おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 ~第45話・究極の自己中と「三方よし」(下)~

「究極の自己チュー人間」とうたい、自嘲気味に乾いた笑いをあげる三好に、傍らでへべれけ気味のざんねんマンが口を開いた。

 

三好さん、気取ったこと言ってますけどね、ぜんぜん「究極」じゃないですよ。まだまだ修行が足らんようですなあ。

 

予想もしない言葉に、ほろ酔い加減だった三好がカッと目を見開いた。「な、なんだと?!この俺をバカにするのか?!」

 

バカになんかしてませんよ。究極の自己チューっていうわりには、儲けも頭打ちに近づいてきてるみたいじゃないですか。かっこ悪いよまったく。

 

一言一言が三好の逆鱗に触れた。「あんたなあ、おごられた分際でいい気になりやがって。そこまで言うんなら、モノホンの自己チューってやつを語ってみろってんだ」

 

ああ、いいですよ。あっしならねぇ、まっとうな商品を、適正価格でお届けし続けますね。なんたって、長く商売続けたいですかね。あったり前のことやってたら、ごひいきにしてくれるお客さんもつくってもんでさあ。まあ三好さんの姑息な商売ほど利幅は大きくないでしょうけどね、積み重ねれば大きくなるでしょうよ。

 

「あー、そんな話道徳めいた話はうんざりだわ。あんたのいっていることはあれだろ。昔、近江の商人がやってた『三方よし』の商売だ。買い手よし、売り手よし、世間よしってね。でもね、周りのことまで考えてちゃ、満足に儲けられねえんだよ」

 

ふっ

 

ざんねんマンがやや小ばかにしたようにため息をついた。三好さん、分かってないなあ。世の中で長く続いている会社を考えてみなすって。どっこもね、お客さんのこと、世間のことを考えてるんですわ。満足してもらうことで、まわりまわって自分とこに利益が転がり込むの。そのことが分かってるから、「三方よし」ってのを続けてるんですよ。

 

儲け、長生きしている企業は、決して利益度外視の善行をしているわけではない。冷徹な眼で組織の存続を考え、最も利潤が上がる手を繰り出しているのだ。その秘訣といえる「三方よし」を実践する彼らこそ、「究極の自己チュー」なのだ。

 

「むむ、むおおおん」

 

三好が、敗北を悟ったかのようにがっくり肩を落とした。俺のやってきたことは中途半端だった。ニヒルを気取り、自分さえ儲かればいいとばかりに姑息な商売をやってきたが、結局は長続きしない心の底で感づいていた。やっぱり長寿企業にはかなわない。

 

「ありがとう、しがないおっさん。俺、やり方改めるわ」

 

三好は、晴れ上がった青空のように澄み渡った瞳を見せた。まっとうな商売をやっていく。幸せを周りにもたらした後、まわりまわっておすそわけをいただく。これは理想や願望ではなく、古今東西の先人たちが経験の末につかんだ真実なのだ。この道で、今度こそは堂々と胸を張れる金儲けをしていくぞ。

 

「大将、熱燗あと3本。隣のおっちゃんにあげといて」

 

三好がいいとこを見せた。その表情には、先ほどのような勝者のおごりは見えなかった。さあこれからまた忙しくなるぞとばかりに、勘定を済ませるや颯爽と駅前の喧噪に消えていった。

 

残されたざんねんマン。今回こそはかっこよく人助けに役立てたのではないかしらんーと悦に入りながら、「おいらも三好のおっさんみたいにお金稼ぎがしたいけど、そもそも商売のセンスがないからできないんだよな」と商才の乏しさを嘆くのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ~第45話・究極の自己中と「三方よし」(上)~

軽くなった徳利を、未練がましく振ってみた。ああ、残りちょびっとか。

 

駅前のにぎやかな居酒屋。寂しい懐事情もあり、カウンターでチビチビやっていると、不意に隣から声を掛けられた。「どうですか、一杯」

 

徳利を傾けてきたのは、黒縁眼鏡が印象的なスーツの男。頬に何重にも刻まれた皺の深さが、送ってきた半生の複雑さを想像させる。

 

え、いいんですか?いやあ、すいませんねえ、最近懐が軽いもんで。

 

人助けのヒーロー・ざんねんマン、大好きな酒を前に、お礼もそこそこに猪口をくちびるに運んだ。

 

スーツ男は三好(みよし)といった。ペンキや塗料を売る仕事をしているという。「最近はDIYが流行ってましてね、ありがたいもんです」とにやける。売り上げが伸びているのか、羽振りはよさそうだ。

 

徳利1本に喜ぶざんねんマンを、三好は哀れそうに眺める。ああ、人生の落伍者のなんとまあ無様なことよ。それに比べて、儲けてウハウハのこの俺様。まったく、人生の勝ち組は余裕があって仕方がないねえ。

 

勝者の優越感に浸りながら、三好はつぶやくともなく自らの人生観をつぶやいた。「世の中ねえ、売ってなんぼ、儲けてなんぼですよ。少々質の悪い商品だってね、売れてしまえばこっちのもの。よくよく調べもしないで買う客のほうが悪いんだ」

 

どうも、粗悪品も紛れ込ませて商売をしているようだ。法律に触れるギリギリのライン。しかし、三好は悪びれるどころか、「結局、自分だけが幸せになればいいんだよ」と開き直った。

 

世の中に恨みがあるのか。憎しみのようなものすら感じさせる物言いは、ざんねんマンの心に重いものを残した。三好さん、それってまっとうな商売じゃないと思うんですけど。

 

「何言ってるんだい、そんなきれいごといっててもね、儲かりはしませんで。俺はね、俺だけ儲かればいいの。俺はね、究極の自己チュー人間なんだよ」

 

会社員となって間もないころ、人に何度か騙された。生まれた不信の根は深く、まっとうに仕事をするのが馬鹿らしくなった。以来、姑息な手段も使いつつ、儲けることだけを目的にものを売り買いしているのだという。

 

札束を積み重ねてこそいるものの、ひそかに限界も感じてきているようだった。一度騙された消費者は(三好に言わせれば「よく調べもせずに買った客の責任」)、二度と三好の商品を買ってはくれない。そのため、渡り鳥にように営業先を買え、ときに店の看板を変えながら、焼き畑農業のように移り移りして商売をしているのだった。

 

やや自嘲気味に半生を語る空しき勝者に、黙って耳を傾けていた傍らのざんねんマンが口を開いた。人助けのヒーロー、ここから巻き返しだ!

 

~(下)に続く~

【ざんねんマンと行く】 ~第54話・なんでも悲観的に考えてしまう青年(下)~

自らのダメ具合をひけらかし、自嘲気味の青年に、ざんねんマンは一瞬たじろいだ。が、返しもなかなかすごかった。

 

まあその、すごいもんですなあ。そこまでダメなところを見抜けるとは。もうこうなったら、徹底的にダメダメ具合を突き詰めて探してみたらいいじゃないですか。私もね、とことんダメな人間っていうのを、見てみたい気もするんですよ。

 

慰めるどころか、傷口に塩を塗るようなコメントをさらしてきた小粒ヒーローに、傷心の青年は吠えた。

 

「何てひどいこと言うんですか!僕はねえ、ハートブレークしている可哀そうな青年なんです。いたいけな青年なんです。ちょっとはねえ、いいところだってサジェストしてくれたっていいじゃないですか!」

 

そりゃあたしかに、大学では「可」ばっかりさ。でもね、見方を変えりゃあ、ちゃんと単位は取れたわけだ。塾で人気をイケメン講師にさらわれてるって?それはそうだけど、あまりに人気の差がありすぎるおかげで、淡々と講師業務に専念できてますよ。彼女いない?言い換えればねえ、僕は「いつだって合コンに参加できる」ってことですよ。こんな幸せなこと、ありますか。

 

ものごとには表と裏の二面がある。一つの現象を明るい面からとらえることもできれば、暗い面からのぞくこともできる。西洋では「コインの両面」といい、東洋では「陰陽」という。これは例え話ではなく、事実そのものだ。

 

哲也は、自分で吠えながら、自分で気づいた。

 

どんな出来事でも、環境でも、明るい面と暗い面の両方を探してみる。すると、思いもしない可能性を見出すことができるかもしれない。逆に、慢心を戒める課題に気づかされることもあるだろう。

 

よっしゃ、いっちょやったるか。

 

哲也は人生観を改めてみることにした。悲観一辺倒の真っ暗人生観から、楽観も含めたハイブリッド人生観へ。これからの人生、2倍楽しむんだ!

 

なに、服装がダサいって?それはつまり、「磨きがいがある」ってことさ。大学の成績が悪いと?ふふ、それはつまり「頭の悪い人たちの気持ちが分かる」ってことですな。毛深いってよく言われるけど、そういう男こそ「毛の薄くてイケてる人たちを引き立てる」のに貢献してるといえるんだ。

 

哲也は今や、希望をつかんだ。僕は、ダメなばっかりの奴じゃない。可能性に満ち満ちた、めちゃくちゃ伸びしろのあるホープなんだ!

