おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

寅造と落ち葉

暗闇の中に、童子の笑い声が響いた。

自分の幼少期を思い出すようで、こころが少しばかり甘酸っぱさでにじんだ。

あともう少しで米寿を迎えるところだった寅造は、猛暑にやられたか、居間でばったり倒れた。いっときは意識を失った。たまたま里帰りしていた娘家族に助けられ、一命をとりとめたものの、大学病院の医師は絶対安静を言いつけ、しばらくは専門病棟から抜け出せぬ身となった。

「こりゃ。楓斗(ふうと)。病室で走り回っちゃダメでしょ。おじいちゃん起こしちゃうから」

娘が語気強くも明るさの伴った口調でたしなめた。ああ、みんな、いるんだ。

寅造は、自分の身に何が起きたのか、はっきりとは理解していなかった。が、無機質・無臭の空間に横たわっている状況から、自分の身に軽視できない事態が起こったのであろうと推測できた。

みんなに迷惑、かけちゃったなあ。

申し訳なく、意識が戻ったにもかかわらず、しばらくまぶたを開くことができなかった。

寅造一人が横渡る病室には、娘家族に息子夫婦がそろっていた。子どもというものは、親がどう言って聞かせてもはしゃぎ回ることをやめない。しまいには娘も我が子を抑えることを諦め、久しぶりに再会した兄と義姉と暮らしのことについてあれこれとよしなしごとについてつぶやき合った。

暮らしというものはどこまでも単調で、味気ないようでいて、変化がある。感情の起伏を伴うような出来事も折々に発生し、その一つが一生を左右するようなことさえある。子どもたちの会話の端々に、そうした生き生きしたものが感じられた。

血を分けた次世代の語らいを鼓膜で感じ取りながら、寅造はもはや時代が自分の代から次の世代へと確実に移っているということを肌身で受け取った。

この場においても、主役は倒れた寅造のようでありながら、その実は暮らしを切り盛りする子どもたちであった。寅造は、2家族の再会を促した単なる触媒のような存在にすぎなかったのかもしれない。

振り返ってみると、俺の人生はどの段階を切り取ってみても、軽かった。少なくとも自身にはそう感じられた。

開けようと思えばいつでもできるまぶたを動かさないまま、寅造はこれまでの歩みを思い返した。

引っ込み思案で運動神経はからっきし。勉強は中の中といったところで、進学でも就職でもこれといって世間様に胸を晴れるような道をたどることはなかった。

ついでにいえば出世街道というものとも縁はなく、たいして目立つ業績も残さず、平々凡々とサラリーマン生活を勤め上げ、誰かに特別惜しまれるということもないまま現役生活を終えた。

やれ、これから相方と小旅行でも楽しむかとささやかな計画を立てかけていたところに、伴侶が倒れた。別れを言うまもなかった。寅造は、自分を「人」たらしめている支柱を失い、ただの「ノ」とでもいうような、漂う浮草となった。

俺の人生とはいったい、何だったんだろう。

寅造はまぶたの下で目玉を動かした。自分の居場所を見つけたかった。

ただ、考えるほどに冷酷な現実が立ちはだかった。俺のことを心から必要としてくれる人間は、おそらくこの世には存在しない。

息子、娘と孫たちは、既に自分たちの暮らしを築き上げている。

サラリーマン時代もそうだった。もっと遡れば、学生時代もそうだ。ああ、なんと軽い存在なんだ、俺は。

「帰りたい」

孫が駄々をこね始めた。無機質な病室に飽きが来たのだろう。ああ、家族と一緒の空間も終わりか。

川面の浮草のように個性のない人生を送ってきた。とりとめもなく、語るべきエピソードもなかった。

が、今にして思うと苦しみは少なかったように思う。ガツガツと上を向いて突進する人間ではなかった分、諦めも早く、競争やら醜い争いごとから縁遠くあることができた。金、地位、名声をものにしていった人間たちはいたが、その少なからぬ割合が、得るほどに笑みを失っていくように見えた。上を向き続けることには、何か表現しがたい重荷がからみつくのかもしれない。

寅造には、退職後も折々に飲みに出る仲間が何人かいた。かつての職場の同僚たちだ。肩書をなくしてからも、気安く付き合える仲間がいるのは、幸せなことだ。

あけすけにいって、俺がいてもいなくても、みんなはおそらく楽しく飲む。けれど、俺がいてもみんなの気分を悪くさせるものではない。そしてたまにはみんなの笑いをとったりする。枯れ木も山の賑わいというが、俺はどこか名のしれぬ小山の濡れ落ち葉の一枚として、誰かのなにかの腐葉土になればそれでいいかもしれない。

そこまで考えて、寅造は何か心持ちが軽くなったように感じた。

「おじいちゃん、目を開けた!」

孫が叫んだ。娘家族と息子夫婦の視線を独り占めした寅造は、これ以上ないというほど相好を崩した。