おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 第36話・妻との口喧嘩に負け続けている男のささやかな願望

「お恥ずかしい相談ですが」

 

数ある着信メールの中に、どうも気になるタイトルがあった。

 

人助けのヒーロー・ざんねんマン。地味で映えないがそれなりに結果は残している男の下には、いつしか大小さまざまな相談メールが届くようになっていた。さて、今回はどんなお悩みですかなぁ

 

「私は名古屋でしがない会社員をしている50代のおじさんです。子供は成人して家を離れ、今は妻と2人暮らしです。その妻がどうも、弁が立つと申しますか、口から先に生まれてきたような人間でして、ケンカになったらもう、絶対に言い負かされてしまうんです」

 

日々の悔しい出来事を延々とつづる、志村の相談はシンプルだった。いっつも嫁さんに口喧嘩に負けて、悔しい。僕にだって意地があるんだ。負けたくない!なんとか、したい!力を貸してください!

 

なんとまあ、子どもっぽい相談だこと。

 

ざんねんマン、思わずプッと噴き出した。まあでも、勇気を出してメッセージを寄せてくれた熱い思いには応えたいところだ。さあて、出動といきますか。

 

「あの、もしご来訪いただけます場合は、自宅だと少し都合が悪いので、近所の公園で落ち合えますと幸いです」

 

志村は慎重だった。自宅にざんねんマンを迎え入れたら、妻に見つかって何をされるか分からない。こっそりと対策を打ちたいのだ。志村はこの日の昼下がり、芝生の広がる近所の公園でずっと待ち続けていると伝えていた。

 

えいよぅ

 

ざんねんマン、アパートのベランダから掛け声よろしく西の空へと飛び立った。富士を右手に、伊豆の半島を左手に見やり、スイイと列島上空を翔ける。あっという間に志村のいる名古屋の公園だ。

 

「おお、本当にきてくださいましたか、う、うれしいです・・」

 

対面するや、志村が潤んだ。よっぽど悔しかったようだ。口喧嘩で敗れるのはもうまっぴらごめんなんだ!僕は、負けないぞう!

 

まずは状況からおさらいすることにした。志村は人の好い男だが、少々おっちょこちょいなところがあり、妻から買い物を頼まれても必ず何かを買いもらしていたり、違うものを買ったりしていた。風呂に入った後、無意識に栓を抜いてしまい、後に入るはずの妻をあ然とさせることも一度や二度ではなかった。

 

まあ、志村さんにも原因が相当にありそうな・・・

 

ざんねんマンが漏らすや、志村が悲痛な叫びを上げた。「それは、言わないでぇ!」

 

妻が怒るのも無理はない。だが、少々言いすぎなところがあるのだという。

 

「物事はきっちりと計画を立てて動きなさいよ」

「どんくさい男は嫌い」

「一回小学校からやり直してきたら」

「私の押しの◎◎君のほうが若いのによっぽどしっかりしてるわ」

「あー結婚生活も免許みたいに10年更新制にしてほしいくらいだわ」

 

見事な言われっぷりだ。ざんねんマンも同情の念を禁じ得ない。うむぅ、相手はかなりのやり手だぞ。簡単には押し返せそうにない。何か奇策は・・・

 

「うちの女房の何がすごいかって、とにかく理詰めで、早口で責めてくるんですよ。これを喰らったらもう、やり返せる男はそうそうおりませんよ」

 

理詰め、早口、責める、か・・・

 

例えるなら、相手は難攻不落の大怪獣だ。相手に不足はないぞ。ざんねんマンもがぜん、やる気が出てきた。ヒーロー業界の片隅で、しこしこと活動を続けている小物役者ならではの視点を生かした。

 

相手と同じ土俵で戦っちゃダメだ。逆をいくんだ。逆を。

 

ふむと小さくうなずくと、隣の志村に優しく微笑んだ。やりますよ、志村さん。秘策をお伝えいたしましょう。今度、また口喧嘩になったときに試してみてください。

 

成功するかは分からない。でも、何もせずにまた倒されるよりはましだ。志村もまた、真剣だった。ひそひそとささやくざんねんマンの一言一言に、うんうんとうなずき、口に出して脳みそに刻み込んでいった。

 

自宅に帰ると、脳内トレーニングを繰り返した。

 

夕餉の場でも、場面をイメージしては小声でセリフをつぶやいた。求道者のようなひたむきさで何かを思案する志村に、妻は憧憬のまなざしさえ寄せてきた。「あなた、何か真剣な様子ね。ちょっと格好いいかも」

