おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【短編】再起

吉崎主水(もんど)は誰もが畏れ崇める剣士であった。

 

西国の大藩の剣術指南役。色褪せた木刀一本のみを携え、休むことを知らず藩士たちとの稽古に明け暮れる様は、さながら武者魂の体現者であった。

 

恵まれた体躯。瞬間の隙を見抜く洞察力。武者の誰もが切望する才能のあらゆるものを、この男は生まれながらに備えていた。

 

もともと仕えていた主家が嫡子不在のため改易、浪人の悲哀を味わう身となりかけたが、人並み外れた武芸を各藩が見逃すはずもなく、あっという間に仕官先を得ることができた。

 

喜寿を迎えたころ、少しく咳が出るようになり、やがて病臥に伏すことになった。

 

自分もいよいよ、棺桶の世話になるときがきたか。

 

思えば満たされてばかりの人生だった。

 

失敗、と名のつくような体験を、したことがない。

 

負け知らず。人からは畏怖と憧憬の眼で見上げられ、大藩の家老格にまで上り詰め、武芸者としてこれ以上ないほどの地位と名声を手にした。

 

末期の咳をこぼそうとしたとき、肚の内で淀んでいた弱音が思わず口をついて出た。

 

「なんかちがう・・・」

 

こんな、ぱっと見ハッピーな人生を送るために生まれてきたんだろうか。

 

ドラマが、ほしかった。失敗とか挫折とか、そこそこあって、それで、なんとかちょびっとは乗り越たり、乗り越えられなかったりして、それでも「俺、がんばった」と言い聞かせながら、誰かに見守られて静かに数十年の幕をおろしたかったのだ。

 

なのに、どうだ今生の歩みは。胸熱の「苦節ウン年」のシーンとか、失恋だとか仇討ちだとか孤独死だとか、誰かの共感を誘ったり、誰かの慰めに励ましになったりするような経験、いっこもしてないぞ。

 

こんな人生、送って意味あったのか。

 

「ああ、ゲームオーバーじゃ・・」

 

薄れゆく意識の中で、主水は天に再起の機会を所望した。



・・・・・・・



ぶつかり合う鋼(はがね)の硬さに、自らの全身もギィーンと震えた。

 

太平の世が、たった四杯の蒸気船によって乱れ始めた幕末。

 

「ムラマサ」と名付けられた一本の刀は、主とともに騒乱の京を東に西に駆けた。

 

ある晩は西国の浪士の組を何人も討ち果たした。名の知らぬ人間の肉体にスッと切り込むあの感覚は、いかなものといえども気持ちのよいものではない。

 

刀は血を吸うて化け物になるというが、その実は必ずしも事実とはいえない。刀の中にも太平無事のほうを願うものもいるようである。

 

ムラマサは後者であった。

 

相手の胴体を袈裟懸けに割るとき、その者の人生を思った。その帰りを待つ妻子はいるのだろうか。どれだけの悲しみをもたらすことだろうか。相手はなぜ、突然に生を失わなければならなかったのだろうか。騒乱の世が悪いのか。

 

自らの刃先の鋭さが、憎らしかった。

 

やがて維新が訪れた。廃刀令が出た。ムラマサは、忌まわしき前時代の産物として世の中の表舞台から退場した。「矢折れ刀尽き」とはいうが、その字のごとく、ボキッと折られ、船舶か何かの原料として溶鉱炉に放り込まれ、刀としての歩みに幕を下ろした。

 

「これはこれで、重すぎた・・・」

 

炉の中で身体が溶けていくのを感じながら、うなった。

 

苦しみ、苦しませるばかりの歩みは、耐え難い。

 

かといって、順風満帆、満たされてばかりの人生も、味気ない。

 

人生の真面目とは、その中間、ほどほどに与えられ、与えられないぐらいのところにあるのかもしれない。

 

「今度は、あんまり高望みしません」

 

ムラマサになる前の記憶が、つかの間蘇った。天に、あらためて再起の機会を所望した。



・・・・・



「てるくん、片栗粉買ってきてくれる?」

 

台所から母ちゃんの声がした。

 

母ちゃんは人使いが荒い。またお使いか。小学校4年生のぼくをなんだと思ってるんだ。

 

ま、でも仕方ない。父ちゃんと別れてから、母ちゃんは一生懸命働いて家事してくれてる。

 

将来はO選手みたいに二刀流のスーパースターになって親孝行したい。だけど、かけっこも早くないぼくには土台無理な話だろう。

 

通知表も「がんばりましょう」が結構多くて、勉強のほうも正直、きびしい。

 

やっぱり、将来の夢は現実的路線で「正社員」に変えとこか。

 

てるおは頭の中でさまざま思いが湧き上がるにまかせた。

 

今は、母ちゃんのつくってくれる夕餉ばかりが楽しみだ。

 

サンダルをはくと、勝手知ったる近所のドラッグストアへと駆け出した。