 

すっかり明るい表情となった哲也を前に、ざんねんマンはお役御免となったことを悟った。青年よ、大志を抱くんだ。達者でな。ベランダの床を勢いよく蹴ると、真夏の夕暮れ空へと溶けていった。

 

自信をつかんだ哲也は、気づかないうちに取り巻く環境を少しずつ変えていった。大学のレポートは相変わらず「可」のオンパレードだったが、「単位が取れればそれでよし」と割り切れるようになった。たまにあるプレゼンでは、内容に疑問符が付く質ながらも堂々と発表するようになり、空気に押されて教授が合格点を出すようなケースも出てきた。

 

バイト先の学習塾では、哲也と同じく成績に悩む生徒たちの聞き役になることが増えてきた。落ち込むことはないんだよ。君には伸びしろがあるんだ。物事には二つの面があるんだ。成績の悪い人間が語る言葉だからこそ、妙に説得力があった。

 

今や「出来の悪い人間の駆け込み寺」として若者たちから頼られる存在となった哲也だが、やらかすこともあった。

 

英語の成績が伸び悩んでいた生徒の太郎君が、諦めず単語ノートを毎日復習していたら、2学期のテストで80点を取った。「先生、僕やったよ!高得点とるの、初めてだ!ありがとう先生!」

 

ハイブリッド人生観を身につけたばかりの哲也は、処し方でまごついた。純粋に褒めることができず、「『まぐれ当たり』の可能性があるね」と冷めたコメントをしてしまった。生徒の太郎君は、冷や水を浴びせられた気持ちになり、それ以降哲也に悩み相談をしてくることはなくなった。

 

人生で初めて彼氏ができたーと近況報告に訪れた女子生徒の美代ちゃんに、哲也は真顔で「騙されてる可能性があるから、浮足立たないように」と諭してしまった。美代ちゃんは涙目になり、それから哲也が目にすることはなくなった。

 

世の中の見方はハイブリッドで。でも、人に接するときは臨機応変が大切だ。人生とは奥深く、大変で、面白いものだなあ。哲也はますます生きることが楽しくなってきた。

 

悲観ばかりする男の逆転劇に貢献したざんねんマン。哲也のますますの活躍を祈りつつ、「まあおつむと顔の出来は変えられるものじゃないから、大それた夢は抱かんことですな」と老婆心ながら余計な一言をつぶやくのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ~第54話・なんでも悲観的に考えてしまう青年(上)~

「ああ、僕はだめだ」

 

哲也(てつや)はため息をついた。頑張って書いた大学のレポートの評価が、合格ギリギリラインの「可」だった。10日間、図書館に通い詰めて仕上げたのに。僕は、本当に才能がないなあ。

 

まあ、振り返れば「良」も幾つかは取ってきた。でも、それはたいがい甘い評価で有名な教授の講義でいただいたものだ。ごく一部、厳しめの教授から褒められたことはあったけど、あれはきっと教授の気まぐれさ。僕なんか、ダメダメのダメ野郎なんだ。

 

バイトで塾講師やってるけど、人気はイケメンの学生が独り占め。しかも明るい性格ときている。僕なんか、イジイジしてしゃべるのも下手だから、ほとんど誰も気にも留めてくれないよ。まあ中には「先生の静かで優しく教えてくれるとこがいいんです」とか言ってくれる生徒さんもいるけど、あれはきっと慰めだな。

 

あーもう、いいとこなんか全然ないよ、僕。これからの人生、真っ暗だ。

 

「ダメだダメだ」と口ではぼやきながら、心の底で「誰かこんなかわいそうな僕を励ましてほしい」と叫んでいた。

 

その刹那。都内の立ち食いソバ屋でズルル―と麺をすすっていたある男が、雷(いかづち)に打たれたかのように全身こわ張った。「しばし待たれい」

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。残っていた麺を一口でジュルリ喉奥まで流し込むと、開け放たれた玄関を抜けヨイッと夏空へ飛び立った。哲也の暮らす大阪のアパートまで一直線だ。

 

「おお、あなたは・・」

 

ベランダにトンと降り立ったざんねんマンを、哲也は驚きと感動の眼(まなこ)で見つめた。あの、最近売り出し中の、小粒ヒーローだ!

 

「僕みたいな、こんなダメダメ野郎を、わざわざ救いにきてくだったんですか?!」

あ、まあ、とりあえず条件反射で飛んできちゃいました。でへへ。

 

頭をポリポリとかく中年男に、哲也はやや拍子抜けした。ひょっとしてこのおじさん、名前負けしてるタイプなのか。「人助けのヒーロー」とか、看板だけでかくて中身はないみたいな、そっち系の人なのか。ちょっと気にかかるけど、この際だから相談してみよう。

 

「あのう、僕みたいに生まれながら恵まれてない人間が、幸せをつかむ道はあるんでしょうか」

 

まあまあ、「恵まれてない」なんて大げさな。ちょっと自意識過剰なんじゃないですか。

 

ざんねんマンのあけすけな物言いは、傷心に浸る青年のハートをささくれ立たせた。「そんなことないですよ!そういうおじさんだってね、ちょっと自分のこと、大きく見せすぎなんじゃないですか。見てくれはただのくたびれたおっさんじゃないですか」

 

おお、言うてくれましたなあ。ええそうですよ。私はねえ、しがない中年ヒーローですよ。それが何か?お金ない、もてない、コレステロール値最近高めの、おっさん中のおっさんですが、それが何か?

 

自らのわびしい状況を嘆くでもなく、堂々と明かすざんねんマンに、哲也はやや面食らった。このおじさん、自分のこと悲観してないみたいだ。傍からみたら、めちゃくちゃ可哀そうな環境なのに。ひょうひょうとしてる。どっちかというと、気持ちに余裕ありそうな感じだ。なんなんだこれは。悔しいけど、ちょっとうらやましいぞ。

 

鬱々と澱んでいた心の中に、得体の知れないながら心地よい涼風がそよぎこんできた。ひょっとしたら、力抜いて生きるだけで、人生楽になるのかしらん。

 

でもまだまだ、そう簡単には納得なんかしてやらないぞ。このおじさんを困らせてやるんだ。

 

「もうね、僕なんかね、最悪なんですから。大学のレポートとか、力いっぱい頑張って『可』だし。彼女いないし。塾講なんかやってると自分のダサさ加減が分かるってなもんですよ」

 

ダメ自慢をしてくる人間に、どう返すか。心ある人間なら、温かい励ましの言葉を掛けることだろう。

 

さて、どう出るか、小粒ヒーロー!

 

~(下)に続く~

【ざんねんマンと行く】第39話・AIに越されそうな男

はぁ~

 

カウンターの隣から、やたらため息が漏れてくる。なんだようまったく、辛気臭いなあ。

 

駅前のこじんまりした居酒屋。人助けのヒーローことざんねんマンは、熱燗をチビチビやりながらしっぽり「お一人様」を楽しんでいたが、途中からやってきたサラリーマンに何だか雰囲気をぶち壊されてしまった。

 

横目でちらりと風体を確かめた。年の頃はアラフィフか。しわしわのシャツが男やもめを物語る。そんなにため息付いてたら、貧乏神だって逃げ出しちゃうよ。

 

ちょいと元気づけでも、するか。

 

ざんねんマン、枝豆の入った手元の小皿を隣のリーマンに差し出した。これ、ちょっとあまりそうなもんで。よかったら、どうぞ。

 

「あ、いいんですか、すいません」

 

リーマンのほっぺにちょこっと笑みが漏れた。どうぞどうぞ。一人で呑んででもつまらなくって。まあとりあえず、乾杯。

 

お猪口同士でカチャリと響かせる。ああ、このなんということもない仕草の一つで、気持ちってのはほだされるもんだなあ。二人とも、猪口の液体をゴクリと飲み干すと、あぁ~と大きく息をついた。

 

景気は良くならないし、物価は上がる一方だし、もうやってられないですよねえ。

 

ざんねんマンが、話しかけるともなくつぶやいた。リーマンも続いた「その通りですよ」

 

乾杯でひと心地ついたか、リーマンは問わず語りに自身のことを話しだした。都内のしがない中小企業で働いていること。管理職であること。上からは業績低迷を責められ、下からは環境改善の要求が激しくって、もう息が詰まってたまらないこと。

 

最近、会社は今はやりのAIとやらを導入し始めた。やれ業務管理アプリだの、顧客サービス用BOTだの。24時間365日仕事をしてくれるRPAっていう人工知能まで幅を利かせてきて、おいらの居場所は日に日に狭まるばっかりだ。

 

「もうね、私みたいな時代遅れの人間なんて、そのうちAIに追い越されちまうんじゃないかってね。ははは」

 

リーマンが乾いた笑いを漏らした。チラリ隣のざんねんマンを見やった。「そんなことはないよ」と否定してくれるよね。顔はそう物語っていた。

 

まあ、そういうところは、あるのかもしれませんねえ

 

空気を読めないざんねんマン、残酷な一言でリーマンを落胆の底に陥れてしまった。

 

リーマン「そう、ですよね。おいらなんか、お払い箱なんだ。AIのほうが、よっぽど優秀なんだ。そうだよな。もう今日は、徹底的に飲み倒してやるぞ・・」

 

早くも酒に逃げようとするリーマンに、人助けのヒーローが喝を入れた。おたく様ねえ、落ち込むの早すぎですよ。たしかにAIにもう追い越されてしまってるかもしれませんけど、お払い箱になるってのは極論ってなもんで。

 

「ど、どういうことだ」

 

リーマンは猪口をくちびるに付けたまま、手を止めた。

 

そりゃあねえ、お宅様はぱっと見、映えないですよ。仕事もできないかもしれない。部下にも慕われてないかもしれない。でもね、だからこその味わいってのがあるでしょうよ。

 

リーマンはイライラがわきあがるのをなんとか抑えながら、ざんねんマンの言うところを理解しようと頭の中で反芻した。

 

味わい、か。確かにおいらはボンクラ管理職だ。人をうまくまとめて動くのが苦手だし、上司におべっかを使うのも下手。飲み会では頑張ってダジャレで場を沸かそうとして、毎回見事にスベッている。でも、そんなへっぽこ社員のおいらでも、「愛嬌がある」ってひいきにしてくださる取引先もいるんだよなあ。部下たちも、なんだか分からないけど、おいらの部署に配属されたら、みんなリラックスしているよ。

 

そこですよ

 

ざんねんマンがつぶやいた。お宅様ね、お宅様は自分のことをグズでスベりまくりでミスしまくりのダメ人間だと思っているかもしれないですけど、それってAI、全部できないですから。

 

AIは、計算も予測も完璧だからこそ、ミスすることがない。繰り出す手はいつも最適解ばかりだ。だが、それだけに味気がないともいえる。オチまで緻密に計算し尽されたトークは、果たして本当に面白いといえるだろうか。たまにスベるからこそ、ネタに深みが増すんじゃないだろうか。

 

失敗して、恥かいて、穴があったら入りたくなるような姿をさらしてこそ、それを見た人の共感を呼ぶのではないか。

 

だとしたら、これまで失敗だらけの人生を送ってきたおいらこそ、AIもはるかに及ばない巨人といえるのかもしれない。

 

「そうか、俺は、AIよりすごい男なのか・・」

 

