おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【ざんねんマンと行く】 第39話・本当のヒーロー

日差しが強まるほど、木陰の心地よさが増してくる。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。週末の昼下がり、都内のとある大きな緑の公園でプチ森林浴を楽しんでいた。大木のそばに腰を降ろし、ノンアルコールの缶ビールをプシューと空ける。ああ、最高だ。

 

「あ!このおじさん、見たことある!」

 

突如、静寂が破られた。指を差してきたのは学生さんかとみられる若い女性。隣の彼氏らしき男性に、何やらささやいている。「えっとね、今売りだし中の、小粒ヒーローのはず」

 

小粒、とな・・

 

ノンアルビールをあおる手が止まった。「小粒」は余計だが、確かに私は人助けの「ヒーロー」だ。

 

「握手、してもらっていいですか」。女性が近づいてきた。いいですよ。私なんかでよければ。なんなら写メでも一緒に。あ、それは別にいいと。映えないと。

 

それほど盛り上がることもなく、つかの間の交流が幕を下ろしかけたとき、今度は傍らの彼氏が口を開いた。「おじさん、僕、大きな人間になりたいんです。ヒーローみたいな。どうやったらビッグになれるんですか」

 

ヒーロー、とな。ビッグ、とな。それはつまり、私のような人間になりたいということですかな。あ、それは違うと。しがないヒーローは路線が違うと。

 

ご両人、結構ずけずけ言うてくれはりますなあ。

 

やや傷心のざんねんマン、何と答えるか思いあぐねていると、隣の大木からしゃがれた声が聞こえてきた。「それはのう、まず足元から見つめることじゃよ」

 

銀髪の老人が立ち上がった。同じく森林浴を楽しんでいるようだった。とつとつとした語り口には、荒波を潜り抜けてきたとみえる長老ならではの知恵が込められているようだった。

 

「おじいさん、『足元から見つめる』って、どういうことですか?」

 

彼氏の問いかけに、老人はほほと笑みを浮かべた。「よい質問じゃ。それはつまり、身近にできることから取り組む、ということじゃよ」

 

今、彼氏の頭の中は「ヒーロー」「ビッグ」という大きな夢が占めている。大きな仕事をして、目立って、儲けて、ウルトラハッピーになりたい。まあそういうことだろう。だが事はそう簡単に進まないものだ。千里の道も一歩からという。まずは目の前の課題、仕事を地道にこなすことが大切なのである。

 

「こちらのヒーローさんとやらを見るとよい。ひと昔前の特撮ヒーローのように、手からビームを出したり、大怪獣を倒したりとかはできぬ御仁じゃ。そういう意味では『小粒』じゃが、自分のできる範囲で人助けを頑張っておられるよって、だんだんと実績もついてきておる」

 

よく知っている老人だ。ただ者ではなさそうだ。彼氏はその言葉を頭の中で反芻してみた。「なるほど、まずは足元からと。ありがとうおじいさん!」

 

老人は少し照れた。そしてここからがさらに大事とばかりに、言葉を続けた。「そうじゃよ。ことわざでも言うであろう。『大は小を兼ねる』、と。大きなことを成す人間は、小さなことも大切にするものじゃ。ヒーローとて同じ。大怪獣を倒す前に、まずは目の前の弱弱しき人間を助けるものじゃ」

 

そして、チラリとざんねんマンの方へ視線をよこした。その瞬間、老人の方から何やら重い振動音が伝わってきた。

 

ギュルルル・・・

 

胃袋が唸っていた。そう、老人は空腹を持て余していたようだった。

 

やりよりますな、おじいさん。この策士!となじりたいところだが、ここまで持ち上げられては、もはや逃げられん。

 

人助けのヒーロー、その場の流れと空気を読み、覚悟を決めたかのようにうなずいた。おじいさん。おなかすいているんでしょう。どこか一緒に食べにいきましょう。

 

「いやいや、それは悪かろて・・でも、いいのか?これはまた、さすがのヒーローじゃ」

 

老人は馳走に預かれると確信したか、ペロリ舌なめずりした。そしてついでとばかりにつぶやいた。「もしよかったら、どうじゃ、そこのお二人もご一緒に」

 

なんだかうまいこと乗せられてしまったが、ここはなんとしても「ヒーロー」の面目を保ちたい。やっぱり、ええかっこ、したい。

 

ウキウキ顔の老人、「やったあ」とはしゃぐカップルの隣で、一人だけ眉間にしわを寄せるざんねんマン。そろり自分の財布をのぞき、ため息をつくと、3人を連れ近くの飲み屋街へと繰り出した。

 

「ヒーロー」と持ち上げられ、老人にご飯をおごる羽目になったざんねんマン。会話の流れで加わった若いカップルも引き連れ、眉間にしわを寄せながらいきつけの焼き鳥屋へと向かった。

 

のれんをくぐると、「らっしゃーい」と威勢のいい掛け声。なじみの大将だ。「あら、今日はお連れさんたちとですか」

 

そうなんですよ。いろいろありましてね。ところでおじいさん、何を召されますか。そちらのカップルも。今日はもう、腹いっぱい食べましょう。

 

“全部自腹”の覚悟を決めたざんねんマン、開き直ったかのようにハイテンションで注文を促した。老人「すまんのう、それじゃあわし、ハツ・ミノ・つくね。あと、生の大」。カップル「私たちは10本おまかせで。あとチャンジャ。生はたくさんいける口なんで、ピッチャーお願いしやーす」

 

遠慮ないなあ。あーもう、この際なんでもこいだ。注文の嵐に上機嫌の大将、厨房でクルクルと串を回す。その間にジョッキが登場だ。今日はとことん飲んで食べましょう。カンパーイ!

 

ほどよく世代が離れた4人のトークは、意外と楽しかった。銀髪の老人は勤め人時代の武勇伝やら失敗談を面白おかしく聞かせてくれた。これから社会に船出する若いカップルは興味津々だ。一方の二人も純粋で希望にあふれる夢を語った。若者よ、前途は洋々と開けている。人生を知りすぎて臆病な中年と違って、ずんずん進むんだ。

 

一方のざんねんマンにも発言の機会が与えらえた。まあその、私も売れない咄家さんの一発逆転を助けたり、未来から逃れてきたロボットの人生相談に乗ったり、いろいろやりました。落ち武者の霊と口喧嘩してたら相手が勝手に成仏したこともありましたなあ。よく考えると、私が何かしたというよりも、相手さんが自分で問題を乗り越えていったような気がします。

 

「それこそが、小粒の小粒たる魅力よ」

 

老人がしんみりとつぶやいた。小粒は自分で何もかも解決することはできない。だがその非力さゆえに、巡り合う人々が自らを奮い立たせる。結果、誰かに頼る前にハードルを突破していくのだ。

 

ご老体、結構いいこと言ってくれるなあ。今日は本当にいい日だ。

 

そこはかとない幸福感をかみしめていると、厨房の大将がささやきかけた。「お客さん方、すいませんねえ、そろそろ店じまいで・・」

 

現実に引き戻された。そうだ。今日はおいらが全部出すんだ。しばらく切り詰めた生活しないといけなくなるなあ。でも、いい。ご老体がおっしゃったように、ヒーローならまず足元の苦しむ人々を救わないと。しばらくうまいご飯に預かってなさそうな、このご老体をもてなさないと・・

 

「今日は、僕に出させてください」

 

口を開いたのは、カップルの彼氏の方だった。

 

「今日は本当に勉強になりました。人生のこと、教えてくださってありがとうございました。大物になりたいなら、まずは身近にできるところから。ですよね」

 

ほおを目を丸くしたのは、老人もざんねんマンも同じだった。隣の彼女は、瞳の中で星が輝いていた。「かっこよすぐる。もうぞっこん」

 

いやいやここは私がーと制しようとするざんねんマンに、彼氏は優しく返した。「無理しなくていいですよ。手が震えてますよ」。苦しい懐事情が、しっかり見抜かれていた。

 

バイト代が入り、少し余裕があるという彼氏は、景気よく財布から諭吉を2枚取り出すと、店の大将に手渡した。

 

4人のそれぞれが、心の中にほっこり温かいものが広がるのを感じた。

 

ヒーローは、何も大怪獣を倒したり、極悪非道の黒幕に鉄槌を下したりできる限られた人のことだけじゃない。身近なところで誰かを助けたり、励ましたり、ときには奢ったりして、周りに元気と癒しを分け与えてくれる人なら、誰でもヒーローなのだ。むしろ、目立たないところで世の中に善の種をまき続ける人こそが本物のヒーローといえるかもしれない。

 

いやあ、実に申し訳ない。それでは、今日はご馳走になります。あざっす!

 

ざんねんマン、取り出していた財布をそろり懐に戻すと、力いっぱい頭を下げた。いやあ、彼氏さんは将来ビッグになりますよ。「大は小を兼ねる」っていいますからね。どこまで大物に成長するか、楽しみですなあ。

 

老人は美味しくただ酒をいただき、彼氏さんは大器の片りんを見せ、彼女さんはますますぞっこんとなり、ざんねんマンは幸福感と財布の重みをかみしめた。誰もが満たされ、誰もが表現しようのない力でみなぎった。

 

玄関で4人は散会した。若いカップルの多幸を祈願し、一本締めで宴はフィナーレとなった。

 

ほろ酔い加減で帰途につこうと歩き出したざんねんマンに、後ろから老人が聞こえよがしにつぶやいた。「まあその、またおなかがギュルギュルいってきたときには、誰か別のお方におすがりすることにしようかのう~」

 

味をしめられたらかなわないぞ。小粒のヒーロー、聞こえなかったふりをして、早足で終電の駅へと逃げるのであった。

 

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 第38話・ビジネスマンVSサラリーマン

ピンポーン

 

アパートのインターホンが鳴った。さて、お客さんですか。今日も今日とて、どんな用件ですかなあ。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。テレビをポチリと消すと、玄関に向かった。

 

「は、はじめまして。僕、就活中の大学生です」

 

リクルートスーツがビシッと決まっている、といいたいところだが、腰のところでシャツがはみ出ている。ひげも、そり残しがちらほら。うーん、少し残念だ。

 

相談はシンプルだった。「カッコいいビジネスマン」になるよう助けてほしいのだという。

 

「まあその、あれです。『世界を股にかける』、的な。それとか、『六本木でブイブイいわせる』、的な」

 

颯爽とオフィス街を歩く未来の自分を想像したか、青年はニヤニヤ顔が止まらない。ああ、この手の妄想青年の相手するのは面倒なんだよなあ。ざんねんマン、青年のだらけた格好を見回すと、本音をポロリ漏らしてしまった。

 

いやーどう見ても「しがないサラリーマン」でしょう。あと、「新橋で呑んだくれる」、的な。

 

青年、思わずプっと吹いた。だが、自分のことを言われていると気づくや、ニヤケ顔は一気に硬直した。「さ、サラリーマン、いうなー!あと、新橋、いうなー!」

 

あまりにも自分の理想からかけ離れた、あるいは、現実的すぎるざんねんマンの言葉に、青年は恥辱にまみれたか、肩を震わせた。

 

