おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【短編】気づきと無

修行の世界に身を転じた男がいた。世事に疲れ、人間関係に疲れ、自信を失い、すっかり生きる力を失いかけていた。

呼吸をするのも苦しいほどに追い詰められ、自らを追い詰め、もはや何をしてよいか分からない。その道の先人たちが頼ったとされる書物に目を通したが、言葉の一つ一つが記号のようで難しく、頭に入らず、にっちもさっちもいかない。

うだつのあがらない人生は、これはこれで仕方がない。ただ、それでもこうして息をして在る。せめて何か生きていく羅針盤のような確たる柱を見つけることはできまいか。

答えなく、何を考えることもなく、ゆるやかな小丘をのぼった。頂上というほどでもないが、視界の開ける土の広場まできたところで、腰を下ろした。

幸いというべきか、初春の空は晴れ渡っていた。ただ、自らのこころの内は自己を否定する詰問の言葉ばかりが暴れている。鼻孔をくすぐるのどかな風の、ありがたさを味わえない。

うーん

なんともしようがなく、男は目をつむった。

あらゆる苦から解き放たれた存在になることは、できないのか。

少し考えを転じてみた。過去現在未来、そんな人間は、存在は、いたことがあるのだろうか。

悲しみなく、自己否定なく、絶望もなければ憎しみもない。あらゆることに恬淡としている。

仏は、そうだったのだろうか。歴史の書物を頼りにするしかないが、そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。心裡を推し量るよすがは、ない。

重い息を吐き、地面に、たまたまあった石ころに視線を落とした。

石ころには、喜びも悲しみも、ないだろう。在ることに理由も目的もなければ、その存在に良くも悪くも意を掛ける相手もいない。あけすけにいってしまえば、なんの意味も価値もない。

求道者の目指す「無」と、どう違うのだろう。

あらゆる苦や期待から解放されている。いや、自ら意志すらしていないから、「解放」という言葉も当たらないだろう。あらゆる価値観の押し付けを、意識を持たずして、かわしている。

なんと自由な。

取るに足らない存在と見下していた「もの」の世界に、あらためて意識を寄せてみた。大地があり、地球があり、太陽の周りを巡る公転運動がある。生き物の意図とは無関係の物理法則によって、ものは形作られ、破壊されを繰り返している。そこには成長も進化もなく、ただ変化がある。目的もなければ失敗もない。救いもない代わりに、絶望もない。

輪郭もあいまいな「価値」の世界に浸かってきたが、ふとその境界線を越えて見回してみると、まったく異なる景色が広がっていた。私は、価値のない世界に包まれて暮らしている。

かといって、男の心裡が少しばかりでも楽になったり、心の重みが軽くなったわけでもなかった。心に巣食う否定の感情は、意志を持った生き物のように確かな重力をもっていまだ沈潜している。

そのうえで、確たる柱を得たように思った。私は、価値の世界と、価値なき世界の両方に包まれて、存在している。

価値なき世界とは、あらゆる感情、判断、思考を否定する世界である。苦も楽も、善も悪も、名詞も動詞もない世界である。「ない」の集合体にすぎないが、目の前の石ころのように、確として存在している。それが事実だ。

男は立ち上がった。現実の暮らしの中から生まれた、よどんだ感情は瞳の奥に依然として伺えたが、もうひとつの要素が居場所を得たようでもあった。

言葉にするなら、「無」であった。

【ざんねんマンと行く】 ~第54話・なんでも悲観的に考えてしまう青年(下)~

自らのダメ具合をひけらかし、自嘲気味の青年に、ざんねんマンは一瞬たじろいだ。が、返しもなかなかすごかった。

 

まあその、すごいもんですなあ。そこまでダメなところを見抜けるとは。もうこうなったら、徹底的にダメダメ具合を突き詰めて探してみたらいいじゃないですか。私もね、とことんダメな人間っていうのを、見てみたい気もするんですよ。

 

慰めるどころか、傷口に塩を塗るようなコメントをさらしてきた小粒ヒーローに、傷心の青年は吠えた。

 

「何てひどいこと言うんですか!僕はねえ、ハートブレークしている可哀そうな青年なんです。いたいけな青年なんです。ちょっとはねえ、いいところだってサジェストしてくれたっていいじゃないですか!」

 

そりゃあたしかに、大学では「可」ばっかりさ。でもね、見方を変えりゃあ、ちゃんと単位は取れたわけだ。塾で人気をイケメン講師にさらわれてるって?それはそうだけど、あまりに人気の差がありすぎるおかげで、淡々と講師業務に専念できてますよ。彼女いない?言い換えればねえ、僕は「いつだって合コンに参加できる」ってことですよ。こんな幸せなこと、ありますか。

 

ものごとには表と裏の二面がある。一つの現象を明るい面からとらえることもできれば、暗い面からのぞくこともできる。西洋では「コインの両面」といい、東洋では「陰陽」という。これは例え話ではなく、事実そのものだ。

 

哲也は、自分で吠えながら、自分で気づいた。

 

どんな出来事でも、環境でも、明るい面と暗い面の両方を探してみる。すると、思いもしない可能性を見出すことができるかもしれない。逆に、慢心を戒める課題に気づかされることもあるだろう。

 

よっしゃ、いっちょやったるか。

 

哲也は人生観を改めてみることにした。悲観一辺倒の真っ暗人生観から、楽観も含めたハイブリッド人生観へ。これからの人生、2倍楽しむんだ!

 

なに、服装がダサいって?それはつまり、「磨きがいがある」ってことさ。大学の成績が悪いと?ふふ、それはつまり「頭の悪い人たちの気持ちが分かる」ってことですな。毛深いってよく言われるけど、そういう男こそ「毛の薄くてイケてる人たちを引き立てる」のに貢献してるといえるんだ。

 

哲也は今や、希望をつかんだ。僕は、ダメなばっかりの奴じゃない。可能性に満ち満ちた、めちゃくちゃ伸びしろのあるホープなんだ!