リーマンは止まっていた指を再び動かし、猪口の液体をゴクリと飲み干した。「兄さん、今日はありがとう。なんだかおいら、元気が出てきたよ」

 

リーマンはその後、職場で以前にはなかったはつらつさを醸し出すようになった。仕事では相変わらず凡ミスを繰り返したが、もう落ち込むことはなかった。だっておいら、人間だもの。完璧ははなから無理だよ。飲み会でも、相変わらず冴えないダジャレでスベった。が、羞恥で顔を赤らめることはなくなった。スベッてスベッて、見事にスベりきった。

 

おいらはこれでいい。失敗だらけの、人間さ。AIなんか、追いつこうたって、絶対にできないんだ。

 

全身から自信をあふれさせ、てらうことなく失敗談と冴えないダジャレを繰り出し続けるようになったリーマンのことを、周囲はいつしか「AIが絶対に追い越せない男」と畏敬の眼差しで見上げるようになった。

 

さまざまなアプリやらソフトやらが人間の仕事を奪っていく中、リーマンは独特の愛嬌でマニアなファンを社内外でがっちりつかみ、厳しい競争の嵐をくぐり抜けた。臆せず連発するダジャレも、「聴いてるとなんだか安心する」と本来の趣旨とは違った形ながら周りに受け入れられるようになった。

 

AIが人間を完全に追い越す日は、遂にやってこないのかもしれない。人間が失敗し、スベり、羞恥にまみれる限り、永遠にたどり着けない壁であり続けるといえる。嘆かわしくもかわいげのある、人間という生き物であることは、実に不思議でありがたいことなのかもしれない。

 

一人のリーマンの心を救ったざんねんマン。再び例の居酒屋でしっぽり「おひとり様」を楽しみながら、「あのおいさん、ダジャレの中身はさすがに見直したほうがいいと思う」と心の中で突っ込みを入れたのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【ざんねんマンと行く】 ~第38話・悪人正機(下)~

青年のうめきが、ざんねんマンの胸にも重くのしかかった。悪をなし、そのことを悔いている人間に、なんと言葉を掛けたものか。

これまで助けてきた人たちの多くも、さまざまな悩みを抱えていた。乗り越える道を探すのは、容易ではなかった。
 
だが、ざんねんマンの素朴で多少ぶしつけにも聞こえる発言は、彼らの煮詰まった心に確かな光明を吹き込むことがあった。今回も、率直に、感じたままを語ってみるか。

お兄さん、まあ、言ったことは確かに悪いですよ。正直言って、最悪だ。

「うん。そう。そうなんです」。青年は硬くうなずいた。

そう、最悪なんだよ。お兄さんは。しかも、もう彼女さん、戻ってこないしね。

「それも、分かってますから。そこ、もう繰り返さなくてもいいですから」

青年がやや気色ばんできた。なんで人の傷口に塩塗るようなこと、するかなあ。もっと、なんかためになるアドバイスとか、慰めの一言とか、ないのかいな。

そうだねえ、こうなったらもう、落ち込みまくるしかないのかもしれないよ。だって、ほかにすること、ないじゃん。

適当ともいい加減ともいえるような発言に、青年はあきれると同時に一種の義憤に満ちた表情で睨み返した。

「僕だってねえ、最悪だけど最悪じゃないところもあるんですよ!だって、こうやって反省しまくっているじゃないですか!心の底まで腐りきってるわけじゃ、ないんですよぅ!」

そうか・・

面罵してくる青年を前に、ざんねんマンは一つのことに気が付いた。青年は、確かに悪をなした。だが、その悪が強力な重しとなって、心の底に潜んでいたもう一つの性分、つまり良心がうごめきはじめたのだ。

悪人はすべて悪ではない。悪を悪と認識し、悔い恥じる人間の心でこそ、正真正銘の善が輝きを放ちだすのではないか。

侍の時代、一人の僧がとなえた。

悪人正機説

歴史の教科書で読んだ記憶が、うっすらとざんねんマンの脳裏でよみがえった。そうだ、彼は今、まさにその状態にあるのだ。青年よ、悩め、悔いよ!底の見えなくなるまで!過去はもう変えられないが、これから先のことは君がどうにでもできる。自分の内なる善に気づき、磨くんだ!

突然信仰めいたことを話し始めたざんねんマンに、熱くなっていた青年もやや引いた。このおじさん、ちょっとヤバい人かもしれない

「そうですね。僕、いっぱい、反省します」

そうだよ青年。もう彼女さんは戻ってこないけどね。

「だからその一言、もういいから!」

ブリブリと怒りもあらわに、青年は立ち上がった。会計を済ませるや、ガラガラと引き戸を開け、別れのあいさつもなく駅前の雑踏に消えていった。

ああ、今日もやっちまったなあ。余計なひと言、多すぎた。

失敗に終わったように見えた人助け。しかし、ざんねんマンと出会う前と後で青年の心には確かな変化が生まれていた。
 
ただ落ち込み、己をひたすら憎む自分から、悔い嘆き、一方で確とした良心も自覚する自分へ。もう二度と同じような悪をなすまいと誓った青年の足取りは、頼もしかった。

一方のざんねんマン。「今日もやらかした」となじみの店員にぼやくと、「一人反省会だ」ともっともらしい口実をつけてはさらに2合を頼むのであった。

~完~
お読みくださり、ありがとうございました。
 
 
 
 
 

【ざんねんマンと行く】 ~第38話・悪人正機(上)~

はあぁぁ

ため息が、また漏れてきた。

駅前の大衆居酒屋。カウンターで週末の一杯を楽しみにきた、人助けのヒーロー・ざんねんマンは、隣から漂ってくる重い空気におされたか、ジョッキをあおる手を止めた。

チラリと横に目をやってみる。スーツ姿の若い男性だ。一人。ざんねんマンが店の暖簾(のれん)をくぐったときには、既に座っていた。熱燗の徳利が、寂し気に並んでいる。

何か、悩みがあるのかなあ

ざんねんマンの中で、少しずつ、人助け魂がうずきはじめた。ジョッキの残りを飲み干すと、なじみの店員に「熱燗2合で!あと、鶏軟骨もね」と呼びかけた。

カウンターに置かれた徳利を、そっと隣の青年の方に向ける。どうですか、一杯。私、今日一人できてましてね。たまたま隣り合った縁で、一緒に飲みませんか。

カウンターに視線を落としていた青年が、驚いたように顔を挙げた

「ああ、どうも。いいんですか」

モチのロンよ、とほほ笑むと、まだ湯気の沸く透き通った液体を青年の猪口(ちょこ)に注いだ。

さっきからお兄さん、ため息つかれてますね。何か、あったんですか。話せることがあったら、聞き役にはなれますよ。人に話すだけでも、ちょっとは気が楽になれるもんです。

不惑を超え、人生経験だけは青年よりも豊かなざんねんマン、猪口に口をつけながら、青年の言葉を静かに待った。

「僕、最悪な人間なんです。彼女とけんかしたときに、『勉強できない奴が偉そうなこというな』って言っちゃったんです」

有名な大学を卒業した青年は、とある合コンで事務職の彼女と知り合った。気立てがよく、周囲への気配りができる素敵な女性だった。ただ、家庭の事情もあり高校を卒業するとすぐ就職していた。

惹かれ合った二人はやがて付き合い始めた。が、幼少期から挫折知らずで過ごしてきた青年にとって、女性の生い立ちにはどこか物足りないものを感じていた。成功への階段を上っている僕に比べたら、哀れなものだ。心の中に、隠すことのできぬ軽蔑の念が横たわっていた。

たわいのない口喧嘩で、肚の底でよどんでいた醜い心が顔を出した。青年の、冷たさを伴った一言は、女性の心に冷や水を浴びせるに充分すぎた。二人の間に、越えることのできない溝が入った。あっという間だった。女性は、青年との連絡を一切、絶った。後悔、先に立たず。青年は、謝罪の言葉を伝える機会も与えられず、ひたすら己の傲慢さを呪う日々が続いた。

そんなことが、あったんですか。

聞き終えたざんねんマン、しばし言葉を発することもなく、口に含んでいた液体をゴクリと飲み干した。

はたから見ればただの別れ話だが、まだ若く失敗知らずの青年にとっては衝撃の大きすぎる出来事のようだった。

「僕は、最悪だ。人間として。一生懸命生きてきた人の尊厳を、心ない一言で打ち砕いてしまった。自分の醜さに、耐えられないです。苦しい」

青年のうめきが、ざんねんマンの胸にも重くのしかかった。悪をなし、そのことを悔いている人間に、なんと言葉を掛けたものか。

~(下)に続く~明天

 

【ざんねんマンと行く】第37話・ネチネチ上司との闘い

「ガミガミ、ネチネチ、毎日うるさいんです」

 

新着メールを開くと、呪詛(じゅそ)の言葉が連綿とつづられていた。これまた、やっかいな仕事になりそうだ。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。活動を始めて1年が過ぎ、どんなエマージェンシーコールにも動じぬ胆力を養うに至っていた。今回の相談者は、どうも若手の会社員のようだ。安心するんだ若者、この私がなんとかしてみせよう!

 

若者のメールによると、職場の上司がなんとも嫌味な男で、へきえきしているらしい。仕事はまあ、できる人物なのだが、指示の出し方、評価の仕方一つに皮肉やら自慢が混じるのだという。

 

「君ねえ、これぐらい1日で倒せないようじゃあまだ半人前だ」

「私なんかは誰の手も借りずにこなしてきたもんだ。まあ仕方ない、誰かに応援を頼んでやろう」

 

余計な一言が多すぎる上司というのはいるもんだ。このネチネチ親父、なんとかギャフンといわせられないものか。

 

つまりは上司に逆襲したい。それが若者の相談だった。

 

逆襲するったって、相手は一筋縄じゃいかないひねくれ野郎だからなあ。正攻法で向かったって、簡単にはいかないぞ。なんとすべきか・・

 

ざんねんマン、とりあえず若者とZOOMで面談。社会経験だけはちょいとばっかし多めに重ねている者として、若者に現実的なアドバイスをした。

 

・正面から歯向かったら、後で仕返しされかねない(それが会社組織だ)

パワハラなら訴えやすいが、ムカムカさせるだけのイラハラはまだ認知度が低い(労基署もたぶん動いてはくれんよ)

・上司もそこそこ仕事ができるのが余計にイライラするというのは、よくわかる。いるんだよなあそういうやつ。そこは共感する。

・と、いうことで、まともにやり合おうとするのは得策じゃないと思う。

・結論。まあ、聞き流すのが一番いいんじゃないでしょうかねえ。

 

若者「うーん、なんかその、『長いものには巻かれろ』的な考え方がなんとも頼りない・・残念なおっさんだ」

 

若者に鋭く指摘され、ざんねんマンは思わずいきり立った。なんとな、頼りないとな!残念とな!ええ、そうですよ、私は頼りない不惑のおっさんですよ!ですがねえ、こうしてなんとか働いてやっていけてるんですよ。頼りなくて上等!長いものに巻かれて、上等!

