東の島で生まれ育った男にとって、はるか西の大陸からやってきた女の言うことは理解に苦しんだ。
「造物主は、いらっしゃるんです」
我々の理解を超えた世界にたたずむ何者かが、目に見える限りのあらゆるものを産みだしたのだという。
試みに考えてみよ、例えばこの身体。誰もが同じように目や鼻や口を持つ。その根拠を探っていくと、微細なDNAの世界があり、そこには正体不明の何者かの手によるとしか思えない、生命の設計図が描かれている。
「それが証拠です」
科学者だという女は、その肩書とはおよそ似つかわしくなく、神秘の絶対者の存在を、断言した。
異論を許さぬとでも言い出しそうな、やや威圧的な物腰に、男はひるんだ。
「まあ、そういう考え方もあるのかもしれませんが」
口では譲歩を見せたものの、男の心の中では全く異なる発想がうごめいていた。
確かに我々生命は、ある意志を持った者の力で存在を得たのかもしれない。生を与えられたという点は事実であり、その意味で我々は皆、被造物だ。だが、被造物という受け身なだけの存在なのだろうか。
我々は造られた。そしてその一方で、命をつむぐ。女性は自ら腹を痛めて子を生む。生が生を産み出す。それだけではない、我々は内在する想像力と創造力をもって、さまざまな作品を世に送り出す。造形物であったり、散文であったり、鼓動であったりする。
そのどれもがオリジナルであり、個性であり、原点である。
我々は、造られたものであると同時に、造るものでもあるのではないか。
男は沸き起こる思索と言葉をポーカーフェイスの内側に押し込めた。女と対立したくはなかったからだ。何事も穏便に済ませたいのが男の傾向であり、弱さでもあった。東の島の人間にありがちな、愛しくも哀しき事なかれ主義だ。
「理解してくれたんですね」
女は満足したようにうなずいた。
女が去った後、男は沸き起こることをやめない思索に身を預けた。
造られたものが造るものであるなら、世界の中心的存在というものはどこにあるのか。
そんなものは、ないのかもしれない。どれもが中心であり、いうならば造物主なのだ。ちょうど、この宇宙空間に中心点がなく、どれもが中心といえばいえないこともないのと同じことだ。
私も、先程の女も、足元の小石も、みな中心だ。そこに階級も区別もない。
そこで思索は一つの区切りをつけたが、いましばらく逍遥を楽しむことにした。
ここで結論としてしまうと、先程の女の信念を真っ向から否定することになる。私は、そのようなことをしたくない。女の考えにも一理あるはずだ。私の考えと、女の考えと、その間にある矛盾を、どのようにとらえたらよいのだろうか。
考えのどちらかが正しく、どちらかが間違っているのか。
男は、唸った。
島の人間にありがちな、なんでも受け入れる鷹揚な、言い方を変えればずぼらな性質を発揮し、両の意見をそのまま受容してみることにした。
我々の知覚が及ばない先に、世界の設計者たる絶対者がある。
一方で、絶対者はあらゆる生に内在する。造られたものは、自らが造物主となり、限定的な絶対者として世の中に足跡を残す。
つまりは、絶対者の目線でみるか。それとも被造物の目線で世界を見渡すか。違いはただそこにあり、根本はなんら異なることはないのではないか。
そのように考えて、誰を傷つけることもない。論旨破綻しているかもしれないが、私はこのように考え、両の考えを尊重していくことにしよう。
対立を好まない男は、もう既に姿のない女をまぶたに浮かべ、つぶやいた。「あなたの言うこと、受け入れますよ」
世界を見る目が、一つ広がったような心持ちがした。
完