おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【SF短編】未来の天動説

今思えば、100人を乗せた宇宙船「cosmo ship」が初めて彼の地に着陸した瞬間が、地球の我々にとって興奮と期待のピークだったのかもしれない。

 

西暦28XX年。人類は遂に念願の火星植民化を果たした。地球は温暖化が加速し、南北の氷河が溶け、陸地は狭まり、気候変動で各地が豪雨に間伐に苦しめられていた。人類も100億人を超えて食料も不足しはじめ、一部の人々の引っ越しはもはや避けられない道となっていたのだ。

 

気圧は地球の100分の1。重力は3分の1。太陽の強烈な電磁波から地表を守る磁界もない。希望を打ち砕きそうな悪条件ばかりの惑星だったが、人類の叡智と不断の努力はそれら困難を一つずつ乗り越えていった。この点はひたすら称えるしかない。

 

地表に広がる凍った二酸化炭素を、特殊な触媒で溶かしていった。数百年をかけて温室効果を生み出し、人類が暮らしていける程度の気温上昇を果たした。大空を人工的な磁界で包み込み、地表の命を守るための環境をもたらした。やがて緑を移した。川が生まれ、湖と雲が生まれた。酸素があふれた。どの時点からかはもうはっきりと分からないが、動くものが地表をにぎわせだした。

 

ここまでくると、立派な新大陸だ。それも球体まるごとが手つかずの桃源郷であり、スケールは人類が過去に経験した移住の履歴をひっくるめても圧倒した。

 

各国政府の技術者や役人に続いて、冒険心にあふれる若者、刺激を求める大富豪、人生に一発逆転を求める敗残者らがcosmo shopに乗り込んだ。

 

新たな世界は、希望にあふれていた。

 

これから、俺たちがこの地に生の喜びをもたらすのだ。

 

第1号として降り立った100人は、新時代のピルグリム・ファーザーズとなった。肌の色や信仰の違いを超えて助け合った。土地を耕し、食を確保した。酒をつくり、遊び場をつくった。ビル、学校、保育所、モニュメント、あらゆる造形物を誕生させた。

 

母星である地球から様子を見守る人々の視線は暖かかった。「おお、人類の希望よ!」

 

地球と火星。隣同士であり、兄弟とも姉妹ともいえた。親族であった。若い者から赤い星へと移り住んでいった。

 

惑星挙げての大移動が一段落ついたころから、しかし両者の間にすきま風が吹くようになった。

 

亀裂をもたらした原因は「時」であった。

植民団第1号が彼の地に降り立って最初の正月、地球では「2惑星時代」の始まりを盛大に祝った。火星の人々も喜んで祝福に浴した。

 

だが、翌年の正月から、調子が狂い始めた。

 

地球の1年は、火星のそれとはずれていた。1日の時間こそほぼ同じだったものの、地球の周りを1回転する時間が違っていたのだ。それは、地球でいうところの687日に及んだ。

 

「ともに新たな1年を迎えることができて、実にめでたいですな」

 

地球からスクリーン越しに新年の祝辞を述べるリーダーに対して、火星のリーダーは憮然とした表情で応えた。「こちらはまだ、夏の終わりなのですがね」

 

地球側の「1年」と、火星側の「1年」との間で、ずれが広がった。「三つ子の魂百まで」という地球のことわざは火星では死滅し、あえて現地基準に落とし込むならば「二つ子の魂八十まで」と調子の整わない文言になり下がった。

 

子の成長、成熟、老年期の場面場面を彩る表現、形容詞、数字といったものが、ことごとく地球のそれとかけ離れていった。1年に一度の花見は、火星ではより重みを増した。

 

近未来のあるとき。自分たちの独自の時間感覚をものにした火星植民者たちは、遂に自らをこのように宣言した。

 

「私達は、火星人である」と。

 

地球人と同じように、目があり耳があり鼻があり2本脚で立っているけれども、時を軸とした世界観は決定的に異なっている。あなた方と我々は、異なる思考体なのだ。

 

文明としての独立宣言に直面した地球人たちは、予想もしない反旗に愕然とした。

 

地球人たちは、大人たちからこのように教わってきた。「世界はお前を中心に回っちゃいない」と。それは物理的にも太陽を中心にして地球が巡る「天動説」として裏付けられた。ただ、根っこのところではその理解は怪しいかもしれない。自らを中心に位置づける考えはどこか心の底に根付き、世界のあちこちでひずみをもたらしているようにもみえる。それが人類の真実ではないか。

 

であれば、そうした未熟な己を受け入れ、考えを180度ひっくり返してみてはどうか。

 

「地球は私を中心に回っている。同時に、相手を中心にしても回っている」と。

 

新たな形の天動説に目覚めたとき、やがて直面するかもしれない兄弟人類の独立宣言も心安らかに受け入れられるかもしれない。