おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【大将と私】16・底知れぬファン層

変わり者の大将の紹介↓

ojisanboy.hatenablog.com

 

50を超えたおっさんなのに、不愛想なのに、どこまでも愛嬌があり、慕われる居酒屋の大将がいた。

 

私も他のファンに負けないくらい、大将に入れ込み、頻繁に大将の店に足を運んでいた。それこそ、20代の独身のころは毎日に近いペースで通っていたと思う。

 

大将のファン層はだいたい分かっている。そんなうぬぼれめいた思いもあった。まあ、そんなこと威張って誰が手を叩いてくれるのかと突っ込まれそうだが。

 

とまれ、そんな思い込みは、大将が黄泉の国に旅立った1年以上もたったころ、いともあっさりと覆された。

 

地方の特急列車に腰かけていたとき、見覚えのある風貌の男性が通路沿いに歩いてくるのを認めた。名前が出てくる前に、「おお」と声を掛けた。目が合うと、やはり常連さんの一人だった。懐かしい。自由席だったこともあり、そのまま向かい合って座り、思い出話に花を咲かせた。

 

面白いのは、常連さんの隣にもう一人、若い男性が座っていたことだ。てっきり大将とは無関係の人と思っていたら、「私も通っていました」とおっしゃるので驚いた。

 

よくよく話やその表情を伺っていると、たしかに大将が胸を開きそうな好人物だ。こんな方が、あの空間で、同じように呑み、笑っていらっしゃったとは。ぜひご一緒したかった。

 

まったく、私のうぬぼれは空想に過ぎなかった。自嘲しながらも、大将が亡くなった後になってなおこうやって大将つながりで人のつながりを築くことができていることに、素朴な喜びを覚えた。

 

大将っち、すげえ。

 

心から湧いてきた、偽らざる感情だ。

 

大将はどこまでも深く、客の一人一人と向き合った。心の絆をはぐくんだ。底知れぬファン層とネットワークに、感動と感謝の気持ちが沸いて出る。

 

大将にはもう会えないけれど、まだ見ぬ常連さんたちとの新たな出会いを通じて、新鮮な感動をかみしめられることが嬉しい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~