 

すっかり明るい表情となった哲也を前に、ざんねんマンはお役御免となったことを悟った。青年よ、大志を抱くんだ。達者でな。ベランダの床を勢いよく蹴ると、真夏の夕暮れ空へと溶けていった。

 

自信をつかんだ哲也は、気づかないうちに取り巻く環境を少しずつ変えていった。大学のレポートは相変わらず「可」のオンパレードだったが、「単位が取れればそれでよし」と割り切れるようになった。たまにあるプレゼンでは、内容に疑問符が付く質ながらも堂々と発表するようになり、空気に押されて教授が合格点を出すようなケースも出てきた。

 

バイト先の学習塾では、哲也と同じく成績に悩む生徒たちの聞き役になることが増えてきた。落ち込むことはないんだよ。君には伸びしろがあるんだ。物事には二つの面があるんだ。成績の悪い人間が語る言葉だからこそ、妙に説得力があった。

 

今や「出来の悪い人間の駆け込み寺」として若者たちから頼られる存在となった哲也だが、やらかすこともあった。

 

英語の成績が伸び悩んでいた生徒の太郎君が、諦めず単語ノートを毎日復習していたら、2学期のテストで80点を取った。「先生、僕やったよ!高得点とるの、初めてだ!ありがとう先生!」

 

ハイブリッド人生観を身につけたばかりの哲也は、処し方でまごついた。純粋に褒めることができず、「『まぐれ当たり』の可能性があるね」と冷めたコメントをしてしまった。生徒の太郎君は、冷や水を浴びせられた気持ちになり、それ以降哲也に悩み相談をしてくることはなくなった。

 

人生で初めて彼氏ができたーと近況報告に訪れた女子生徒の美代ちゃんに、哲也は真顔で「騙されてる可能性があるから、浮足立たないように」と諭してしまった。美代ちゃんは涙目になり、それから哲也が目にすることはなくなった。

 

世の中の見方はハイブリッドで。でも、人に接するときは臨機応変が大切だ。人生とは奥深く、大変で、面白いものだなあ。哲也はますます生きることが楽しくなってきた。

 

悲観ばかりする男の逆転劇に貢献したざんねんマン。哲也のますますの活躍を祈りつつ、「まあおつむと顔の出来は変えられるものじゃないから、大それた夢は抱かんことですな」と老婆心ながら余計な一言をつぶやくのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ~第54話・なんでも悲観的に考えてしまう青年(上)~

「ああ、僕はだめだ」

 

哲也(てつや)はため息をついた。頑張って書いた大学のレポートの評価が、合格ギリギリラインの「可」だった。10日間、図書館に通い詰めて仕上げたのに。僕は、本当に才能がないなあ。

 

まあ、振り返れば「良」も幾つかは取ってきた。でも、それはたいがい甘い評価で有名な教授の講義でいただいたものだ。ごく一部、厳しめの教授から褒められたことはあったけど、あれはきっと教授の気まぐれさ。僕なんか、ダメダメのダメ野郎なんだ。

 

バイトで塾講師やってるけど、人気はイケメンの学生が独り占め。しかも明るい性格ときている。僕なんか、イジイジしてしゃべるのも下手だから、ほとんど誰も気にも留めてくれないよ。まあ中には「先生の静かで優しく教えてくれるとこがいいんです」とか言ってくれる生徒さんもいるけど、あれはきっと慰めだな。

 

あーもう、いいとこなんか全然ないよ、僕。これからの人生、真っ暗だ。

 

「ダメだダメだ」と口ではぼやきながら、心の底で「誰かこんなかわいそうな僕を励ましてほしい」と叫んでいた。

 

その刹那。都内の立ち食いソバ屋でズルル―と麺をすすっていたある男が、雷(いかづち)に打たれたかのように全身こわ張った。「しばし待たれい」

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。残っていた麺を一口でジュルリ喉奥まで流し込むと、開け放たれた玄関を抜けヨイッと夏空へ飛び立った。哲也の暮らす大阪のアパートまで一直線だ。

 

「おお、あなたは・・」

 

ベランダにトンと降り立ったざんねんマンを、哲也は驚きと感動の眼(まなこ)で見つめた。あの、最近売り出し中の、小粒ヒーローだ!

 

「僕みたいな、こんなダメダメ野郎を、わざわざ救いにきてくだったんですか?!」

あ、まあ、とりあえず条件反射で飛んできちゃいました。でへへ。

 

頭をポリポリとかく中年男に、哲也はやや拍子抜けした。ひょっとしてこのおじさん、名前負けしてるタイプなのか。「人助けのヒーロー」とか、看板だけでかくて中身はないみたいな、そっち系の人なのか。ちょっと気にかかるけど、この際だから相談してみよう。

 

「あのう、僕みたいに生まれながら恵まれてない人間が、幸せをつかむ道はあるんでしょうか」

 

まあまあ、「恵まれてない」なんて大げさな。ちょっと自意識過剰なんじゃないですか。

 

ざんねんマンのあけすけな物言いは、傷心に浸る青年のハートをささくれ立たせた。「そんなことないですよ!そういうおじさんだってね、ちょっと自分のこと、大きく見せすぎなんじゃないですか。見てくれはただのくたびれたおっさんじゃないですか」

 

おお、言うてくれましたなあ。ええそうですよ。私はねえ、しがない中年ヒーローですよ。それが何か?お金ない、もてない、コレステロール値最近高めの、おっさん中のおっさんですが、それが何か?

 

自らのわびしい状況を嘆くでもなく、堂々と明かすざんねんマンに、哲也はやや面食らった。このおじさん、自分のこと悲観してないみたいだ。傍からみたら、めちゃくちゃ可哀そうな環境なのに。ひょうひょうとしてる。どっちかというと、気持ちに余裕ありそうな感じだ。なんなんだこれは。悔しいけど、ちょっとうらやましいぞ。

 

鬱々と澱んでいた心の中に、得体の知れないながら心地よい涼風がそよぎこんできた。ひょっとしたら、力抜いて生きるだけで、人生楽になるのかしらん。

 

でもまだまだ、そう簡単には納得なんかしてやらないぞ。このおじさんを困らせてやるんだ。

 

「もうね、僕なんかね、最悪なんですから。大学のレポートとか、力いっぱい頑張って『可』だし。彼女いないし。塾講なんかやってると自分のダサさ加減が分かるってなもんですよ」

 

ダメ自慢をしてくる人間に、どう返すか。心ある人間なら、温かい励ましの言葉を掛けることだろう。

 

さて、どう出るか、小粒ヒーロー!

 

~(下)に続く~

【ざんねんマンと行く】 おっさんだって悩みを抱えている

ピンポーン

 

玄関のモニターをのぞくと、一人のおっさんが立っていた。

 

都内某所。悩みを抱えたこの男は、どうやって調べたか、人助けのヒーロー「ざんねんマン」の暮らすアパートまでやってきたのであった。

 

今日も長い一日になるのかな。身震いしながら、ざんねんマンはドアを開けた。

 

おっさんの手元には菓子折り一つ。礼儀をわきまえた紳士のようだ。「実は、相談に乗っていただきたく・・」

 

60代後半だという。いたって健康だ。ただ、特に趣味もない。簡単にいうと、生きる目的を見失っているということのようだ。

 

「ふむう、まあその、よくある話 ・・」

 

ざんねんマンが漏らすと、つぶやくと、おっさんは叫んだ。

 

「簡単に、いうなー!」

 

お互いの距離感が縮まったところで、おっさんは過去を語り始めた。どうも、定年まではそこそこ名の知られたメーカーの管理職を務めていたらしい。仕事一筋で、上からも下からも慕われていたようだ。そこに自分の存在意義を見いだし、充実したサラリーマン人生を送ってきたという。だが、定年を迎え、環境ががらりと変わった。