「僕はねえ、かっこいいビジネスマンになりたいんだ。バリバリ仕事できて、休日は六本木のしゃれたバーで飲んで、きれいな彼女つくって、ウハウハ人生を送りたいんだ!新橋とか、呑んだくれるとか、SL広場の前でインタビューされて上司の愚痴言って翌朝しぼられるとか、そんなださい人生は、送りたくないんだー!」

ほお、よう見えてるようじゃないですか。ご自身の将来の姿が。サラリーマン、いいじゃないですか。お兄さんによく似合ってると思いますよ。

 

ざんねんマンのあっけらかんとした返しを、青年は放心の体で受け止めた。「そんな、人助けのヒーローって聞いたのに。秘術で僕にスーパーパワーとか授けてくれるって期待してたのに」

 

ずいぶんと都合のいい思い込みをされてることですなあ。わたしはねえ、ヒーロー養成学校で学んだ飛行術以外は特段何もできやしませんよ。それこそビーム出したりとか、無理ですからね。

 

「でも、あなたは人助けの成功率が100%だと聞きましたよ」

 

ああ、あれはねえ、私もなんでか分からないんですよ。まあこうやって口喧嘩みたいなことしてたらね、お客さんのほうが勝手に何かひらめいて帰っていくんですよ。不思議なもんで。

 

「じゃあ、僕はどうやったら夢をかなえられるんだろう」

 

うーん、まあ、生まれ持った顔と図体、おつむってもんがありますからねえ。なんでもかんでも叶えられるってのは無理がありますわなあ。でも、できることはだいぶんあるように思いますが。

 

イケてるビジネスマンにはなれないかもしれない。でも、しがないサラリーマンだからって六本木に行っちゃいけないわけじゃない。ブイブイいわせたって悪くない。海外だって、どんどん行ったらいいじゃないか。出張の機会がなければ、プライベートで旅行すればいいだけだ。

 

見てくれは置いとこう。ステレオタイプな理想像から、自由になろう。自分の身の丈に合ったところで考えよう。やれることは、ずいぶんとあるはずだ。

 

「やりたいことを、やってみる、か・・」

 

青年は何か腑に落ちたことがあったか、小さく、ゆっくりとうなずいた。

 

「やりたいことを、やってみる、か・・」

 

青年は何か腑に落ちたことがあったか、小さく、ゆっくりとうなずいた。「おじさん、やっぱおじさんは、ヒーローだ」

 

青年の言葉に、ざんねんマンは思わず歯が浮いた。「ヒーロー」、とな。この言葉に、弱いんだ。

 

青年はその後、首都圏の中堅メーカーに就職した。憧れのIT系ではなかった。真夏の空の下、汗だくになりながら飛び込み営業を重ねた。六本木の敷居は、高く見えた。だが、自分で自分にリミットを設定することはしなかった。自分の居場所を、少しずつ開拓していくように努めた。

 

薄給だったが、給料日だけは憧れの六本木に繰り出した。勇気を出して、バーで高い酒を口にしたりもした。正直、恰好は洗練されているといえず、場違いな感は否めなかったが、それだけに少し目立ち、変わり者を相手にしてくれる奇特な人物もいたりした。どこの世界も、本物の紳士・淑女は懐深く、包容力にあふれているものだ。青年は、勇気を出して一歩を踏み出したことで、それまで縁のなかったハイソな人々の輪に入ることができた。

 

海外出張とは無縁の会社だったが、夏休みには東南アジアへグルメの旅に赴いた。お金はないから、格安飛行機で。シートすら倒せない不自由な機内で、隣り合ったバックパッカーと打ち解けた。旅先の安いドーミトリーで、世界各地から集った若者らと人生を語り合った。友人という、一生の宝を続々と発掘していった。

 

いまや青年は、青年なりの夢を実現した。「世界を股にかける『サラリーマン』」。「六本木でブイブイいわせる『サラリーマン』」。もちろん、当初描いた理想からはだいぶ離れてしまった。どこか哀愁が漂い、滑稽さも伴う。だが、なぜか憎めず、微笑ましくもある。これまでになかった、颯爽とした新たな社会人像を、青年は図らずも生み出していた。

 

今なら、胸を張っていえる。自分が輝く「サラリーマン」であると!

 

理想像にこだわりすぎず、無理せず、地を出していった先に、自分なりの幸福をつかみとれるかもしれない。

 

ざんねんマン、青年のその後を風の便りで知ると、心から賛辞を送った。

 

僕も、自分なりの理想像を探っていこう。リミットをかけちゃ、ダメだ。もっと大物になれるかもしれない。欲、出そう。ぐっひっひ。

 

青年の飛躍に一役買い、ひときわ美味く感じられるビールをあおりながら、煩悩にまみれた妄想に胸膨らませるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

【ざんねんマンと行く】 第37話・暴露系ユーチューバーとの対決

ピンポーン

 

日曜日の午後。アパートのチャイムが鳴った。

 

カップラーメンをすする手を止め、インターホンの画像をのぞいた。

 

びっくりした。

 

知らないお兄さんが、カメラ回してるよ。

 

人助けのヒーローことざんねんマン、不気味な訪問者に少し身構えながらも応答ボタンを押した。あのう、どちらさまでしょうか。

 

「あの、すいません。私はネットでユーチューバーやってる者です。最近、注目を浴びてるざんねんマンにぜひお話を伺いと思いまして」

 

言葉遣いは丁寧だが、明らかに何かを狙っている様子だ。ざんねんマン、生物としての本能が警戒モードがMAX近くにまで高まった。しかし、来客を断るのは人助けのプロとしての誇りが許さない。意を決してドアを開けた。

 

ギギ―

 

あいさつもなく、いきなり小型カメラを向けてきた。ひげの剃り残しが目立つ、休日のたるんだ顔面が、容赦なくさらされてしまった。

 

「ふっふ、今日はとことん暴露してやるぜい」

 

不気味な男が、小声でつぶやいた。このお兄さん、マジでヤバい人かもしれないぞ。ざんねんマン、穏便に退去願わんとコミュニケーションを試みた。

 

こんにちは。あの、私お金とか持ってないですよ。相手するだけ無駄かと・・

 

「いやいや何をおっしゃいますか。『人助けのヒーロー』をうたっているざんねんマンさん。さぞさぞおいしい思いもされてらっしゃることでしょう。あの手この手を使って、ね」

 

男はざんねんマンの話をまともに聞こうとしなかった。男がいうには、ざんねんマンが記録を更新している「人助け達成率100%」には裏があった。見せかけだけよくしようと、こそっとキーマンにお金を握らせているに違いなかった。寿司をほうばらせ、ときには豪華リゾート施設で接待しているに違いないんだ。じゃないと、実績を出し続けられるはずがない。今日はこの見掛け倒し男の裏を暴いてやるんだ。

 

なんとまあ、思い込みの激しい兄さんですこと・・

 

ざんねんマンの、ややあきれたような口調が、男の闘争心に火をつけた。

 

「おおー言ってくれましたなあ。暴露系チューバ―の『TERU』こと、このおいらを敵にするったあ、いい根性だ」

 

勝手にケンカを買われてしまった。

 

なんですか。そうですか。ああもう、いいですよもう。何が聞きたいんですか。聞いてくれたら、答えますよ。お兄さんの勝手な思い込みを解きほぐさないと、私も不本意ですんでね。

 

「気取ったこと言ってらあ。じゃあ聞きますけどねえ、あなたよく、駅前の牛丼屋に行ってますよねえ。それ、どうしてですか」

 

え、どうしても何も、牛丼が好きだからですよ。何か問題でも?

 

「ふっ。牛丼をパパっとかけこむふりをしながら、誰かと密談でもしているんでしょう」

 

密談、とな。あの短い時間で誰かと打ち合わせなんて、無理でしょう。それに、私のあそこの店のつゆが大好きでしてね。どんぶり以外に意識は向かってないですよ。

 

「おっと、早速ボロを出したみたいだな、おっさん。いま『つゆ』って言ったけど、それは何かの隠語なんだろう?それとか、『たまご』とか、『ねぎ』とか、キーワード使って、それとなく情報交換してるんだろう!」

 

男の瞳がキラリと光った。今日も再生回数稼げるぞ。そんな声が聞こえてきそうなしたり顔だ。

 

すごい推理、というか、邪推というか。あなた、違う分野でその疑り深さを生かしたほうがいいかと思いますよ。ああでも、確かにそうですね、私はよく『つゆだく』、頼みますよ。おなかすいたときなんかは『大盛り』ですね。たまには『ネギだく』もいきますなあ。あ、あと、やっぱり『ギョク(卵)』は外せませんなあ。

 

「だんだんと手の内が見えてきたぜ。ふっ。このTERU様にかかりゃあ、いんちきヒーローなんぞものの相手じゃないのさ。さあ、白状するんだおっさん。その隠語を使って、きっと人助けのサポートとか、やらせとか、さくらとか、段取りつけてたんだろう?」

 

あの、もう、すいませんが、どうして私なんかの牛丼話ごときに食いつくんですか。まったく変わりもんですなあ兄さんは。ああもう、面倒くさいなあ、いいですよ、はい。そうですよ。私はねえ、牛丼大好き人間ですよ。でね、よくどんぶりかっ喰らってるときに出動コールが掛かってきますよ。だから、勢いよくバーとのどに流し込んでね、そこの自動ドアからサーッと空に飛び立って・・

 

「なるほどね。すべてはこの牛丼屋から始まってると。ネタをしっかり仕込んでね。おそらく裏で動いているのは店員だな?きったねえ手を使いやがって。で、幾ら払ってるんだ?その店員に。1本(1万)か、3本か」

 

本当に無駄な妄想力を発揮しよりますねえ、お兄さんは。何を言ってるんですか。牛丼代だけに決まってるじゃないですか。

 

ざんねんマン、与太話には付き合っておられぬとばかりに片手で制止し、ユラユラさせた。そのしぐさが、また男の空想にエナジーを与えてしまった。

 

「な、なるほど、5本、とな。しかもその幅のある触れ方から察すると、もしや桁(けた)が違ったか。ひょっとして、50本・・・」

 

男がビクつくのが分かった。こいつぁすごい大物だ。さすが本当のワルは、やることもスケールが違うようだぜ。ただの牛丼屋の店員に、1件のミッションサポートで50本も出すとは。でかい仕事になったら、どれだけばらまくんだろう。すごい、すごいぜこのおっさん。今日は、本当の本当に、おいしいエサにありつけたぜ。

 

畏怖が混じったまなざしを浴びたざんねんマン、どう言葉を掛けたらいいものか迷った。勝手においらのキャラクターが創られていってるみたいだ。

 

あっけにとられるばかりの、間の抜けた表情を、男の小型カメラがなめまわすように映した。「おっさん、実はこれ、ライブで中継してるんだ。残念だったな」

 

なんとまあ、かみ合わないトークは世界中に配信されていたのだった。あらまた、なんということ。まあ私はいいですけどね。ただ、お兄さん、牛丼の話なんかで中継なんかして、視聴者にあきれられるんじゃないですか。

 

「なにいってんだ。おかげでダーティーヒーローの裏がのぞけたってなもんよ。ワルのやることは用意周到、誰にもバレず。ってね。酒場でもホテルでもなくって、ファーストフードの牛丼屋が舞台ってのは、誰も思いつかなかったんじゃないかなあ。やるね、おっさん。でも、これからは牛丼屋での『仕込み』はやめとくこったな。このTERU様が黙っちゃいねえぜ」

 

大漁大漁とばかりに男はカメラを止め、意気揚々と昼下がりの街中へと消えていった。

 

なんだったんだ、あの変な兄ちゃんは。

 

首をかしげ、リビングに戻った。食べかけのカップラーメンは麺が伸び切ってしまっていた。ああ、今日は家でゆったりしようと思ってたけど、おなかすいたままだ。仕方ない、いつもの牛丼屋いくか。あ、行ったらまたあの変な兄ちゃんに取り上げられちゃうのかな。ああもう、面倒くさい!ええもう構わん、おいらは好きな牛丼を食べにいくぞ!