 

どうせなら、徹底的に、巻かれてみたらどうですかい、若者さんよお!

 

ざんねんマンの開き直ったような挑発に、若者は当惑した。どういう意味なんだ。

 

ガミガミ、ネチネチはなんとも嫌なものだが、それを除くと上司の発言には確かにまともな指摘も散りばめられていた。仕事の段取り。資料のまとめ方。取引先へのアプローチの仕方と、気配りのポイント。経験と工夫から生まれた知恵の部分には、傾聴に値するものが多かった。

 

相手のネチネチクリンチにこねくり回されながらも、タコのようにしなやかによじらせ、心身がダメージを受けるのを防ぐ。むしろ、相手の中に潜む「知恵」というパワーだけをしたたかに吸い込ませてもらえばいいじゃないか。

 

長いもの(ネチネチ上司)に巻かれて結構。こっちは、しっかり栄養分だけいただけばいいんだ。

 

相手を人間だと思うから腹が立つ。だったら、いっそのこと今はやりのAI(人工知能)かなんかだと思ってしまえ。

 

SNSでよくつぶやく、〇〇BOTみたいなもんだ。

 

BOTが何を言ったって、腹は立たない。どんなきつい指摘をしてきたって、怒りは沸かない。むしろ冷静に受け止められる。

 

「おじさん、俺、なんか打開策が見えた気がするわ」

 

画面越しにも、若者の瞳に力がみなぎるのが分かった。そうか、若者。なんでもいい、歯向かうばっかりが人生じゃないよ。しなやかに、したたかに、生きていくんだ。

 

ZOOM画面を閉じると、ざんねんマンは若者の健闘を祈り、缶ビールをプシューとやった。

 

その後。若者は一つの創作アイテムをつくりだし、上司のネチネチ光線から知恵という栄養分だけを吸い込む画期的な仕組みを構築することに成功した。

 

名付けて「BOT-PHONE」

 

見掛けは普通のワイヤレスイヤホンだが、内部に音質をデジタル風味にする変換器を取り付けている。これで、外部から入ってくる人の声はみんな「BOT」風になる。

 

「君ってのは、何回言っても覚えない人間だなあ」

 

これは、BOT-PHONEではこう聞こえる。

 

「キミッテノハ、ナンカイイッテモ・・」

 

無機質なカタカナ音が、AI感を見事に演出している。あはは。BOTに愚痴を言われたって、痛くもかゆくもないさ。さてさて、おいらは役に立つところだけ耳をそばだたせてもらうことにするかなあ。

 

若者は上司の愚痴を余裕の笑顔で受け止めつつ、実はうまくかわしつつ、仕事の容量だけを吸収させてもらい、業務の質を高めていくことに成功した。そのからくりを知ろうと周りの同僚たちが助言を請いはじめた。まるで湖畔に投げ込んだ小石から波紋が広がっていくように、BOT-PHONEは静かに、職場に浸透していった。

 

その存在はやがて管理職以上にも知られることとなった。「最近、若手の業績が上がっていると思ったら、そういうことだったのか」

 

その中に、あのネチネチ上司もいた。うれしいような、情けないような、複雑な気持ちがした。俺の言うことは、それだけ若いやつらに嫌な思いをさせていたのか・・

 

そういえばちょっと前から、俺がしゃべろうとすると決まって部下が「ちょっと待ってください」と手で制してきた。そしておもむろにイヤホンを装着し、「じゃ、どうぞ」と満面の笑みで発言を促すのだった。

 

俺はつまり、BOT扱いだったのだ。ぶっちゃけ、信用も信頼も、されてなかったのだ。

 

く、悔しい~!!

 

ネチネチ上司は、その日から「打倒BOT」を心に誓った。部下がBOT-PHONEを装着しようとすると、「ちょっと待ってくれ」と哀願するようになった。俺を人間としてみてほしい、ちょっとでいいから信用してほしい、その気持ちから、今までのネチネチをやめ、いたわりの気持ちから語り掛けるようになった。

 

ネチネチ上司は、いつのまにか気配りのきくホカホカ上司へと変身していた。もう、BOT-PHONEは必要なかった。職場の生産性とチームワークは、それまでに増して高まっていった。

 

若者の会社の成功事例は、そのままビジネスシーンへも横展開を遂げた。同社製の独自商品として正式に発売され、大企業をはじめ各地、各業界へと急速に浸透。海外進出も果たした。

 

そして面白いことに、どこかの段階で、BOT-PHONEの売り上げは緩やかに天井を打った。それの手を借りずとも職場の空気を変え、生産性を高める道を、世の中のネチネチ上司、ガミガミ管理所が探り始めたのである。

 

BOT-PHONEの流行を伝えるテレビニュースを見ながら、ざんねんマンはうまい酒を飲んだ。まあ、いうたらおいらが商品の生みの親みたいなもんだ。若者も、おいらにたっぷり感謝していることだろうよ。

 

あ、あんまり偉そうに話してるとBOT-PHONE装着されちゃうかな。自慢話はそこそこにしておこっと。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ~第36話・こころを伝えることに技巧はいらない(下)~

(あらすじ)

花咲きほこる奈良の都の大通りに、一人力なくたたずむ青年がいた。遠く九州を目指す、防人(さきもり)だ。ネットも電話もない時代。生きてふるさとの関東に帰れる見込みもなく、ただひたすら「お父さん、お母さんに愛の言葉を伝えたい」と願うのみ。切なる思いは時空を超え、人助けのヒーローことざんねんマンに届いた。ざんねんマン、何やらひらめいたか、青年を連れ都大路を練る牛車の貴人に何事かを頼んだ。せめて思いを詩にしていただけないか。真摯な願いの行く末は。

 

 

1300年の長旅を終え、ざんねんマンは現代に帰ってきた。あの青年、無事に九州までたどり着いたかな。貴人の方は、詩にしてくださっただろうか。さまざま湧いてくる興味にせきたてるように、近所の図書館に足を運んだ。

 

大伴家持が生きていた時代の、歌集を調べた。なんといっても、その代表作が万葉集だ。ここにヒントがあるかもしれない。4500を越える作品群に一つ一つ目を通すのは楽ではなかったが、無心にページをめくっていった。その中で、ある詩に目が釘付けになった。

 

万葉集・巻20・防人歌】

父母が

頭(かしら)かきなで

幸(さ)くあれと

言いし言葉ぞ

忘れかねつる

 

【現代語訳】

お父さんとお母さんが

僕の頭を手でかきなでて

「幸せであっておくれ」と

言った言葉が

忘れられない

 

なんと、単純な詩であることか。技巧もない。ただ、ある場面を言葉にしただけにすぎない。何の教養も、感じさせない。

 

それなのに、なんだろう。光景が、目に浮かぶ。お父さんと、お母さんの、わが子に対する深みの知れない愛情を、ひしと感じとれる。とつとつとした言葉の中に、真心がこもっている。

 

これだ。

 

ざんねんマンは直感した。この詩が、あの青年の心中を描き上げたものに違いない。それにしても、あの希代の歌人は、どうしてこんな技巧の映えない作品に仕上げたのだろう。

 

詩心のないざんねんマンが家持卿の心中を推し量るのは少々無理があったが、それでも一端を類推することはできた。あのお方は、きっと青年と同じ目線に立たれたのだ。坂東の片田舎で暮らす人間にとって、詩も技巧も縁のないものだった。だけど、それだからこそ、朴訥な言葉が真なる思いを吐露する力になったのだ。

 

作者は記されていなかった。ああ、あの青年の立場を慮ったのだろうか。

 

やはり、あのお方はただ者じゃない。天才だ。

 

青年のその後は、ようとして知れなかった。旅路の先で遂に果ててしまったかもしれない。だが、父母に寄せる温かい思いは、一首の詩として永遠に残されることになった。

 

気持ちを伝えるのに、技巧はいらないのかもしれない。ただ、ひたすらに、心の内を言葉に乗せてあげれば、それで充分届くこともあるのだろう。

 

天才が教えてくれた、素朴さの重み。ひしとかみしめながら、今は黄泉の国で両親と安らっているだろう青年を思い浮かべた。「お兄さんの気持ち、今じゃ日本人みんながシェアしていますよ」

 

心がポッと温まるのを感じた。僕も、詩作にチャレンジしてみよう。素人なりに、いいものが作れるかもしれない。そして、あわよくば現代歌集に載って、歴史に刻まれるのだ。ぐっひっひ。

 

その後、ざんねんマンは下手の横好きで和歌づくりを始めた。だが、どう頑張ったところで川柳の域を出ないのが残念なのであった。

 

~終わり~お読みくださり、ありがとうございました。

【ざんねんマンと行く】 ~第36話・こころを伝えることに技巧はいらない(中)~

【(上)のあらすじ】

1000年以上昔。花咲きほこる都・奈良の大通りに、一人力なくたたずむ青年がいた。遠く九州まで防人として向かう途中。ネットも電話もない時代。生きてふるさとの関東に帰れる見込みもなく、ただひたすら「お父さん、お母さんに愛の言葉を伝えたい」と願うのだった。切なる思いは時空を超え、人助けのヒーローことざんねんマンに届いた。ざんねんマン、何やらひらめいたか、青年を促しあるところへ向かった。