 

肩書きのない自分には、何もない。仕事一本できたから、友達もいない。やること、ない。寂しい。

 

「まあその、つまり、今はただのおっさん、と・・」

 

ざんねんマンの不用意なつぶやきが傷口に塩を塗ってしまった。「ただのおっさん、いうなー!」

 

二人ともややけんか腰になってきたところで、ざんねんマンが啖呵を切った。「ただのおっさん、上等やないですか!名刺とか肩書きとか、あったほうが、疲れるじゃないですか!重しがとれて、よっぽど楽じゃないですか!どうすか!おっさん!」

 

「おっさん」を連呼され、おっさんは意外に心の中で力がムクムクとわいてきていることに気がついた。何もない自分、これか。むしろ、軽くて、フワフワして、楽しいかもしれんぞ。

 

おっさんは、過去の地位や肩書きへの未練を手放すことにした。もう、肩書きはいい。人の評価も、いい。これから俺は、ただのおっさんとして、生きていくぞ。

 

「ありがとう、ざんねんマン。最後に、もう一度、『おっさん』を連呼してくれぃ!」

 

変なお願いに首をかしげながらも、ざんねんマンは応えた。

 

「おっさん!おっさん!HEY HEY OSSAN!」

 

ややラップ調も交えたコールに、おっさんは全身をくねらし、喜びをあらわにした。

 

バターン

 

勢い良く玄関を閉めたおっさんは、そのまま昼下がりの街中へと消えていった。

 

その後。テレビのワイドショーでは、一つの社会現象が取り上げられるようになった。中高年の男性が、こぞって虫取りをしたり秘密基地ごっこを始めたというのである。

 

リポーターのマイクを向けられた男性の一人は答えた。「いやあ、これからは自由気まま、少年の心に戻って楽しんでいこうと思いまして」

 

あのおっさんだ!ざんねんマン、テレビ画面に釘付けになった。スタジオでは、アナウンサーが補足の解説を加えていた。

 

「定年後、肩書きをなくした男性たち。当初は喪失感に浸っていたけれど、吹っ切ることができた一部の人たちが、積極的に外に繰り出しています。このうねりが良い循環を生み、閉じこもりだったシニア男性がどんどん活動的になっているようです」

 

体はおっさん。でも心は少年。マスコミは彼らのことを、多少の敬意を込めて「おじさん少年」と呼び始めた。

 

上着はTシャツ、下は短パン。シャツはしっかり、ズボンに入れ込んでいる。トレードマークとでもいうべき彼らの姿は、いたるところで見られるようになった。街中で。田舎で。海で。山で。満員電車で。いたるところに「おじさん少年」は現れ、世の中に活気をもたらすようになった。

 

社会現象を生み出すサポートをしたざんねんマン。テレビ番組を見終え「僕も早くおじさん少年になりたい」とうらやましがるのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【妄想SHOW】パワー家族

粒A「もう、耐えられんわ。こんな集団生活。俺は抜ける!」
 

粒B「それはこっちのセリフだ!A、お前図体でかいくせに結構なスペース陣取りやがって、さっさと出ていきやがれ」

 

粒C「お前らみんな、出ていってけれ!せいせいするわい」

 

粒DEFG・・「右に同じ!」

 

記憶の辿れない過去から狭い空間をともにする、粒たちがいる。だが、その関係は決して良好とはいえなかった。気が付けばいがみ合っている。今もまた、新たな小競り合いが勃発しようとしている。

 

粒の親方「まあまあ、皆の衆。落ち着くのじゃ。わしらはみいんなそろって一家族。分かっておろう?仲良うやっていこう」

 

慈愛に満ちた語り口が、粒たちの沸き立つこころに涼風をそそぎこむ。粒たちを束ねる謎の存在。反目し合っていた粒たちも、しぶしぶ鞘を納め、お互いに近づき始める。「まったく、優しい親方に頼まれたら、かなわないな」

 

反発し合う力(小さい力)を、より大きな力(大きい力)でゆるやかに包み込む。これが極小の世界で繰り広げられているリアルのようだ。

 

粒の親方「皆の衆、もっと視野を広げるのじゃ。見てみよ。わしら一家(玉)のお隣さんも、おんなじようにまとまっとるじゃないか。反目するよりも、手をつなぐのじゃ。それが宇宙の一大真理よ」

 

玉がゆるやかにくっつきあって、いろんなモノが出来上がっている。塊だったり、液体だったり。中には意志をもって動き出すものまでいる。どれもこれも、小さな小さな粒たちのまとまりからできている。

 

その中から、永遠に輝き続けるのではないかと思えるほどの光を発する天体まで現れた。天体は周囲の星々をゆるやかにつなぎとめ、一つの家族として無限の宇宙を旅している。
 
その巨大天体も、気の遠くなるような向こうにたたずんでいる、正体不明の天体によってゆるやかにつなぎとめられている。
 
粒の親方「のう。分かったろう。宇宙にあるものは、どこまでも引き付けあっておるのじゃ。仲良う、やっていこうじゃないか。それにな・・・」
 
粒の親方が、意味深に一呼吸おいた。粒たちの好奇心が一気にかきたてられた。
 
粒の親方「それにな、わしらが所属しとる、あの真っ黒天体の超親方。実は今度、どなたかさんと添い遂げるらしいんじゃ」
 
真っ黒天体(ブラックホール)を中心にまとまった粒たち(天の川銀河)は、お隣さんのグループ(アンドロメダ銀河)に引き寄せられているらしい。いや、お互いに引き寄せ合っている、というべきか。なんとまあ、おめでたい。いつか二つの銀河は合体して「ミルコメダ(「ミルキー」ウェイとアンドロ「メダ」)という名の一家族になるという。
 
粒たち「おお、なんと素晴らしい!!やっぱり俺たち、仲良くやっていこう!」
 
粒の親方「ほっほっほ。そうじゃ皆の衆。それでこそ家族よ」
 
そう語る粒の親方の口ぶりには、しかし何ともいえない哀愁が漂っている。
 
それに気づかない粒たちではない。「どうしたんだ親方。まだ何か言い足りないことでも、あるのかい」
 
親方は、やや間を置くと、意を決したかのように口を開いた。「実はな、この話には続きがあるんじゃ」
 
引き寄せ合っているのは、アンドロメダなどご近所さんだけ。そこから向こうの世界とは、こうして話をしている間も猛烈なスピードで離れ離れになっているらしい(ダークエナジー)。
 
粒の親方「まあ、結局世の中、仲たがいが常なんかもねー」
 
粒たち「オチ、そこかーい!」
 
モノの世界は、小さくみても大きくみても、結局は反発しあっているのか。なんだかなあ。
 
粒の親方「じゃがな、まだニヒルに浸るのは早すぎるかもしれんぞ」
 
粒の親方は、ぐるり辺りを見回した。と、ご近所まるごと、ものすごい速さで動き出した。
 
・・・
 
道端の少年が、走り出した。手押し車のお年寄りが転んでいた。「おばあちゃん、大丈夫ですか」

 