 

ざんねんマンが覚悟を決め牛丼屋で「大盛り・つゆだく・ギョク」を注文したころ、ネットの世界はすこしざわついていた。

 

震源地は、暴露系ユーチューバー・TERUのチャンネルだった。

 

「おお!見てくれヒーローの『密談』の場所がようやくわかったのか!」「一件のインチキ出動で、さくら一人に5本!ワルはやっぱカネ持ってるねえ」「どこに金づるがいるんだろうな」「闇の世界を探るTERUのおかげで、さらに深い闇が見えた!」

 

熱烈なフォロワーたちのコメントは、ほぼ絶賛であふれていた。

 

ただ、一部、ほんの一部だが、冷静なコメントもあった。「あのおじさん、ただの牛丼好きだったって話なのでは」「言ってることだけ振り返ったら、そういうことになってしまうよね」「ああ、牛丼食べたくなってきた」

 

世界に闇を見出そうとする人にとって、世の中はどこまでも闇が潜んでいる。そこには真実があるかもしれないが、邪推が邪推を生み、無用な疑いや恐れ、怒りを生み出しているかもしれない。真実は意外と見たままで、つくらず、飾らず、ありのままなのかもしれない。ときには素の眼(まなこ)で世界をとらえてみる姿勢も、失いたくないものだ。

 

胃袋がギュルギュルと鳴りだしたところで、注文の品が着丼した。これこれ。うまいんだよなあ。幸せを感じるひとときだよまったく。いただきまーす。

 

涎(よだれ)が垂れんばかりのざんねんマン、今日もささやかな幸せをかみしめ、人助けへのエナジーへと変えるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

【ざんねんマンと行く】 第36話・「ツイてない」男の逆襲

まったく、運に見放された人生だ。

太郎は沈んでいた。先日、外回りの仕事で大通りを歩いていると、空から鳩のフンが降ってきた。スーツの肩にびちゃり。ハンカチで必死にふいたけど、シミがばっちり残っちゃった。おかげで、営業先で変な顔されてしまったよ。

身だしなみを整えられない非常識な人、って思われたかなあ。かといって、「違うんです、ついさっき、鳩が落としやがったんです」なんて言い訳がましく切り出すのも変だったし。まったく、ツイてないよ。

思えば、ツイてないこと続きだ。宝くじ、当たったー!と飛び跳ねたはいいけど、よく見たら組が違ってた。家族にぬか喜びさせちゃって、祝賀会モードが一気にお通夜状態だ。「わざわざ上げてから落とさないでくれ」と父親に真顔で言われたときは、自分の不運を呪ったね。

ほかにもいろいろある。大学受験のとき、雪の積もった路面で思いっきり滑った。そう、滑った。受験の結果は・・思い出したくない。そういえば、その年に神社でひいたおみくじは、「凶」だった。

ツイてない。こんな僕の人生、どこかで区切りをつけたい。運命を、変えたい。運命の神様、どうか僕の願いをきいてくださいまし~!

発された心の叫びを、むげに聞き流すことのできぬ男がいた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。午睡をむさぼっていたが、はらりと布団をまくり上げ、太郎のいる鹿児島へと向かった。

おお、あなたが運命の神様ですか・・

太郎、突然現れた男に、しばし言葉を失った。「神様、どうか願いを叶えてくれませんでしょうか。あなたの、マジカルパワーで。僕を『運を呼ぶ男』に!」

マジカルパワーって、そんな。私は、申し訳ないですけど、そのサイキック系の能力は持ち合わせておりませんよ。

「ええっ?!嘘でしょ、じゃああなた、来た意味ないじゃん」

太郎が一気に興ざめする。罪もないのにダメ出しされたざんねんマン、少し傷心に浸った後、つぶやいた。

「運」だとか、「ツイてる」だとか。ずいぶんとまあ、掴みどころのない話ですこと。

「なんだとぉ?!あんたなあ、たしかになあ、運ってのは、あるんだよ!僕なんか、ツキに見放されまくってるんだぞう!鳩のフンかぶる人って、なかなかいないよ?おみくじで「凶」引く人なんて、レアだよ?もう、泣けてくるよ」

泣けてくるって、大げさな。ただ、鳩のフンをくらって、「凶」引いただけじゃないですか。あ、あと、滑ったんですね。それは残念でした。ですけど、まあその、深刻に考えすぎなんじゃないですか。

「お、おおげさだとお?!鳩のフンを、甘くみるんじゃないぞう!結構くさいよ!若い女の子とかがくらってたら、目も当てられないよ。あとなあ、「凶」なんて引いたら、普通の受験生は即倒するぜ。元気失うよ」

太郎はたしかにちょっとかわいそうな面はある。が、少し見方を変えてみれば、太郎のおかげで周りの人が助けられたと考えられなくもない。「まあ、受け止め方次第で、あなたの『運』も結構変わってくるんじゃないですか」

やや投げやり気味に答えたざんねんマンの言葉に、だが太郎が反応した。もう、こうなったら何でもすがってやる。受け止め方、か・・・

太郎は腕組みし、瞼を閉じた。これまで、自分のことしか考えてこなかった。自分という狭い世界の中だけで眺めると、出遭うことがらは不運ばかりだった。でも、ひとたび周りに視野を広げると、確かに違う光景が浮かんできた。

 

ひとたび周りに視野を広げると、確かに違う光景が浮かんできた。

鳩のフンをくらったあの日。もし僕がちょっと早足で歩いていたら、後ろを歩いていた人が代わりに臭い“洗礼”を受けていたのかもしれない。僕が神社で「凶」を引いたおかげで、誰か別の受験生が悲壮感にさいなまれることはなくなった。誰か、周りの人を救うことができた、そう考えられなくもない。

「僕は、誰か周りの人を守ったともいえるのか・・」

今、はじめて太郎は自分の人生に光明が差し込むのを感じた。僕自身は「不運な男」かもしれない。でも、同時に誰かを不運から守る「守り神」でもあるのだ。

「僕、元気、出てきたよ」

太郎の言葉に力がみなぎった。不思議そうに見つめ返すざんねんマンを再び東の空へと送り出すと、実にすっきりした表情で夕暮れどきの銭湯に向かった。

それからの太郎は、職場であれ、家庭であれ、態度が変わった。何より、全身に自信がみなぎった。「僕は、不運なだけじゃない」

こないだは、路上で犬のふんを思いっきり踏んじゃった。おかげで、後ろを歩いていた女子高生は助かったと思う。自分でいうのもなんだけど、僕はまあ、守護神みたいなもんだな。

いつもどこか侘しい雰囲気のぬぐえなかった太郎が、活力とユーモアのある青年に変わった。職場でも、過去の“不運ストーリー”を臆さず話しだした。周りからはいつしか「ガーディアン・太郎」と呼ばれ、慕われるようになった。

太郎さんと一緒にいると、何かいいことが起きる、いや、悪いことから守ってもらえるーとのうわさがひろまった。太郎から半径5メートル以内のエリアは「太郎バリヤー」と密かに名付けられ、人事異動では太郎の両隣と前の席を希望する若手が続出する事態となった。

その後も相変わらず、太郎はツキに見放された。先日は、セミに小便をかけられた。電車待ちのホームで、酔っ払いにからまれた。それでも、太郎はひねくれることはなかった。僕は、誰かの役に立った。のかもしれないのだ。

降りかかる出来事は同じでも、見方を変えることで、景色がひっくり返る。心持ちが、変わる。不思議なものだ。

自らの不運っぷりとは裏腹に、周囲を惹き付けるようになった太郎。それまで周りから気づかれることもなかった、生来の真面目さと少しのユーモアを理解してくれる人が増え、職場の人間関係は以前にまして良くなった。仕事のパフォーマンスも上がり、やがて待遇にも反映された。それは、もはや「運」頼みではなく、太郎の本来持っている素質という「実力」のもたらした果実であった。

人生に自信を取り戻した太郎、その後も折々にざんねんマンのことを思い出した。「甘い気持ちに喝を入れてくれた、あのおじさんに感謝だ。マジカルパワーなんかに頼ることなんかなかった。最後は、自分の心持ちだったんだ」

一方のざんねんマン。太郎の心境の変化を知るよしもなく、「あの青年、また『トンビにかき揚げさらわれた~』とかいって泣いているんだろうなあ」と憐憫の情を抱くのであった。

 

【ざんねんマンと行く】 第35話・AIに勝るもの

江戸は外堀を望む、東京・市ヶ谷。囲碁文化の発信拠点である〇本棋院で、役員たちが苦い顔を突き合わせていた。

 

ファンの掘り起こしが、進まない。

 

SNSの時代だ。スマホを見れば動画サイトに目がいってしまう。イケてる少年少女、お兄さんお姉さんたちが、キレッキレのヴォイスとダンスでちびっ子たちを虜にしている。基本、あたま、使わない。囲碁?なんだそれ。つまんない。

 

10年ほど前。とある人工知能(AI)が、「地球史上最強」と呼ばれた中国の天才棋士をガチンコ勝負の末に下した。そのニュースは世界を震撼させた。あれだけ複雑で、チェスや将棋より圧倒的に展開が無限ともいえるゲームで、AIが正確に勝利への道筋を読みぬいたのだ。知能という面で、人類が「敗北」を自覚した最初の出来事といえるかもしれなかった。

 

中国で生まれ、東アジアはもちろん今や世界に広がっている知的ゲームは、少なからずその魅力を削がれたように見えた。AIが、人間の知力の限界を如実に突き付けてしまったからだ。根っからの囲碁ファンたちの間でも、心の奥にどこか興ざめ感と寂しさが潜むのを認めざるをえなかった。

 

それでも、なんだか、負けたくない。悔しい!AIをやり返して、囲碁文化の輝きを取り戻したい!担い手となるちびっ子たちを、振り向かせたい!

 

役員たちの切実な議論の末、一つの打開策が浮かび上がった。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。見掛けもそぶりも頼りないが、それでも頼まれたミッションは100%を維持している。この男に、人類が誇りを取り戻すための重役を任せよう。AIに、勝ってもらうのだ!

