おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 第35話・AIに勝るもの

江戸は外堀を望む、東京・市ヶ谷。囲碁文化の発信拠点である〇本棋院で、役員たちが苦い顔を突き合わせていた。

 

ファンの掘り起こしが、進まない。

 

SNSの時代だ。スマホを見れば動画サイトに目がいってしまう。イケてる少年少女、お兄さんお姉さんたちが、キレッキレのヴォイスとダンスでちびっ子たちを虜にしている。基本、あたま、使わない。囲碁?なんだそれ。つまんない。

 

10年ほど前。とある人工知能(AI)が、「地球史上最強」と呼ばれた中国の天才棋士をガチンコ勝負の末に下した。そのニュースは世界を震撼させた。あれだけ複雑で、チェスや将棋より圧倒的に展開が無限ともいえるゲームで、AIが正確に勝利への道筋を読みぬいたのだ。知能という面で、人類が「敗北」を自覚した最初の出来事といえるかもしれなかった。

 

中国で生まれ、東アジアはもちろん今や世界に広がっている知的ゲームは、少なからずその魅力を削がれたように見えた。AIが、人間の知力の限界を如実に突き付けてしまったからだ。根っからの囲碁ファンたちの間でも、心の奥にどこか興ざめ感と寂しさが潜むのを認めざるをえなかった。

 

それでも、なんだか、負けたくない。悔しい!AIをやり返して、囲碁文化の輝きを取り戻したい!担い手となるちびっ子たちを、振り向かせたい!

 

役員たちの切実な議論の末、一つの打開策が浮かび上がった。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。見掛けもそぶりも頼りないが、それでも頼まれたミッションは100%を維持している。この男に、人類が誇りを取り戻すための重役を任せよう。AIに、勝ってもらうのだ!

 

プルルル

 

早速、電話でつながった。ざんねんマン、依頼内容を聞き終えるや深く息を吐いた。

 

んなこといっても、わたしは囲碁なんて打ったこと、ないんですが。ちょっと無理かと・・


残念だ。非常に、残念だ。電話越しの〇本棋院役員は落胆の色を隠さなかった。それでも、この男なら何とかやってくれるはずなんだ。そうなんだ。最後はきっと、奇跡的な一手を放って勝利をもぎとってくれるはずなんだ。

 

「なんでもいい。囲碁知らなくったっていいです。これから我々役員が教えますから。だからお願いです。我々が設ける『対AI・リベンジマッチ』に出場を!」

 

熱のこもった要請に、人助けのプロのハートが揺さぶられた。よござんす、無知蒙昧の輩ではございますが、誠心誠意、一生懸命頑張らせていただきましょう。

 

人類の誇りを掛けたイベントの開催は、1か月後と決まった。トップ棋士団と、ざんねんマンによる密で熱いトレーニングが始まった。

 

 

 

人類の誇りを取り戻さんべく、トップ棋士団とざんねんマンによる濃密なトレーニングが始まった。

 

まずは囲碁のルールから勉強だ。囲碁とは、簡単にいうと「陣取り合戦」だ。

 

①    広い碁盤の上で、白か黒の石を並べてつなぎ、その内側を自らの陣地(「地」と呼ぶ)にすることができる。


②    相手の石の外側を、自分の石で隙間なく包むことができれば、その石をすべて取り上げることができる。取り上げた石は、自分の「地」としてカウントできる。

 

エッセンスは以上となる。ほかにも細かい決まりはあるけど、実践しながら覚えていくほうがはやいだろう。

 

「さあ、ざんねんマンさん。これからしっかりと力をつけてもらいますよ」

 

棋院でも長老格の男性が、気迫を全面に出しながら盤の向かいからギロリ見つめてくる。うへえ、こんな前のめりでこられたら、辛抱かなわんよ。ボチボチやっていけまへんかいな。いうても、知的「ゲーム」でっせ。

 

ぼやきも届かず、スパルタ式のレクチャーが始まった。「まずは序盤戦で主導権を握ることが大切です」

 

広い盤面の中でも、四隅は石で囲いやすい。まずはここを抑えよう。相手が攻めてきたら、古来の知恵が詰まった受け技「定石」で対応すればいい。

 

ただ正直、中盤以降は実力差が如実に現れる。「そのときはざんねんマンさん、あなたのヒーローパワーでなんとか乗り切ってください」

 

なんちゅう無理な注文じゃ。ざんねんマンの頭の中に、初めて「オファー辞退」という言葉が浮かんできたが、今さら逃げるのも格好悪い。ええままよ、このまま潔く恥をさらすまでよ。

 

なんとかかんとか、基本ルールだけは覚えたところで大会当日を迎えた。対局には3時間の枠が与えられた。ライブでネット中継される予定だ。はてさて、結果は白と出るか、黒と出るか。運命の対局は、ざんねんマンの黒番で始まった。

 

「黒、16の四。星」

 

序盤から十数手は、お互い手堅い布石で打ち進めた。ネットの中継スクリーンでは、視聴者たちが寄せるコメントが右から左へと流れていった。「今のところはがっぷり四つだな」「さすがはヒーロー。経験ゼロからよくここまできた」

 

だが、ものの30分ほどで形勢は傾き始めた。石と石とがつばぜり合いを始める中盤以降は、一手の打ち損じが石の死活に直結する。基本ルールしか身についていないざんねんマンにとっては、荷が重すぎた。それはまるで、真剣でたたずむ剣客にちびっ子チャンバラを振り回す坊やのようであった。

 

スクリーン上部に映し出される、AIによる形勢分析ゲージは、勝負の行く末を冷酷に予言していた。勝利確率は、AIの98%に対してざんねんマンは2%。解説のプロ棋士は「ここまで偏ると、もはや・・・」と力なくつぶやいた。

