おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【SF短編】こころめがね

23××年××月××日 快晴

 

手記を綴りだしてからもう何年になるだろう。人生も折り返し点を過ぎると、何やら自らの足跡を残したくなるようだ。

 

それにしても、市場にあの商品が登場してから、世の中は一気に変わったと感じる。私の半生も、そしておそらく地球上のあらゆる人たちの暮らしも。

 

変わった、と今書いたが、正確にいうと「止まった」ということなのかもしれない。

 

文明は発展を続けてきた。技術の飛躍はめざましく、その歩みはこれからも足を止めることはないだろう。ただ、私がいいたいのは科学の話ではない。うまい表現が思いつかないが、あえていうなら「進歩」とでもしておこうか。

 

「こころめがね」

 

人のこころの声を文字化し、グラスに映すことができる装置が登場した。とあるIT大手が開発したものだ。満を持して発表した記者会見会場の、報道陣の多さに大ヒットを予感したものだ。

 

争いやだまし合いの絶えない世界だけに、「相手の肚を探れる優れもの」と飛ぶように売れていった。恥ずかしいことを明かすようだが、ご多分に漏れず私も大枚をはたいて購入した一人である。

 

私のことはさておき、これがどうして進歩の終了をもたらしたのか、その経緯を記録しておきたい。

 

こころめがねは、諍いのある場所でとりわけ浸透した。近くをみれば夫婦げんかの場であり、広くみわたせば地球上のあらゆる紛争に普及していった。

 

信頼関係のない、あるいは崩れてしまった相手は、もはや何を考えているか見当も付かない脅威に映る。自分をおびやかす存在が、腹の底で何を思っているのか。そこはどうしても知りたいところだろう。

 

ということで、メガネを掛けて向き合う光景が各地でみられるようになったのだが、結果はあっけないものだった。

 

諍いが、消えてしまったのである。

 

理由は意外に思えるほど単純だ。「相手にも言い分がある」という現実に皆が気づいてしまったのだ。

 

諍いが起きる背景には、相手が間違っているという思いがある。それにはそれなりの理屈があるだろう。私も夫婦げんかをするときはたびたびそのような思いに駆られる。ただ、もし、相手の心のひだまで読み取ることができたなら、「ああそうか」「この人にも理屈がある」と納得し、自ら進んで矛を収めることになるかもしれない。

 

疑念が渦巻く紛争現場では、なおさらのことメガネが真価を発揮した。ただ怒り、狂い、復讐心に燃えていたばかりの集団が、拳を解いて相手に握手を求めるようになった。

 

世の中に初めて、文字通りの平安が訪れた。

 

それは幸せな出来事だったが、世の中から活力というものを失わせていった。誤解も対立もなく、平々凡々と流れる社会は、どこか味気ない。歴史の営みが、一つの頂に達してしまったようだった。

 

これ以上、登る坂道はない。

 

今、私はその「終わった」世界を生きている。もちろん人々は笑顔であり、世の中は和やかだが、正直にいって、物足りない。

 

これは私の残りの人生にとって大きな分かれ目になるかもしれないが、先日、メガネを手放した。

 

人間誰にも言い分があるという事実が分かった以上、もはやツールに頼る必要がなくなったということもあるが、それよりも大きな理由は、メガネを掛けるたびに己の未熟さを思い知らされたという点にある。

 

機械に頼らないといけないほど、自分は配慮の及ばない人間なのか。これは心を宿す生き物として小さくない屈辱だ。そんな思いをするくらいなら、いっそのこと元の不便な生活に戻ったほうがましだと思った。

 

相手の心が読めない世界は、何かと不自由で面倒なことも多いが、それだからこそ人を慮る力を養うことができる。優しさを培うことができる。精神的な成長を実感できることは、この上ない喜びなのだと今になって感じる。

 

周囲でも、私のような「脱メガネ組」をちらほら見かけるようになった。どの顔も、補助輪を外した自転車をこぐ少女のようなぎこちなさと緊張感が漂うが、それだけに生き生きとしている。私はその人たちに、心の中でエールを送っている。

 

世の中にはどうして言葉があるのだろう。表情があるのだろう。四肢があるのだろう。どれも、心の内を誰かに伝えるためではないだろうか。せっかく与えられたものを生かさない手はない。簡単には解き明かせないかもしれないが、奥行きも味わいもある人の心とじかにつながるための旅を続けたいものだ。

 

人生も後半戦だ。「止まった」時代に別れを告げ、不器用でもみずみずしさのある「進歩」の道を再び歩みたいと思っている。



【SF短編】繰り返しの未来

 

私は遂にタイムマシーンを発明した。

苦節50年、長かった。ああ、気づくともう喜寿だ。

感慨にふけっている暇はない。往生こいてしまう前に、見たいものを見ておくことにしよう。

ふっふ、私が見たいものは、古代の恐竜やら近未来の文明生活やら、ミーハーな衆生が鼻息荒くしそうなトピックではない。

私が見たいのは、川柳の未来だ。

考えてもみよう。我々のご先祖様が生み出した稀代の暇つぶし言葉遊びは、実に多くの笑いとちょっぴりの涙を生み出してきた。

それは毎年表彰される「サラリーマン川柳」の秀作をみても明らかだ。

「熱が出て 初めて個室 もらう父」
「パスワード つぶやきながら 入れる父」

ああ、哀愁漂う。わかるよ。わかる。

センチに浸るのはここぐらいまでにしよう。さて、なぜ私が川柳の未来に興味を持っているのか。それは単純だ。

あらゆる作品が「既出」になってしまう時代が、やがてくる。そのとき、この面白くも哀しい諧謔文化は、生き残っているのだろうか。ということだ。

興醒めするようなことを言うようだが、川柳は5・7・5の17文字でできている。一つの文字枠に入る音は51。つまり51を17乗すれば(それは途方もなく多いわけではあるが)、いつかすべての作品が詠み上げられてしまうというわけだ。