 

プルルル

 

早速、電話でつながった。ざんねんマン、依頼内容を聞き終えるや深く息を吐いた。

 

んなこといっても、わたしは囲碁なんて打ったこと、ないんですが。ちょっと無理かと・・


残念だ。非常に、残念だ。電話越しの〇本棋院役員は落胆の色を隠さなかった。それでも、この男なら何とかやってくれるはずなんだ。そうなんだ。最後はきっと、奇跡的な一手を放って勝利をもぎとってくれるはずなんだ。

 

「なんでもいい。囲碁知らなくったっていいです。これから我々役員が教えますから。だからお願いです。我々が設ける『対AI・リベンジマッチ』に出場を!」

 

熱のこもった要請に、人助けのプロのハートが揺さぶられた。よござんす、無知蒙昧の輩ではございますが、誠心誠意、一生懸命頑張らせていただきましょう。

 

人類の誇りを掛けたイベントの開催は、1か月後と決まった。トップ棋士団と、ざんねんマンによる密で熱いトレーニングが始まった。

 

 

 

人類の誇りを取り戻さんべく、トップ棋士団とざんねんマンによる濃密なトレーニングが始まった。

 

まずは囲碁のルールから勉強だ。囲碁とは、簡単にいうと「陣取り合戦」だ。

 

①    広い碁盤の上で、白か黒の石を並べてつなぎ、その内側を自らの陣地(「地」と呼ぶ)にすることができる。


②    相手の石の外側を、自分の石で隙間なく包むことができれば、その石をすべて取り上げることができる。取り上げた石は、自分の「地」としてカウントできる。

 

エッセンスは以上となる。ほかにも細かい決まりはあるけど、実践しながら覚えていくほうがはやいだろう。

 

「さあ、ざんねんマンさん。これからしっかりと力をつけてもらいますよ」

 

棋院でも長老格の男性が、気迫を全面に出しながら盤の向かいからギロリ見つめてくる。うへえ、こんな前のめりでこられたら、辛抱かなわんよ。ボチボチやっていけまへんかいな。いうても、知的「ゲーム」でっせ。

 

ぼやきも届かず、スパルタ式のレクチャーが始まった。「まずは序盤戦で主導権を握ることが大切です」

 

広い盤面の中でも、四隅は石で囲いやすい。まずはここを抑えよう。相手が攻めてきたら、古来の知恵が詰まった受け技「定石」で対応すればいい。

 

ただ正直、中盤以降は実力差が如実に現れる。「そのときはざんねんマンさん、あなたのヒーローパワーでなんとか乗り切ってください」

 

なんちゅう無理な注文じゃ。ざんねんマンの頭の中に、初めて「オファー辞退」という言葉が浮かんできたが、今さら逃げるのも格好悪い。ええままよ、このまま潔く恥をさらすまでよ。

 

なんとかかんとか、基本ルールだけは覚えたところで大会当日を迎えた。対局には3時間の枠が与えられた。ライブでネット中継される予定だ。はてさて、結果は白と出るか、黒と出るか。運命の対局は、ざんねんマンの黒番で始まった。

 

「黒、16の四。星」

 

序盤から十数手は、お互い手堅い布石で打ち進めた。ネットの中継スクリーンでは、視聴者たちが寄せるコメントが右から左へと流れていった。「今のところはがっぷり四つだな」「さすがはヒーロー。経験ゼロからよくここまできた」

 

だが、ものの30分ほどで形勢は傾き始めた。石と石とがつばぜり合いを始める中盤以降は、一手の打ち損じが石の死活に直結する。基本ルールしか身についていないざんねんマンにとっては、荷が重すぎた。それはまるで、真剣でたたずむ剣客にちびっ子チャンバラを振り回す坊やのようであった。

 

スクリーン上部に映し出される、AIによる形勢分析ゲージは、勝負の行く末を冷酷に予言していた。勝利確率は、AIの98%に対してざんねんマンは2%。解説のプロ棋士は「ここまで偏ると、もはや・・・」と力なくつぶやいた。

 

大石を囲まれ、奪われた。敵方の白石が盤上で勇躍していた。勝敗は決した。開始からわずか50分。ざんねんマンは「参りました」と頭を垂れた。

 

「おーいおい」「なんだよまったく」「ヒーロー失格」「顔洗って出直してこい」「丁稚奉公からやり直し!」

 

スクリーン上で、さんざんに叩かれた。恥辱の極み。だが、このまま逃げ帰ることもできなかった。ネット中継は3時間の枠が設定されていた。残った時間は、一局を振り返り、反省点を整理するのが常だ。

 

対局時間よりはるかに長い、前代未聞の「感想戦」が始まった。そこから、ざんねんマンを含む人類勢の巻き返しが始まるとは、誰も予測していなかった。

 

感想戦」が始まった。

 

ここからは、解説のプロ棋士らも交えてのトークになる。「いやあ、なんともな結果になりましたが、どうですかざんねんマンさん。心境は」

 

いやあ、まずもって、皆さまの期待にお応えすることができず、申し訳ない限りです。

 

沈黙がしばし続いた。1手ずつ、振り返っていった。

 

プロ棋士「序盤はよかったんですけどね、中盤の、まずここ。相手に囲われたけど、一間飛んでおけば抜け出せたんですよ」

 

「一間飛ぶ」って何だ?ざんねんマン、ポカンと口を開けた。

 

中継画面が、ザワつき始めた。「このおっさん、分かってねえ」「間が抜けてる感じがたまらん」

 

淡々と解説は進んだ。「相手のこの石は、『鶴の巣ごもり』で獲れたんですよ、もったいない」

 

専門用語がどんどん続く。なんだか、難しすぎて頭に入ってこない。でも、聞いた感じがカッコいい。思わずつぶやいた。

 

棋士さん、すごいですね。どんな頭したら、そんな手とか思いつくんですか。

 

唐突な賛辞に、棋士は戸惑った。照れた。「いやまあ、一応プロですから・・」

 

その後もざんねんマンの賞賛は続いた。プロ棋士の「私なら、この局面ではここに打つ」と指した先に、ざんねんマンは目を丸くした。敵陣深く切り込む一手。素人目線では考えもつかない渾身の一撃だ。はあ、「気合い」ってこういうことをいうんでしょうなあ。

 

古来より、知恵者たちが幾多の戦術を編み出してきた。もはや極めつくしたかと思われる段階に至ってなお、新たな世代がさらなる手筋を見出している。それだけではない。局面局面でみると、プロアマ問わずひらめきの一手が、それこそ無限に放たれ続けている。ひらめき、気合、信念・・。AIの得意とする「勝負」とは異なるフィールドで、人類の精神は輝き続けている。

 

「まあ、あれだ。このおっさんみたいな素人でも楽しめるのも、囲碁の面白さなんだよな」

 

ネット上のコメントが再び元気を取り戻し始めた。「そうなんだよな、下手の打つ碁ほどヤジりがいのある対局もないし」

 

あるネット民は、囲碁を題材にした落語の小噺を披露した。「『笠碁』っていうんだ。ヘボ碁を打つ者同士、仲良くなっちゃうもんだってね。いい道具だよ。勝ち負けなんか二の次ってなもんだ」

 

実に奥行きの深い世界が広がっている。「囲碁がルーツのことわざも多いよな。『一目置く』とか」

 

「岡目八目」ということわざもある。物事は離れて見ることで(岡目)、客観的にとらえることができる(八目)という意味だ。日常生活でも充分に通じる、知恵の一言だ。

 

まだある。最近は「囲碁ガール」なんてかわいいプレイヤーも登場している。社会人になって始めるOKもいる。知的エクササイズにぴったりだ。

 

昔は「碁会所」といわれていた空間も、最近では「囲碁カフェ」なんておしゃれな名前に変わってきた。それこそ、囲碁ガールなんて一人でもきたら場の空気がガラリと変わる。男連中は「いいとこ見せよう」と下心を丸出しにし、優しく手ほどきしだす。まったく、けしからん。いや、「うらやまけしからん」というべきか。

 

海を越え、技を競い合い、称え合えるのも囲碁のすばらしさだ。純粋なる尊敬の念が、プレーヤー同士の心に芽生える。草の根の国際交流とは、こういう活動をいうのかもしれない。

 

あるときは人間の発想力を際立たせ、あるときは友情をはぐくむ。ときには運命の出会いをもたらす舞台装置にさえなる。囲碁という、人類が生み出した素晴らしい知的ゲームは、勝敗とは次元の異なる分野で、今も燦然とその魅力を発し続けている。

 

「すごいですね」「天才ですか」「同じ人間とは思えない」。賛辞の嵐を送るざんねんマンに、解説のプロ棋士はもはや照れで真っ赤っ赤になっていた。ネット民たちも「もうこれ以上褒めないでん」と悶絶状態になっていた。

 

人類は、自信を失うことなんてない。AIに、すべてで追い抜かれてしまったというわけじゃない。むしろ、AIのおかげで人類ならではのすばらしさ、魅力に気づくことができたのだ。

 

楽しもう、囲碁を。遊ぼう。驚こう。感動しよう。そしてときには、下心丸出しで手ほどきしよう。

 

3時間の長丁場が終了間近に迫ったころ、会場は不思議な高揚感に包まれていた。

 

「ざんねんマンさん、ありがとう」

 

解説のプロ棋士が、そっとざんねんマンの手をとった。柔らく、温かかった。

 

囲碁の奥深い魅力に光を当て、ファン再発掘に予想外の貢献を果たしたざんねんマン。拍手に送られ会場を後にしながら「もうちょっと覚えて囲碁ガールにアピールできるようになろう」と早くも下心をのぞかせるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 第34話・妖怪の世界にもゴタゴタはある

風もないのに、窓がガタガタ揺れている。

 

深夜、都内のアパート。人助けのヒーローこと「ざんねんマン」の眠りを、やや不気味な音が揺り起こした。布団をまくり、満月の照らす夜空のほうを見やる。と、何やら白い布のようなものが打ち付けている。

 

ガラガラ

 

空けたとたん、白いものがヒュルリと入ってきた。やたら長い。反物のようだ。短いが手足までついている!これはもしや?!

 

「モメーン」

 

反物がしゃべった。あの伝説的妖怪、一反木綿(いったんもめん)だ!ざんねんマン、怖さより感動が上回る。これはこれは、どうも初めまして!