 

~ここから(中)に入ります~

 

奈良の都を代表する通りに、朱雀大路がある。二人はそこに向かった。そこでは、貴人を乗せた牛車も行き交っていた。

 

「あ、あの車だよ。あそこに、かの有名な兵部大輔(ひょうぶたゆう)様が乗っていらっしゃるだよ」

 

商人たちの立ち話が聴こえてきた。どうやら、二人に向かってくる牛車の1台に、有名人物が乗っているらしい。さらに聞き耳を立てていると、「家持様」との単語が出てきた。間違いない、あの人だ。

 

古代日本が生んだ希代の天才歌人大伴家持(おおともの・やかもち)。あゆれんばかりの教養に加え、人のこころを深くつかみ、共感し、表現する詩作の力は抜きんでており、最古の歌集の一つ「万葉集」を編纂したことで歴史に名を刻む。

 

あのお方に、お願いするんだ。

 

ざんねんマン、馬鹿の一つ覚えとばかりに、同じセリフを繰り返した。あの天才歌人に、この青年の思いを形にしてもらうんだ。あのお方なら、素晴らしい詩にまとめあげてくださるはず。幸あらば、その詩が人づてに広まり、坂東で暮らすご両親まで届くかもしれない。

 

牛車が近づいてきた。地面にかしづく商人たちとは対照的に、青年の手を取り通りの真ん中に駆け出した。ざんねんマン、勇気を振り絞って、叫んだ。

 

畏れ多くも兵部大輔さま!私は坂東で暮らす一庶民でございます。隣におりますこの者は、防人として九州に向かう途中の若者でございます。遠くふるさとで暮らす両親を案じております。切なる思いを、何卒大輔さまのお力で、詩として形にしていただくことはできませぬでしょうか!

 

地に伏して請うた。隣の青年も、地面にのめり込まんばかりに額を擦り付けた。

 

簾(すだれ)が、はらりと巻き上げられた。中から、高貴な装束に身を包んだ男性が現れた。

 

悠然としたたたずまいに、言葉にならない教養と品がにじむ。ざんねんマンと青年、口をあんぐりと開けたまま、しばらく声が出なかった。

 

貴人の手招きに従い、牛車に近寄った。ざんねんマンは、かくかくしかじかと青年の境遇を説明した。緊張のあまりブルブルと震える青年に、貴人は問いかけた。

 

「そなたは、父と母を、慕っておるのじゃの」

 

無言で、青年は大きくうなずいた。首を何度も振る中、最後の別れの場面を思い出した。お父さんとお母さんは、ひたすら僕を抱きしめてくれたです。優しい言葉を、かけてくれたですよ。おいらにとって、二人は命そのものだですよ。

 

青年の、言葉足らずだが、真心のこもった言葉の一つ一つに、貴人は深くうなずいた。天才歌人の心の中で、すでに詩作の胎動が始まっていた。

 

貴人との邂逅は、ものの10分ほどで終わった。護衛の者たちに「頭が高~い!」とたしなめられ、通りの端に追いやられた。貴人を乗せた牛車は、まばゆくそびえる平城宮へと消えていった。

 

やることは、やった。あとは、あのお方がどんな作品にしてくださるかだ。いつ、どこで、どんな手段で形にされるのかは分からない。けれど、それを心の頼みに、九州への旅を続けてほしい。

 

ざんねんマンの言葉に、青年は大きくうなずいた。「おじさん、ありがとう。僕も、少し人生に希望ができた。これからどうなるか分からないけれど、僕は生きれるだけ生きてみる。決して途中であきらめたりはしないよ」

 

眼(まなこ)の奥に、力がみなぎっていた。ざんねんマンも、その姿を見てうなずいた。大丈夫だ。君の願いは、必ず形になるはずだ。

 

二人はがっちりと手を握り合った。「じゃあ、私はこれで」とざんねんマンは手を振った。青年も「おじさん、ありがとう」と笑顔で返した。

 

1300年の長旅を終え、現代に帰ってきた。あの青年、無事に九州までたどり着いたかな。貴人の方は、詩にしてくださっただろうか。さまざま湧いてくる興味にせきたてるように、近所の図書館に足を運んだ。

 

~(下)に続く~

【ざんねんマンと行く】 ~第36話・こころを伝えることに技巧はいらない(上)~

商人たちでごったがえす大通りを、春の陽気があたたかく包む。

 

ときは天平勝宝。宮殿の置かれた奈良の都は今、まさに盛りを迎えようとしていた。

 

喧噪とは裏腹に、通りの端で一人疲れ果てたようにしゃがみ込む青年がいた。

 

遠く坂東からやってきた、名もなき一庶民。国の守りを固める防人として引っ立てられ、はるか西の九州に向かう途中であった。

 

「おなか、減ったなあ。もう、蓄えもないよ。せめて、今日一日分の食べ物だけでもありつければ」

 

ギュルルル、と胃袋がうめく。ニキビの交じる若い男は、空腹を忘れんとばかりに一層身を固くした。

 

坂東の片田舎でそれなりに幸せな暮らしを送っていた。けれど、ある日突然里長(さとおさ)がやってきて、「お前は若くて元気がある」と有無を言わさず男を防人に命じてきた。青年や家族に、拒む余地はなかった。旅が命がけだった時代、防人として遠く九州まで徒歩で向かうことは、それ自体が今生の別れとほぼ同義であった。

 

「お父さん、お母さん、元気してるかなあ。泣き虫の弟は、今日もエンエン泣いているのかなあ。みんなにまた、会いたいなあ」

 

胃袋がうなり、こころは寂しさで飢える。僕の人生、もうそろそろ限界かも。せめて、家族に僕の気持ちを、愛を、伝えたかった。もしこの世に神様がいるのなら、このささやかなわがままを聞き届けていただきたかった。

 

「このまま、永遠に眠ってしまおうか」

 

青年が諦念の境地に至った、その刹那。真実の願いは時空を超え、21世紀に暮らす男の胸にズババーンと刺さった。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。芽吹き始めた公園の桜を眺めながらジョギングにいそしんでいたが、タタタッとペースを速めて春霞の空へ飛んだ。そのまま都内のアパートに一直線。ちゃぶ台に置いていた手作りのおにぎりをつかむと、机の引き出しを空け、タイムマシーンに乗り込んだ。

 

1300年のときを超え、まもなく男のたたずむ奈良の都にたどり着いた。力なくうずくまる男の傍らに、座った。そっと、語り掛けた。

 

こんにちは。おなか、へりましたよね。これ、もしよかったら。

 

持ってきたおにぎりを、青年に手渡した。

 

「え、これ・・・お米ですか!うわあ!!!」

 

当時、米は貴人しか口にできない高級食材だった。「ありがとう」の一言を発するのも忘れ、青年は飲み込まんばかりにおにぎりをほおばった。

 

ゴクリ

 

大きく上下する喉仏(のどぼとけ)が、青年の喜びと安心を物語った。

 

「すいません、お礼もしないうちにいただいてしまって。それにしても、あなたは一体・・」

 

私ですか。まあ、人助けが本職の、しがない男ですよ。気にしないでください。それはそうと、お兄さんは遠く坂東で暮らすご家族のことが気にかかっているみたいですね。

 

「そうなんです。見てのとおり、僕は蓄えのないただの若造です。なんとか旅路の半分まではこれましたが、残り半分の道のりを歩き通せるか、自信はありません。せめて、産み育ててくれた父母に感謝の言葉でも伝えたいと思っているんです。まあ、それもかなわぬ夢と諦めているんですけどね」

 

ふむう

 

物資に恵まれた21世紀に生きるざんねんマン、若い男の悩みに胸を揺さぶられた。今の時代みたいに、メールでメッセージをやりとりしたり、動画でリアルなトークをしたりすることはできないのか。一度離れてしまったら、再び交流することは本当に難しいんだ。なんと切ないことか・・

 

ちょっと待ってくださいね。何か方法はあるはずですよ。

 

ざんねんマン、ない知恵を絞った。乏しい歴史の知識をたどった。当時は電話やメールがない代わりに、詩(うた)を読み、気持ちを表現する文化があった。それこそ、貴族から一般庶民まで。詩は、身分や地域の垣根を超えて人々が楽しめる、一大エンターテインメントだったのだ。

 

お兄さん、ちょっと歩きませんか。

 

ざんねんマン、何やらひらめいたかのうように促した。けげんな表情で見上げる青年に、微笑みで返した。

 

~(中)に続く~

【ざんねんマンと行く】 第37話・イッシー伝説

「ともだちが、しにそうなんです」

 

たどたどしい平仮名に、助けを求める者の切なる気持ちがにじんでいた。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマンの自宅に届いた一通のハガキ。差出人の住所は鹿児島県指宿市とあった。文字を覚えたばかりの子供だろうか。とにかく、親友の命が危ないとつづっている。鉛筆書きの「たすけてください」という一文が、ひときわ濃くにじんでいた。

 

文面を三たび読み直したざんねんマン。「待たせはせん」とつぶやくや、アパートの窓を勢いよく開け放った。掛け声よろしく南の空へ翔けた。

 

日が暮れるころ、少年の暮らす指宿に到着。玄関前でウロウロしていると、気配を察知した少年が家から飛び出てきた。

 

「あ!おじさん、ひょっとして、あのざんねんマン?」

 

まあ、その、そうだよ。

 

名前を呼ばれて照れるヒーローに、少年は尊敬のまなざしを寄せてきた。いやあ、恥ずかしいやらうれしいやら。子供の純粋な瞳ほど、無垢で心をくすぐるものはない。

 

「ざんねんマン、僕についてきて!」

 

少年はざんねんマンを手を引っ張り、山手の方向へ駆け出した。どうやら、「しんゆう」の元に向かうようだ。

 

10分ほど駆けると、かなり大きな湖が開けてきた。指宿の観光名所・池田湖だ。湖畔に飾られた、巨大な恐竜の模型が目を引く。

 

「ざんねんマン、ここ!」

 

日が暮れ、ひと気もすっかりなくなった湖のほとりで、少年はようやく止まった。こんなところに誰がいるのか。首をかしげるざんねんマンに、少年は「ちょっと待ってて」と目くばせをした。片手で湖面を優しくたたき、ポワンポワンと不思議な音を響かせた。

