おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【短編】現実×教育

〇✖県が、学校現場のドラスティックな改革に踏み切った。
 
その名も「現実教育」。
 
競争、対立、裏切りー。世の中の醜い実態を、早いうちから子供たちに教え込もうという試みだ。
 
「次代を担う子供たちに、打たれ強い人間になってもらいたいんです」
 
報道陣に語り掛ける知事の言葉には、熱がこもっていた。
 
世の中は、いつも理屈が通るとは限らない。力のある者のいうことが幅を利かせるなんてことはざらにある。平等?公平?そんな上っ面だけの理想にすがっていては、厳しい世間を渡っていけないよ。人間は競い、争い、ときに相手を叩き落とすぐらいの醜さをさらす生き物なんだ。
 
現実を早いうちから学んで、生きる力を養うんだ。ときに争いも厭わないぐらいのずうずうしさを身につけろ。
 
理想ばかりが詰め込まれた従来の教科書に飽き足らず、教壇の大人たちは世の中で日々繰り広げられている争いごとを隠すことなく伝えていった。
 
聖人君子と呼べるような人間は、この世にほとんどいない。シンデレラストーリーは、映画の中だけの話だ。「あしながおじさん」は、いないんだよ。
 
間もなく、保護者の中から反発の声が沸き起った。「そんな夢も何もないことばかり教えて、立派な大人になれますか」
 
一理あった。新方針が導入されてからものの数か月で、子供たちの瞳から純朴さが薄れたように見えた。それまでにはなかった、「疑い」という名の濁りが居場所を得たようだった。
 
新方針が導入されてから半年。最初の冬がやってきた。冬休み前の全校集会で、校長がいつものように冷めた口調で訓示を垂れた。
 
「みなさん、宿題をしっかりしましょう。努力をしない人は、社会に出て生き残っていけませんよ」
 
ここで終わってもよかったが、校長は今少し話を続けた。
 
「明日はクリスマスイブです。まあ皆さんお分かりかと思いますが、サンタクロースなんてものは、存在し・・」
 
言い切らないうちに、集団の奥からひときわ大きな声があがった。
 
「します!」
 
最高学年の少年だった。「サンタクロースは、存在します。心の清らかな子のおうちに来て、プレゼントを置いてくれるんです」
 
校長が驚いて少年を見つめた。なんとまあ、半年たって尚、お伽噺と現実の区別がつかない児童がいたとは。
 
少年の瞳は、しかし校長の考えるほど単純な色をしていなかった。
 
輝きというよりも、憂いがあった。理想に代わって、警戒と緊張があった。そうでありながら、言葉に表しようのない覚悟があった。
 
少年は、分かっていた。サンタクロースという名の存在の実際を。半年間におよぶ現実教育の中で、甘くない世の中の枠組みをおおよそ掴んでいた。ただ、その過程で心中に予想もしない変化が起きていた。
 
弟たちを、妹たちを、守らないと。
 
厳しさを知ったことで、自分より幼い世代を荒波から守ろうとする責任感が芽生えていた。心から純朴さを色あせさせかねない、現実教育の危険性を自覚していた。心とからだの成長段階によって、知っていいこと、まだ早いことというものがあることに気づいていた。
 
少年は、いつしか「方便」という処世の術を身につけるほどに心の成長を遂げていたのだ。
 
その場に居合わせた1年生たちは、一様に嬉しげな表情を見せた。「やったあ、サンタさん、くるんだ」

活気づく1年生のグループに、少年の頬もようやく緩んだ。

子どもの力を、侮るなかれ。子どもには、大人が思う以上の理解力と想像力、配慮の力がある。子どもにもっと、世の中の現実を教えていくことも、わるくないかもしれない。予想をはるかに上回る成長を見せてくれる可能性があるからだ。

校長は、ようやく少年の心裡を理解した。「そうだね、サンタクロースは、存在するんだよね」

小さくうなづくと、感嘆のため息を漏らした。