ああ、こんなこと考えなければよかったのだが、気にし始めるとどうにもならん。肝試しにビクビクする少年のような心境だ。ええままよ。いってみよう。

・・・

さて、◯◯億兆年先の日本に着いたぞ。おお、さすが未来人の世界だ。空を大小のUFOみたいな乗り物が縦横に泳いでいる。

ああ、そんなことはどうでもいい。さて、街頭の大型テレビをのぞいてみるか。もしこの時代にもサラリーマン川柳が生き残っているとしたら、今日が優秀作の発表だ。

「さて、次のニュースです」

サラリーマンの聖地・新橋の夜空に、特大の3Dスクリーンが浮かび上がっている。と、かわいらしい女性アナウンサーがニュース原稿を読み上げはじめた。

サラリーマン川柳の選考会が、都内のホテルで開かれました」

おお、なんと。この時代も、生き残っていたのか。

「最優秀作、詠み上げます」

私は生唾を飲み込んだ。もう、何を詠んでも過去の作品の繰り返しにすぎない。何が面白いのか。作品を聴きたいようで、聴きたくないような、複雑な気持ちだ。

「熱が出て 初めて個室 もらう父」

・・年初の優秀作じゃねえか。はるばる億兆年先まできたというのに、令和の作品にまみえるとは。なんともがっくしだ。

「だははは。それ、俺だよ俺」「間違いないね」

新橋のSL広場は、しかし笑い声でどっと沸いていた。よれたスーツのおっさんが夜空を見上げ、3Dスクリーンの美人アナウンサーに呼びかけた。「お姉さん、お父さんには優しくするんだよぉ」

アナウンサーはうふふと下を向いた。「そうです、ね」

おお、この時代はニュース番組も双方向なのか。面白いぞ。

いや、そこじゃない。それにしても、どうして既出作が面白がられているんだろう。あらためて、興味がわいた。

私は隣にいた酒息もくさい中年の背広男に尋ねてみた。「これ、大昔の作品ですよ。過去の繰り返しで、何が楽しいんですかねえ」

背広男は何を間の抜けたことをとでも言わんばかりの表情で答えた。「何が楽しいって、今こうやって聞いてて楽しくねえかよぉ、あんちゃん」

言わんとすることが分からず、私は続く言葉がなかった。

「俺たちさあ、昔を生きてるんじゃねえんだよ」

はあ

「昔は昔、今は今。酒は酒!さて、3軒目いくぞぉ~」

背広男は千鳥足を引きづりながらガード下へと消えていった。

男の言葉は蘊蓄があるようで、ないようで、私の頭は頓知問答をぶつけられた小坊主のように混乱した。
おっと、タイムマシーンの電池がヒートアップしてきた。そろそろ戻らないと。私は後ろ髪を引かれるようにマシーンに乗り込み、メーターを「202☓」にセットし直した。私の時代と何ら変わらない新橋のネオン街に、疲れたおっさんサラリーマンたちに、そっと別れをつげた。「みんな、終電には間に合うようにね」

・・

データが蓄積される未来というのは、なんとも息苦しそうだ。少なくとも私はそう思っていた。川柳だって俳句だって、オセロだって囲碁だって音楽だって、表現のほとんどはいずれ、誰かの手で生み出された既出作品になる。

可能性がどんどんと狭まっていく世界で、同じことが繰り返されるばかりの世界で、僕らの子孫はどうやって生に喜びを見出すんだろうか。

その答えは、億兆年先の未来に行ってもよく分からなかった。たまたま声を掛けた相手が悪かったのかもしれない。ただ、あの飲んだくれ背広男も、赤ら顔のサラリーマンたちも、何故か意外と幸せそうだった。それにはちょっと、安心した。

よくわからないが、ひょっとしたら彼らは、過去やデータに囚われることを捨てたのかもしれない。知識が積まれていくにつれ、それがかえって重しとなり、先人の歩みから、考え方から、自由になる道を選ぶようになったのかもしれない。

深まるばかりの霧の中を歩むような息苦しさの中で、たどり着いた一つのヒントが、令和風にいえば「今でしょ!」だったのだろうか。

使い古されたくさい口説き文句だって、今、この場で、この私が使ったなら、それはまた一つのサムくも笑えるワンシーンになるだろう。いつでも新鮮。サムさも、とびっきりだぜ。

ナウくてライブな世界を、満喫しようってことか。

私はこれ以上考えてもいい考えが思い浮かばないように感じた。まあ、あれだ、未来のはるか先まで川柳カルチャーは安泰ということが分かっただけでも、よしとしよう。

あらためて、今年の最優秀作をよみ直した。

「・・個室もらう父」

個室、あこがれるよなあ。

ため息、漏れちゃったよ。

 

【SF短編】過去なき世界

その惑星の住民は、見た目こそ我々地球人と似ていたが、決定的に異なる特性があった。

 

過去がなかったのだ。

 

正確にいえば、彼らは過去への関心が極めて薄かった。その代わり、目の前の「今」に注意力のほぼすべてを注いでいた。未来については、あくまでその延長線上に浮かぶ白雲のようで、フワフワとしてつかみどころがなかった。

 