 

日ごろ見せないしどけなさを見せる妻に思わずぐらりと信念が揺らぎかけたが、一度立てた本願を成就するまでは何事にも動じまいと、雑念を振り払った。

 

朝に夕にイメトレを繰り返すこと1週間。いよいよ鍛錬の成果を試すときがきた。

 

「あなたー!なんでバターなんか買ってきたの、私はチーズを頼んだのに!同じ乳製品だからって、食べ物をなめるんじゃないわよ!バターを笑う者は、バターに泣くのよ!もう本当に、すっとこどっこいなんだから!」

 

頼まれた買い物にミスが見つかり、さっそく妻の連射砲がさく裂し始めた。これはまだ序の口、片栗粉を頼まれたが間違って薄力粉を買ってきてしまった。ひきわり納豆の代わりに小粒納豆。まあ、こちらは大目に見てもらえそうだけど。それにしても今日も燃料をたくさん投下してしまったことだ。

 

「ああもう、私の押しの◎◎君なんかねえ、動画サイトで料理レシピどんどん投稿してるのよ?それに比べてあなたはどうよ、買い物一つろくにできないなんて。あー恥ずかし。子供がもう一人いるみたいだわ」

 

ずいぶんと言うてくれますなあ。さしもの志村も堪忍袋の緒が切れかけようとしていた。

 

さあ、いくぞ。

 

「あーもうダサい旦那と結婚した私は貧乏くじを引いちゃって本当に・・」

 

息を吸う瞬間もないのではないかというくらいに連射の続く妻のべしゃり砲に、決死の覚悟で立ち向かっていった。

 

「あ~らよっと~ぅ!」

 

やや間の抜けた、しかし余裕すら感じさせる、野太い気合のひと声が、リビングルームにこだました。

 

それまで理路整然と、感情もたっぷり混ぜ込んで言葉の連射砲を浴びせ続けていた妻の口撃が、はたと止んだ。

 

何が、起きたのか。状況をつかめない妻は、目をキョトンとさせて志村を見つめた。

秘儀・掛け声作戦。

 

祭りの掛け声よろしく、心から沸き上がるエナジーを、短い言葉に込めてこの世にはき出すのだ。

 

理屈も説得力も、何もない。だが、そこには憎しみも、敵意も、復讐の念もない。表現しようもない、純粋なる心の叫びあるいは悲鳴を真正面から受け止めることになった妻は、丸腰で向かってくる相手にさらなる口撃を仕掛ける意欲がシュルシュルとなえていくのを感じた。


「なにわけ分かんないこと言ってんの、あなたはまずチーズとバターの違いから勉強しなおして・・・」

 

とりあえずは態勢を整えて再び連射砲をダダダンと撃ち始めてみたものの、志村も負けてはいなかった。

 

「よっさぁ、よっさ~ぁ!」

 

カラオケで演歌を歌う人に捧げる合いの手のように、景気よく力強く応じた。まるで勢いが初めからこちらにあるかのように、その場の空気を一変させるに充分であった。

 

口撃が、止まった。初めて、志村は迎撃に成功した。決して勝ったとはいえないが、それでも負けはしなかった。僕は、やったんだ。

 

後を引かない締めくくり方は、その後の夫婦関係をより和やかな方向に変えていくのに役立った。その後も小競り合いは折々に発生したものの、連射砲がクライマックスに達したところで志村の「よっさぁ、よっさ~あ!」が室内に響き渡り、戦いは禍根を残すことなく幕を閉じるのであった。

 

やがて志村家の口喧嘩収束法はご近所にも知られるところとなり、家族が食卓を囲む週末の夜はあちらこちらから「あ~らよっと!」「ほいさっさ~ぁ!」と元気のよい掛け声が漏れ広がるようになった。

 

聴こえたときは志村も窓から大きく叫んだ。「きんちょぉ、さっさ~ぁ!」

 

ご主人同士の緩やかな連携は、不毛な夫婦喧嘩を平和裏のうちに鎮めるとともに、各家庭に円満と笑顔をもたらした。

 

口喧嘩に「勝とう」としてもゴールは見えない。だが、「終わらせよう」とするなら打開策はいくらでも見えてくるかもしれない。不毛な戦いは、続けるだけ空しい。戦った両者に軍配を掲げ、うまく収束させたいものだ。

 

勝たずとも、負けない道を指南したざんねんマン。志村の大願成就を祝福するとともに、「僕が結婚したあかつきには志村さん連合軍に大いに助けてもらおう」と早くも守勢に回る気まんまんなのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~