おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 第36話・「ツイてない」男の逆襲

まったく、運に見放された人生だ。

太郎は沈んでいた。先日、外回りの仕事で大通りを歩いていると、空から鳩のフンが降ってきた。スーツの肩にびちゃり。ハンカチで必死にふいたけど、シミがばっちり残っちゃった。おかげで、営業先で変な顔されてしまったよ。

身だしなみを整えられない非常識な人、って思われたかなあ。かといって、「違うんです、ついさっき、鳩が落としやがったんです」なんて言い訳がましく切り出すのも変だったし。まったく、ツイてないよ。

思えば、ツイてないこと続きだ。宝くじ、当たったー!と飛び跳ねたはいいけど、よく見たら組が違ってた。家族にぬか喜びさせちゃって、祝賀会モードが一気にお通夜状態だ。「わざわざ上げてから落とさないでくれ」と父親に真顔で言われたときは、自分の不運を呪ったね。

ほかにもいろいろある。大学受験のとき、雪の積もった路面で思いっきり滑った。そう、滑った。受験の結果は・・思い出したくない。そういえば、その年に神社でひいたおみくじは、「凶」だった。

ツイてない。こんな僕の人生、どこかで区切りをつけたい。運命を、変えたい。運命の神様、どうか僕の願いをきいてくださいまし~!

発された心の叫びを、むげに聞き流すことのできぬ男がいた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。午睡をむさぼっていたが、はらりと布団をまくり上げ、太郎のいる鹿児島へと向かった。

おお、あなたが運命の神様ですか・・

太郎、突然現れた男に、しばし言葉を失った。「神様、どうか願いを叶えてくれませんでしょうか。あなたの、マジカルパワーで。僕を『運を呼ぶ男』に!」

マジカルパワーって、そんな。私は、申し訳ないですけど、そのサイキック系の能力は持ち合わせておりませんよ。

「ええっ?!嘘でしょ、じゃああなた、来た意味ないじゃん」

太郎が一気に興ざめする。罪もないのにダメ出しされたざんねんマン、少し傷心に浸った後、つぶやいた。

「運」だとか、「ツイてる」だとか。ずいぶんとまあ、掴みどころのない話ですこと。

「なんだとぉ?!あんたなあ、たしかになあ、運ってのは、あるんだよ!僕なんか、ツキに見放されまくってるんだぞう!鳩のフンかぶる人って、なかなかいないよ?おみくじで「凶」引く人なんて、レアだよ?もう、泣けてくるよ」

泣けてくるって、大げさな。ただ、鳩のフンをくらって、「凶」引いただけじゃないですか。あ、あと、滑ったんですね。それは残念でした。ですけど、まあその、深刻に考えすぎなんじゃないですか。

「お、おおげさだとお?!鳩のフンを、甘くみるんじゃないぞう!結構くさいよ!若い女の子とかがくらってたら、目も当てられないよ。あとなあ、「凶」なんて引いたら、普通の受験生は即倒するぜ。元気失うよ」

太郎はたしかにちょっとかわいそうな面はある。が、少し見方を変えてみれば、太郎のおかげで周りの人が助けられたと考えられなくもない。「まあ、受け止め方次第で、あなたの『運』も結構変わってくるんじゃないですか」

やや投げやり気味に答えたざんねんマンの言葉に、だが太郎が反応した。もう、こうなったら何でもすがってやる。受け止め方、か・・・

太郎は腕組みし、瞼を閉じた。これまで、自分のことしか考えてこなかった。自分という狭い世界の中だけで眺めると、出遭うことがらは不運ばかりだった。でも、ひとたび周りに視野を広げると、確かに違う光景が浮かんできた。

 

ひとたび周りに視野を広げると、確かに違う光景が浮かんできた。

鳩のフンをくらったあの日。もし僕がちょっと早足で歩いていたら、後ろを歩いていた人が代わりに臭い“洗礼”を受けていたのかもしれない。僕が神社で「凶」を引いたおかげで、誰か別の受験生が悲壮感にさいなまれることはなくなった。誰か、周りの人を救うことができた、そう考えられなくもない。

「僕は、誰か周りの人を守ったともいえるのか・・」

今、はじめて太郎は自分の人生に光明が差し込むのを感じた。僕自身は「不運な男」かもしれない。でも、同時に誰かを不運から守る「守り神」でもあるのだ。

「僕、元気、出てきたよ」

太郎の言葉に力がみなぎった。不思議そうに見つめ返すざんねんマンを再び東の空へと送り出すと、実にすっきりした表情で夕暮れどきの銭湯に向かった。

それからの太郎は、職場であれ、家庭であれ、態度が変わった。何より、全身に自信がみなぎった。「僕は、不運なだけじゃない」

こないだは、路上で犬のふんを思いっきり踏んじゃった。おかげで、後ろを歩いていた女子高生は助かったと思う。自分でいうのもなんだけど、僕はまあ、守護神みたいなもんだな。

いつもどこか侘しい雰囲気のぬぐえなかった太郎が、活力とユーモアのある青年に変わった。職場でも、過去の“不運ストーリー”を臆さず話しだした。周りからはいつしか「ガーディアン・太郎」と呼ばれ、慕われるようになった。

太郎さんと一緒にいると、何かいいことが起きる、いや、悪いことから守ってもらえるーとのうわさがひろまった。太郎から半径5メートル以内のエリアは「太郎バリヤー」と密かに名付けられ、人事異動では太郎の両隣と前の席を希望する若手が続出する事態となった。

その後も相変わらず、太郎はツキに見放された。先日は、セミに小便をかけられた。電車待ちのホームで、酔っ払いにからまれた。それでも、太郎はひねくれることはなかった。僕は、誰かの役に立った。のかもしれないのだ。

降りかかる出来事は同じでも、見方を変えることで、景色がひっくり返る。心持ちが、変わる。不思議なものだ。

自らの不運っぷりとは裏腹に、周囲を惹き付けるようになった太郎。それまで周りから気づかれることもなかった、生来の真面目さと少しのユーモアを理解してくれる人が増え、職場の人間関係は以前にまして良くなった。仕事のパフォーマンスも上がり、やがて待遇にも反映された。それは、もはや「運」頼みではなく、太郎の本来持っている素質という「実力」のもたらした果実であった。

人生に自信を取り戻した太郎、その後も折々にざんねんマンのことを思い出した。「甘い気持ちに喝を入れてくれた、あのおじさんに感謝だ。マジカルパワーなんかに頼ることなんかなかった。最後は、自分の心持ちだったんだ」

一方のざんねんマン。太郎の心境の変化を知るよしもなく、「あの青年、また『トンビにかき揚げさらわれた~』とかいって泣いているんだろうなあ」と憐憫の情を抱くのであった。