 

5分たったろうか。視界の向こうから、ニョロリと長い首のようなものを突き出した物体が、ゆっくりと2人の下に近づいてきた。ボートだろうか。いや違う、顔があるな。これは・・

 

「イッシーだよ。」

 

少年は、茶化す風でもなく答えた。イッシー、とな・・

 

イッシーとは、池田湖で1970年代に“誕生”したUMA(未確認生物)だ。イギリスのネス湖で確認されたUMAの本家・ネッシーの人気にあやかり、現地の自治体や観光関係者らが担ぎ出した。

 

地元では、あたかも本物の恐竜が生息しているがことく、もっともらしい「証言」や「写真」をとりそろえた。それが観光客の興味を引き付け、訪れた人々も信じたふりをして湖畔で記念写真を撮った。イッシーのモニュメントは人気撮影スポットになり、地元の観光振興に大いに貢献している。

 

まさか本物が棲んでいるとはー。大人の誰も、思いもしなかった。

 

少年がいうには、初めて遭遇したのは昨年の夏。酷暑が列島をたぎらせていたある昼下がり、自転車で湖畔を巡っていた少年の目の前に突如、現れたのだという。

 

人目を避け、ひっそり暮らしているイッシーも、うだる暑さに思わず首を湖面から突き出した。プハーと大きく深呼吸したその瞬間、少年とばっちり目が合った。

 

驚きと感動の色で染まった少年の澄んだ瞳は、人間を恐れるUMAの警戒心をも溶かした。種の違いを越え、“2人”の間には友情が生まれた。

 

ただ、他の人間が、しかも大人が知ってしまったら、大事になる。2人の交流は、決まって夕暮れどき、湖面をたたく少年の合図で始まった。イッシーは、少年が顔を撫でてあげるととても喜んだ。少年を首の上に乗せ、湖面をぐるぐると巡ることも少なくなかった。長く孤独の中で暮らしてきたイッシーは、友と同じ時間を過ごす喜びを心から味わっているようだった。

 

楽しい日々にも、しかし限界が近づいてきた。

 

一つは食の問題。決して広くない池田湖には、体の成長し続けるイッシーの腹を満たすほど大きな魚は棲んでいなかった。さらに、近年の温暖化が追い打ちをかけた。夏場は湖の温度も上がり、さしもの恐竜も“ゆでガエル”状態だ。このままだと、死んでしまう。

 

少年は、意を決して何人かの大人に実情を打ち明けた。イッシーの腹を満たすだけの餌を工面してくれるよう、拝み倒した。だが、大人たちは少年の言葉を信じてくれなかった。「イッシーなんて、いるわけないさ」

 

あるときは、信用できる近所のおじさんを連れてイッシーに引き合わせた。おじさんは、ほぉと大きくうなずいた後、「こりゃすんごい工作をしたもんじゃな」と少年の頭をなでた。本物の恐竜だとは最後まで信じてくれず、「学校の文化祭、楽しみしとるよ」と見当違いなコメントを残して帰ってしまった。

 

観光協会の人にも打ち明けた。イッシーと撮った、渾身のツーショットも見せた。だが、事務局の人からは「ごめんねえ、もうネタとしては古いわぁ」となだめられてしまった。

 

見たものを見たままに受け止めることなく、「これはこうあるもの」とバイアスをかけてとらえてしまうのが大人のようだった。理屈、常識という型枠の中で安住する代償として、可能性や秘められた真実を見出す力を自ら手放しているように見えた。

 

僕らだけで、なんとかしなければ。

 

「ざんねんマン、助けて!イッシーを、生き延びさせて!」

 

切なる願いに、しがないヒーローの心も大きく揺さぶられた。なんとするかー

 

少年。少年は、イッシーがイッシーでなくなっても、大丈夫かい。

 

ざんねんマンの問いかけに、少年はポカンと間の抜けた顔をした。「どういうこと?」

 

イッシーは約40年、池田湖のマスコットキャラクターとして存分に頑張ってきたよね。でも、もう卒業してもいい時期なのかもしれないよ。この町の観光振興は、もうイッシー本体がいなくても揺るがないほどに土台ができている。イッシーは、もっと底が深くて魚も多いところで暮らすほうがいいんじゃないかな。

 

「海、か・・・」

 

少年は、池田湖の南へと視線を投げた。

 

池田湖から直線距離にして約3キロ。山林を抜けたところに、遥か太平洋が広がっていた。あそこなら、無限に食べ物にありつけるだろう。ひょっとしたら、イッシーと同じく奇跡的に生き延びた仲間の恐竜にだって逢えるかもしれない。

 

池田湖から離れる以上、イッシーの名はもう名乗れない。再び会うことも難しくなる。それでも、親友が生き延びられるのなら、その道を選ぼう。

 

「ざんねんマン、ありがとう!それでいこう!」

 

方針は固まった。言葉を交わさずとも、2人も考えはイッシーに伝わったようだった。体重〇トンにも上る巨体が、陸にあがった。

 

池田湖を舞台にした壮大な引っ越し作戦、成功なるか?!

 

池田湖を舞台にした、イッシーの壮大な引っ越し作戦が始まった。

 

大きなハードルがあった。海原にたどり着くには、いくつかの公道を横切る必要がある。ここで人間にちょっかいを出されたら面倒だ。

 

安心するんだ。人や車がきたら、この私が食い止めよう。

 

ざんねんマンがポンと胸をたたいた。

 

夜の田舎道とはいえ、何台かが引っ越しチームの手前に姿を見せた。ドキリとする場面が何度かあった。が、そのたびに大人たちの凝り固まった先入観に助けられた。

 

機転の利かないざんねんマン、手前で止まったドライバーたちにうっかり本当のことを漏らしていた。「すいません、今この先でイッシーの引っ越し作業をしてるんですよ。申し訳ないんですが、湖の反対側を迂回してくれませんかねえ」

 

ドライバーたちは10人が10人、同じような対応を見せた。「ヤバいおじさんがいる」と。車両という車両、人という人が180度向きを変え、危険人物から逃げるように去っていった。

 

誰も、話をまともに聞こうともしなかった。歴史の奇跡をまじかにしながら、いともあっさり邂逅のチャンスを放り捨てた。それは引っ越し作戦チームにとってはこの上ない幸運ではあったが、人類にとっては少し寂しい出来事でもあった。

 

ざんねんマンが汗だくになりながらドライバーたちとやりとりしている間に、少年とイッシーの姿は見えなくなっていた。山を越えたか。海にたどり着けたか。

 

東の空がうっすら白み始めたころ、山から少年が姿を現した。一人だった。作戦は。イッシーは。途中で力尽きたかー

 

言葉を待ち、つばをごくりと飲み込んだざんねんマンに、少年はゆっくりうなずいた。「いけたよ」

 

道なき道を踏み分け、無限の可能性が広がる海原へと、見事にたどり着いていた。

 

別れ際。海辺で、少年はイッシーの首を優しくなでた。おそらく、今生で再びまみえることはないだろう。イッシーは動くことなく、最後の抱擁をかみしめているようだった。

 

見たものを見たままに受け止める。感じる。純粋無垢なる心を持った人間だからこそ、世紀のの出逢いに恵まれることができた。親友とは別れてしまったが、濁りのない心と心はしっかりとつながっている。少年の瞳は、安らぎで満ちていた。

 

「もう、イッシーでもなくなっちゃったね」

 

池田湖を離れた今、名前も変わらないといけない。これからは大海原を広く泳ぎ回ることになる。舞台は地球だ。Earth(アース)だけに、アッシーか。

 

ちょっとださい感じもするけど、優しい名前で、それほど悪くない。誰の足替わりになるでもなく、思うがままに世界を旅するんだよ。

 

濁りのない少年の眼に浸り、史上類を見ない大引っ越し作戦を支えたざんねんマン。大きく伸びをし、一仕事終えた充実感を味わいながら「ウッシー、エッシーの引っ越しも手伝うぞ~」とまだきてもいない依頼に向け意欲を燃やすのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 第36話・妻との口喧嘩に負け続けている男のささやかな願望

「お恥ずかしい相談ですが」

 

数ある着信メールの中に、どうも気になるタイトルがあった。

 

人助けのヒーロー・ざんねんマン。地味で映えないがそれなりに結果は残している男の下には、いつしか大小さまざまな相談メールが届くようになっていた。さて、今回はどんなお悩みですかなぁ

 

「私は名古屋でしがない会社員をしている50代のおじさんです。子供は成人して家を離れ、今は妻と2人暮らしです。その妻がどうも、弁が立つと申しますか、口から先に生まれてきたような人間でして、ケンカになったらもう、絶対に言い負かされてしまうんです」

 

日々の悔しい出来事を延々とつづる、志村の相談はシンプルだった。いっつも嫁さんに口喧嘩に負けて、悔しい。僕にだって意地があるんだ。負けたくない!なんとか、したい!力を貸してください!

 

なんとまあ、子どもっぽい相談だこと。

 

ざんねんマン、思わずプッと噴き出した。まあでも、勇気を出してメッセージを寄せてくれた熱い思いには応えたいところだ。さあて、出動といきますか。

 

「あの、もしご来訪いただけます場合は、自宅だと少し都合が悪いので、近所の公園で落ち合えますと幸いです」

 

志村は慎重だった。自宅にざんねんマンを迎え入れたら、妻に見つかって何をされるか分からない。こっそりと対策を打ちたいのだ。志村はこの日の昼下がり、芝生の広がる近所の公園でずっと待ち続けていると伝えていた。

 

えいよぅ

 

ざんねんマン、アパートのベランダから掛け声よろしく西の空へと飛び立った。富士を右手に、伊豆の半島を左手に見やり、スイイと列島上空を翔ける。あっという間に志村のいる名古屋の公園だ。

 

「おお、本当にきてくださいましたか、う、うれしいです・・」

 

対面するや、志村が潤んだ。よっぽど悔しかったようだ。口喧嘩で敗れるのはもうまっぴらごめんなんだ!僕は、負けないぞう!

