おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 ~第33話・人生訓はいつ、誰の胸に響くか分からない(下)~

ざんねんマンも、人事部の小手川も予想しないところで、冴えないはずの体験談が希望の光をもたらしていた。

 

放心の体で椅子にたたずんでいたのは、企画開発部の管理職、坂本。

 

アラフィフ。有能な技術者で、社交性もあって順調に職位を上っていたが、会社組織の性(さが)、避けて通れぬ激烈な出世競争であえなく敗れ、今は安定と引き換えにやる気の盛り上がらない仕事をしている。

 

出世という夢が幻想に終わった今、俺はどこに生きがいを求めたらいいのか。

 

能力も野心もある男だけに、落胆の穴を埋めるのは容易でなかった。鬱屈した日々は、3年ほど続いていた。

 

そんなときに現れたのが、しがないヒーローだった。いわゆる、リーダータイプじゃない。会社組織でいえば、主流には乗らない存在だ。憧れのウル〇ラマンみたいに、人々の注目と喝さいを独り占めできるほどのカリスマ性もない。ヒーロー業界でのし上がっていくことは、たぶんこれからもできないだろう。

 

でもなぜか、この男には魅かれるものがある。今の俺の境遇と重なるところがあるからかもしれない。でもそれだけじゃない、この男の生き方に、なにかうまく言葉にできない希望と力があるように感じるのだ。それは何なのだろう。

 

広いホールの、どこを眺めるでもなく、心の中で沸き上がる思いに、目を凝らした。

 

自分が主役にならない。その器も、ない。ただ、誰かを支えようと無心に立ち回っている。失敗も相当やらかすが、 気持ちに免じて周りが赦してくれている。それだけではない、頼りないこの男の素朴さが、出逢う人々の警戒心を取り払い、優しさや、その人が本来持っている強さを引き出しているようだ。

 

地位や名誉とは違った世界でも、得られるやりがいと幸せがあるのかもしれない。

 

出世という夢からはそっぽを向かれてしまったけれど、その分、気楽にもなった。もう、上を目指してあくせくしなくてもいいのだ。安定を保証された世界で、今度は違うやりがいを探してみよう。会社員生活もまだ続くのだし、楽しみを見つけたほうが自分の人生にとってプラスだ。

 

坂本は、「顧客の満足度向上」について考えるようになった。昔から、商売成功のコツは「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」といわれている。それを磨き上げるにはどうしたいいのだろう。

 

組織の歯車である一介の管理職に、特別何ができるというわけではなかったが、学生のように一つのテーマについて考え、取り組むことは坂本に少なからぬ喜びをもたらした。一度は投げやりになりかけた会社員人生に、再び小さくも確かな灯がともった。

 

部下に不必要なプレッシャーをかけることもなく、ひょうひょうと管理職仕事をこなす坂本の職場は、そこはかとなく和やかな空気で包まれた。面白そうなアイデアを出す若手には、なるべくチャレンジの機会を与えた。みんな坂本のことを「出世街道から外れた人」だと知っていたが、慕ってきてくれた。「俺に取り入ったって、うまい汁は吸えないぞ」とおどけても、「いいんですよ、僕らはそんな気さくな坂本さんが好きなんです」と動じなかった。

 

坂本はプライベートでも新たな楽しみを見つけた。経済学の勉強だ。昔から、世の中を幸せにする手段として、経済の仕組みに興味を持っていた。もう今から社会に貢献できることは少ないかもしれないけれど、成果や実績は気にせず、学びたいことを学んでいこう。

 

夢をあきらめ、夢を見つけた。あの男の、ひょうひょうとした生き方の一端に接し、だいぶ気持ちが軽くなった。あの男、ざんねんマンとやらに、感謝だ。

 

初めて務めた講師役で、大恥をかいてしまったざんねんマン。その生きざまは、企画した会社側が期待した相手(新人社員)にこそ響かなかったが、人生経験を重ね、酸いも甘いも味わった人間に、深く刺さっていた。

 

その言葉や体験が、誰の心に響き、役に立っているか分からない。同じ人に対してでも、年月を経てようやく伝わる可能性もある。例え目先の成果が得られなかったとしても、必ずしも落胆することはないのかもしれない。

 

傷心のままアパートに帰宅したざんねんマン。「今度お呼ばれしたときは、もっと実績を『盛って』語るかぁ」と少々ズルいことを考えるのであった。

 

~終わり~