手を握り、立ち上がるのを支えた。買い物袋から落ちたリンゴを拾い上げ、袋に戻した。

 

お年より「あいたた・・ありがとうねえ。年でねえ。助かったよ」

 

少年はしばらくお年寄りと並んで歩いた。無事を確かめると、「じゃ、僕いくね」と立ち去った。

 

遠くなる背中に、お年よりは「うれしいねえ」と目を細めた。

 

駆ける少年の瞳の中に、粒の一家がいた。

 

親方が、つぶやいた。

 

「わしらが宿っとる、この生き物次第。ということなんじゃろうなあ」

 

 

 

 

【短編】主人公

煤(すす)の付いた繊維の表面に、ギュイと押し付けられた。

 

うむをいわさぬ強い力を与えられ、表面の上を前に後ろにとこすれて動いた。

 

これが世界との、最初の出会いとなった。

 

真っ白で美しい立方体の形をしていた体躯も、繊維に押し付けられ、こすれこすれしていくうちに、やがて丸みを帯び、手あかが付き、すっかりくたびれた格好となった。

 

使い主にとっては、しかしそちらのほうが相性がいいようだった。

 

繊維と密着し、そこに付着していた煤を、自らの体躯とからませてぬぐい取る。体躯はどんどん痩せ細るが、丸みを帯びるほどその密着度合いも高まり、作業ははかどるようだった。

 

使い主は、せっせと体躯を使った。一生懸命な表情で繊維の面をにらみ、時折気づいたかのように体躯を持ち上げては煤をぬぐい取った。

 

使い主にとって、体躯は友であった。何という名前をもらったわけではないが、その日そのとき、いてくれないと困る存在であった。その機能を越え、いること自体で安心をもたらしていた。

 

使い主と体躯は、しばしのときをともに過ごした。部屋は明るくなり、暗くなりを何度か繰り返した。

 

いろんな表情を眺めた。あるとき、使い主は悶々とした顔つきで平板に向かっていた。あるときは何かひらめいたかのように嬉々とした顔つきで傍らのスティックを走らせた。どうかしたときは、色が伴ったかと思えるほどに潤みを帯びた瞳で、繊維の表面に向かっていた。繊維を折りたたむと、別の誰かに届けるのか、いそいそと部屋を出ていった。

 

一緒にさまざまな場面に向き合い、共同作業を進めるうち、体躯はますますか細くなっていった。もう力を充分に入れることができないほどに小さくなったころ、使い主は少し残念そうに息をついた。

 

お母さん、今度また新しいの買って。

 

意図せずこの世に現れ、縁あって出合った使い主の下、つかの間ではあったが、世界を味わう体験をした。もはやその使命も存在意義もすっかり薄らぎ、いまや最期のときを迎えるばかりとなった。

 

体躯は、もはやつかむにも値しないほどに小さくなった。あるとき、突然、使い主につまみ上げられた。何という余韻もなく、半透明で大きな大きな膜の世界に放り込まれた。

 

静寂があった。やがてドンという音とともに暗闇が広がった。そこからは、変化のない無であった。

 

体躯には意識と呼べるほど高尚なものは持ち合わせていなかった。ただ、使い主の笑顔、思いつめたような表情、知的な好奇、期待、落胆、こうした一切の姿が、体躯の体験として残された。

 

髪を結った、まだ頬に丸みのある使い主とは、永遠のさよらならだ。あれほど一体感を共有した体躯の存在も、使い主の記憶から、あれという間に消え去ろうとしていた。

 

使い主の顕在意識からは、確かに姿を消したようだった。体躯は使い古されればあれという間に代わりが提供される。一つ一つに個別の思い出など残るはずもないのだ。だが、ただの物ではあっても、それぞれがしかとした存在であることに違いはなかった。言葉の交流はできなくとも、使い主との間に、個別具体的な関係はしっかりと築かれていた。そのときそのとき現れる心情を、共有していた。

隠れた同志であった。

 

一つ一つの物に、使い主の存在を彩らせる力があった。その出会いと体験は、世界のそこかしこで展開されていた。

 

主人公は、物を含めた存在すべてであった。

【短編】目覚め

前触れなく、そのときは訪れた。自らを遠巻きに囲む者たちの関心を、肌がヒリヒリするほどに感じた。

黒く、こんもりと盛り上がった自らの肉体に、柵の向こうから多くのジャンパーが白い顔を向けている。ああ、今、「見られて」いる。

これまで、ただ吸い、吐き、食べ、寝て暮らしてきた。何の迷いも疑いもなかった。それが、ひとたび自らならざる者の視線に気づいたとき、もうそれまでのように安穏無心にはやっていけないだろうことを、おぼろげながら感じた。

「かわいいね」

柵の向こう側で、お嬢ちゃんが傍らの父親につぶやいた。「そうだね。でもさ、ゴリラさんって、すんごい力持ちなんだよ」

こちらに視線を向ける2人組に、これまでになかった恥じらいのようなものを感じた。見られるという感覚が、自らから自由を奪い、動きの一つ一つをぎくしゃくとさせた。

自らと、自らならざる者。その違いに気づくのが自覚であり、文明の世界への一歩となった。

図らずも人間の世界に足を踏み入れた今、柵の向こうから呼ばれる「サクラ」という名がこの肉体を示すことを理解するのは実にたやすかった。

一度目覚めると、目にするあらゆるモノや出来事が秩序によって整えられていることに気づき、おののいた。

日が昇る。茶色い服が、朝の餌を与えにやってくる。しばらくすると、何かもごもごした大きな声が聞こえる。開場だ。朗らかな表情のジャンパーや帽子がやってくる。こちらに指を差してニコニコしてもらえるのは、なんとも気分がいい。やがて日が暮れる。再び茶色い服が餌を与えに訪れる。ジャンパーも帽子もいつしか夕やみに溶けて消える。茶色い服が、ガチャリと柵に細工をし、そこからは静けさだけの世界だ。

「時間」という概念を理解した。そのときそのときに起きる出来事を、興味関心の目でとらえ直していく中で、ルーチン、役割といった文明社会の骨組みをスルルと吸い込んでいった。

自らのいる世界は、これほどまでに奥行のある世界だったのか。

サクラは認識が一段階上がったことを実感し、文明の一員となったことの優越をかみしめた。もはや「見られる」だけの存在ではなかった。自覚した者として、世の中をしっかりと見回し分析し、理解していた。

自らの覚醒に気づいた者は、誰もいなかった。茶色い服は相も変わらず淡々と餌を与えつづけ、同じ柵の内の仲間たちは、何を感じるふうでもなく野性のまどろみに安穏としていた。

