「なんでおいらはこうなっちまったんだ」
漆黒の空間をひたすら駆けながらも、ついぼやきが漏れた。いつもの悪い癖だ。
憧れたセンターのポジションは、まぶしいあいつに奪われてしまった。いつも目立ってやがって、実にうらやましい。それに比べて俺は今、あいつから遠く離れたところを走ってる。一周回りきるのも大変な、地味でわびしい第5コースさ。ため息が出るぜ。
ぼやく相手もいない巨体は、ふと思った。誰か、この切ない気持ち、わかってくれないかなあ。さびしいんだ。
その刹那。小倉の駅ホームで立ち食いうどんをすすっていた一人の男の眼が光った。人助けのヒーローこと、ざんねんマン。残りの麺をコンマ3秒のはやさですすりあげると、「えいよう」と掛け声一つ残すやうろこ雲ならぶ夕焼け空へ飛び立った。
目指すは、あれだ。
大空を翔けるざんねんマン、右手をピーンと伸ばした先にあるのは、ゆらゆらとたたずむ小さな光。
木星。太陽系を織りなす星の一つであり、古代から人類がその存在を把握していた巨大ガス惑星だ。
宇宙探査機も顔負けの超速スピードで、真空空間を突き抜けてゆくヒーロー。まばゆく光る月、赤茶けた大地を見せびらかす火星をしり目に、ただ一途にその光を目指した。
やがて巨大な輪っかを従えたその巨体の下にたどり着いた。お待たせしました。ずいぶんと遠いところですね。寂しいところ、お勤めご苦労様です。
「寂しいとか、それ言わんでほしいんやけど」
初対面で、印象を悪くしてしまった。すいません、そういう意味じゃなくて、こんな真っ暗でへんぴなところなのに、一生懸命今日も走っていらっしゃって、本当に偉いお方だなあと・・
「真っ暗とか、へんぴとか、傷口に塩塗らんで、いいからー!」
太陽系最大の惑星を、怒らせてしまった。やらかしてしまった。ここは余計なことを話さないほうがいいな。木星様、ところでその、さきほどぼやいてらっしゃった悩みとやらを、お聞かせしていただけますか。
「まあよう、そりゃあよう、おたくが言ったようによう、おいらは地味だよ。目立たんよ。遠いしね。センターに近い第3コースを走っている、おたくさんには分からないかもしれん。だけどね、ちっとはおいらに日の目が当たっても、バチは当たらないんじゃないかと思うんだよ」
愚痴の裏には、「主役」になりそこねた者にしか分からない、複雑な思いがあった。
木星はまたの名を「太陽になりそこねた星」という。質量がもう少しあれば、太陽のように核融合反応により自ら輝く星(恒星)になれた。だが、あとちょっとのところであこがれのポジションを取り逃がした。今は図体がやたらデカいばかりのぐうたら太郎だ。
そう、ですかねえ・・
ざんねんマンが小首をかしげた。たしかに木星さんのおっしゃるように、太陽になりそこねたっていう点じゃあ相当残念でしょう。でも、地球の私たちからみたら木星さん、結構有名ですよ?
「いま、何と」
だから、有名です。
「もう一回、言ってもらえるかな」
はい、有名です
「ごめん、もう一回・・」
もう、いいやろー!
自信を失いかけていた巨体の言葉に、すこし張りが出てきたようだった。こんな俺にも、見るところがあったりするのかな。
あるも何も。私の地元の日本ではですね、ちょっと前に「ジュピター」って名前の歌が大ヒットしたこともあるんですよ。あと、木星の上空を撮った探査機画像なんか、あれはもうアートですよね。絵描きもあんな深みのある模様を描けるでしょうか。あと、あの茶色い巨大な丸いゾーンとか、超謎でしょ。
今ではもてあましがちな図体は、憧れの恒星になるには少し足りなかったが、その強力な重力は数々の小惑星や隕石を吸い寄せ、おかげで地球は過去何度も巨大隕石衝突の危機から救われてきた。いわば、木星は地球の守り神でもあるのだ。
「守り神だなんて、そんな・・」
はじめて照れた。恥ずかしい。そこまで褒めらてもらえるなんて。辛抱、たまらん。
それだけじゃないですよ。木星さんは私たち地球の者からすると、ものすごい天体ショーの舞台だったりもするんですよ。
1994年7月。木星近郊を飛んでいた小天体「シューメーカー・レヴィ第9彗星」が、木星の重力にとらわれた。彗星は無数の破片に分裂し、光を放ちながら巨体のガス雲へと突入していった。後に当時の撮影画像が公開され、人類は壮大なイベントの迫力におののいた。
木星さん。木星さんはたしかに、自分じゃ光っちゃいないですよ。しかも、遠いですよ。僕らセンター側の者からみたらね。でも、いいじゃないですか。目立たないところで、いぶし銀の活躍、されてるじゃないですか。しかも、結構おいしいところ、持ってってるじゃないですか。なんといっても、木星さんは僕ら地球の者にとって、いてもらわなくっちゃ困る存在なんですよ。
「いぶし銀、とな・・」
「おいしい、とな・・」
「いてもらわないと困る、とな・・」
木星は、これまで耳にしたこともなかった誉め言葉の連射に、全身が恍惚で満たされた。
身に余る光栄。
この上もない悦楽。
こんな俺だけど、これで、いいのだ!
センターに立てないからって、嘆くことはない。裏方は裏方なりの見せ場がある。その存在に助けられている人たちがいる。見えないところで、誰かに元気を与えていたりもするんだ。それぞれが、持ち場でアジを出していったら、いいじゃないか。それこそが各人の幸せになるのではないだろうか。
「ありがとよ。俺、吹っ切れたわ」
木星がつぶやいた。もう俺は、しがない五番手じゃない。しっかりと役目とプライドを持った「五番打者」として、いぶし銀の活躍を果たしていくんだ。これからも、数々の小惑星、吸い込んでいくぞう!
そうですよ、その勢いです、木星さん!
ざんねんマンは、ようやく元気を取り戻した木星を眺めまわすと、大きくうなずいた。じゃ、僕、これから帰りますね。あー、結構遠いんだよなあ。ここから。マジでちょっと、萎えますわあ
「遠い、言うなー!萎えるとか、言うなー!」
木星がまた吠えた。別れ際に、また怒らせるか。ざんねんマン、両手を合わせてゴメンポーズをすると、そそくさと地球に向かって飛び去っていった。
巨体にふさわしい、迫力あふれる大声には、どこか笑いの色が混じっていた。
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