 

「カモーン」

 

一反木綿、どうやら会話が苦手のようだ。小さな指を自分の背中に向け、乗るよう必死に促してくる。何か緊急事態があったのだろう。ざんねんマン、迷うことなくえいやと乗り込んだ。

 

開け放した窓の隙間をすり抜け、月明かりの照らす夜の空へ。ヒュルヒュルと気持ちよく風を切り、こんもりと茂った山の中へ入っていった。

 

茂みを抜け、降り立った野っ原では、ざんねんマンの度肝を抜く光景が広がっていた。

 

この世のものとも思えない生き物たちが、ずらり集合している。目玉がそのまま顔になっている生き物がいるかと思えば、目も鼻も口もない人間が立っている。いずれも、人間の空想が生み出したとされる、妖怪のようだ。

 

子どもの頃から憧れてきたキャラクターたち。ざんねんマン、興奮を抑えることができない。が、深い感慨は、その場の意外にピリピリした雰囲気によって冷や水を浴びせられた。

 

「ようよう、おめえ、最近やけに目立ちやがってよう」「そうだそうだ、自分ばっかり注目集めやがって」「もっとおとなしくしろってんだよう」

 

一人の妖怪を数十人が取り囲み、やんやと罵声を浴びせている。はりのむしろ状態になっているのは、口のとがった姿が特徴的な妖怪、アマビエだった。

 

感染病が流行り始めた数年前から、「疫病を鎮めるシンボル」として人間界で脚光を浴び、今やその存在を知らない日本人はいないほどだ。

 

周りの妖怪たちは、みんなしかめっ面をしている。なんでこいつだけ注目されるんだ。不公平だ。嫉妬の情念が、どの顔にもあふれている。

 

「ヘールプ」

 

一反木綿が、ざんねんマンの耳元でささやいた。けんかを止めてほしい、と訴えているようだ。心優しき一反木綿、愛する仲間たちの絆をつなぎとめるため、遠く人間界にまで助けを求めにきたのだった。

 

人助けも、妖怪助けも、誰かの役に立つという点では同じこと。よし、いっちょやったろう。

 

ざんねんマン、意を決して輪の中に入っていった。「まあまあ、みなさん」

 

見知らぬ人物の突然の登場に、場が一瞬、凍り付く。

 

「な、なんだこいつ」「あ、まさか!なんで人間がここに!」「部外者は出ていけ!」

 

敵意をあらわにする妖怪たち。だが、ざんねんマンも退かない。

 

「けんかはよくないです!正直、格好悪いですよ、みなさん!」

 

プライドを傷つけられたか、群衆がわめきたてる。「俺たち妖怪はなあ、注目されてなんぼなんだよ。見られてなんぼ。意識されなくなったら、消えてなくなっちゃうんだよう」「そうだそうだ、だから、アマビエの野郎に人気を独り占めされたら、困るんだ」

 

妖怪たちの罵声とも悲鳴ともつかぬ叫びがひとしきり続いた後、ざんねんマンが口を開いた。ここから、反撃だ!

 

「じゃあ言わせてもらいましょう。まずそこの方!さっき、私に砂を振りかけてきた、あなたですよ!」

和服をまとった白髪のおばあさんを、ズズーンと指さした。みんな知ってる、砂掛けばばあだ。

 

「あなたね、30年以上前から結構な頻度で、テレビ出てたでしょう!『人気を独り占めされてる』なんて、どの口が言いますか!」

 

予想外の逆襲に、おばあさん、ひるんだ。ざんねんマンがたたみかける。「お隣のご主人も同じですよ!しかも、夫婦そろって“いいもん”役で出てるなんて。おいしすぎでしょ!」

 

図星とばかりに舌をペロリと出したのは、子鳴きじじい。エーンエーンと泣くしぐさも、今日ばかりはかわいくない。

 

目が合った妖怪の一人一人に、ざんねんマンは語りかけた。切れ長の目と鋭い八重歯が印象的な娘には、耳元でささやいた。

 


ネコ娘さん。深夜番組で再登場してましたね。しかも、めちゃめちゃカワイイ子の役で。ファンが爆増したの、知ってますよ」

 


ネコ娘のほおが、ほんのり赤く染まった。

 


ひねくれた表情で冷ややかな視線を向ける、全身緑色の妖怪には、こう投げかけた。

 


「河童さん。あなたこそ人気者の筆頭でしょう。なんたって、『河童の川流れ』ってことわざがあるくらいじゃないですか」

 


それでも、不満げにほおを膨らませる者もいた。その一人が、アマゾンの原住民族を思わせる筋骨隆々の妖怪だ。

 


「妖怪チ〇ポさん。私は知ってるんです。猫娘さんたちほど有名じゃないけれど、あなたも実は映画デビューしてたことを」

 


今だけを見てると、不公平に思える環境に不満や愚痴が出てくるかもしれない。でも、みんなどこかで誰かから恩恵をいただいているもの。そこに思い至れば、怒りの炎も静まるかもしれない。

 


「みなさん、そこそこ、おいしい思い、させてもらっているんじゃないですか。アマビエさんが人気になっても、いいじゃないですか。喜びましょうよ」

 


張り詰めていた空気が、徐々になごんでいった。よくよく考えてみれば、アマビエなんか、これまでほとんど人の目にさらされることがなかった。生まれて初めて、存在を認められたようなものだ。これまでの苦労をしのぶにあまりある。それに、アマビエのおかげで妖怪そのものへの注目度も高まってきた。我々妖怪は、アマビエに感謝しなければいけない。

 


「アマビエ、がんばれよ」「お前の活躍、応援するぜ」「もし、コラボできそうだったら、声掛けてな」

 


罵声はあたたかいエールに変わった。励ましの声に囲まれ、アマビエは恥ずかし気に頭を下げた。

 


妖怪たちの仲間割れを防いだざんねんマン。ほっと息をつき、静かに立ち去ろうとする背中にも、じんわりくる言葉が投げかけられた。

 


「あんたは、妖怪界の救い主だ」「きみを『名誉妖怪』に認定しよう」

 


再び一反木綿にふわり乗り込み、一路都内の自宅へ向かった。これで、よかった。憧れの妖怪たちは、また仲良く暮らしていけそうだ。

 


西の空に沈みかける満月を眺めながら、ふと思った。「あの妖怪さんたち、でも結構目立ってるよなあ」。なんといっても、かなりの妖怪を日本人は知っているのだ。

 


「それに比べて僕なんか全然。不公平だべ」。茶目っ気交じりに、分不相応な愚痴を漏らした。相方の一反木綿、諭すように「ノンノーン」と両手でバッテンマークをつくるのであった。

 


~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ~第33話・人生訓はいつ、誰の胸に響くか分からない(下)~

ざんねんマンも、人事部の小手川も予想しないところで、冴えないはずの体験談が希望の光をもたらしていた。

 

放心の体で椅子にたたずんでいたのは、企画開発部の管理職、坂本。

 

アラフィフ。有能な技術者で、社交性もあって順調に職位を上っていたが、会社組織の性(さが)、避けて通れぬ激烈な出世競争であえなく敗れ、今は安定と引き換えにやる気の盛り上がらない仕事をしている。

 

出世という夢が幻想に終わった今、俺はどこに生きがいを求めたらいいのか。

 

能力も野心もある男だけに、落胆の穴を埋めるのは容易でなかった。鬱屈した日々は、3年ほど続いていた。

 

そんなときに現れたのが、しがないヒーローだった。いわゆる、リーダータイプじゃない。会社組織でいえば、主流には乗らない存在だ。憧れのウル〇ラマンみたいに、人々の注目と喝さいを独り占めできるほどのカリスマ性もない。ヒーロー業界でのし上がっていくことは、たぶんこれからもできないだろう。

 

でもなぜか、この男には魅かれるものがある。今の俺の境遇と重なるところがあるからかもしれない。でもそれだけじゃない、この男の生き方に、なにかうまく言葉にできない希望と力があるように感じるのだ。それは何なのだろう。

 

広いホールの、どこを眺めるでもなく、心の中で沸き上がる思いに、目を凝らした。

 

自分が主役にならない。その器も、ない。ただ、誰かを支えようと無心に立ち回っている。失敗も相当やらかすが、 気持ちに免じて周りが赦してくれている。それだけではない、頼りないこの男の素朴さが、出逢う人々の警戒心を取り払い、優しさや、その人が本来持っている強さを引き出しているようだ。

 

地位や名誉とは違った世界でも、得られるやりがいと幸せがあるのかもしれない。

 

出世という夢からはそっぽを向かれてしまったけれど、その分、気楽にもなった。もう、上を目指してあくせくしなくてもいいのだ。安定を保証された世界で、今度は違うやりがいを探してみよう。会社員生活もまだ続くのだし、楽しみを見つけたほうが自分の人生にとってプラスだ。

 

坂本は、「顧客の満足度向上」について考えるようになった。昔から、商売成功のコツは「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」といわれている。それを磨き上げるにはどうしたいいのだろう。

 

組織の歯車である一介の管理職に、特別何ができるというわけではなかったが、学生のように一つのテーマについて考え、取り組むことは坂本に少なからぬ喜びをもたらした。一度は投げやりになりかけた会社員人生に、再び小さくも確かな灯がともった。

 

部下に不必要なプレッシャーをかけることもなく、ひょうひょうと管理職仕事をこなす坂本の職場は、そこはかとなく和やかな空気で包まれた。面白そうなアイデアを出す若手には、なるべくチャレンジの機会を与えた。みんな坂本のことを「出世街道から外れた人」だと知っていたが、慕ってきてくれた。「俺に取り入ったって、うまい汁は吸えないぞ」とおどけても、「いいんですよ、僕らはそんな気さくな坂本さんが好きなんです」と動じなかった。

 

坂本はプライベートでも新たな楽しみを見つけた。経済学の勉強だ。昔から、世の中を幸せにする手段として、経済の仕組みに興味を持っていた。もう今から社会に貢献できることは少ないかもしれないけれど、成果や実績は気にせず、学びたいことを学んでいこう。

 

夢をあきらめ、夢を見つけた。あの男の、ひょうひょうとした生き方の一端に接し、だいぶ気持ちが軽くなった。あの男、ざんねんマンとやらに、感謝だ。

 

初めて務めた講師役で、大恥をかいてしまったざんねんマン。その生きざまは、企画した会社側が期待した相手(新人社員)にこそ響かなかったが、人生経験を重ね、酸いも甘いも味わった人間に、深く刺さっていた。

 

その言葉や体験が、誰の心に響き、役に立っているか分からない。同じ人に対してでも、年月を経てようやく伝わる可能性もある。例え目先の成果が得られなかったとしても、必ずしも落胆することはないのかもしれない。

 

傷心のままアパートに帰宅したざんねんマン。「今度お呼ばれしたときは、もっと実績を『盛って』語るかぁ」と少々ズルいことを考えるのであった。

 

~終わり~

【ざんねんマンと行く】 ~第33話・人生訓はいつ、誰の胸に響くか分からない(上)~

「実績を積む極意」

 

垂れ幕にしたためた演題に、経営陣の期待が垣間見えた。

 

とある食品加工メーカーが開いた、新入社員研修会。大ホールに集結した若手約50人の表情には、一様に期待とほどよい緊張の色がにじんでいた。

 

「えー本日は、会社組織におきまして着実に成果を出すための心構えにつきまして、皆さんに考えていただきたいと思います」

 

人事部長の小手川が、壇上から新人たちに語り掛けた。「それでは早速、講師の方をご紹介しましょう。先生、さ、どうぞ前へ!」

 

静まり帰った会場の後方で、着なれないスーツに身を包んだ男が立ち上がった。人助けのヒーローこと、ざんねんマンだ。ややうつむきがちに、照れた様子で歩みを進める。手作りの仮面に生活感が漂う。

 