どう、出るか。

サクラは、迷った。さらに一歩、文明世界の奥に踏み込んでみたかった。ここで、茶色い服に何らかのアプローチをしたらどうなるだろう。きっと自分は大きな注目を浴びることになるに違いない。そして、なにがしかのチェックを受けるのだろう。ただ、そのあとは、どうなるか。全く分からない。それでも、自分を自分として見てくれるようになることは間違いない。進むか、とどまるか。

決心を下せぬまま、日が過ぎ、季節が移ろった。

煩悶を抱えながら自覚した日々を重ねるうちに、サクラの中でまた新たな心境の変化が起こった。それは必ずしもありがたい変化とはいえなかった。

文明社会のルーチンは、見方を変えると束縛であった。茶色い服やジャンパーは、それぞれの役割を担っているようにみえたが、どこか硬直していた。秩序や分析は、世の中に安寧をもたらしている代わりに、意味の世界に縛り付け、本来持つみずみずしさを損なわせていた。少なくともサクラには、そうみえた。

決めた。これ以上は進まないと。それだけではなかった。せっかく足を踏み入れた文明の玄関口から、引き下がることにしたのだ。

文明は、見た。その奥行もうかがい知った。でも、いい。何か、大切なことがあったはずだ。

自覚する前、サクラには束縛や硬直とは無縁であった。時間も定義もなく、ただ匂いがあり、味があり、落ち着きがあった。自らもなく、相手もなく、柵もなければ境界もなかった。あらゆるものと意識せずゆるやかにつながっていた。文明が犠牲にしたかもしれないものを、豊かに持ち合わせていた。

文明に、人類にひたと近づくことができた絶好のチャンスを、自らの意志で手放した。その判断は「退行」と呼べるものだったか。それは分からない。ただ、立ち止まることなく文明と呼ばれる自覚と分析の流れに身を任せていくことは、「進化」とはいえないだろう。

野性のまどろみの世界に戻ったサクラは、再び生の力を発現するかのように見事なドラミングを披露するようになった。柵を挟んで向かい合っていた親子連れは、どこかありがたく懐かしいものを眺めるかのように目を細めた。

【短編】現実×教育

〇✖県が、学校現場のドラスティックな改革に踏み切った。
 
その名も「現実教育」。
 
競争、対立、裏切りー。世の中の醜い実態を、早いうちから子供たちに教え込もうという試みだ。
 
「次代を担う子供たちに、打たれ強い人間になってもらいたいんです」
 
報道陣に語り掛ける知事の言葉には、熱がこもっていた。
 
世の中は、いつも理屈が通るとは限らない。力のある者のいうことが幅を利かせるなんてことはざらにある。平等?公平?そんな上っ面だけの理想にすがっていては、厳しい世間を渡っていけないよ。人間は競い、争い、ときに相手を叩き落とすぐらいの醜さをさらす生き物なんだ。
 
現実を早いうちから学んで、生きる力を養うんだ。ときに争いも厭わないぐらいのずうずうしさを身につけろ。
 
理想ばかりが詰め込まれた従来の教科書に飽き足らず、教壇の大人たちは世の中で日々繰り広げられている争いごとを隠すことなく伝えていった。
 
聖人君子と呼べるような人間は、この世にほとんどいない。シンデレラストーリーは、映画の中だけの話だ。「あしながおじさん」は、いないんだよ。
 
間もなく、保護者の中から反発の声が沸き起った。「そんな夢も何もないことばかり教えて、立派な大人になれますか」
 
一理あった。新方針が導入されてからものの数か月で、子供たちの瞳から純朴さが薄れたように見えた。それまでにはなかった、「疑い」という名の濁りが居場所を得たようだった。
 
新方針が導入されてから半年。最初の冬がやってきた。冬休み前の全校集会で、校長がいつものように冷めた口調で訓示を垂れた。
 
「みなさん、宿題をしっかりしましょう。努力をしない人は、社会に出て生き残っていけませんよ」
 
ここで終わってもよかったが、校長は今少し話を続けた。
 
「明日はクリスマスイブです。まあ皆さんお分かりかと思いますが、サンタクロースなんてものは、存在し・・」
 
言い切らないうちに、集団の奥からひときわ大きな声があがった。
 
「します!」
 
最高学年の少年だった。「サンタクロースは、存在します。心の清らかな子のおうちに来て、プレゼントを置いてくれるんです」
 
校長が驚いて少年を見つめた。なんとまあ、半年たって尚、お伽噺と現実の区別がつかない児童がいたとは。
 
少年の瞳は、しかし校長の考えるほど単純な色をしていなかった。
 
輝きというよりも、憂いがあった。理想に代わって、警戒と緊張があった。そうでありながら、言葉に表しようのない覚悟があった。
 
少年は、分かっていた。サンタクロースという名の存在の実際を。半年間におよぶ現実教育の中で、甘くない世の中の枠組みをおおよそ掴んでいた。ただ、その過程で心中に予想もしない変化が起きていた。
 
弟たちを、妹たちを、守らないと。
 
厳しさを知ったことで、自分より幼い世代を荒波から守ろうとする責任感が芽生えていた。心から純朴さを色あせさせかねない、現実教育の危険性を自覚していた。心とからだの成長段階によって、知っていいこと、まだ早いことというものがあることに気づいていた。
 
少年は、いつしか「方便」という処世の術を身につけるほどに心の成長を遂げていたのだ。
 
その場に居合わせた1年生たちは、一様に嬉しげな表情を見せた。「やったあ、サンタさん、くるんだ」

活気づく1年生のグループに、少年の頬もようやく緩んだ。

子どもの力を、侮るなかれ。子どもには、大人が思う以上の理解力と想像力、配慮の力がある。子どもにもっと、世の中の現実を教えていくことも、わるくないかもしれない。予想をはるかに上回る成長を見せてくれる可能性があるからだ。

校長は、ようやく少年の心裡を理解した。「そうだね、サンタクロースは、存在するんだよね」

小さくうなづくと、感嘆のため息を漏らした。

【妄想SHOW】6・AI×哲学

AI開発競争で先頭グループを走る〇✖大学の山田教授は、遂にユニークなソフトを生み出した。

 

バーチャル有名人出現機。

 

古今東西の文化人、経済人、アスリート、ロビイスト。名のある人物であれば、ワードを入力するなり3D画像で本人が登場し、生前の本人そのままに立ち居振る舞い、考え、発言してくれる。というのも、本人にまつわる文献、映像、伝聞、あらゆるデータを内蔵している。そこにAIの推測機能が加わることで、本物もさぞビックリのバーチャルパーソンが現れるという仕掛けだ。

 

「ふっふ。これで一つ面白いことでもしてみよう」

 

山田教授はいたずらっ気もあらわに、パソコンの前に座った。ソフトを起動すると、キーワードの入力居面上に「実存とは」と打ち込んだ。

 