 

まずは状況からおさらいすることにした。志村は人の好い男だが、少々おっちょこちょいなところがあり、妻から買い物を頼まれても必ず何かを買いもらしていたり、違うものを買ったりしていた。風呂に入った後、無意識に栓を抜いてしまい、後に入るはずの妻をあ然とさせることも一度や二度ではなかった。

 

まあ、志村さんにも原因が相当にありそうな・・・

 

ざんねんマンが漏らすや、志村が悲痛な叫びを上げた。「それは、言わないでぇ!」

 

妻が怒るのも無理はない。だが、少々言いすぎなところがあるのだという。

 

「物事はきっちりと計画を立てて動きなさいよ」

「どんくさい男は嫌い」

「一回小学校からやり直してきたら」

「私の押しの◎◎君のほうが若いのによっぽどしっかりしてるわ」

「あー結婚生活も免許みたいに10年更新制にしてほしいくらいだわ」

 

見事な言われっぷりだ。ざんねんマンも同情の念を禁じ得ない。うむぅ、相手はかなりのやり手だぞ。簡単には押し返せそうにない。何か奇策は・・・

 

「うちの女房の何がすごいかって、とにかく理詰めで、早口で責めてくるんですよ。これを喰らったらもう、やり返せる男はそうそうおりませんよ」

 

理詰め、早口、責める、か・・・

 

例えるなら、相手は難攻不落の大怪獣だ。相手に不足はないぞ。ざんねんマンもがぜん、やる気が出てきた。ヒーロー業界の片隅で、しこしこと活動を続けている小物役者ならではの視点を生かした。

 

相手と同じ土俵で戦っちゃダメだ。逆をいくんだ。逆を。

 

ふむと小さくうなずくと、隣の志村に優しく微笑んだ。やりますよ、志村さん。秘策をお伝えいたしましょう。今度、また口喧嘩になったときに試してみてください。

 

成功するかは分からない。でも、何もせずにまた倒されるよりはましだ。志村もまた、真剣だった。ひそひそとささやくざんねんマンの一言一言に、うんうんとうなずき、口に出して脳みそに刻み込んでいった。

 

自宅に帰ると、脳内トレーニングを繰り返した。

 

夕餉の場でも、場面をイメージしては小声でセリフをつぶやいた。求道者のようなひたむきさで何かを思案する志村に、妻は憧憬のまなざしさえ寄せてきた。「あなた、何か真剣な様子ね。ちょっと格好いいかも」

 

日ごろ見せないしどけなさを見せる妻に思わずぐらりと信念が揺らぎかけたが、一度立てた本願を成就するまでは何事にも動じまいと、雑念を振り払った。

 

朝に夕にイメトレを繰り返すこと1週間。いよいよ鍛錬の成果を試すときがきた。

 

「あなたー!なんでバターなんか買ってきたの、私はチーズを頼んだのに!同じ乳製品だからって、食べ物をなめるんじゃないわよ!バターを笑う者は、バターに泣くのよ!もう本当に、すっとこどっこいなんだから!」

 

頼まれた買い物にミスが見つかり、さっそく妻の連射砲がさく裂し始めた。これはまだ序の口、片栗粉を頼まれたが間違って薄力粉を買ってきてしまった。ひきわり納豆の代わりに小粒納豆。まあ、こちらは大目に見てもらえそうだけど。それにしても今日も燃料をたくさん投下してしまったことだ。

 

「ああもう、私の押しの◎◎君なんかねえ、動画サイトで料理レシピどんどん投稿してるのよ?それに比べてあなたはどうよ、買い物一つろくにできないなんて。あー恥ずかし。子供がもう一人いるみたいだわ」

 

ずいぶんと言うてくれますなあ。さしもの志村も堪忍袋の緒が切れかけようとしていた。

 

さあ、いくぞ。

 

「あーもうダサい旦那と結婚した私は貧乏くじを引いちゃって本当に・・」

 

息を吸う瞬間もないのではないかというくらいに連射の続く妻のべしゃり砲に、決死の覚悟で立ち向かっていった。

 

「あ~らよっと~ぅ!」

 

やや間の抜けた、しかし余裕すら感じさせる、野太い気合のひと声が、リビングルームにこだました。

 

それまで理路整然と、感情もたっぷり混ぜ込んで言葉の連射砲を浴びせ続けていた妻の口撃が、はたと止んだ。

 

何が、起きたのか。状況をつかめない妻は、目をキョトンとさせて志村を見つめた。

秘儀・掛け声作戦。

 

祭りの掛け声よろしく、心から沸き上がるエナジーを、短い言葉に込めてこの世にはき出すのだ。

 

理屈も説得力も、何もない。だが、そこには憎しみも、敵意も、復讐の念もない。表現しようもない、純粋なる心の叫びあるいは悲鳴を真正面から受け止めることになった妻は、丸腰で向かってくる相手にさらなる口撃を仕掛ける意欲がシュルシュルとなえていくのを感じた。


「なにわけ分かんないこと言ってんの、あなたはまずチーズとバターの違いから勉強しなおして・・・」

 

とりあえずは態勢を整えて再び連射砲をダダダンと撃ち始めてみたものの、志村も負けてはいなかった。

 

「よっさぁ、よっさ~ぁ!」

 

カラオケで演歌を歌う人に捧げる合いの手のように、景気よく力強く応じた。まるで勢いが初めからこちらにあるかのように、その場の空気を一変させるに充分であった。

 

口撃が、止まった。初めて、志村は迎撃に成功した。決して勝ったとはいえないが、それでも負けはしなかった。僕は、やったんだ。

 

後を引かない締めくくり方は、その後の夫婦関係をより和やかな方向に変えていくのに役立った。その後も小競り合いは折々に発生したものの、連射砲がクライマックスに達したところで志村の「よっさぁ、よっさ~あ!」が室内に響き渡り、戦いは禍根を残すことなく幕を閉じるのであった。

 

やがて志村家の口喧嘩収束法はご近所にも知られるところとなり、家族が食卓を囲む週末の夜はあちらこちらから「あ~らよっと!」「ほいさっさ~ぁ!」と元気のよい掛け声が漏れ広がるようになった。

 

聴こえたときは志村も窓から大きく叫んだ。「きんちょぉ、さっさ~ぁ!」

 

ご主人同士の緩やかな連携は、不毛な夫婦喧嘩を平和裏のうちに鎮めるとともに、各家庭に円満と笑顔をもたらした。

 

口喧嘩に「勝とう」としてもゴールは見えない。だが、「終わらせよう」とするなら打開策はいくらでも見えてくるかもしれない。不毛な戦いは、続けるだけ空しい。戦った両者に軍配を掲げ、うまく収束させたいものだ。

 

勝たずとも、負けない道を指南したざんねんマン。志村の大願成就を祝福するとともに、「僕が結婚したあかつきには志村さん連合軍に大いに助けてもらおう」と早くも守勢に回る気まんまんなのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【ざんねんマンと行く】第35話・センターに立てなくても

「なんでおいらはこうなっちまったんだ」

 

漆黒の空間をひたすら駆けながらも、ついぼやきが漏れた。いつもの悪い癖だ。

 

憧れたセンターのポジションは、まぶしいあいつに奪われてしまった。いつも目立ってやがって、実にうらやましい。それに比べて俺は今、あいつから遠く離れたところを走ってる。一周回りきるのも大変な、地味でわびしい第5コースさ。ため息が出るぜ。

 

ぼやく相手もいない巨体は、ふと思った。誰か、この切ない気持ち、わかってくれないかなあ。さびしいんだ。

 

その刹那。小倉の駅ホームで立ち食いうどんをすすっていた一人の男の眼が光った。人助けのヒーローこと、ざんねんマン。残りの麺をコンマ3秒のはやさですすりあげると、「えいよう」と掛け声一つ残すやうろこ雲ならぶ夕焼け空へ飛び立った。

 

目指すは、あれだ。

 

大空を翔けるざんねんマン、右手をピーンと伸ばした先にあるのは、ゆらゆらとたたずむ小さな光。

 

木星。太陽系を織りなす星の一つであり、古代から人類がその存在を把握していた巨大ガス惑星だ。

 

宇宙探査機も顔負けの超速スピードで、真空空間を突き抜けてゆくヒーロー。まばゆく光る月、赤茶けた大地を見せびらかす火星をしり目に、ただ一途にその光を目指した。

 

やがて巨大な輪っかを従えたその巨体の下にたどり着いた。お待たせしました。ずいぶんと遠いところですね。寂しいところ、お勤めご苦労様です。

 

「寂しいとか、それ言わんでほしいんやけど」

 

初対面で、印象を悪くしてしまった。すいません、そういう意味じゃなくて、こんな真っ暗でへんぴなところなのに、一生懸命今日も走っていらっしゃって、本当に偉いお方だなあと・・

 

「真っ暗とか、へんぴとか、傷口に塩塗らんで、いいからー!」

 

太陽系最大の惑星を、怒らせてしまった。やらかしてしまった。ここは余計なことを話さないほうがいいな。木星様、ところでその、さきほどぼやいてらっしゃった悩みとやらを、お聞かせしていただけますか。

 

「まあよう、そりゃあよう、おたくが言ったようによう、おいらは地味だよ。目立たんよ。遠いしね。センターに近い第3コースを走っている、おたくさんには分からないかもしれん。だけどね、ちっとはおいらに日の目が当たっても、バチは当たらないんじゃないかと思うんだよ」

 

愚痴の裏には、「主役」になりそこねた者にしか分からない、複雑な思いがあった。

 

木星はまたの名を「太陽になりそこねた星」という。質量がもう少しあれば、太陽のように核融合反応により自ら輝く星(恒星)になれた。だが、あとちょっとのところであこがれのポジションを取り逃がした。今は図体がやたらデカいばかりのぐうたら太郎だ。

 

そう、ですかねえ・・

 

ざんねんマンが小首をかしげた。たしかに木星さんのおっしゃるように、太陽になりそこねたっていう点じゃあ相当残念でしょう。でも、地球の私たちからみたら木星さん、結構有名ですよ?

 

「いま、何と」

 

だから、有名です。

 

「もう一回、言ってもらえるかな」

 

はい、有名です

 

「ごめん、もう一回・・」

 

もう、いいやろー!

