おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【SF短編】繰り返しの未来

 

私は遂にタイムマシーンを発明した。

苦節50年、長かった。ああ、気づくともう喜寿だ。

感慨にふけっている暇はない。往生こいてしまう前に、見たいものを見ておくことにしよう。

ふっふ、私が見たいものは、古代の恐竜やら近未来の文明生活やら、ミーハーな衆生が鼻息荒くしそうなトピックではない。

私が見たいのは、川柳の未来だ。

考えてもみよう。我々のご先祖様が生み出した稀代の暇つぶし言葉遊びは、実に多くの笑いとちょっぴりの涙を生み出してきた。

それは毎年表彰される「サラリーマン川柳」の秀作をみても明らかだ。

「熱が出て 初めて個室 もらう父」
「パスワード つぶやきながら 入れる父」

ああ、哀愁漂う。わかるよ。わかる。

センチに浸るのはここぐらいまでにしよう。さて、なぜ私が川柳の未来に興味を持っているのか。それは単純だ。

あらゆる作品が「既出」になってしまう時代が、やがてくる。そのとき、この面白くも哀しい諧謔文化は、生き残っているのだろうか。ということだ。

興醒めするようなことを言うようだが、川柳は5・7・5の17文字でできている。一つの文字枠に入る音は51。つまり51を17乗すれば(それは途方もなく多いわけではあるが)、いつかすべての作品が詠み上げられてしまうというわけだ。

ああ、こんなこと考えなければよかったのだが、気にし始めるとどうにもならん。肝試しにビクビクする少年のような心境だ。ええままよ。いってみよう。

・・・

さて、◯◯億兆年先の日本に着いたぞ。おお、さすが未来人の世界だ。空を大小のUFOみたいな乗り物が縦横に泳いでいる。

ああ、そんなことはどうでもいい。さて、街頭の大型テレビをのぞいてみるか。もしこの時代にもサラリーマン川柳が生き残っているとしたら、今日が優秀作の発表だ。

「さて、次のニュースです」

サラリーマンの聖地・新橋の夜空に、特大の3Dスクリーンが浮かび上がっている。と、かわいらしい女性アナウンサーがニュース原稿を読み上げはじめた。

サラリーマン川柳の選考会が、都内のホテルで開かれました」

おお、なんと。この時代も、生き残っていたのか。

「最優秀作、詠み上げます」

私は生唾を飲み込んだ。もう、何を詠んでも過去の作品の繰り返しにすぎない。何が面白いのか。作品を聴きたいようで、聴きたくないような、複雑な気持ちだ。

「熱が出て 初めて個室 もらう父」

・・年初の優秀作じゃねえか。はるばる億兆年先まできたというのに、令和の作品にまみえるとは。なんともがっくしだ。

「だははは。それ、俺だよ俺」「間違いないね」

新橋のSL広場は、しかし笑い声でどっと沸いていた。よれたスーツのおっさんが夜空を見上げ、3Dスクリーンの美人アナウンサーに呼びかけた。「お姉さん、お父さんには優しくするんだよぉ」

アナウンサーはうふふと下を向いた。「そうです、ね」

おお、この時代はニュース番組も双方向なのか。面白いぞ。

いや、そこじゃない。それにしても、どうして既出作が面白がられているんだろう。あらためて、興味がわいた。

私は隣にいた酒息もくさい中年の背広男に尋ねてみた。「これ、大昔の作品ですよ。過去の繰り返しで、何が楽しいんですかねえ」

背広男は何を間の抜けたことをとでも言わんばかりの表情で答えた。「何が楽しいって、今こうやって聞いてて楽しくねえかよぉ、あんちゃん」

言わんとすることが分からず、私は続く言葉がなかった。

「俺たちさあ、昔を生きてるんじゃねえんだよ」

はあ

「昔は昔、今は今。酒は酒!さて、3軒目いくぞぉ~」

背広男は千鳥足を引きづりながらガード下へと消えていった。

男の言葉は蘊蓄があるようで、ないようで、私の頭は頓知問答をぶつけられた小坊主のように混乱した。
おっと、タイムマシーンの電池がヒートアップしてきた。そろそろ戻らないと。私は後ろ髪を引かれるようにマシーンに乗り込み、メーターを「202☓」にセットし直した。私の時代と何ら変わらない新橋のネオン街に、疲れたおっさんサラリーマンたちに、そっと別れをつげた。「みんな、終電には間に合うようにね」

・・

データが蓄積される未来というのは、なんとも息苦しそうだ。少なくとも私はそう思っていた。川柳だって俳句だって、オセロだって囲碁だって音楽だって、表現のほとんどはいずれ、誰かの手で生み出された既出作品になる。

可能性がどんどんと狭まっていく世界で、同じことが繰り返されるばかりの世界で、僕らの子孫はどうやって生に喜びを見出すんだろうか。

その答えは、億兆年先の未来に行ってもよく分からなかった。たまたま声を掛けた相手が悪かったのかもしれない。ただ、あの飲んだくれ背広男も、赤ら顔のサラリーマンたちも、何故か意外と幸せそうだった。それにはちょっと、安心した。

よくわからないが、ひょっとしたら彼らは、過去やデータに囚われることを捨てたのかもしれない。知識が積まれていくにつれ、それがかえって重しとなり、先人の歩みから、考え方から、自由になる道を選ぶようになったのかもしれない。

深まるばかりの霧の中を歩むような息苦しさの中で、たどり着いた一つのヒントが、令和風にいえば「今でしょ!」だったのだろうか。

使い古されたくさい口説き文句だって、今、この場で、この私が使ったなら、それはまた一つのサムくも笑えるワンシーンになるだろう。いつでも新鮮。サムさも、とびっきりだぜ。

ナウくてライブな世界を、満喫しようってことか。

私はこれ以上考えてもいい考えが思い浮かばないように感じた。まあ、あれだ、未来のはるか先まで川柳カルチャーは安泰ということが分かっただけでも、よしとしよう。

あらためて、今年の最優秀作をよみ直した。

「・・個室もらう父」

個室、あこがれるよなあ。

ため息、漏れちゃったよ。