AI開発競争で先頭グループを走る〇✖大学の山田教授は、遂にユニークなソフトを生み出した。
バーチャル有名人出現機。
古今東西の文化人、経済人、アスリート、ロビイスト。名のある人物であれば、ワードを入力するなり3D画像で本人が登場し、生前の本人そのままに立ち居振る舞い、考え、発言してくれる。というのも、本人にまつわる文献、映像、伝聞、あらゆるデータを内蔵している。そこにAIの推測機能が加わることで、本物もさぞビックリのバーチャルパーソンが現れるという仕掛けだ。
「ふっふ。これで一つ面白いことでもしてみよう」
山田教授はいたずらっ気もあらわに、パソコンの前に座った。ソフトを起動すると、キーワードの入力居面上に「実存とは」と打ち込んだ。
小難しい哲学的テーマを持ち出し、あとはAI内のバーチャルセレブたちにたっぷり激論を交わしてもらおう。さてさて、どんな答えが出てくるかしら。
「cogito, ergo sum」
聞き慣れない発音とともに現れたのは、長髪の西洋人紳士。古めかしい一張羅が、中世を思わせる。おお、この御仁はもしや・・
そう、現代に至るヨーロッパ哲学の礎を築いたともいうべき哲学者・デカルトだ。「我思う、ゆえに我あり、ですな」。世界のあらゆるものが嘘幻だったとしても、こうして今何かを考えている私自身は存在する。「考える私」こそが実存なのだ。おお、なんと芯を突く論理。これで万事決着か。
「私はねえ、常々疑問に思っていたんですよ」
浴衣姿で現れたのは、グリグリ眼鏡が印象的な老紳士。頬がこけ、求道者を思わせる風貌は、そう、日本が生んだ希代の哲人・西田幾多郎だ。
「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」
考えているから「私」があるという理屈は飛躍している。確かなのは「考える」という事実のみ。行為つまり「体験」こそが真実なのだ。私もあなたも、鳥も草木も、同じ空間のなかにある一つの「体験」としてゆるやかにつながっているのだよ。
東西の知恵がぶつかり合った。むおお、こういうのが見たかった。どうなる実存!
「・・・」
気付くと2人の隣にもう1人いらっしゃった。切れ長な目で虚空を見つめ、没我の世界に浸るその御方は、まごうことなき釈迦牟尼・仏陀であった。
存在とは何か。死とは何か。死んだ先に何があるのか。私はなぜ存在しているのか。答えの見つかりようもない、形而上の疑問について、仏陀は常に返答を拒んだとされる。いわゆる「無記」だ。目の前の苦を取り除くことに、意識を注ぎなさい。
沈黙が、しばしバーチャル空間を包んだ。このまま、黙してお開きとするべきか。空気を読んだ山田教授がためらいがちに「セッション中止」ボタンを押そうとした、そのときだった。
文字通り、静寂を破って画面上に飛び込んできたのは、細身でスタイル抜群の東洋男子。おお、あの銀幕の大スター、ブルース・リーではないか!
「don’t think. Just feel」
考えるな、感じるんだ。おお、なんとシンプルでハートに刺さる言葉。これだ、「実存」なんて小難しいことを考えるんじゃない、その日その日、今この瞬間に感じているそのことが大切なんだ。
場が少し暖まってきた。やっぱり活力って大事だな。でも何か、もうひとこえ、元気の沸いてくる答えがあるとありがたいんだけど・・・
山田教授のやや物足りなげな心中を察したかのように、バーチャルセレブ4人の後方から人影がのたりのたりと歩み寄ってきた。あれ、ダンディな横顔、見たことあるぞ。
縮れたもみあげがワンダフルさをかもしだすその男。映画スターの三船敏郎だ!
世界のMIFUNEは、何も語らなかった。その代わりに、さりげなく後ろのスクリーンに目をやった。スクリーンには、こう書かれていた。
「男は黙って、サッポロビール。」
そんな答えを、待っていた。
山田教授は、パソコンをそっと閉じ、夕暮れ時のネオン街へ繰り出していった。