 

大石を囲まれ、奪われた。敵方の白石が盤上で勇躍していた。勝敗は決した。開始からわずか50分。ざんねんマンは「参りました」と頭を垂れた。

 

「おーいおい」「なんだよまったく」「ヒーロー失格」「顔洗って出直してこい」「丁稚奉公からやり直し!」

 

スクリーン上で、さんざんに叩かれた。恥辱の極み。だが、このまま逃げ帰ることもできなかった。ネット中継は3時間の枠が設定されていた。残った時間は、一局を振り返り、反省点を整理するのが常だ。

 

対局時間よりはるかに長い、前代未聞の「感想戦」が始まった。そこから、ざんねんマンを含む人類勢の巻き返しが始まるとは、誰も予測していなかった。

 

感想戦」が始まった。

 

ここからは、解説のプロ棋士らも交えてのトークになる。「いやあ、なんともな結果になりましたが、どうですかざんねんマンさん。心境は」

 

いやあ、まずもって、皆さまの期待にお応えすることができず、申し訳ない限りです。

 

沈黙がしばし続いた。1手ずつ、振り返っていった。

 

プロ棋士「序盤はよかったんですけどね、中盤の、まずここ。相手に囲われたけど、一間飛んでおけば抜け出せたんですよ」

 

「一間飛ぶ」って何だ?ざんねんマン、ポカンと口を開けた。

 

中継画面が、ザワつき始めた。「このおっさん、分かってねえ」「間が抜けてる感じがたまらん」

 

淡々と解説は進んだ。「相手のこの石は、『鶴の巣ごもり』で獲れたんですよ、もったいない」

 

専門用語がどんどん続く。なんだか、難しすぎて頭に入ってこない。でも、聞いた感じがカッコいい。思わずつぶやいた。

 

棋士さん、すごいですね。どんな頭したら、そんな手とか思いつくんですか。

 

唐突な賛辞に、棋士は戸惑った。照れた。「いやまあ、一応プロですから・・」

 

その後もざんねんマンの賞賛は続いた。プロ棋士の「私なら、この局面ではここに打つ」と指した先に、ざんねんマンは目を丸くした。敵陣深く切り込む一手。素人目線では考えもつかない渾身の一撃だ。はあ、「気合い」ってこういうことをいうんでしょうなあ。

 

古来より、知恵者たちが幾多の戦術を編み出してきた。もはや極めつくしたかと思われる段階に至ってなお、新たな世代がさらなる手筋を見出している。それだけではない。局面局面でみると、プロアマ問わずひらめきの一手が、それこそ無限に放たれ続けている。ひらめき、気合、信念・・。AIの得意とする「勝負」とは異なるフィールドで、人類の精神は輝き続けている。

 

「まあ、あれだ。このおっさんみたいな素人でも楽しめるのも、囲碁の面白さなんだよな」

 

ネット上のコメントが再び元気を取り戻し始めた。「そうなんだよな、下手の打つ碁ほどヤジりがいのある対局もないし」

 

あるネット民は、囲碁を題材にした落語の小噺を披露した。「『笠碁』っていうんだ。ヘボ碁を打つ者同士、仲良くなっちゃうもんだってね。いい道具だよ。勝ち負けなんか二の次ってなもんだ」

 

実に奥行きの深い世界が広がっている。「囲碁がルーツのことわざも多いよな。『一目置く』とか」

 

「岡目八目」ということわざもある。物事は離れて見ることで(岡目)、客観的にとらえることができる(八目)という意味だ。日常生活でも充分に通じる、知恵の一言だ。

 

まだある。最近は「囲碁ガール」なんてかわいいプレイヤーも登場している。社会人になって始めるOKもいる。知的エクササイズにぴったりだ。

 

昔は「碁会所」といわれていた空間も、最近では「囲碁カフェ」なんておしゃれな名前に変わってきた。それこそ、囲碁ガールなんて一人でもきたら場の空気がガラリと変わる。男連中は「いいとこ見せよう」と下心を丸出しにし、優しく手ほどきしだす。まったく、けしからん。いや、「うらやまけしからん」というべきか。

 

海を越え、技を競い合い、称え合えるのも囲碁のすばらしさだ。純粋なる尊敬の念が、プレーヤー同士の心に芽生える。草の根の国際交流とは、こういう活動をいうのかもしれない。

 

あるときは人間の発想力を際立たせ、あるときは友情をはぐくむ。ときには運命の出会いをもたらす舞台装置にさえなる。囲碁という、人類が生み出した素晴らしい知的ゲームは、勝敗とは次元の異なる分野で、今も燦然とその魅力を発し続けている。

 

「すごいですね」「天才ですか」「同じ人間とは思えない」。賛辞の嵐を送るざんねんマンに、解説のプロ棋士はもはや照れで真っ赤っ赤になっていた。ネット民たちも「もうこれ以上褒めないでん」と悶絶状態になっていた。

 

人類は、自信を失うことなんてない。AIに、すべてで追い抜かれてしまったというわけじゃない。むしろ、AIのおかげで人類ならではのすばらしさ、魅力に気づくことができたのだ。

 

楽しもう、囲碁を。遊ぼう。驚こう。感動しよう。そしてときには、下心丸出しで手ほどきしよう。

 

3時間の長丁場が終了間近に迫ったころ、会場は不思議な高揚感に包まれていた。

 

「ざんねんマンさん、ありがとう」

 

解説のプロ棋士が、そっとざんねんマンの手をとった。柔らく、温かかった。

 

囲碁の奥深い魅力に光を当て、ファン再発掘に予想外の貢献を果たしたざんねんマン。拍手に送られ会場を後にしながら「もうちょっと覚えて囲碁ガールにアピールできるようになろう」と早くも下心をのぞかせるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~