「ざんねんマン先生におかれましては、人助けのプロとして、この激動の時代に安らぎをもたらさんべく、日夜活躍していらっしゃいます。皆さんご存じかと思いますが、先生の人助け成功率は、100%です。よいですか。100%なのです。なぜ先生が完璧な実績を積み上げていらっしゃられるのか。その点につきまして、お話を伺い、わが社のこれからを担う皆さんの糧にしていただきたいのです」

 

小手川が熱を込めて新人たちに語り掛ける。「本日はわが社の無理なお願いを快くお受けくださいまして、本当にありがとうございます、先生」

 

ステージで握手を求められる。講師なんて、生まれて初めてだから慣れないよ。こっぱずかしいな。でも俺、カッコいいかな。ウヒョヒョ。自尊心をくすぐられ、はしたなくニヤけるざんねんマンに、講師の風格を期待するのは無理な注文であった。

 

壇上のマイクに立つ。ええ、みなさま、初めまして。私は人助け専門のヒーローです。新人です。私らの業界では、すでに諸先輩の皆様が活躍されていらっしゃいます。日本ですとウルト〇マン様、アメリカですとバッ〇マン様が雲の上の存在です。歴戦の猛者たちであふれておりまして、私のような者はとても畏れ多いのでございますが、まあ小物なりに若干のお役には立てるんじゃないかと思いまして、日々お仕事をさせていただいております。

 

少しずつ、過去の出動歴を語り始めた。

 

初めて人助けに向かったときのこと。海辺でおぼれかけた少年の救出劇、といきたかったが、実は泳ぐのが大の苦手で、見かねて奮起した少年に助けてもらったこと。

 

いま一歩花開かない、若手の仏師から救いを求められたときのこと。手作りスーツで登場したら、「神仏がこれほどみすぼらしい姿とは」と心底がっかりされたこと。それなのに、しばらくしたら「固定観念の呪縛から解き放たれよ」と力強く宣言し、創造力あふれる作家へと脱皮されていたこと。

 

夜中に落ち武者の幽霊と遭遇したときのこと。うなされたし、怖かったけど、「幽霊だろうが何だろうが関係ないですから!おじさんは、おじさんですから!」と言い返したら、なぜか分からないけど「ありがとう」といって成仏してしまったこと。

 

残念なことに、どのエピソードをとってみても、「人を救った」と胸を張れるような活躍ぶりは見えないのであった。

 

ざんねんマンが上気して語るほど、会場はしらけた空気が広がっていった。「たまたま結果がついてきたってことじゃないの」「憧れるヒーロー像じゃないよな」「このおじさんみたいな、頼りない管理職にはなりたくないわ」

 

小声でささやき合う新入社員たち。共通するのは、落胆と軽蔑だった。

 

あ、これで私の出動歴は以上です。ご清聴、ありがとうございました。

 

まばらな拍手が、若者たちのせめてもの反発を表わしていた。人事部長の小手川も、企画倒れを悟ったとばかりにうなだれた。

 

一応、新人たちのために質問タイムが用意されていたが、手は挙がらず。盛り下がった空気の中、ざんねんマンは気まずそうにステージを降りた。

 

今日の今日こそは、やってもうた。大失敗だ。誰を助けることも、できなかった。僕はやっぱり、へっぽこ人間だ。

 

つまらない与太話から解放されたとばかりに、くつろいだ空気が漂いはじめた会場に、一人、放心の体で椅子に腰かけたままの男がいた。

 

「これだ、俺が目指すべきは、こんな生き方だ」

 

ざんねんマンも、人事部の小手川も予想しないところで、冴えない体験談が希望の光をともしていた。

 

~(下)に続く~来週末出動!

【ざんねんマンと行く】 ~第39話・口下手な居酒屋大将のささやかなる挑戦(中)~

そうだ、今日はこの大将を助けないといけないんだった。悦楽の世界からふと我に返ったざんねんマン、無言でうつむく大将の頭頂部を眺めながら、策を練った。

まず、話をしようにも会話が続かない。どうしたもんか。こうなったら、独り言作戦でいくか。

ざんねんマン、一人でぶつぶつと思ったこと感じたことをつぶやいていった。

あー、ここの料理、とっても美味しいなあ。でも、なんかちょっと寂しいなあ。話、したいなあ。やっぱり、コミュニケーションって大事だよなあ。

下を向きながらもしっかりと聞いている勝は、ざんねんマンの一言一言にピクピクと体を震わせて反応した。

(そうなんだ、コミュニケーションが、大切なんだ。それは、分かっているんだ。でも恥ずかしくって、できないんだよ)

勝は心の中で答えた。その気持ちを汲み取ったかのように、ざんねんマンは続けた。あー、確かに世の中には口下手な人っているよなあ。まあ、無理強いしたってきついだろうしなあ。だったら、やり方変えたらいいかもなあ。

例えば、気持ちを口ではなく文字で伝える。暖簾に書く。看板に書く。メニュー表に書く。今日の気持ち、料理に込めた思い。読んでもらえるかは分からない。リアクションがくるあてもない。逆に引かれるかもしれない。それでも、何もしないよりはましだ。人柄を、料理にかける思いを、分かってもらうためには、やってみて損はない。

ざんねんマンの、聞こえよがしにつぶやくアドバイスは、勝の鼓膜にジンジンと響いた。そうだよな、このまま無策でいてもジリ貧だ。書くのはちょっと恥ずかしいけど、しゃべるのに比べたらまだましだ。いろいろ、試してみることにするか。

熱燗にも手を伸ばし、すっかり出来上がったざんねんマンをなんとか玄関まで送りだした後、勝は大きく深呼吸した。「明日から、挑戦だ!」


~(下)に続きます~

【短編】無限地下ホテル・続

地の底に向かってどこまでも円柱状の空洞が続き、その側面いっぱいに、客室のドアが段層状に並んでいた。

 

無限の闇へとつながる不思議なホテルは、私の興味関心をそそるのに十分だった。怖がりな性分にもかかわらず、私はもっと下を目指していった。

 

闇に進むほど客室は豪華になり、想像を超える贅沢が客をよろこばせる。その一方で、闇のほうからも正体のしれない怪物が上がってきており、どこかでまみえてしまえばパクリとやられてしまう。こうした仕組みは地上のホテルマンにはっきりと説明を受けたわけではない。が、地下に足を踏み入れて以降、心の中で勝手に理解が進んだ。

 

沈めば沈むほど、贅沢と恐怖の程度が増していく。ここで足を止めておけばなんの危険もないのに、やめられない。なんと浅はかなことか、自分は。

 

今や相棒ともいえるエレベーターは、私の心中をすっかり見抜いているかのように、適当なところで降下を止め、無言でドアを開けた。

 

B1360、とあった。

 

相当に深いところまで来た、と思いながら、無意識にいざなわれるがままにフロアに足を踏み出した。そして、とあるドアの前で止まった。

 

ドアノブをひねると、ヒュルヒュルとやや強い風が全身を吹きつけてきた。

 

壁という壁が、どこか南国の浜辺を映し出している。一直線に伸びる白砂のじゅうたんに沿って、少しばかり元気な波が打ち寄せている。そして、風がやたらと存在感を放っている。怒っているような、ソワソワしているような、終始落ち着かず、目的もなく、どこからどこへということもなく駆け抜けている。

 

これは、スクリーンに映し出された光景なのか。それとも、本当に目の前に南国の白浜が広がっているのか。私には判断のしようもなかった。深く詮索してもあまり意味はないと考え、ただ見・聞き、感じるがままにしばらくその場に身を置くことにした。

 

開放感があった。私のこころと視界をさえぎるものは、何もなかった。白浜に腰を下ろし、念じると、瓶ビールとつまみが手元に現れた。何を考えるともなく、飲み、ポリポリとかじった。

 

この部屋は、どこかの世界と同通しているのだろう。それは地球上の特定の場所かもしれないし、あるいは私か誰か知らない人の単なる妄想空間かもしれない。それはもう、どうでもいい。ここで、しばらくやすらぐことにしよう。

 

日差しの弱いのだけが気にかかった。ただ、横たわる私に危害を加えそうな存在はつゆほども感じることがなく、無防備な格好で白い砂に浸った。

 

夕暮れはやってこず、いつまでも青い空があった。目立った変化のないこの世界は、私に敵対してくるわけでもなければ、優しく受け入れてくれるわけでもなかった。ただ、ありたいように広がっているように見えた。

 

私は、そろそろ次の段階へと進むころだと根拠なく思った。何日か過ごしたであろう客室を離れ、再び無言のエレベーターに乗り込んだ。

 

ここまで、例の怪物とはまみえることなく旅を続けることができた。まだまだ、私のいる階層は人間世界の範疇ということなのだろうか。では、どこからが彼ら魑魅魍魎の世界なのか。彼らと客室で面したとき、一体どんな出来事が起きるのか。私は、彼らに喰われた後、どうなるのか。

 

さまざま妄想だけが頭の中で暴れた。それは苦痛のようでいて、刺激でもあり、妄想を飼いならそうという考えまでは起こらなかった。私は、まだまだ無限地下ホテルでの旅を続けようと思った。私の念が指し示す方向に向かって、エレベーターは稼働を始めた。

 

【短編】天国地獄

さあ、くるならこい。閻魔だってサタンだって、誰でも相手にしてやろうじゃねえか。

 

黄泉の国にやってきたばかりの人間たちがつくる列の中に、一人険しい形相を見せる男がいた。

 

地球で息をしていたころ。その男は天下を支配し、民から富という富をむしり続けた。農家から身を起こし、力に取り入り、ライバルというライバルをすべて蹴散らして、地上の王として君臨していた。

 

しかし生命の掟には抗えず、白寿を前にしてポックリいった。あっけなかった。地上で厳かに営まれる葬儀を見下ろしながら、男は次なる世界の入り口に立っていた。

 

あれだ、ここが天国行きか地獄行きかを決める関所なんだろう。生前、悪逆の限りを尽くした男は、自分に下される審判がおそらく苛烈を極めるであろうことを覚悟した。

 

受付のスタッフが、男の前の老婆にほほえんだ。「おばあちゃん、どうぞ」

 

「なるほど、島国に生まれて、子宝に恵まれて。ご主人を若いころに亡くされて。苦労されましたね。よくワンオペで頑張ってこられましたね。もう楽にされてくださいね。それじゃあ、このゾーンをおすすめしましょう」

 

スタッフが老婆に何やらマップを見せている。老婆のこころが感動で飛び跳ねるのが分かった。「ありがとうねえ、ちょっくらその、『ファイブスター・ビーチリゾート』ってとこで憩わせてもらうよ。その、ビキニってのも着てみるかねえ」

 

ウキウキした口調の老婆は、話すほどに若返り、いつしか妙齢の美人に戻っていた。「そうですよおばあちゃん、地球で苦労した分、今からたっぷり楽しんでくださいね」

 

今やスラリ美脚をのぞかせる美人となった女性は品よくうなずき、ゲートの向こうに消えていった。

 

さて、俺の番だ。尻の穴に力を入れて臨むことにするか。

 

「次の男性、どうぞ」

 

スタッフの下に向かう。早速、地球時代のプロファイリングが始まった。「えっと、農家に生まれて、いろいろされまして、そして地上の王になられましたと。はい」

 

えらい、あっさりとしていた。正直、そっちのほうが助かる。根掘り葉掘り過去をほじくり返されたら、たまらなかったからな。

 

「それでは、どうされますか。まあ地上時代のご経験があれですから・・」

 

男はごくりと生唾を飲み込んだ。さて、血の池地獄か。針の山地獄か。極寒の世界か。閻魔100人とのシェアルームか。なんでもこいだ。

 

スタッフはパラパラとページをめくり、あるところで手を止めた。「ここなんか、どうでしょう」

 

示されたのは、朝日に輝く白壁の王城だった。地上時代でも築くことのできなかった、憧れの域を超えた建築物だった。

 

「おお!これこそ俺が望んでいたもの!ここに住まわしてくれい!」

 

一も二もなく、王城を指さした。「そうですか。それでは、こちらのゲートから向かってください。車とかバイクとか、タケ〇プターとかなんでも使って結構ですよ」

 

追加の説明をいくつか受けた後、あっけなくゲートを通過した。なんだ、あの世ってこんなもんだったのか。天国とか地獄とか、閻魔大王とか、罰当たりとか、あんなのは作り話だったんだな。まあいいや、俺はこれからのあの世ライフをバッチリリッチに、ゴージャスに、楽しむぞ!