そうでありながら、地球人に劣らないほど進歩した文明と技術を構築していた。知識の蓄積はできたからである。

 

感情もあった。喜怒哀楽は、ときに我々に劣らぬほどの豊かさを見せた。

 

ただ、我々人類は彼らに哀れみの感情を抱かずにいられなかった。「過去に学ばないとは、なんともったいないことか」

 

先人の営みが教えてくれることは、実に多い。

 

成功談や科学的な知識ばかりではない。失敗も挫折も、今を生きる世代にとっては貴重な処世の知恵になる。集団と集団が利権争いからぶつかい、そこからもたらされる亀裂だって、子孫が忘れることなく受け継ぐべき履歴であり、宿命といえるかもしれない。

 

特に、先祖の負ってきた遺恨は、いつか晴らすべきものである。

 

頭の柔らかい幼少期のころから歴史をギッシリ学校で詰め込まれてきた我々地球人にとって、彼らはどうしても「薄っぺらい文明人もどき」のように見えて仕方なかった。

 

・・・

 

あるとき、地球の某地域で小競り合いが起きた。

 

土地の所有権を巡るものだった。長い長い有史以来の営みの中で、その地域は領主が何度か代わっていたこともあり、どの集団にも主張する権利があるように見えた。

 

張り詰めた緊張を周囲がなだめ、ギリギリのところで均衡を保っていたが、ひょんなことで諍いが発生し、そこからせきを切ったようにあちこちで対立が露呈した。

 

事をこじらせたのは、所有の履歴だけではなかった。土地の勢力が入れ替わる中で、キッたハッたが繰り返される中で、それぞれの集団の間で到底解きほぐすことのできなそうな怨念が雪だるま式に膨れ上がっていたのだ。

 

こうなるともはや地上のいかなる賢人をもってしても事態を鎮めるのは難しいようにみえた。

 

そのころ、件の惑星の代表と定期交流をしていた地球のリーダーが、ぼそりと漏らした。

 

「いやあ、我々の星も、まだまだ文明化は先とみえますわ」

 

委細を聞いた惑星の代表は、不思議そうな顔でつぶやいた。「諍い、やめたらいいのに」

 

惑星人が関心を注ぐのは「今」だった。こうして話をしている間にも、その地域ではやったやられたが繰り広げられている。なんと悲しいことか。無益なことか。

 

どちらが正しいも正しくないも、ない。「物騒な機器から今すぐ手を離すのです」

 

心中、相手を見下していた地球のリーダーは、予想もしなかった進言に不快感を露わにした。「過去を大切にしない星の住人が、偉そうに!」

 

過去の経緯、遺恨の背景。こうしたものを知らずして、ものを語るなかれ。それぞれの集団には、大切にしてきた言い伝えなり恨みつらみの数々があるのだ。それらをくまなく理解しないでは、絡まった糸をほぐすことはできないのだ。

 

「でも、そんなこと言ってるといつまでたっても解決できないと思いますよ」

 

惑星代表の一言一言が、地球リーダーの癪に障った。

 

「ええい、いまいましい。お宅ら上っ面だけの知的生命体には、我々の奥深い文化文明を理解することはできないんですよ」

 

片方だけがやたら立腹している対談ルームのスクリーンに、地球のあちこちで広がる示威運動のニュース動画が映された。

 

「争いをやめてよ」とあった。

 

横断幕を掲げる集団の多くは、童顔であった。

 

「はあ、まったく。過去を知らぬ若者たちは気楽なものだ。善人を気取ったパフォーマンスほどたちの悪いものはない」

 

肚の底に淀んでいた感情を吐き捨てる地球人のリーダーに、惑星代表はまた違った反応を見せた。「こういう人たちがいれば、あなたの星はまだ大丈夫だ」

 

過去はもちろん、大切だろう。だが、そこにこだわり、しがみついてばかりいると、いつしか縛られ、身動きが取れなくなる。むしろ、「今」から物事を見てみないか。自分がこの目で見て聞いて感じていることから判断すれば、諍いのある程度は解きほぐすことができるのではないか。

 

過去も知識も知恵も乏しい若者たちにこそ、希望を託せるかもしれない。

 

対談時間も予定を過ぎ、惑星代表は一礼した。「地球の皆様、我々はいつでもあなた方の友人でいますよ」

 

地球のリーダーは苛立たしげに、頭を下げる仕草だけ見せた。

 

惑星代表を乗せた宇宙船が射手座の方向へ飛び立つのを見届けると、地球のリーダーはつぶやいた。

 

「今から見る、か」



【SF短編】未来の天動説

今思えば、100人を乗せた宇宙船「cosmo ship」が初めて彼の地に着陸した瞬間が、地球の我々にとって興奮と期待のピークだったのかもしれない。

 

西暦28XX年。人類は遂に念願の火星植民化を果たした。地球は温暖化が加速し、南北の氷河が溶け、陸地は狭まり、気候変動で各地が豪雨に間伐に苦しめられていた。人類も100億人を超えて食料も不足しはじめ、一部の人々の引っ越しはもはや避けられない道となっていたのだ。

 

気圧は地球の100分の1。重力は3分の1。太陽の強烈な電磁波から地表を守る磁界もない。希望を打ち砕きそうな悪条件ばかりの惑星だったが、人類の叡智と不断の努力はそれら困難を一つずつ乗り越えていった。この点はひたすら称えるしかない。

 

