おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 口下手な居酒屋大将のささやかなる挑戦

日はとっぷり暮れたが、玄関の暖簾(のれん)が揺れる気配はまだない。

駅前の小さな居酒屋。切り盛りする50代の勝(まさる)は、テレビの野球中継を見るともなく眺め、「だめだコリャ」と苦笑いした

会社を早期退職し、夢膨らませて始めた自分の城。若いころから料理が好きで、いつか店を持ちたいと思っていた。腕には自信があった。たまたま立ち寄った客が、自分の料理を口にしたときに漏らす「ほぉ」というため息に、ひそかな喜びを感じていた。

だが、生来の話下手。夜の世界では欠かせない、コミュニケーション力というか、営業トークというか、とにかくお客さんを楽しませる会話力に欠けていた。しかも、カウンターだけのこじんまりした空間。美味しくはあっても盛り上がりに欠けるムードの中で味わう料理は、客に物足りなさを感じさせていた。

客は増えない。何より、「常連さん」ができない。近くには格安居酒屋チェーンまで進出し、状況は厳しさを増していた。

これからどうしよう、退職金は開店費用にほとんど突っ込んじゃったし、今さら追加の投資もできない。このまま赤字を垂れ流すくらいなら、いっそ店を畳むしかないのか。でも、料理の道には未練がある。何か打開策がないものか。誰か、ヒントだけでもくれないかしらー

悩めるアラフィフの心の叫びを、近くの焼き鳥屋で串をつまんでいた男がしかと受け止めた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。皿に盛られたささみ、レバー、ねぎまをペロリと平らげると、勘定を済ませ勝の店に駆けた。

ガラガラ

本日最初のお客さんに、勝の疲れた瞳に光が灯った。「いらっしゃいませ」

ただ、それから先の言葉が出ない。ただ黙って注文を待つばかり。ざんねんマン、ヒーローというよりは一人の呑ん兵衛として、早速この店の課題を見抜いた。おじさん、もっとしゃべらんと。

「あ、とりあえず生で。それから魚盛り合わせもお願いします!」

今日も飲みながら仕事するか。何から切り出すかー。思案にふけっていると、ジョッキとともに盛り合わせの皿が登場した。

見栄えから惹きこまれた。白身、赤身に甲殻類と、海の幸が陶器の上で調和の美をかもしだす。まずはーとマグロの切り身を醤油に浸し、口に含む。うん、うまい。視覚、味覚、食感が、ざんねんマンを悦楽の世界にいざなった。

大将、ちょっとこの盛り合わせ、すごすぎじゃないですか。

勝は顔をあげた。嬉しくてたまらない。でも、「ありがとうございます」の一言がいえない。恥ずかしい。「ああ」とだけつぶやくと、照れを隠すようにうつむいた。

その後もざんねんマンはいくつか注文してみた。勝は得意な魚料理でも上手にこなせるようで、メニュー表はさまざまな料理が載っていた。アスパラバター、ニンニクの芽炒め、馬のたてがみ。どれも見た目よく、香りよく、美味しい。舌を喜ばせる。感動のため息を漏らすたび、勝は照れを隠すかのように下を向いた

・・・そうだ、今日はこの大将を助けないといけないんだった。

悦楽の世界からようやく我に返ったざんねんマン、無言でうつむく大将の頭頂部を眺めながら、策を練ることにした。

そうだ、今日はこの大将を助けないといけないんだった。悦楽の世界からふと我に返ったざんねんマン、無言でうつむく大将の頭頂部を眺めながら、策を練った。

まず、話をしようにも会話が続かない。どうしたもんか。こうなったら、独り言作戦でいくか。

ざんねんマン、一人でぶつぶつと思ったこと感じたことをつぶやいていった。

あー、ここの料理、とっても美味しいなあ。でも、なんかちょっと寂しいなあ。話、したいなあ。やっぱり、コミュニケーションって大事だよなあ。

下を向きながらもしっかりと聞いている勝は、ざんねんマンの一言一言にピクピクと体を震わせて反応した。

(そうなんだ、コミュニケーションが、大切なんだ。それは、分かっているんだ。でも恥ずかしくって、できないんだよ)