 

アニメでしか見たことのないタケ〇プターをかぶり、王城に翔けた。「おお、すばらしい城門。まさに俺にふさわしい建物だ」

 

上機嫌で敷地内に降り立った。輝く朝日が心地よい。そよぐ風は、少し秋の気配が入りかけで、実に爽やか。ああ、最高だ。

 

ギギ―

 

王城のドアを開け、室内に入る。絢爛豪華とはこういうことをいうのだろう。天井のシャンデリアがキラキラと照り映える。すべてが最高級。ソファもフカフカ。やっぱ、あの世の者どもも俺って人間の器の大きさってのをよく理解してるんだなあ。

 

そのままソファで横になり、しばらくうつらうつらした。やがて日が暮れた。

 

静かだ。落ち着いている。この空間には、裏切りも妬みもそねみもない。なんと穏やかなんだ。

 

男は心が鎮まっていくのを感じた。ただ一つ、気になることがあった。それはやがて心の中で膨らみはじめ、もはや無視することができないほどの「不安」としてはっきりした輪郭を持って迫ってきた。

 

人が、いない。

 

誰もいないのだ。男を除いて、王城には人っ子一人、それこそ虫の一匹すらいなかった。これは一体どうしたことか。

 

男は、あの世のゲートでスタッフと交わした会話を思い返した。あまりにゲート通過がスムーズに進んだことに、男はやや戸惑いすら感じていた。スタッフからマップを渡されたとき、聞かなくてもよかったが思わず尋ねてしまった。

 

「地上で悪いことばっかりやってた人間が、閻魔様から舌をひっこ抜かれたりとか、しないのかい」

 

スタッフはクスッと笑った。「舌を抜くだなんて。だあれもそんなこと、しませんよ。この世界じゃ、誰もが自由なんです。なんせ、みんな肉体のない『魂』なんですから。誰も、人を傷つけることなんて、できません」

 

なるほど、と男はうなずいた。「じゃあ、安心だ」

 

ゲートを抜ける直前、スタッフがボソリとつぶやいた。「誰が誰と会うのかも、一人一人の自由なんです」

 

男は、頭の中でこうした言葉の一つ一つを反芻した。どういうことなのか。結論が、うっすらとみえてきた。

 

黄泉の国では、人を罰する存在はいない。誰もが自由だ。束縛されない。それは一見、前科者にとっての楽園にみえる。が、実はそうでもない。地上で人を傷つけ、欺き、悲しませた者の下には、誰も人が寄ってこないのだ。究極の孤独。これに勝る罰があるだろうか。

 

「むおおーん」

 

男はがらんどうの宮城で一人、慟哭した。俺の今は、俺の過去がすべて招いたものだ。これからたっぷりと、犯した罪の深さを骨身にしみて理解するまで、この孤独地獄でのたうちまわることになるのだろう。

 

男にとって、王城はもはや極楽を装った誅罰の場、さながら「天国地獄」であった。

 

・・・・

 

男が誰に聞かれるともない慟哭を挙げているころ、「ファイブスター・ビーチリゾート」でくつろぐ、かつての老婆の姿があった。

 

「いやまあ、なんて透き通った海だこと」

 

素足を水面に浸すと、ちょっぴりひんやりした。でも、気持ちいい。最高だわ。

 

「そうだろう。ここはねえ、あの世界でも指折りのリゾートなんだよ」

 

いつしか隣に髭もじゃのダンディ男がたっていた。若いころ先に逝ってしまった、最愛の夫だった。「久しぶりだね。美代子。これからは、ゆっくりとこのスーパーゴージャスな空間の中で、たんまりセレブ生活としけこもうじゃないか」

 

うん十年ぶりに抱擁を交わす二人の周りに、いつしか人だかりができていた。自然と、拍手がわいた。「再会、おめでとう!」

 

美代子が振り向くと、懐かしい顔ぶれが並んでいた。小学校の親友・照子ちゃん。かつてスーパーのバイトでレジ作業を教えてくれた、人生の大先輩・トラさん。地域のごみ清掃で黙々と汗を流していた、自治会長の山田寅太郎さん。地上時代は、一人一人に助けてもらった。悩み事に耳を傾けてもらった。美代子も、みんなを支えた。お金もないし、体力もなかったが、つらそうにしている人を見るとそっといたわりの言葉を掛けた。助け、助けられた。支え合う「人」の字を体現していた。

 

どの顔も穏やかだった。あふれる温かみが、美代子のこころにじんわり染み渡っていくのが分かった。

 

「私、今、本当に幸せ」

 

美代子は夫にささやいた。そして、恥じらいがちにお願いをした。「せっかくだから、カクテルのマルガリータでも頼もうかしら」

 

「へい、よろこんで!」

 

ビーチパラソルの露店商が声を張り上げた。今日はたっぷりと、ビーチでパーリーピーポーだ!

 

・・・・

 

あの世には、閻魔大王もサタンもいないかもしれない。ただ広がるのは、無限の自由のみ。誰も傷つけない代わりに、誰も相手にしてくれないことが、地上のサタンに与えらえた究極の罰になりうる。一方、苦境にあっても温かみを失わず、誰かのために生を果たした老若男女は、再び地球に戻りたくなるそのときまで、心ゆくまで仲間たちとの交流を楽しみ、味わい、ファイブスターホテルも形無しのゴージャスライフを満喫しているかもしれない。

 

【ざんねんマンと行く】 ~第45話・究極の自己中と「三方よし」(下)~

「究極の自己チュー人間」とうたい、自嘲気味に乾いた笑いをあげる三好に、傍らでへべれけ気味のざんねんマンが口を開いた。

 

三好さん、気取ったこと言ってますけどね、ぜんぜん「究極」じゃないですよ。まだまだ修行が足らんようですなあ。

 

予想もしない言葉に、ほろ酔い加減だった三好がカッと目を見開いた。「な、なんだと?!この俺をバカにするのか?!」

 

バカになんかしてませんよ。究極の自己チューっていうわりには、儲けも頭打ちに近づいてきてるみたいじゃないですか。かっこ悪いよまったく。

 

一言一言が三好の逆鱗に触れた。「あんたなあ、おごられた分際でいい気になりやがって。そこまで言うんなら、モノホンの自己チューってやつを語ってみろってんだ」

 

ああ、いいですよ。あっしならねぇ、まっとうな商品を、適正価格でお届けし続けますね。なんたって、長く商売続けたいですかね。あったり前のことやってたら、ごひいきにしてくれるお客さんもつくってもんでさあ。まあ三好さんの姑息な商売ほど利幅は大きくないでしょうけどね、積み重ねれば大きくなるでしょうよ。

 

「あー、そんな話道徳めいた話はうんざりだわ。あんたのいっていることはあれだろ。昔、近江の商人がやってた『三方よし』の商売だ。買い手よし、売り手よし、世間よしってね。でもね、周りのことまで考えてちゃ、満足に儲けられねえんだよ」

 

ふっ

 

ざんねんマンがやや小ばかにしたようにため息をついた。三好さん、分かってないなあ。世の中で長く続いている会社を考えてみなすって。どっこもね、お客さんのこと、世間のことを考えてるんですわ。満足してもらうことで、まわりまわって自分とこに利益が転がり込むの。そのことが分かってるから、「三方よし」ってのを続けてるんですよ。

 

儲け、長生きしている企業は、決して利益度外視の善行をしているわけではない。冷徹な眼で組織の存続を考え、最も利潤が上がる手を繰り出しているのだ。その秘訣といえる「三方よし」を実践する彼らこそ、「究極の自己チュー」なのだ。

 

「むむ、むおおおん」

 

三好が、敗北を悟ったかのようにがっくり肩を落とした。俺のやってきたことは中途半端だった。ニヒルを気取り、自分さえ儲かればいいとばかりに姑息な商売をやってきたが、結局は長続きしない心の底で感づいていた。やっぱり長寿企業にはかなわない。

 

「ありがとう、しがないおっさん。俺、やり方改めるわ」

 

三好は、晴れ上がった青空のように澄み渡った瞳を見せた。まっとうな商売をやっていく。幸せを周りにもたらした後、まわりまわっておすそわけをいただく。これは理想や願望ではなく、古今東西の先人たちが経験の末につかんだ真実なのだ。この道で、今度こそは堂々と胸を張れる金儲けをしていくぞ。

 

「大将、熱燗あと3本。隣のおっちゃんにあげといて」

 

三好がいいとこを見せた。その表情には、先ほどのような勝者のおごりは見えなかった。さあこれからまた忙しくなるぞとばかりに、勘定を済ませるや颯爽と駅前の喧噪に消えていった。

 

残されたざんねんマン。今回こそはかっこよく人助けに役立てたのではないかしらんーと悦に入りながら、「おいらも三好のおっさんみたいにお金稼ぎがしたいけど、そもそも商売のセンスがないからできないんだよな」と商才の乏しさを嘆くのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ~第45話・究極の自己中と「三方よし」(上)~

軽くなった徳利を、未練がましく振ってみた。ああ、残りちょびっとか。

 

駅前のにぎやかな居酒屋。寂しい懐事情もあり、カウンターでチビチビやっていると、不意に隣から声を掛けられた。「どうですか、一杯」

 

徳利を傾けてきたのは、黒縁眼鏡が印象的なスーツの男。頬に何重にも刻まれた皺の深さが、送ってきた半生の複雑さを想像させる。

 

え、いいんですか?いやあ、すいませんねえ、最近懐が軽いもんで。

 

人助けのヒーロー・ざんねんマン、大好きな酒を前に、お礼もそこそこに猪口をくちびるに運んだ。

 