地表に広がる凍った二酸化炭素を、特殊な触媒で溶かしていった。数百年をかけて温室効果を生み出し、人類が暮らしていける程度の気温上昇を果たした。大空を人工的な磁界で包み込み、地表の命を守るための環境をもたらした。やがて緑を移した。川が生まれ、湖と雲が生まれた。酸素があふれた。どの時点からかはもうはっきりと分からないが、動くものが地表をにぎわせだした。

 

ここまでくると、立派な新大陸だ。それも球体まるごとが手つかずの桃源郷であり、スケールは人類が過去に経験した移住の履歴をひっくるめても圧倒した。

 

各国政府の技術者や役人に続いて、冒険心にあふれる若者、刺激を求める大富豪、人生に一発逆転を求める敗残者らがcosmo shopに乗り込んだ。

 

新たな世界は、希望にあふれていた。

 

これから、俺たちがこの地に生の喜びをもたらすのだ。

 

第1号として降り立った100人は、新時代のピルグリム・ファーザーズとなった。肌の色や信仰の違いを超えて助け合った。土地を耕し、食を確保した。酒をつくり、遊び場をつくった。ビル、学校、保育所、モニュメント、あらゆる造形物を誕生させた。

 

母星である地球から様子を見守る人々の視線は暖かかった。「おお、人類の希望よ!」

 

地球と火星。隣同士であり、兄弟とも姉妹ともいえた。親族であった。若い者から赤い星へと移り住んでいった。

 

惑星挙げての大移動が一段落ついたころから、しかし両者の間にすきま風が吹くようになった。

 

亀裂をもたらした原因は「時」であった。

植民団第1号が彼の地に降り立って最初の正月、地球では「2惑星時代」の始まりを盛大に祝った。火星の人々も喜んで祝福に浴した。

 

だが、翌年の正月から、調子が狂い始めた。

 

地球の1年は、火星のそれとはずれていた。1日の時間こそほぼ同じだったものの、地球の周りを1回転する時間が違っていたのだ。それは、地球でいうところの687日に及んだ。

 

「ともに新たな1年を迎えることができて、実にめでたいですな」

 

地球からスクリーン越しに新年の祝辞を述べるリーダーに対して、火星のリーダーは憮然とした表情で応えた。「こちらはまだ、夏の終わりなのですがね」

 

地球側の「1年」と、火星側の「1年」との間で、ずれが広がった。「三つ子の魂百まで」という地球のことわざは火星では死滅し、あえて現地基準に落とし込むならば「二つ子の魂八十まで」と調子の整わない文言になり下がった。

 

子の成長、成熟、老年期の場面場面を彩る表現、形容詞、数字といったものが、ことごとく地球のそれとかけ離れていった。1年に一度の花見は、火星ではより重みを増した。

 

近未来のあるとき。自分たちの独自の時間感覚をものにした火星植民者たちは、遂に自らをこのように宣言した。

 

「私達は、火星人である」と。

 

地球人と同じように、目があり耳があり鼻があり2本脚で立っているけれども、時を軸とした世界観は決定的に異なっている。あなた方と我々は、異なる思考体なのだ。

 

文明としての独立宣言に直面した地球人たちは、予想もしない反旗に愕然とした。

 

地球人たちは、大人たちからこのように教わってきた。「世界はお前を中心に回っちゃいない」と。それは物理的にも太陽を中心にして地球が巡る「天動説」として裏付けられた。ただ、根っこのところではその理解は怪しいかもしれない。自らを中心に位置づける考えはどこか心の底に根付き、世界のあちこちでひずみをもたらしているようにもみえる。それが人類の真実ではないか。

 

であれば、そうした未熟な己を受け入れ、考えを180度ひっくり返してみてはどうか。

 

「地球は私を中心に回っている。同時に、相手を中心にしても回っている」と。

 

新たな形の天動説に目覚めたとき、やがて直面するかもしれない兄弟人類の独立宣言も心安らかに受け入れられるかもしれない。




【随想】輪郭

名前をまとうと、そこに個性が現れる

 

個性は輪郭を伴う

 

輪郭は、自と他を分ける境界線である

 

そこから相互作用が生まれる

 

あるときは発展であり、あるときは対立である

 

今の世の中は、対立が幅を利かせているようにみえる

 

本来は名も無い統合体が

 

己が内の分裂作用によって自らを切り刻み、うめき声をあげている

 

名前をまとう前の状態に戻れないか

 

あるいは、名前をひとときでも忘れられないか

 

私はAという国のB地方で暮らすCという会社の人間である、Dという教えを奉じている。こうしたもろもろの名前・個性から自分を開放するのだ

 

よくよく考えれば私はただ息を吸って吐く単なる生き物にすぎない

 

そこらへんの蟻やらトンビなどと大した違いはない

 

偉いも偉くないもなく、上も下もない

 

1日の中で、ほんのわずかの間でも、名前なき、輪郭なき自分に立ち返れば

 

対立に次ぐ対立の時代でも安らぎを見出すことができるかもしれない

【短編】経済!経済!経済?

