おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 第43話・幽霊界の原点回帰

う~ら~め~し~や~

 

草木も眠る丑三つ時(午前2時)。布団をかぶっていびきをかいている耳元で、薄気味悪いかすれ声が響いた。

 

背筋に嫌な汗がにじむ。人助けのヒーロー・ざんねんマン、実はかなりの怖がりだ。頼む、聞き間違いであってくれーと願いながら布団をまくると、部屋の隅っこで宙に浮く白衣の老婆とばっちり目が合った。

 

いたよ。

 

言い伝えさながらに、三角巾で額を覆い、両手の甲をこちらに見せてだらりと下げている。あと、足首から下が透けている。まさに日本のザ・幽霊だ。

 

上目遣いにざんねんマンの方を向いたまま、悲しげに「う~ら~め~し~や~」を繰り返す。なんだか聞いているこちらもいたたまれなくなってきた。ざんねんマン、覚悟を決めた。はい、幽霊さん、大丈夫ですよ。どうされましたか。私なんかでお役に立てることがありましたら、助けますよ。

 

一度深く頭を下げた後、幽霊は切々と語り始めた。

 

私は幽霊界でも由緒ある一族の末裔です。代々、柳の木を棲み家としてきました。お侍さんたちが治めていた時代は、人間たちからそれはもう怖がられたものです。浮世絵にもよく登場しましたね。いい時代でした。

 

ところが。海の向こうから機械や技術を母体にした「文明」が入り込んできてから、流れがすっかり変わってしまったのだという。

 

幽霊などといった非科学的なものは、信じない。人間の妄想だー。こうした考えが浸透していくにつれ、幽霊たちは存在感を失っていった。

 

復権に向けた動きもあった。アメリカでは、幽霊たちが人間世界で食べ物をあさりまくるなどの悪さを繰り返した。人間の特別チーム(ゴースト・バスターズ)との激闘にまで発展した。が、2度の大激戦の末、敗れ散った。

 

中国では死者の霊の一部が蘇り、ピョンピョンと跳ね回るキョンシーとして地上を闊歩した。カンフーの卓越した技も披露する彼らは子供たちの憧れの的となり、映画でシリーズ化されるほどの大反響を巻き起こしたが、最後は人間(道士)の手で丁重に葬られた。

 

日本では、テレビ画面からはみ出てくるという離れ業をこなす幽霊が出現。その名「貞子」は恐怖の代名詞として日本の若者たちの話題をかっさらった。だが、あまりに有名になりすぎ、プロ野球の始球式に招かれるなど大衆化が進んでしまった。もはや幽霊としての存在感は消え失せていた。

 

昔ながらの幽霊たちの居場所が、なくなっている。私たち幽霊を、お化けを、救ってくださいまし。

 

白髪の老婆は、すがるような目でざんねんマンを見つめた。またまた難しい問題だ。どうするべきか・・

 

しがないヒーローだけど、やれるだけのことはやってみよう。ない知恵を絞った。一つのアイデアにたどり着いた。効果があるか分からないけど、試してみよう。

 

英気を養うため、「今日は悪いけど休ませて」と頼み込んだ。うらめしそうに見やる幽霊にいったん退場を促した後、再び布団をかぶった。

 

明日は、動くぞ。

 

夜が、明けた。

 

あのおばあちゃんの幽霊、期待してるだろうなあ。お化けの復権か。難しいけれど、無策ではないぞ。

 

ざんねんマン、乏しい知識ながらも、幽霊の世界について振り返ってみた。

 

そもそも幽霊はシンプルな存在だ。人が亡き後、魂だけが残り、この世に残した未練をあらわすかのように、人間たちに姿を見せるのである。

 

彼らの登場する舞台は、家屋の一部屋だったり、老木の幹だったり、うっそうと生い茂る樹林の中だったりする。どれも、何ということのない空間だ。が、そこで感じるかすかな風のそよぎ、鼓膜をなでるわずかな響き、肌に触れるものの感触が、人間の第六感を呼び起こし、この世ならざる者たちの存在をひしと感じさせてきた。

 

この世に存在するものは、必ずしも見たり聞こえたりするものだけではない。そのことを幽霊たちはさりげなく気付かせてくれていた。地球上で自分たちが一番偉く強いと考えがちな、人間の思いあがりがちな心に、謙虚さをもたらしてくれていた。

 

人間界にとって、幽霊さんたちは大切な存在だ。

 

ざんねんマンは思った。最近の幽霊は、どうも見栄えに走りすぎている。超人的なパフォーマンスを見せたり、ビルをぶっ壊したり、巨大になったり。より刺激的な路線に向かってしまい、もはやエンタメ業界と境目がはっきりしなくなっている。

 

彼らが元気であり続けるためには、“原点回帰”が必要だ。

 