勝は心の中で答えた。その気持ちを汲み取ったかのように、ざんねんマンは続けた。あー、確かに世の中には口下手な人っているよなあ。まあ、無理強いしたってきついだろうしなあ。だったら、やり方変えたらいいかもなあ。

例えば、気持ちを口ではなく文字で伝える。暖簾に書く。看板に書く。メニュー表に書く。今日の気持ち、料理に込めた思い。読んでもらえるかは分からない。リアクションがくるあてもない。逆に引かれるかもしれない。それでも、何もしないよりはましだ。人柄を、料理にかける思いを、分かってもらうためには、やってみて損はない。

ざんねんマンの、聞こえよがしにつぶやくアドバイスは、勝の鼓膜にジンジンと響いた。そうだよな、このまま無策でいてもジリ貧だ。書くのはちょっと恥ずかしいけど、しゃべるのに比べたらまだましだ。いろいろ、試してみることにするか。

熱燗にも手を伸ばし、すっかり出来上がったざんねんマンをなんとか玄関まで送りだした後、勝は大きく深呼吸した。「明日から、挑戦だ!」

 

「今日から、挑戦だ!」

ざんねんマンとの邂逅から一晩明け、勝は一つ大きく深呼吸をした

飲食の世界、やっぱりお客さんとのコミュニケーションは大切だ。話下手の自分は、他の手を考えよう。

もとからお客さんは減っている。何をしたって、恥ずかしいことはないさ。

真面目な勝は、店名を記した暖簾の余白に「会話は苦手ですが味だけは自信があります」と素直な気持ちを書いた。店の壁に掛けているボードには「まずもってこんな小さな居酒屋に足を運んでくださり、ありがとうございます。味だけは自信があります。ただ、お話は苦手です、ご容赦を」との一文を添えた。

旬な食材が入ると、ボードにその魅力や料理で工夫した内容をつづった。文の最後は、いつものように「お話は苦手です、ご容赦を」の一言で締めくくった。

客を呼び込みたいのか、近づけたくないのかー。なんとも分かりづらい文句で打ち出した店は、しかし変わり種を求める一部のサラリーマンらの興味をそそった。

しゃべりの苦手な大将が、必死に客を呼び込んでいる。それだけでも好奇心をそそるに充分だった。なんといっても、味がいい。あと、大将がべしゃり下手を公言しているから、トークが盛り上がらなくても不満はない。客は、大将に話しかけこそしないものの、「あー、超うまかったー」と一人つぶやけば充分気持ちは伝わった。大将がポッと頬を赤らめ、うつむく姿がその印だった。

勝は少しずつ心を開いていった。相変わらずトークはできなかったが、暖簾の余白には「おひとりさま、独り言、大歓迎。喜んで聞き役務めます。ただトークは苦手なので許してね」とつづった。

会話に代わり、つぶやきやぼやきといった一方通行にみえる表現が、新たなコミュニケーションツールとして存在感を発揮しはじめた。苦しみ、嘆く客には、慰めの言葉を掛けるこそできなかったものの、勝は一品をサービスして元気づけた。客のほうも「ありがとう」と返す代わりに「あぁ、疲れた心に染み入るなあ」と聞こえよがしにつぶやいた。

押しの弱い大将の下に、同じく控えめな性格の客が集い始めた。一人でゆっくり飲みたい。でも誰かと交流もしたい。かといって、トークはうまくない。そんな客にとって、勝の店はまさに砂漠のオアシスのような存在として光り輝いた。

トークの上手い人は世渡りも上手いことが多い。ただ、たとえそうでなくても、世の中を生きていく方法はあるはずだ。コミュニケーションのやりかたは千差万別。自分の性分にあったやり方を探せば、道は拓ける。そう信じたい。

店の売り上げが上向いてきた後も、勝の口下手は相変わらずだった。ただ、そのことに気おくれや迷いはもうなかった。「しゃべり下手を公言する変わり者の大将」として、細々と、しかし着実に、店を安定軌道に乗せていった。

店の復活を陰で支えたざんねんマン。知名度の高まりに羨望の念を抱くとともに、「僕もしゃべりすぎの性格、ちょっと見直さそうかな~」と舌をペロリ出すのであった。

~終わり~

お読みくださり、ありがとうございました。