小難しい哲学的テーマを持ち出し、あとはAI内のバーチャルセレブたちにたっぷり激論を交わしてもらおう。さてさて、どんな答えが出てくるかしら。

 

「cogito, ergo sum」

 

聞き慣れない発音とともに現れたのは、長髪の西洋人紳士。古めかしい一張羅が、中世を思わせる。おお、この御仁はもしや・・

 

そう、現代に至るヨーロッパ哲学の礎を築いたともいうべき哲学者・デカルトだ。「我思う、ゆえに我あり、ですな」。世界のあらゆるものが嘘幻だったとしても、こうして今何かを考えている私自身は存在する。「考える私」こそが実存なのだ。おお、なんと芯を突く論理。これで万事決着か。

 

「私はねえ、常々疑問に思っていたんですよ」

 

浴衣姿で現れたのは、グリグリ眼鏡が印象的な老紳士。頬がこけ、求道者を思わせる風貌は、そう、日本が生んだ希代の哲人・西田幾多郎だ。

 

「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」

 

考えているから「私」があるという理屈は飛躍している。確かなのは「考える」という事実のみ。行為つまり「体験」こそが真実なのだ。私もあなたも、鳥も草木も、同じ空間のなかにある一つの「体験」としてゆるやかにつながっているのだよ。

 

東西の知恵がぶつかり合った。むおお、こういうのが見たかった。どうなる実存!

 

「・・・」

 

気付くと2人の隣にもう1人いらっしゃった。切れ長な目で虚空を見つめ、没我の世界に浸るその御方は、まごうことなき釈迦牟尼仏陀であった。

 

存在とは何か。死とは何か。死んだ先に何があるのか。私はなぜ存在しているのか。答えの見つかりようもない、形而上の疑問について、仏陀は常に返答を拒んだとされる。いわゆる「無記」だ。目の前の苦を取り除くことに、意識を注ぎなさい。

 

沈黙が、しばしバーチャル空間を包んだ。このまま、黙してお開きとするべきか。空気を読んだ山田教授がためらいがちに「セッション中止」ボタンを押そうとした、そのときだった。

 

文字通り、静寂を破って画面上に飛び込んできたのは、細身でスタイル抜群の東洋男子。おお、あの銀幕の大スター、ブルース・リーではないか!

 

「don’t think. Just feel」

 

考えるな、感じるんだ。おお、なんとシンプルでハートに刺さる言葉。これだ、「実存」なんて小難しいことを考えるんじゃない、その日その日、今この瞬間に感じているそのことが大切なんだ。

 

場が少し暖まってきた。やっぱり活力って大事だな。でも何か、もうひとこえ、元気の沸いてくる答えがあるとありがたいんだけど・・・

 

山田教授のやや物足りなげな心中を察したかのように、バーチャルセレブ4人の後方から人影がのたりのたりと歩み寄ってきた。あれ、ダンディな横顔、見たことあるぞ。

 

縮れたもみあげがワンダフルさをかもしだすその男。映画スターの三船敏郎だ!

 

世界のMIFUNEは、何も語らなかった。その代わりに、さりげなく後ろのスクリーンに目をやった。スクリーンには、こう書かれていた。

 

「男は黙って、サッポロビール。」

 

そんな答えを、待っていた。

 

山田教授は、パソコンをそっと閉じ、夕暮れ時のネオン街へ繰り出していった。

【ざんねんマンと行く】第39話・AIに越されそうな男

はぁ~

 

カウンターの隣から、やたらため息が漏れてくる。なんだようまったく、辛気臭いなあ。

 

駅前のこじんまりした居酒屋。人助けのヒーローことざんねんマンは、熱燗をチビチビやりながらしっぽり「お一人様」を楽しんでいたが、途中からやってきたサラリーマンに何だか雰囲気をぶち壊されてしまった。

 

横目でちらりと風体を確かめた。年の頃はアラフィフか。しわしわのシャツが男やもめを物語る。そんなにため息付いてたら、貧乏神だって逃げ出しちゃうよ。

 

ちょいと元気づけでも、するか。

 

ざんねんマン、枝豆の入った手元の小皿を隣のリーマンに差し出した。これ、ちょっとあまりそうなもんで。よかったら、どうぞ。

 

「あ、いいんですか、すいません」

 

リーマンのほっぺにちょこっと笑みが漏れた。どうぞどうぞ。一人で呑んででもつまらなくって。まあとりあえず、乾杯。

 

お猪口同士でカチャリと響かせる。ああ、このなんということもない仕草の一つで、気持ちってのはほだされるもんだなあ。二人とも、猪口の液体をゴクリと飲み干すと、あぁ~と大きく息をついた。

 

景気は良くならないし、物価は上がる一方だし、もうやってられないですよねえ。

 

ざんねんマンが、話しかけるともなくつぶやいた。リーマンも続いた「その通りですよ」

 

乾杯でひと心地ついたか、リーマンは問わず語りに自身のことを話しだした。都内のしがない中小企業で働いていること。管理職であること。上からは業績低迷を責められ、下からは環境改善の要求が激しくって、もう息が詰まってたまらないこと。

 

最近、会社は今はやりのAIとやらを導入し始めた。やれ業務管理アプリだの、顧客サービス用BOTだの。24時間365日仕事をしてくれるRPAっていう人工知能まで幅を利かせてきて、おいらの居場所は日に日に狭まるばっかりだ。

 

「もうね、私みたいな時代遅れの人間なんて、そのうちAIに追い越されちまうんじゃないかってね。ははは」

 

リーマンが乾いた笑いを漏らした。チラリ隣のざんねんマンを見やった。「そんなことはないよ」と否定してくれるよね。顔はそう物語っていた。

 

まあ、そういうところは、あるのかもしれませんねえ

 

空気を読めないざんねんマン、残酷な一言でリーマンを落胆の底に陥れてしまった。

 

リーマン「そう、ですよね。おいらなんか、お払い箱なんだ。AIのほうが、よっぽど優秀なんだ。そうだよな。もう今日は、徹底的に飲み倒してやるぞ・・」

 

早くも酒に逃げようとするリーマンに、人助けのヒーローが喝を入れた。おたく様ねえ、落ち込むの早すぎですよ。たしかにAIにもう追い越されてしまってるかもしれませんけど、お払い箱になるってのは極論ってなもんで。

 

「ど、どういうことだ」

 

リーマンは猪口をくちびるに付けたまま、手を止めた。

 

そりゃあねえ、お宅様はぱっと見、映えないですよ。仕事もできないかもしれない。部下にも慕われてないかもしれない。でもね、だからこその味わいってのがあるでしょうよ。

 

リーマンはイライラがわきあがるのをなんとか抑えながら、ざんねんマンの言うところを理解しようと頭の中で反芻した。

 