日が暮れるころ、ざんねんマンは住宅街から少し離れた小川のほとりにいた。散歩の人がちらほらいたが、やがていなくなった。お供の役を務めたのは、川に沿って等間隔で並ぶ、大きな柳の木だった。

 

さて、始めるか。

 

ざんねんマン、ザックを降ろすと、スマホと自撮り棒を取り出した。

 

 

枝の大きくしなった柳の木の下で、スマホのカメラを自分に向けた。

 

こんばんは!今日は人助けならぬ幽霊助けのため、現場にきております。

 

呼びかける相手は、動画投稿サイトに開設している自分のチャンネルのフォロワーたちだ。地味だがしこしこと続けている活動のおかげで、チャンネル登録者数も少しずつ増えている。

 

今回のタイトルは「体験!幽霊の奥深い世界」

 

いや~、幽霊とかゴーストとかいいますけど、最近はどうも見せ方が過激になりがちですよね。派手派手路線が行き過ぎて、皆さんもそろそろ飽きてきているんじゃないですか?幽霊さんたちも反省しているようです。そこで今晩は、彼らの「生まれ故郷」から、その魅力をお伝えしていきたいと思います!

 

三日月があっという間に沈み、暗闇が一帯を包んだ。柳の幹を背に、じっと立ち尽くす。スマホの光に照らし出されたざんねんだけの表情には、恐怖がありありと浮かんでいる。

 

いや~、薄気味悪いですね~。柳の葉のサラサラって音も、なんだか人の手がこすれ合っているような、不気味さを感じさせますね~

 

ヒュンと風が首元をなでただけで、思わず体をのけぞらせる。柳の枝がそろりと肩に触れた瞬間、「おおうっふぅ」と声にならない叫びをあげ、腰を崩す。生来の怖がりが、リポートを実に臨場感あふれるものに仕上げていた。

 

(そろそろ幽霊さん、登場してくれないかな。怖いけど、出てくれないと視聴者が満足してくれないよ。ちょっとでいいから)

 

恐怖に全身をぐっしょりしたたらせながら、中継を続けた。だが、幽霊のほうは姿を現さない。ネット中継は初めてで、腰が引けてしまったようだ。

 

「なんだよ、何も出ねえじゃん」

「やらせでも幽霊見せてくれるのかと思ったのに」

 

コメント欄は落胆の声であふれた。やらかした。僕が見せられたのは、ただビビりもだえうろたえる中年おやじの醜態だった。

 

失意に浸った。が、このままでは幽霊一族を助けられない。諦めず、翌日の夜も柳のそばに立った。その次の晩も。

 

1週間を過ぎたころ、評価がじわりと変わってきた。

 

「柳1本にこれだけビビれるのは、一つの才能かも」

「少なくとも、やらせじゃないな」

「恐怖とか幽霊って、こんな何でもないところでこそ感じるものなんじゃないかな」

「いるかいないか、分からない。そんな微妙な立ち位置にいるのが幽霊だと思う」

 

親や言い伝えで耳にしてきた幽霊観を、視聴者たちは振り返り始めた。人間の側も、幽霊たちに多くを求めすぎていた。欲が欲を呼び、遂にはニューヨークの摩天楼で暴れまわるマシュマロの化け物を生み出すほどに脱線していた。人間の側の反省も促した。

 

「俺、今度の週末、柳の木にいってみよっと」

「私も友達と」

 

人々は「柳オフ」なる集会を始めるようになった。廃墟のようなおどろおどろしさこそないものの、ひんやりした夜風に、ふいに聞こえる小石の転がる音に、異界の者の存在を感じ取った。それは、地球上に君臨する人間が少しばかり謙虚になり、頭(こうべ)を垂れる貴重な機会をもたらした。

 

幽霊たちも、廃墟など目立つばかりの“心霊スポット”から、地域に散財する柳の下へと帰っていった。たわわにしなる枝の下で、人間と幽霊が再び魂の交流を重ねだした。やがて、幽霊たちはかつての確固とした存在感を取り戻していった。

 

ある晩。布団をかぶっていたざんねんマンの耳元で、ふたたびあのかすれ声が聞こえてきた。ざんねんマン、もう目を開けることはなかった。おばあちゃん、もう大丈夫だよね。柳の下に、お帰り。そう心の中でつぶやくと、老婆の幽霊は「あ~り~が~た~や~」とハイトーンで返し、部屋は再び静寂に包まれた。

 

幽霊を救い、人間の純朴さを取り戻す手助けもしたざんねんマン。「今回は頑張ったかな」と自らをねぎらい、缶ビールをプシューと空ける一方、「もう柳の下の深夜中継は勘弁だ」とぼやくのであった。

 

~完~

 

お読みくださり、ありがとうございました。