首相の串田は鬱々としていた。

 

「最強の決めゼリフだと思ったのだが・・」

 

先日の党首討論で繰り出したフレーズは、期待と裏腹に世間の反発を招いた。「経済!経済!経済!って、そらぞらしいわ。庶民の懐事情も分からん人間がえらそうに」

 

ブレーンたちと練り上げた原稿は、読み直せばそれなりの説得力があったかに思えた。何がいけなかったのか。俺の何が悪いのか。

 

「ええままよ、今日はもうぱあっと飲み散らかしてやらぁ」

 

串田の足は自然にサラリーマンの聖地・新橋へと向かった。何人もの警護が追っかけてきたが、安らぎを求める熟年男の情熱が勝った。霞が関の大通りを汗だくで駆け抜ける背広姿を、一国のリーダーだと気付ける人もいなかった。

 

ガード下のこじんまりとした焼き鳥屋を見つけるや、息を吐いた。「誰がいようが関係ねぇ、たらふく食って、呑んじゃるけん」

 

ガラガラ

 

ありがたいというべきか、カウンターのみの店内は中年サラリーマンが一人、しっぽりやっているだけ。ここなら腰を据えてやれそうだ。

 

「親父さん、おすすめ5本盛りで。あと、生中」

 

誰に気を使うこともなく飯を食えるひとときの、なんと落ち着くことか。キンキンに冷えた黄金色の液体を、グーッと喉奥に流し込む。ハツ、つくねと絶品を放り込む。ガチガチに凝り固まった心もいつしかハラリほどけ、肚の底で淀んでいた思いの数々が口からあふれ出てきた。

 

「俺の何が悪いんだよぅ。俺はただ、この国の景気をよくしたいだけなんだ・・」

 

ゴトリとジョッキをカウンターに置いたところで、隣の中年サラリーマンが口を開いた。

 

「景気よくしたいって?ならまずやることがあるね」

 

串田「むむ、それは!」

 

男「こづかいだよ。こ・づ・か・い。世の中のお父ちゃんの懐具合をちょっとばっかし、あったかくしてあげるんでさぁ」

 

世の中でサラリーマンほど散財芸の美しい人種はいないかもしれない。宵越しの銭は持たない。財布はいつも軽い。言い換えれば、それだけ世の中の金回りに貢献しているということでもある。お父ちゃんたちの軍資金をもう少し手厚くしてあげれば、それだけ世間も活気づくというわけだ。

串田はぼやいた。「そうは言うけどよぅ、小遣いアップなんか法律でつくれねえよぅ」

 

男は熱燗の猪口をグイッとあおった。「法律だとかなんとか、小難しいこと言ってんじゃないよ、おじさん。それになぁ、小遣い上げるってのはそんな単純なことでもないんだ。なんたってなあ、母ちゃんを動かさなきゃいけないんだぞ」

 

男は遠くをみるような目線になった。どうせ誰もできっこしねえんだ。諦観が男の表情を包んだ。

 

家計を支える奥様方のハートを揺さぶってこそ、小遣いのベースアップという僥倖をたぐり寄せることができる。それは難攻不落の城であり、ミッション・インポッシブルでもある。だがそこにトライしてみなければ、潤いあふれる新たな地平は永遠に姿を現さないかもしれない。

 

串田はうなずいた。「たしかに、お宅の言うとおりだ。して、予算はどれくらい必要なんだ」

 

男はしかめっ面をした。「まぁた小難しいこと言いよるなあ、おじさん。『予算』とかなんとか、知らないよ。大切なのはね、ハートだよ。奥様のハートに訴えかけるんでさぁ」

 

物事を前に進めるのに、必ずしもお金が必要とは限らない。法律や予算をみつくろってしまえば万事解決というほど世間は単純でもなさそうだ。ときには丸腰で、しかし真心から何かを訴えかけることで、理解者が増え、世の中に光明をもたらすことができるかもしれない。

 

串田の瞳に、キラリンと一粒の光が灯ったように見えた。「お宅、いいこと言いよった。私はね、ヒントをもらいましたよ。ヒントを。ありがとう。明日から仕事、頑張るよ」

 

「おおょ」と男は答えた。「おじさんも大変だろうけどね、まあ頑張りなさって。それにしても、お宅らの仕事って大変だねぇ」

 

串田は首をかしげた。一国のリーダーに対して随分と慣れなれしいものだ。

 

「だってあんた、あれだろう。ものまね芸人。テレビに出る首相にそっくりだ」

 

あはは、と串田は笑った。「そうそう。売れないものまね芸人ですよ、私は。これからは小難しい言葉ばっかり使わんと、自分のアジを出していきますかなぁ」

 

数日後に開かれた予算委員会で、串田の放ったフレーズの数々が話題をかっさらうことになった。

 

「景気を良くするには、まず足元から。そうです。こづかい。こづかい。こづかい!世の中のお父さんたちに、息抜きのエネルギーを!こづかい、アーップ!奥様方、お願いします!」

 

テレビの速報を通じて、新橋がどよめいた。「おお!何かいいこと言ってくれたぞ!」

 

串田は続けた。「お父さん方が飲みに出れば、居酒屋が潤う。出入りの酒屋さんも息を吹き返す。2軒目のスナックまで行けばママさんもお姉さんも懐があったまる。帰りのタクシー代はちょっとばっかし高くつくかもしれないけど、運転手さんの暮らしも成り立つってなもんです。だから奥様方、どうかご協力を!」

 

サラリーマン連中は叫んだ。「そうだそうだ!俺たちはもっと飲みに出て、いいんだ!いいんだよ!世の中に貢献してるんだぁ」

 

手元の原稿に視線を落とさず、あふれる目力(めじから)で聴衆に訴えかける串田の姿に、大人も子供も何か動かされるものがあった。

 

ただ、お茶の間ではやや冷ややかな空気が漂った。「なんだかんだいって、結局得するのはお父さんだけじゃない」

 

世の奥様方が握る財布のひもというのは、そう簡単に緩んでくれるものでもなかった。

 

串田はそんな女性陣の心中を察したかのように、続けた。

 

「そうです。ただお父さんたちだけが嬉しい思いをするだけじゃあ、もったいない。潤いはもっと広く行き渡らせるべきなのであります」

 