味わい、か。確かにおいらはボンクラ管理職だ。人をうまくまとめて動くのが苦手だし、上司におべっかを使うのも下手。飲み会では頑張ってダジャレで場を沸かそうとして、毎回見事にスベッている。でも、そんなへっぽこ社員のおいらでも、「愛嬌がある」ってひいきにしてくださる取引先もいるんだよなあ。部下たちも、なんだか分からないけど、おいらの部署に配属されたら、みんなリラックスしているよ。

 

そこですよ

 

ざんねんマンがつぶやいた。お宅様ね、お宅様は自分のことをグズでスベりまくりでミスしまくりのダメ人間だと思っているかもしれないですけど、それってAI、全部できないですから。

 

AIは、計算も予測も完璧だからこそ、ミスすることがない。繰り出す手はいつも最適解ばかりだ。だが、それだけに味気がないともいえる。オチまで緻密に計算し尽されたトークは、果たして本当に面白いといえるだろうか。たまにスベるからこそ、ネタに深みが増すんじゃないだろうか。

 

失敗して、恥かいて、穴があったら入りたくなるような姿をさらしてこそ、それを見た人の共感を呼ぶのではないか。

 

だとしたら、これまで失敗だらけの人生を送ってきたおいらこそ、AIもはるかに及ばない巨人といえるのかもしれない。

 

「そうか、俺は、AIよりすごい男なのか・・」

 

リーマンは止まっていた指を再び動かし、猪口の液体をゴクリと飲み干した。「兄さん、今日はありがとう。なんだかおいら、元気が出てきたよ」

 

リーマンはその後、職場で以前にはなかったはつらつさを醸し出すようになった。仕事では相変わらず凡ミスを繰り返したが、もう落ち込むことはなかった。だっておいら、人間だもの。完璧ははなから無理だよ。飲み会でも、相変わらず冴えないダジャレでスベった。が、羞恥で顔を赤らめることはなくなった。スベッてスベッて、見事にスベりきった。

 

おいらはこれでいい。失敗だらけの、人間さ。AIなんか、追いつこうたって、絶対にできないんだ。

 

全身から自信をあふれさせ、てらうことなく失敗談と冴えないダジャレを繰り出し続けるようになったリーマンのことを、周囲はいつしか「AIが絶対に追い越せない男」と畏敬の眼差しで見上げるようになった。

 

さまざまなアプリやらソフトやらが人間の仕事を奪っていく中、リーマンは独特の愛嬌でマニアなファンを社内外でがっちりつかみ、厳しい競争の嵐をくぐり抜けた。臆せず連発するダジャレも、「聴いてるとなんだか安心する」と本来の趣旨とは違った形ながら周りに受け入れられるようになった。

 

AIが人間を完全に追い越す日は、遂にやってこないのかもしれない。人間が失敗し、スベり、羞恥にまみれる限り、永遠にたどり着けない壁であり続けるといえる。嘆かわしくもかわいげのある、人間という生き物であることは、実に不思議でありがたいことなのかもしれない。

 

一人のリーマンの心を救ったざんねんマン。再び例の居酒屋でしっぽり「おひとり様」を楽しみながら、「あのおいさん、ダジャレの中身はさすがに見直したほうがいいと思う」と心の中で突っ込みを入れたのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【サラリーマン・妄想SHOW】5・就任第一声

え~、このたび首相の重職を拝命いたしました、山田寅太郎でございます。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

国民生活を守るため、身を賭して尽力する所存でございます。

 

疫病流布、諸物価高騰、国際争乱。まさに国は未曽有の危機にあります。

 

皆さまご高覧のとおり、我が国の財政は逼迫の度を高めております。国の借金がGDPの10倍を超えるような有様で、社会保障を手厚くしようにも先立つものがございません。

 

私は正直に申します。もう、お金がありません。打ち出の小づちは、ございません。これが現実です。私たちの世の中は、私たち自身でなんとかしていくしかないのであります。

 

まだ、打つ手はあります。私は呼びかけます。日ごろお世話になっているあの人に、贈り物をしましょう。例えば奥様に、花束を。奥様の心に、パッと花が咲きます。それだけではありません。プレゼントをしつらえた花屋さんも、懐がポッと温まるわけでございます。

 

旦那さんには、とびきりのクラフトビールなんか、いかがでしょう。喜ばれるでしょうなあ。ビールを卸した酒屋さんも、一息つけますよ。

 

みんながちょっとずつでいいから、お金を使う。モノと気持ちを贈る。そうしていくうちに、世の中のマインドが前を上を向いていく。お金の巡りもよくなっていくのでございます。無理に公共工事を増やさなくても、増税しなくても、身近にやれることはあるのでございます。

 

さあ、動き出しましょう。

 

(しばし報道対応)

 

じゃ、私はこれから一件用事がございますので、失礼。

 

・・・

 

誰か就任演説で呼びかけてくれないだろうか。国の手出しゼロで、世の中の景気が相当に良くなると思うんだけどなあ。

 

【サラリーマン・癒やしの和歌】場面の切り替えの妙

万葉集は5・7・5・7・7の定型スタイルのほかに、5・7を繰り返す長歌というジャンルの作品も多い。

 

これがまた、リズム感あふれ、そらんじてみると自分自身の気分まで乗ってくる。いわば日本のラップだ。

 

それに加えて、場面描写の妙が際立っている(と私が感じる)作品をご紹介したい。日本人ならどなたでも知っている、あの物語だ。長い作品なので、冒頭部分と締めの部分を載せる。

 

春の日の 霞(かす)める時に 住吉(すみのえ)の 岸に出(い)で居て


釣舟(つりぶね)の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 

 

水江(みずのえ)の 浦の島子が 鰹(かつを)釣り 鯛釣りほこり

 

七日まで家にも来(こ)ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに

 

・・・・・・(中略)・・・・・

 

足ずりしつつ たちまちに 心消失(こころけう)せぬ 


若くありし 肌も皺(しわ)みぬ  黒くありし 髪も白(しら)けぬ

 

ゆなゆなは  息さへ絶(た)えて 後(のち)つひに 命死にける

 

水江(みずのえ)の 浦の島子が 家のところ見ゆ

 

万葉集巻9-1741)

 

いわずもながだが、上記は「浦島太郎」の物語だ。

 

あらすじはどなたもご存じのとおり。驚くような内容はつづられていない。

 

だが、何度か読み直してみると、シーンがあるところで一瞬にして切り替わっていることにしびれる。現実の世界から、物語の世界へ一気にいざなっているのだ。

 

冒頭の「春の日の かすめるときに・・」は、詠み手が実際に目にした光景だろう。のどかな近畿の海辺に、釣り船が漂うのが見える。その光景にしばらく浸った後に、ふと昔から伝え聞いてきたあの物語が脳裏によみがえる。

 

そのあとは急展開に次ぐ急展開の、浦の島子のストーリーだ。

 

玉手箱を開けてしまい、たちのぼる煙に驚き逃げ惑うが、たちどころに老いこみ命を失う。

 

