おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【短編】舗装

【短編】舗装

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アスファルトの道は、住宅地の中心部を走り、通学する児童から自転車の高校生、勤め人の車などでいつも雑としていた。

日々、朝夕、さまざまな光景が繰り広げられた。不機嫌な表情でハンドルを握る会社員が通り過ぎたかと思えば、ジャンケンで負けたのであろう児童がランドセルを3つも4つも抱えて横断歩道を小走りにかける様子が見る大人をほのぼのとさせた。

雨がふれば、水たまりというほどでもないがそこここにちょっとした透明なスクリーンが生まれた。雨がやむと、アスファルトでもあちこちで晴れ間がのぞけた。

1日のうちに、一体どれほどの人間がこのアスファルトを踏みしめたことだろう。タイヤが踏みならしたことだろう。数え切れない接触が、そこを舞台に瞬間、瞬間、生まれていた。そうでありながら、誰にとってもおそらく、大した記憶には残っていなかった。

アスファルトは、単なる舗装にすぎず、個々人の人生を織りなす舞台としてはみなされていなかったのだ。

ある日、工事の人たちが現れ、人々の踏みしめてきたアスファルトを掘り返し始めた。道路改修だ。

人々と無数の、無限といってもよいほどの接触を重ねてきたアスファルトは、誰に惜しまれることもなく、形を失っていった。

道路として、確とした役割と居場所を与えられていたようにみえたかつての構造体も、こぶし大ほどの固まりに砕かれてしまうや、あっけないほどにその個性を失い、名前をつけることすらできない味気ない物体の世界に放り捨てられた。

アスファルトは、物言う口を持っていなかった。人間と、世の中と、やりとりする術を持っていなかった。最期まで、どの誰とも通じることなく、人間の認める世界から姿を消した。

言葉も心も持たない物質ではあるが、世の中に残したものは、あった。それは、横断歩道を渡った児童の脚に残る感触の記憶であった。水たまりが瞳に映す青であった。一つ一つの接触が、体験が、一人ひとりの人間にとって欠くことのできない人生履歴となっていた。

四方を支配する人間の世界が広がっている、しかし影でそれを支える存在がある。言葉なく心なく、表現手段は持たないが、人間や生きるものと常に、ともに在る。世界は、随分と深い。

ある朝。人々は、いつもの道路が真新しく黒々と照り映える舗装に入れ替わっているのに気づいた。新たな、紡がれることのない物語が、合図なく滑り出した。