【ざんねんマンと行く】 ~第36話・こころを伝えることに技巧はいらない(上)~
商人たちでごったがえす大通りを、春の陽気があたたかく包む。
ときは天平勝宝。宮殿の置かれた奈良の都は今、まさに盛りを迎えようとしていた。
喧噪とは裏腹に、通りの端で一人疲れ果てたようにしゃがみ込む青年がいた。
遠く坂東からやってきた、名もなき一庶民。国の守りを固める防人として引っ立てられ、はるか西の九州に向かう途中であった。
「おなか、減ったなあ。もう、蓄えもないよ。せめて、今日一日分の食べ物だけでもありつければ」
ギュルルル、と胃袋がうめく。ニキビの交じる若い男は、空腹を忘れんとばかりに一層身を固くした。
坂東の片田舎でそれなりに幸せな暮らしを送っていた。けれど、ある日突然里長(さとおさ)がやってきて、「お前は若くて元気がある」と有無を言わさず男を防人に命じてきた。青年や家族に、拒む余地はなかった。旅が命がけだった時代、防人として遠く九州まで徒歩で向かうことは、それ自体が今生の別れとほぼ同義であった。
「お父さん、お母さん、元気してるかなあ。泣き虫の弟は、今日もエンエン泣いているのかなあ。みんなにまた、会いたいなあ」
胃袋がうなり、こころは寂しさで飢える。僕の人生、もうそろそろ限界かも。せめて、家族に僕の気持ちを、愛を、伝えたかった。もしこの世に神様がいるのなら、このささやかなわがままを聞き届けていただきたかった。
「このまま、永遠に眠ってしまおうか」
青年が諦念の境地に至った、その刹那。真実の願いは時空を超え、21世紀に暮らす男の胸にズババーンと刺さった。
人助けのヒーローこと、ざんねんマン。芽吹き始めた公園の桜を眺めながらジョギングにいそしんでいたが、タタタッとペースを速めて春霞の空へ飛んだ。そのまま都内のアパートに一直線。ちゃぶ台に置いていた手作りのおにぎりをつかむと、机の引き出しを空け、タイムマシーンに乗り込んだ。
1300年のときを超え、まもなく男のたたずむ奈良の都にたどり着いた。力なくうずくまる男の傍らに、座った。そっと、語り掛けた。
こんにちは。おなか、へりましたよね。これ、もしよかったら。
持ってきたおにぎりを、青年に手渡した。
「え、これ・・・お米ですか!うわあ!!!」
当時、米は貴人しか口にできない高級食材だった。「ありがとう」の一言を発するのも忘れ、青年は飲み込まんばかりにおにぎりをほおばった。
ゴクリ
大きく上下する喉仏(のどぼとけ)が、青年の喜びと安心を物語った。
「すいません、お礼もしないうちにいただいてしまって。それにしても、あなたは一体・・」
私ですか。まあ、人助けが本職の、しがない男ですよ。気にしないでください。それはそうと、お兄さんは遠く坂東で暮らすご家族のことが気にかかっているみたいですね。
「そうなんです。見てのとおり、僕は蓄えのないただの若造です。なんとか旅路の半分まではこれましたが、残り半分の道のりを歩き通せるか、自信はありません。せめて、産み育ててくれた父母に感謝の言葉でも伝えたいと思っているんです。まあ、それもかなわぬ夢と諦めているんですけどね」
ふむう
物資に恵まれた21世紀に生きるざんねんマン、若い男の悩みに胸を揺さぶられた。今の時代みたいに、メールでメッセージをやりとりしたり、動画でリアルなトークをしたりすることはできないのか。一度離れてしまったら、再び交流することは本当に難しいんだ。なんと切ないことか・・
ちょっと待ってくださいね。何か方法はあるはずですよ。
ざんねんマン、ない知恵を絞った。乏しい歴史の知識をたどった。当時は電話やメールがない代わりに、詩(うた)を読み、気持ちを表現する文化があった。それこそ、貴族から一般庶民まで。詩は、身分や地域の垣根を超えて人々が楽しめる、一大エンターテインメントだったのだ。
お兄さん、ちょっと歩きませんか。
ざんねんマン、何やらひらめいたかのうように促した。けげんな表情で見上げる青年に、微笑みで返した。
~(中)に続く~