 

自信を失いかけていた巨体の言葉に、すこし張りが出てきたようだった。こんな俺にも、見るところがあったりするのかな。

 

あるも何も。私の地元の日本ではですね、ちょっと前に「ジュピター」って名前の歌が大ヒットしたこともあるんですよ。あと、木星の上空を撮った探査機画像なんか、あれはもうアートですよね。絵描きもあんな深みのある模様を描けるでしょうか。あと、あの茶色い巨大な丸いゾーンとか、超謎でしょ。

 

今ではもてあましがちな図体は、憧れの恒星になるには少し足りなかったが、その強力な重力は数々の小惑星や隕石を吸い寄せ、おかげで地球は過去何度も巨大隕石衝突の危機から救われてきた。いわば、木星は地球の守り神でもあるのだ。

 

「守り神だなんて、そんな・・」

 

はじめて照れた。恥ずかしい。そこまで褒めらてもらえるなんて。辛抱、たまらん。

 

それだけじゃないですよ。木星さんは私たち地球の者からすると、ものすごい天体ショーの舞台だったりもするんですよ。

 

1994年7月。木星近郊を飛んでいた小天体「シューメーカー・レヴィ第9彗星」が、木星の重力にとらわれた。彗星は無数の破片に分裂し、光を放ちながら巨体のガス雲へと突入していった。後に当時の撮影画像が公開され、人類は壮大なイベントの迫力におののいた。

 

木星さん。木星さんはたしかに、自分じゃ光っちゃいないですよ。しかも、遠いですよ。僕らセンター側の者からみたらね。でも、いいじゃないですか。目立たないところで、いぶし銀の活躍、されてるじゃないですか。しかも、結構おいしいところ、持ってってるじゃないですか。なんといっても、木星さんは僕ら地球の者にとって、いてもらわなくっちゃ困る存在なんですよ。

 

「いぶし銀、とな・・」

「おいしい、とな・・」

「いてもらわないと困る、とな・・」

 

木星は、これまで耳にしたこともなかった誉め言葉の連射に、全身が恍惚で満たされた。

身に余る光栄。

この上もない悦楽。

こんな俺だけど、これで、いいのだ!

 

センターに立てないからって、嘆くことはない。裏方は裏方なりの見せ場がある。その存在に助けられている人たちがいる。見えないところで、誰かに元気を与えていたりもするんだ。それぞれが、持ち場でアジを出していったら、いいじゃないか。それこそが各人の幸せになるのではないだろうか。

 

「ありがとよ。俺、吹っ切れたわ」

 

木星がつぶやいた。もう俺は、しがない五番手じゃない。しっかりと役目とプライドを持った「五番打者」として、いぶし銀の活躍を果たしていくんだ。これからも、数々の小惑星、吸い込んでいくぞう!

 

そうですよ、その勢いです、木星さん!

 

ざんねんマンは、ようやく元気を取り戻した木星を眺めまわすと、大きくうなずいた。じゃ、僕、これから帰りますね。あー、結構遠いんだよなあ。ここから。マジでちょっと、萎えますわあ

 

「遠い、言うなー!萎えるとか、言うなー!」

 

木星がまた吠えた。別れ際に、また怒らせるか。ざんねんマン、両手を合わせてゴメンポーズをすると、そそくさと地球に向かって飛び去っていった。

 

巨体にふさわしい、迫力あふれる大声には、どこか笑いの色が混じっていた。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 第34話・OYAJI新時代

「日本では、昔から畏れられているものが四つあるといわれています」

 

都内の公民館で開かれた、異文化交流会。肌の色もさまざまな約40人が集った会議室で、日本人を代表して58歳の哲男がみんなに語り掛けた。

 

「上からいいますとですね、『地震』。『雷』。『火事』。そして・・・」

 

少し間をおいた。ふっふ。これが分かる外国の方はいないだろうなあ。

 

「親父。」

 

・・・

 

沈黙が場を包んだ。戸惑うのも無理はない。天災、天災、人災ときて、なぜ人間なんだ。どうしてお父さんなんだ。みなさん、そう感じているんでしょう。分かる。分かりますよ。でもね、これこそが日本の伝統文化なんです。昔から家族の中でもとりわけ父親というのは尊敬され、畏れられていたのです。もうそりゃ、お父さんに言いごたえでもしようものなら、それこそ鉄拳が・・

 

準備していたセリフをはこうと口を開いた瞬間。気勢を削ぐ一声に哲男はたじろいだ。

 

「ウケる~」

 

車座に並んだ参加者の中にいた、女子高生だった。なんだか軽く拍手までしてきよったぞ。なんだ、なんだこの不届き者は。

 

「あれでしょ、『KAJI』からの~『JI』つながりで~、『OYAJI』で~、ズコーってヽ(・ω・)/」

 

この子、完全に「親父」をネタだと思ってやがる。ここは人生の先輩として、勘違いを改めてあげなければ。

 

「お嬢さん、これはネタじゃないんですよ。昔からね、お父さんって、怖かったでしょ。でも頼りがいがあるでしょ。お父さんの背中って、大きいでしょ。お父さんって、すごいでしょ。だから日本の怖いものランキング4位に入るんですよ。お父さんって、すごいんですよ」

 

自らも中高生の娘2人を育てる父親として、哲男は願望も込めながら語り掛けた。

 

お父さんを、もっと尊敬してほしい。

 

「ないわ~」

 

塩対応がかえってきた。ぐぬぬ、、お父さんをなんだか水か空気みたいに思ってるみたいだ。

 

「だってさ~親父ってさ~クサいじゃーん。電車とか乗ってたらさ~、一番元気ないしさ~、めっちゃ弱そうじゃん。押したら倒れるんじゃね~」

 

く、悔しい。だが、図星だ。そのとおりだ。世のお父さんは今、給料上がらずにヒイヒイいっている。それでいて仕事は増えるばかり。人間関係でストレスもたまっている。家庭内地位は正直、どうだろう。お母さん、子供たちと続いて、さらにペットのワン公の次にきて、ああ、最下位じゃないか。

 

十代の女の子の頭の中で、かつての威厳ある「親父」は、ダサくどこかわびしく、ときに嘲笑の的にさえなる「オヤジ」(片仮名)にとって代わられていた。

 

「親父」から「オヤジ」か。ああ、世知辛い。親父世代で育った一人の親父として、とても寂しい。

 

何か言い返したい、盛り返したい。「親父」時代の栄光を、その片鱗だけでも、取り戻したい!

 

高度成長時代の最後の落とし子の切なる叫びをハートで受け止めたか、車座に交じっていた一人の男が立ち上がった。

 

私は、あなたの意見に賛成ですね。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。趣味の外国語学習の一環で顔を出していた。落ち着いた、渋みのある声で語り掛けた。お父さんのおっしゃること、私はよくわかりますよ。親父はやっぱり、親父ですよ。貫禄があってこその、親父なんだと私も思います。家でドーンと構えてる、お父さん像。私は大切だと思いますよ。

 

突如現れた味方に、車座のみんなも「uh huh~」とうなずきかけた。さすがヒーロー。一件落着か。

 

「ダッサ~」

 

また女子高生が片手を揺らしてきた。容赦なく冷や水を浴びせてくる姿は、ザ・ツンデレだ。いや、デレがないから、ザ・ツンだ。

 

決めポーズしかけたところをすかさず崩され、小粒ヒーローは羞恥にまみれて顔中真っ赤っ赤。お嬢さん、言うたりますなあ。でもねえでもねえ、オヤジだって、どっかいいとこぐらいはあるでしょうよ!おんなじ人間だもの!お嬢さんのお父さんの、いいとこの一つ二つぐらい、言ってくれたって罰は当たりませんよお!

 

「あるかな~」

 

中空に視線を泳がせ、少女は例を挙げていった。

 

テストで成績が悪くても、お母さんみたいにガミガミ怒らないこと。

友達と遊びにいくとき、車で送り迎えしてくれること。

週末は、ときどきお母さんの皿洗いを手伝ってあげてること。

お母さんと口喧嘩になったら、途中でおとなしく降参してること。

それから・・

 

切ない。切なすぎる。お嬢さんのお父さん、やさしいんですなあ。家庭内地位、やっぱり低いんだろうなあ・・

 

ざんねんマン、胸につまされて何も言えないでいると、哲男が何かをつかんだかのように口を開いた。

 

「そうだ、それなんだ」

 

世の中の人が父親を畏れ敬う「親父」の時代は、もう過ぎ去った。二度と戻ってくることはないかもしれない。バブルがはじけ、30年近い低迷の時期が続く中で、いつしか「オヤジ」へとグレードダウンまでしてしまった。だが、そこで終わったわけじゃない。これから、また新たな地平が拓かれようとしているんだ。

 

「おやじ」(平仮名)

 

これだ。どこか丸く、柔らかく、しなやかで、あたたかい。妻を気づかい、子どもらを笑って見守り、ことにあっては体を張って守る。これぞお父さん。これぞ、現代を生きる父親像なのだ。

 

「お嬢さん、ありがとう」

 

哲男は長年鬱屈していた気持ちがようやく晴れたか、澄んだ瞳で少女に微笑みかけた。もう俺は迷わない。「親父」像を、追い求めはしない。これからは「おやじ」を目指すんだ。がんばって、家帰って、まずは奥さんの肩もみから始めっど!

 

「なんか~、おじさん、カッコい~」

 

初めて女子高生からお褒めの言葉が出た。ツンデレの「デレ」がきた。

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

哲男の頬が、溶けてしまいそうなほどに緩んだ。そこにはもはや、「親父」の貫禄はみじんも残っていなかった。

 

漢字からカタカナ、そしてひらがなへ。「OYAJI」新時代へと踏み出した哲男の晴れやかな表情に、ざんねんマンも一仕事終えたような爽快感を覚えた。

 

ただ、よくよく考えてみると、ちょっと複雑でもあった。

 

おやじさんの肩を持ってあげたつもりが、はしご外されちゃったなあ。

 

結果オーライで仕事を果たしつつ、ぼやきながら会場を後にしたのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~