視聴率マックスのテレビ画面越しに、串田は「第2の矢」ともいうべきフレーズを放った。

 

「お父さん方、まずはプレゼント。プレゼント、プレゼント、プレゼント!お世話になっているあの方に、アップしたお小遣いで贈り物をしようではありませんか!」

 

贈る相手はほかでもない、添い遂げるパートナーのことだ。愛する妻に、感謝の気持ちを。言葉だけでなく、形を添えて。それでこそ家庭内平和が実現し、運気もお金回りも好転していくのだ。

 

今度は奥様方がよじれ声を上げた。「あらまぁ、それなら話は違うってことよ。お小遣い上げてあげましょかね。まあ、当然プレゼントは『倍返し』ってとこかしら」

 

とたんに新橋の騒擾が静まり返った。「おいおい、それじゃあ俺たちの軍資金が逆に減っちまうじゃねえかよぉ」

 

男性陣からの支持を一瞬で失ったかのようにみえたが、串田は動じなかった。テレビ画面越しに、串田は最後のセリフを吐いた。「まあ世の殿方、みていてください。ちょっとしたら様子が変わってきますから」

 

状況は果たして串田の予言したとおりに動いた。串田が呼びかけたその月、少なくない家庭で奥様方がうん年ぶりに小遣いを上げた。殿方は無言のプレッシャーに涙をホロホロと流しつつ、愛妻恐妻に花束を贈った。感謝の言葉を手紙にしたためた。ある殿方は手袋を、マフラーを、腰痛に効く電動マッサージ器を贈った。奥方のハートに潤いが満ちた。

 

潤いは慈悲となった。「お父さんも会社で頑張ってるしね。もうちょっと飲みに出ても、いいのよ。プレゼントも、毎月だと大変よね」

 

殿方は狂喜した。妻公認で、堂々と、新橋のネオン街に繰り出せるのだ。もちろん限度はわきまえつつ、楽しく飲み、語らい、英気を養った。そして忘れることなく、折々に妻に感謝の気持ちを形で伝えた。

 

世の中の金回りが良くなっていった。税収も少しずつ増えていった。増税することも法律をつくることもなく、ある程度景気を上向かせることに成功した。

 

「大切なのは、法律や予算をつくることばかりじゃない。真心を伝えることなんだ」

 

助言してくれた、見知らぬ中年サラリーマンへの感謝の気持ちをかみしめているころ、出会いの場となった場末の居酒屋では当人が素っ頓狂な声をあげていた。

 

「あのおじさん、『本物』だったんかぃ」

 

串田第2の矢「プレゼント、プレゼント、プレゼント!」も、その後の展開も、実は男が呑んだ勢いでぶちまけた妄想だった。「俺の脚本、全部パクりやがって・・。やるな、おじさん!」

 

実は自身が売れない芸人の男は、意外なところでバズった己のセンスにほくそ笑むのであった。



経済、経済、経済!

これだけじゃ国民に響かんよ。

この後に

「こづかい、こづかい、こづかい!ご家庭のこづかいもアップを!」

ここまで呼びかけたら、世の中のサラリーマン票をもろともゲッチューできたのにぃ〜

大切なもの

こないだ、講演会を聞いて心に響いた言葉があるのでここに書き留める。

 

「大切なのは最終学歴ではなく、最新学習歴だ」

 

これは叱咤であり、励ましでもあると感じる。

 

過去にこだわることなく、今に向き続けよ。

 

そのとおりだ。

 

この姿勢は、できることなら自分が生を終えるそのときまで保ち続けていたい。

 

そうすれば我々は日々若く、新鮮で、成長し続けることができる。

 

I think therefore....

“I think, therefore I am”

Great.

But…..is that so?

I’m sorry sir, but things don’t seem to be so simple.

Yes I am thinking right now, but it doesn’t necessarily mean “I” exist.

You take the existence of “I” for granted.

But “I” is not something solid. We sometimes lose consciousness like , when sleeping.

“I” is so ambiguous.

Whats more, too much obsession with “I” or subjects seems to have the tendency to individualism, egoism, solipticism, unilateralism. Separation. Segregation. 

That is choking. 

I would like to propose a different idea. Like some eastern philosopher insisted.

I am thinking. You are thinking.

“Thinking” is the very base of existence.

Thinking. Feeling. Imagining.

To sum up, EXPERIENCE is the base of everything.

The subjects like “I” “You” “It” are just the offsprings born from each experience.

Right now, I  feel the autumn breeze. Gentle.  What is solid is not “I” feel something, but  just “breeze” or “gentle”. Or the feeling itself  before I give word to the experience.

As you will see, there is no border or distinction between me and the breeze. 

In fact, everything is united. We human, the trees, mountains, flowers, all the nature surrounding us are sharing the same experience. 

By focusing on the predicate, things  turn out to be connected. No distinction. Segregation. Just sereness.

In the age of individualism, I feel the importance of focusing on the predicate. Not subject.

In retrospect, I am astonished at the insightful word which the kungfoo hero has said.

Don’t think, just feel.

SPEECH TITLE: Are we connected or isolated?

In the age of smartphone, we are seemingly getting closer and closer with one another. We can talk to anyone on the earth , with the help of applications, like Line , Zoom or Skype.

It seems that we have overcome the limit of geographical distance. Even if you are alone in an isolated island, no problem. You can enjoy chatting with your family through iphones.

So, we are connected. No distance. There is no wall that is separating us.

Is that so?

