おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【歩き旅と思索】 49・デジャビュ

地点から地点へと歩いてつなぐ旅を20年している。

 

40代となり、体力は確実に衰え、1日に歩ける距離も短くなってきた。

 

ただ山あいの集落を歩き、海沿いのひなびた田舎道をたどり、ときおり大都市の雑踏を抜ける。その繰り返しにすぎない。

 

それなのに、飽きない。なぜか。

 

デジャビュ、がないのだ。

 

歩く先、それぞれに個性がある。名前もないような小山でさえ、その山にしかない個性的な稜線が連なっている。海辺の道は、くねくねと曲がっているが、その曲線はその土地にただ一つの形だ。

 

一つとして同じ形風景の土地はない。見ていて、飽きない。

 

深い入江を半周すると、また新たな入江が現れたりする。似たりよったりの光景だが、どれもが違い、独特の雰囲気を醸している。

 

土地を歩く人の言葉も、似ているようで微妙に違っている(1日歩く中でも感じることがある)。

 

出会い、出会い、出会いの連続だ。

 

感動だったり、印象だったり、落胆だったり、土地土地で受ける印象は異なるが、どれもが新鮮だ。

 

日常生活はパターン化しがちで、既視感のある出来事であふれているが、歩き旅をしているとそういったデジャビュの世界から束の間でも抜け出すことができるように感じる。

 

自然、街、土地は、どれもが個性的で、味わいがある。歩き旅を通じて、そのことにつくづく気付かされる。