その惑星の住民は、見た目こそ我々地球人と似ていたが、決定的に異なる特性があった。
過去がなかったのだ。
正確にいえば、彼らは過去への関心が極めて薄かった。その代わり、目の前の「今」に注意力のほぼすべてを注いでいた。未来については、あくまでその延長線上に浮かぶ白雲のようで、フワフワとしてつかみどころがなかった。
そうでありながら、地球人に劣らないほど進歩した文明と技術を構築していた。知識の蓄積はできたからである。
感情もあった。喜怒哀楽は、ときに我々に劣らぬほどの豊かさを見せた。
ただ、我々人類は彼らに哀れみの感情を抱かずにいられなかった。「過去に学ばないとは、なんともったいないことか」
先人の営みが教えてくれることは、実に多い。
成功談や科学的な知識ばかりではない。失敗も挫折も、今を生きる世代にとっては貴重な処世の知恵になる。集団と集団が利権争いからぶつかい、そこからもたらされる亀裂だって、子孫が忘れることなく受け継ぐべき履歴であり、宿命といえるかもしれない。
特に、先祖の負ってきた遺恨は、いつか晴らすべきものである。
頭の柔らかい幼少期のころから歴史をギッシリ学校で詰め込まれてきた我々地球人にとって、彼らはどうしても「薄っぺらい文明人もどき」のように見えて仕方なかった。
・・・
あるとき、地球の某地域で小競り合いが起きた。
土地の所有権を巡るものだった。長い長い有史以来の営みの中で、その地域は領主が何度か代わっていたこともあり、どの集団にも主張する権利があるように見えた。
張り詰めた緊張を周囲がなだめ、ギリギリのところで均衡を保っていたが、ひょんなことで諍いが発生し、そこからせきを切ったようにあちこちで対立が露呈した。
事をこじらせたのは、所有の履歴だけではなかった。土地の勢力が入れ替わる中で、キッたハッたが繰り返される中で、それぞれの集団の間で到底解きほぐすことのできなそうな怨念が雪だるま式に膨れ上がっていたのだ。
こうなるともはや地上のいかなる賢人をもってしても事態を鎮めるのは難しいようにみえた。
そのころ、件の惑星の代表と定期交流をしていた地球のリーダーが、ぼそりと漏らした。
「いやあ、我々の星も、まだまだ文明化は先とみえますわ」
委細を聞いた惑星の代表は、不思議そうな顔でつぶやいた。「諍い、やめたらいいのに」
惑星人が関心を注ぐのは「今」だった。こうして話をしている間にも、その地域ではやったやられたが繰り広げられている。なんと悲しいことか。無益なことか。
どちらが正しいも正しくないも、ない。「物騒な機器から今すぐ手を離すのです」
心中、相手を見下していた地球のリーダーは、予想もしなかった進言に不快感を露わにした。「過去を大切にしない星の住人が、偉そうに!」
過去の経緯、遺恨の背景。こうしたものを知らずして、ものを語るなかれ。それぞれの集団には、大切にしてきた言い伝えなり恨みつらみの数々があるのだ。それらをくまなく理解しないでは、絡まった糸をほぐすことはできないのだ。
「でも、そんなこと言ってるといつまでたっても解決できないと思いますよ」
惑星代表の一言一言が、地球リーダーの癪に障った。
「ええい、いまいましい。お宅ら上っ面だけの知的生命体には、我々の奥深い文化文明を理解することはできないんですよ」
片方だけがやたら立腹している対談ルームのスクリーンに、地球のあちこちで広がる示威運動のニュース動画が映された。
「争いをやめてよ」とあった。
横断幕を掲げる集団の多くは、童顔であった。
「はあ、まったく。過去を知らぬ若者たちは気楽なものだ。善人を気取ったパフォーマンスほどたちの悪いものはない」
肚の底に淀んでいた感情を吐き捨てる地球人のリーダーに、惑星代表はまた違った反応を見せた。「こういう人たちがいれば、あなたの星はまだ大丈夫だ」
過去はもちろん、大切だろう。だが、そこにこだわり、しがみついてばかりいると、いつしか縛られ、身動きが取れなくなる。むしろ、「今」から物事を見てみないか。自分がこの目で見て聞いて感じていることから判断すれば、諍いのある程度は解きほぐすことができるのではないか。
過去も知識も知恵も乏しい若者たちにこそ、希望を託せるかもしれない。
対談時間も予定を過ぎ、惑星代表は一礼した。「地球の皆様、我々はいつでもあなた方の友人でいますよ」
地球のリーダーは苛立たしげに、頭を下げる仕草だけ見せた。
惑星代表を乗せた宇宙船が射手座の方向へ飛び立つのを見届けると、地球のリーダーはつぶやいた。
「今から見る、か」
完