When I get on a train  or a bus, I find most of the people getting absorbed in the screen of their own smartphones. They seem to be in their own psycological space. 

Even though we share the same physical space , we are not connected. We are, in a sense, isolated. The distance seems to be getting greater and greater as the technology progress.

I really feel afraid that someday the younger generation might realize the vulnerability of living in the cyber space and get lost, wondering WHERE AM I?

The more we get into a cyber space, the more unstable we might get. We might be eroding our ground on which we stand.

When I was in university, I majored in philosophy. I had an feeling of unstability with my identity. Where am I ? Where I stand? What makes me unique as I? 

Feeling uneasy, I started one thing. Walking travel.

Walking from one place to another place, all day long, under the sky. Pitching a tent in the open air. Just feeling the vastness of the physical space. The smell of the wind. The trivial change of sunlight touching my skin. Everything the actual space shows me.

Using my own body, moving through the vast physical space,  I could feel something solid. I AM RIGHT HERE.  

It was a certain feeling that reassured me. It was  much much more reassuring than ideological understanding like “cogito ergo sum”, which is a proverb that French philosopher once wrote, meaning I THINK THEREFORE I AM.  

It’s not that simple, sir! I would say  :-)

Plus, walking travel delivered me  something more amazing feeling. The sky is with me, the wind is with me. All the things surrounding me are connected. And co-exist.  I am just a part of this profound space.

Ive been enjoying this style of travel for more than 20 years. Ive connected the path  from Kagoshima to Fukushima , and branching out from the spots I have visited.
Now, I have my own Googlemap in my brain ;-)  I can reproduce the scenery Ive watched along the route, linking all the way from Kagoshima to Fukushima, stretching out about  1600km.

In the age of cyberspace, the importance of physical space is also increasing, I guess. To acquire an actual feeling of being connected to people, nature, world, we should get back to the nature.

We are living in a world which connects us and separates us simultaneously. So, when you  feel isolated or unstable, I highly recommend you to start this.

Walking travel.

Speech Title: How to survive the generative AI age

Today I would like to share ideas with you about generative AI. Like the ChatGPT.

 

Yes, ChatGPT is really really useful. It helps us write reports,summarize documents , and even translate them into any language we want. 

 

Oh, what a great partner it is!

 

But, as you might imagine, generative AIs have a potential of being our rival. I mean,  we might be replaced by them. They might take our jobs. 

 

I remember reading a shocking news that chatGPT has passed law school exams!  

 

Maybe, one day ,even lawyers might lose their jobs. Or, at least, there will be less need for lawyers because AIs has shown as great performance as humans. 

 

Not only lawyers. Maybe consultants. Physicians. Translators. Counselors.

 

Thinking about that, I realize how naive I was  when I was scared watching the sci-fi movie TERMINATOR. Human-like robots attacking us, unleashing razor beams against us.

 

Oh, the real threat was not in their appearance. It was in their ability of doing white collar jobs :-).

 

So, what can we do? How can we survive this generative AI age?

 

There is a clue, I believe. That is , being human being.

 

We are not perfect like them. We make mistakes. We very often slip some lines during a speech. And, sometimes we can’t help but uttering unnecessary filler words like eh, uh-. Oh, my goodness.

 

But, that is us.  We can not be free from mistakes.

 

On the contrary, there will be something important in our imperfectness.

 

Mistakes, failures , sometimes bring about sympathy among us. It might be empathy.  Sometimes friendship. Someone might create comedy from fiascos. Maybe poetry. Or music. All of our undesirable experiences will become the source of our beautiful culture and mutual understanding.

 

Which is exactly the realm which generative AIs can never touch. 

 

So, lets embrace our imperfectness! Everytime you forget lines during a speech, you are blessed! You will look more unique and attractive than generative AI. 

 

Lets grow empathy with people! We will grow mutual understanding and build long-term relationship, maybe with  our business partners. 

 

I believe, the power of empathy overwhelms the skill of writing perfect business documents.

 

As a writer, I always try to be empathetic to the people I interview. When I have an open mind , people will also open up to me. Of course the skill of writing articles is important, but nothing can be prioritized than the power of empathy. 

 

So, the next time you deliver a speech, when you get stuck during your speech, you can say at heart  “yes! yes! I get one more inch ahead of ChatGPT!” 

 

Oh what a joyful exercise giving a speech is! 

 

So, I, really appreciate  you all for  listening my imperfect speech with a few filler words :-).

 

Hope you enjoyed it with your warm heart.

 

Thank you very much.

折々に老父母の暮らす実家に帰るようにしている

 

親父はもう80前だ

 

昔のいかめしい父親とは違う

 

動きはのろく、なぜかやさしい

 

両親とも日頃はろくに外にも出ず

 

食べてはよこい、風呂に入ってはよこうている

 

ほとんどあの世に片足突っ込んでいる

 

それで何が幸せなのかと思う

 

どこか旅行したり、うまいもの食ったり、したらいいのではないかと

 

だが、それは私のいらぬおせっかいではないかと最近思い出した

 

父母は、今が幸せなのだ

 

生きている間、多くの矛盾に挟まれ、もだれ、怒り、あきらめてきた

 

私は小さいころからそれを見てきた

 

今はもう、助け合う両人同士がそばにいて

 

一緒に息を吸って食べて

 

それで十分、いやそれが十分、しあわせなのではないか

 

私は生きがいというものをあらためて考え直している

 

父母は幸いまだ健康であり

 

残りの日々を少しでも平穏に、長く、味わってもらいたいと思う

 