スーツ男は三好(みよし)といった。ペンキや塗料を売る仕事をしているという。「最近はDIYが流行ってましてね、ありがたいもんです」とにやける。売り上げが伸びているのか、羽振りはよさそうだ。

 

徳利1本に喜ぶざんねんマンを、三好は哀れそうに眺める。ああ、人生の落伍者のなんとまあ無様なことよ。それに比べて、儲けてウハウハのこの俺様。まったく、人生の勝ち組は余裕があって仕方がないねえ。

 

勝者の優越感に浸りながら、三好はつぶやくともなく自らの人生観をつぶやいた。「世の中ねえ、売ってなんぼ、儲けてなんぼですよ。少々質の悪い商品だってね、売れてしまえばこっちのもの。よくよく調べもしないで買う客のほうが悪いんだ」

 

どうも、粗悪品も紛れ込ませて商売をしているようだ。法律に触れるギリギリのライン。しかし、三好は悪びれるどころか、「結局、自分だけが幸せになればいいんだよ」と開き直った。

 

世の中に恨みがあるのか。憎しみのようなものすら感じさせる物言いは、ざんねんマンの心に重いものを残した。三好さん、それってまっとうな商売じゃないと思うんですけど。

 

「何言ってるんだい、そんなきれいごといっててもね、儲かりはしませんで。俺はね、俺だけ儲かればいいの。俺はね、究極の自己チュー人間なんだよ」

 

会社員となって間もないころ、人に何度か騙された。生まれた不信の根は深く、まっとうに仕事をするのが馬鹿らしくなった。以来、姑息な手段も使いつつ、儲けることだけを目的にものを売り買いしているのだという。

 

札束を積み重ねてこそいるものの、ひそかに限界も感じてきているようだった。一度騙された消費者は(三好に言わせれば「よく調べもせずに買った客の責任」)、二度と三好の商品を買ってはくれない。そのため、渡り鳥にように営業先を買え、ときに店の看板を変えながら、焼き畑農業のように移り移りして商売をしているのだった。

 

やや自嘲気味に半生を語る空しき勝者に、黙って耳を傾けていた傍らのざんねんマンが口を開いた。人助けのヒーロー、ここから巻き返しだ!

 

~(下)に続く~

【手記】無限地下ホテル

やけに現実感があった。

 

私は妙な興奮とともに目を覚まし、まだあの空間に身をおいているかのような気分の高まりとともにあった。

 

地中に向かってどこまでも続いているのであろう、穴を私は見下ろしていた。

 

きれいにくり抜いたであろう円柱状の空洞に面して、幾何学的に、四角い縁が階層状に並んでいた。その一つ一つは、ドアであった。

 

「ここは地上1階・地下無限のホテルなんです」

 

テルマンが私にささやいたような記憶がある。

 

地上では円柱の空洞に沿って手すりが続いており、高所恐怖症の私は恐る恐る下をのぞいてみた。

 

無音であり、漆黒であった。

 

底がないと。そんなことがあるか。試しに、硬貨を1枚、放ってみた。

 

いつまでたっても、重力という物理法則を実証する地面との衝撃音を聞くことはできなかった。

 

このホテルでは、いや、この無限空間では、数え切れない旅人たちが思い思いに宿泊を楽しんでいるという。いったい、いつから営業しているのか。さまざま疑問をホテルマンに寄せたが、人間として限られた寿命を生きるばかりのホテルマンは、確かな答えを持ち合わせていないようだった。

 

自分も知らない昔から、このホテルはあったという。際限のない地中空間に向かって、客室は続いている。旅人には、一度受付で対峙してからは再びまみえることがない。そんな素性の判然としない施設で働くことに疑問は抱かないのか、私はホテルマンに尋ねてみたが、「職さえあればそんなことどうでもいい」といったような投げやりな答えではぐらかされたような気がする。

 

「それで、宿泊はどうされますか」

 

催促された。それは強い調子ではなかった。が、私の冒険心を試すような挑発の色がにじんでいた。

 

料金は、説明を受けたがよく覚えていない。はっきりしているのは、「下の階にいくほど部屋のしつらえもサービスもゴージャスになる」ということだけだ。

 

プラスチックのプレートによそわれたパサパサのパスタが、金銀の食器で彩られたフレンチとなり、チープな缶ビールが、シャンパングラスに取って代わる。安アパートに鎮座していそうな小型のテレビが、プロジェクターで映し出す大型スクリーンとなり、さらには21籍の技術がまだ実現できていない立体映像に進化する。

 

それだけではない、深く沈むほどに私達の知らない世界へと同通し始め、過去未来、魑魅魍魎の暮らす空間、もはやそこに身を置いた本人しか確かめることのできない複数空間を併行体験することができるのだという。

 

理解を超えた仕組みに気が遠のく思いもしたが、理性を興味が上回った。とにかく、この世界を体験してみることにするか。私は一歩を踏み出した。

 

「じゃ、地下3階で」

 

テルマンが、ぷっと吹きかけた。なんと怖がりな。必死に笑いをこらえようとする仕草が、私に対する嘲りの心情を漏らすことなく伝えた。

 

馬鹿にするなら、するがいい。私は臆病だ。

 

とまれ、手続きはその一言で済んだ。ホテルに一つしかないエレベーターに乗り、下り始めたかと思うと、「B3」と表示されたところで勝手に止まった。

 

どのルーム、とも聞いていなかったが、フロアに着くと、両の脚が勝手に動き出し、あるドアの前で止まった。ここなのだな、と私は疑うことなく思った。安っぽいステンレスのドアノブをひねった。

 

なんともまあ、ありふれたビジネスホテルのような空間が窮屈そうによどんでいた。

 

私は、正直、がっくりした。おそらく、まばたきを何回もしないうちに、「もっと下へいこう」と心を決めた。決めたら、空間は勝手に私の心中を察したようだった。ドアを開け、再びエレベーターに乗ると、グウンと妙な機械振動をきしませながら沈降していった。私の恐怖心が徐々に高まり、限界に達したとみえる「B15」のところでガタンと止まった。

 

再び、何を考えるともなく脚を運び、空間から示されたドアノブをひねった。

 

圧倒的にリッチな空間が広がっていた。純白でいかにもフカフカのソファが、いかにも主を待ちかねているかのようにたたずむ。古今東西の、酒という酒が棚を飾っている。壁面の一つが完全に自然風景と化しており、どこまでが映像でどこからが現実かも分からないほどだ。

 

私は非常に満足した。腹が減ったと思うと、頼んでもいないのに鶏の丸焼きが出た。ムシャムシャと頬張ると、すこぶる幸せな心持ちになった。優しく打ち寄せる波の音を、壁面の白砂青松とともに楽しんだ。

 

これでも、B15なのか。

 

まだまだ人間の頭で想像できる範囲の数字であり、世界だ。ここから先、いや下には、どんな光景が広がっているのだろう。ここでもやはり、興味が私の他のすべての感情や理性的判断を上回った。

 

再び、ドアを開け、見慣れたエレベーターに身を預けた。エレベーターは、私の深層心理そのものであるかのように、ものを言うこともなく再び無限の深淵に向かって沈降を始めた。

 

そのときだった。私の心の中で、誰からというわけでもないのに、この不思議な地下空間についての理解が深まり始めたのだ。

 

どうも、この無限ホテルには、楽しみと引き換えともいえるような代償があるらしい。

 

果てのない闇の空間から、姿も心根も判然としない存在物が、私たちとは反対に「上がって」きているのだという。

 

それは意志を持っており、食欲があり、私たちのような生き物を好物にしているという。私たちが地下に進むということは、それだけ彼ら魑魅魍魎に近づくということであった。運が悪ければホテルの一室で見えてしまい、そうなれば畢竟彼らのご馳走となってしまうわけだ。

 

一体、彼らはどんな姿格好をしているのか。私たちを、どんなふうにして喰らうのか。そんな場面を想像するだけで、震えが沸き起こってきた。

 

それでも、悲しいかな、やはり興味がその他の感情理性に打ち勝ってしまったのである。

 

私は、背中から額からもはや遠慮することもなくしたたりだした汗を拭うこともなく、「もっと下へ」と念じた。エレベーターは、地上のホテルマンがぷっと吹いたときと同じように、カタンと全身を震わせると、再び沈潜への行程を進みはじめた。

 

私はいつか正体のしれない魑魅魍魎と相まみえ、あっけなく生を奪われてしまうことになるのかもしれない。ただ、わかっていながらやめられないのが生き物というものなのだろうか。

 

その後については、綴るかどうか迷っている。というのも、地下への道程は、そのまま私の興味関心の程度を試す旅であり、自らの限界を世間にさらすことにもなるからだ。今はただ、想像上の産物というには現実感がありすぎ、かつ深みのある世界が広がっているということを報告するにとどめたい。

【短編】舗装

アスファルトの道は、住宅地の中心部を走り、通学する児童から自転車の高校生、勤め人の車などでいつも雑としていた。

日々、朝夕、さまざまな光景が繰り広げられた。不機嫌な表情でハンドルを握る会社員が通り過ぎたかと思えば、ジャンケンで負けたのであろう児童がランドセルを3つも4つも抱えて横断歩道を小走りにかける様子が見る大人をほのぼのとさせた。

雨がふれば、水たまりというほどでもないがそこここにちょっとした透明なスクリーンが生まれた。雨がやむと、アスファルトでもあちこちで晴れ間がのぞけた。

1日のうちに、一体どれほどの人間がこのアスファルトを踏みしめたことだろう。タイヤが踏みならしたことだろう。数え切れない接触が、そこを舞台に瞬間、瞬間、生まれていた。そうでありながら、誰にとってもおそらく、大した記憶には残っていなかった。

アスファルトは、単なる舗装にすぎず、個々人の人生を織りなす舞台としてはみなされていなかったのだ。

ある日、工事の人たちが現れ、人々の踏みしめてきたアスファルトを掘り返し始めた。道路改修だ。

人々と無数の、無限といってもよいほどの接触を重ねてきたアスファルトは、誰に惜しまれることもなく、形を失っていった。

道路として、確とした役割と居場所を与えられていたようにみえたかつての構造体も、こぶし大ほどの固まりに砕かれてしまうや、あっけないほどにその個性を失い、名前をつけることすらできない味気ない物体の世界に放り捨てられた。

アスファルトは、物言う口を持っていなかった。人間と、世の中と、やりとりする術を持っていなかった。最期まで、どの誰とも通じることなく、人間の認める世界から姿を消した。

言葉も心も持たない物質ではあるが、世の中に残したものは、あった。それは、横断歩道を渡った児童の脚に残る感触の記憶であった。水たまりが瞳に映す青であった。一つ一つの接触が、体験が、一人ひとりの人間にとって欠くことのできない人生履歴となっていた。

四方を支配する人間の世界が広がっている、しかし影でそれを支える存在がある。言葉なく心なく、表現手段は持たないが、人間や生きるものと常に、ともに在る。世界は、随分と深い。

ある朝。人々は、いつもの道路が真新しく黒々と照り映える舗装に入れ替わっているのに気づいた。新たな、紡がれることのない物語が、合図なく滑り出した。