに、遥か太平洋が広がっていた。あそこなら、無限に食べ物にありつけるだろう。ひょっとしたら、イッシーと同じく奇跡的に生き延びた仲間の恐竜にだって逢えるかもしれない。
池田湖から離れる以上、イッシーの名はもう名乗れない。再び会うことも難しくなる。それでも、親友が生き延びられるのなら、その道を選ぼう。
「ざんねんマン、ありがとう!それでいこう!」
方針は固まった。言葉を交わさずとも、2人も考えはイッシーに伝わったようだった。体重〇トンにも上る巨体が、陸にあがった。
池田湖を舞台にした壮大な引っ越し作戦、成功なるか?!
池田湖を舞台にした、イッシーの壮大な引っ越し作戦が始まった。
大きなハードルがあった。海原にたどり着くには、いくつかの公道を横切る必要がある。ここで人間にちょっかいを出されたら面倒だ。
安心するんだ。人や車がきたら、この私が食い止めよう。
ざんねんマンがポンと胸をたたいた。
夜の田舎道とはいえ、何台かが引っ越しチームの手前に姿を見せた。ドキリとする場面が何度かあった。が、そのたびに大人たちの凝り固まった先入観に助けられた。
機転の利かないざんねんマン、手前で止まったドライバーたちにうっかり本当のことを漏らしていた。「すいません、今この先でイッシーの引っ越し作業をしてるんですよ。申し訳ないんですが、湖の反対側を迂回してくれませんかねえ」
ドライバーたちは10人が10人、同じような対応を見せた。「ヤバいおじさんがいる」と。車両という車両、人という人が180度向きを変え、危険人物から逃げるように去っていった。
誰も、話をまともに聞こうともしなかった。歴史の奇跡をまじかにしながら、いともあっさり邂逅のチャンスを放り捨てた。それは引っ越し作戦チームにとってはこの上ない幸運ではあったが、人類にとっては少し寂しい出来事でもあった。
ざんねんマンが汗だくになりながらドライバーたちとやりとりしている間に、少年とイッシーの姿は見えなくなっていた。山を越えたか。海にたどり着けたか。
東の空がうっすら白み始めたころ、山から少年が姿を現した。一人だった。作戦は。イッシーは。途中で力尽きたかー
言葉を待ち、つばをごくりと飲み込んだざんねんマンに、少年はゆっくりうなずいた。「いけたよ」
道なき道を踏み分け、無限の可能性が広がる海原へと、見事にたどり着いていた。
別れ際。海辺で、少年はイッシーの首を優しくなでた。おそらく、今生で再びまみえることはないだろう。イッシーは動くことなく、最後の抱擁をかみしめているようだった。
見たものを見たままに受け止める。感じる。純粋無垢なる心を持った人間だからこそ、世紀のの出逢いに恵まれることができた。親友とは別れてしまったが、濁りのない心と心はしっかりとつながっている。少年の瞳は、安らぎで満ちていた。
「もう、イッシーでもなくなっちゃったね」
池田湖を離れた今、名前も変わらないといけない。これからは大海原を広く泳ぎ回ることになる。舞台は地球だ。Earth(アース)だけに、アッシーか。
ちょっとださい感じもするけど、優しい名前で、それほど悪くない。誰の足替わりになるでもなく、思うがままに世界を旅するんだよ。
濁りのない少年の眼に浸り、史上類を見ない大引っ越し作戦を支えたざんねんマン。大きく伸びをし、一仕事終えた充実感を味わいながら「ウッシー、エッシーの引っ越しも手伝うぞ~」とまだきてもいない依頼に向け意欲を燃やすのであった。
~お読みくださり、ありがとうございました~