父母のささやかながらも真実の平穏と幸せを、実家の座敷から願っている

 

【短編】再起

吉崎主水(もんど)は誰もが畏れ崇める剣士であった。

 

西国の大藩の剣術指南役。色褪せた木刀一本のみを携え、休むことを知らず藩士たちとの稽古に明け暮れる様は、さながら武者魂の体現者であった。

 

恵まれた体躯。瞬間の隙を見抜く洞察力。武者の誰もが切望する才能のあらゆるものを、この男は生まれながらに備えていた。

 

もともと仕えていた主家が嫡子不在のため改易、浪人の悲哀を味わう身となりかけたが、人並み外れた武芸を各藩が見逃すはずもなく、あっという間に仕官先を得ることができた。

 

喜寿を迎えたころ、少しく咳が出るようになり、やがて病臥に伏すことになった。

 

自分もいよいよ、棺桶の世話になるときがきたか。

 

思えば満たされてばかりの人生だった。

 

失敗、と名のつくような体験を、したことがない。

 

負け知らず。人からは畏怖と憧憬の眼で見上げられ、大藩の家老格にまで上り詰め、武芸者としてこれ以上ないほどの地位と名声を手にした。

 

末期の咳をこぼそうとしたとき、肚の内で淀んでいた弱音が思わず口をついて出た。

 

「なんかちがう・・・」

 

こんな、ぱっと見ハッピーな人生を送るために生まれてきたんだろうか。

 

ドラマが、ほしかった。失敗とか挫折とか、そこそこあって、それで、なんとかちょびっとは乗り越たり、乗り越えられなかったりして、それでも「俺、がんばった」と言い聞かせながら、誰かに見守られて静かに数十年の幕をおろしたかったのだ。

 

なのに、どうだ今生の歩みは。胸熱の「苦節ウン年」のシーンとか、失恋だとか仇討ちだとか孤独死だとか、誰かの共感を誘ったり、誰かの慰めに励ましになったりするような経験、いっこもしてないぞ。

 

こんな人生、送って意味あったのか。

 

「ああ、ゲームオーバーじゃ・・」

 

薄れゆく意識の中で、主水は天に再起の機会を所望した。



・・・・・・・



ぶつかり合う鋼(はがね)の硬さに、自らの全身もギィーンと震えた。

 

太平の世が、たった四杯の蒸気船によって乱れ始めた幕末。

 

「ムラマサ」と名付けられた一本の刀は、主とともに騒乱の京を東に西に駆けた。

 

ある晩は西国の浪士の組を何人も討ち果たした。名の知らぬ人間の肉体にスッと切り込むあの感覚は、いかなものといえども気持ちのよいものではない。

 

刀は血を吸うて化け物になるというが、その実は必ずしも事実とはいえない。刀の中にも太平無事のほうを願うものもいるようである。

 

ムラマサは後者であった。

 

相手の胴体を袈裟懸けに割るとき、その者の人生を思った。その帰りを待つ妻子はいるのだろうか。どれだけの悲しみをもたらすことだろうか。相手はなぜ、突然に生を失わなければならなかったのだろうか。騒乱の世が悪いのか。

 

自らの刃先の鋭さが、憎らしかった。

 

やがて維新が訪れた。廃刀令が出た。ムラマサは、忌まわしき前時代の産物として世の中の表舞台から退場した。「矢折れ刀尽き」とはいうが、その字のごとく、ボキッと折られ、船舶か何かの原料として溶鉱炉に放り込まれ、刀としての歩みに幕を下ろした。

 

「これはこれで、重すぎた・・・」

 

炉の中で身体が溶けていくのを感じながら、うなった。

 

苦しみ、苦しませるばかりの歩みは、耐え難い。

 

かといって、順風満帆、満たされてばかりの人生も、味気ない。

 

人生の真面目とは、その中間、ほどほどに与えられ、与えられないぐらいのところにあるのかもしれない。

 

「今度は、あんまり高望みしません」

 

ムラマサになる前の記憶が、つかの間蘇った。天に、あらためて再起の機会を所望した。



・・・・・



「てるくん、片栗粉買ってきてくれる?」

 

台所から母ちゃんの声がした。

 

母ちゃんは人使いが荒い。またお使いか。小学校4年生のぼくをなんだと思ってるんだ。

 

ま、でも仕方ない。父ちゃんと別れてから、母ちゃんは一生懸命働いて家事してくれてる。

 

将来はO選手みたいに二刀流のスーパースターになって親孝行したい。だけど、かけっこも早くないぼくには土台無理な話だろう。

 

通知表も「がんばりましょう」が結構多くて、勉強のほうも正直、きびしい。

 

やっぱり、将来の夢は現実的路線で「正社員」に変えとこか。

 

てるおは頭の中でさまざま思いが湧き上がるにまかせた。

 

今は、母ちゃんのつくってくれる夕餉ばかりが楽しみだ。

 

サンダルをはくと、勝手知ったる近所のドラッグストアへと駆け出した。

Essay: ME

What is me?

My appearance?

Then, just close your eyes.

Im still here.

I am not only the appearance.

My voice? The way I talk?

Then , just cover your ears.

Im still here.

What makes me doesnt necessarily depend on how I look, talk, everything you see on the surface of myself.

It’s the mind, soul, spirit, I think.

So, no color, ethnicity , tall, short, skinny, chubby are so important as inner being, I think.

There is discrimination anywhere in the world. People sometimes look down on , look up to , someone by the color of skin, the clothes he or she is wearing.

That is sad.

Sometimes it will be useful to close our eyes, to bring back our purity.