そこまで描き切ったところで、再び冒頭ののどかな釣り船シーンに戻ってくる。

 

まるで一大SF映画を観ているかのような、ダイナミックさを感じた。

 

描写の切り替えを巧みに生かし、物語に奥行きを持たせる。万葉人の演出力、おそるべし。

 

詠み手は高橋虫麻呂という。ほかにもすばらしい作品を生み出している。またあらためて紹介していきたい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【サラリーマン・宇宙感動記】地球の常識、宇宙の非常識

地球人の目線から考えるとしごく当然のことが、宇宙全体からみると例外的で珍しいーといったことがある。

 

日が昇り、沈む。一日が過ぎる。

 

これ自体、珍しい。

 

私たちの太陽系に最も近い恒星系として、ケンタウルス座アルファー星が知られている。光の速さで約4年かかった先にある天体だ。

 

ここにも地球と同じような岩石惑星があることが確認されている。その名を「プロキシマ・ケンタウリ」という。プロキシマとはスペイン語で「最も近い」を意味するらしい。

 

この惑星、実は「1日」がない。日の出も、日の入りも、ない。いわゆる、時間の変化が、ない。

 

惑星が主星(地球にとっての太陽)に近すぎる影響で、地球のようにクルクルと自転することができなくなっている。これを「潮汐ロック」という。

 

潮汐ロックが掛かってしまうと、例えば主星を向いている面は永遠に昼となり、反対側の面は永遠の漆黒となる。

 

もしこの惑星に生物がおり、宗教が生まれていると仮定しよう。

 

その場合、地球のキリスト教のような「創世記」は生まれない。宇宙が誕生して〇日目に何が起きたーということはありえない。「1週間」があり、「安息日」があり、といったこともない。こうしたもろもろのことが、その惑星の住人たちにとっては「非常識」となる。

 

よくよく調べると、今地球人が把握している系外惑星(約5000個)のうち、潮汐ロックに掛っていないものは数えるほどしかない。

 

我々地球人の常識が、宇宙にとっては必ずしもそうでないということに気づかされる。

 

不思議な感慨を覚える。

 

思考を柔らかく、夜空を見上げると、無限の気づきと感動がありそうだ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【サラリーマン・妄想SHOW】3・こんな「引っ越し」できたらなあ

人類を火星に送る計画が進んでいる。

 

いつかくる地球の環境危機に備えて、避難先を用意しておこうというわけだ。

 

だが、これだと移住できる人類が限られるだろう。

 

イーロン・マスクのおっさんでも頑張ってウン万人だろうか。

 

そこで、日本のしがないサラリーマンである私は思うのである。

 

地球の軌道そのものを移動させてしまえばいいじゃないか。

 

文字通り「宇宙船地球号」だ。

 

少しずつ軌道をずらし、フライバイを重ね、やがて太陽系を離れる。

 

目指す先は、お隣の恒星系であるプロキシマ・ケンタウリ。そこなら恒星の寿命も長く、人類もお天道様の恵みに預かれる。

 

ここで疑問が沸くだろう。どうやって地球の軌道をずらすのか?と。

 

その方法は、先日アメリカのNASAが成功した実験にある。その名は「DART計画(Double Asteroid Redirection Test)」。

 

小惑星に弾丸をぶつけて、軌道をそらす。この困難なミッションを、NASAは見事にやってのけた。

 

これを繰り返す。小天体体クラスから衝突を重ねていって、だんだんと大きな天体の軌道を動かしていく。地球サイズの天体を、わざと地球に近づける。

 

ぶつけると元も子もないので、あくまで近づけるまで。そして相手の重力を活かして、地球がフライバイ効果で既存軌道より外側に飛び出ていくというわけだ。

 

私たちのボイジャー1号2号も、惑星に近づいてフライバイで太陽圏を脱出していった。

 

太陽圏を離れると大気が絶対零度近くまで下がる。どうやって生き残るのか。

 

地下に潜ればいい。エネルギー源は、原子力だ。

 

あと百年もしたら、核融合を軸にした発電が実用化されるだろう。この技術を活かし、しばし数百万年の漆黒を生き延びるのだ。

 

誰かは「それでは寂しすぎる」というかもしれない。もう地上を闊歩できない。青空も見れないし、澄んだ空気も吸い込めない。小川のせせらぎも、ない。

 

ただ一つだけいいたい。

 

ただの一人も取り残されない。

 

みんな、一緒なのだ。

 

みんなで「引っ越し」、できたらなあ。

 

〜お読みくださり、ありがとうございました〜

【サラリーマンの第2外国語挑戦】10・新たな学習法を試せる

簡単な自己紹介です↓

ojisanboy.hatenablog.com

 

第二外国語を学ぶことには、第一外国語(英語が大半だろう)にはない楽しさがある。少なくとも私の場合はそうだ。それは

 

語学の新たな学び方を試せる

 

ということだ。私は中学生のときに初めて英語の教科書に触れて以来、日本のオーソドックスな教育システムに沿って英語を学んできた。つまり、文法重視の教え方だ。

 

SV、SVC、SVO、SVO1O2、SVOC、といった具合だ。

 

確かに文法をつかめば、英語はほぼ支障なく理解できるし、書けるし、ある程度は話せる。ただ、ちょっと楽しくない。文法ルールを覚える段階で挫折する人は少なくないだろう(それは教え方にも問題があると思う)。

 

それでも努力していると読み書きができていくわけだが、このやり方だけが語学の道でもないんじゃないか、そんなことを思ったものだ。

 

それを試せるのが第二外国語、というわけだ。私の場合は中国語を選び、しこしこと言い回しを覚えている。

 

ただ、文法を覚える道はとらなかった。なぜかというと、面白くもなんともないからだ。ある人はいうかもしれない。「そんなんじゃあまともな中国語を話せるようにならないよ」と。

 

ええ、構いません。私は仕事で中国語を使おうとは思っていない。あくまで趣味であり自分の興味関心のためであり、潜在的に10億人以上の人々と友達になりたいだけだ。だから、正確極まりない中国語を話せるようになろうなどとは全く思っていない。まあ正直にいうと、老後に通訳ガイドなんかで小銭稼ぎができるようになったらありがたいかなとは思っている(英語と中国語と日本語が話せれば需要はあるはず!)。

 

とまれ、いろんな試みを実践している。まず、文章重視ではなく会話表現重視。実際に、若い人たちをはじめ、現地の人々が「話す」表現を優先的に覚える。日本語でいう「ウケる~!」は、中国語で「笑死我了(xiao4siwo3le)」だ。

 

せっかくこの時代に生まれたのなら、国際共通語(英語)だけでなくエスニックな言葉も話せるようになりたい。そうしたら友達の輪がもっと広がる。たくさん友達をつくって、仲良くなりたいものだ。

 

ということで、英語が好きな方は特に第二外国語をすることをおすすめしたい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~