おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

折々に老父母の暮らす実家に帰るようにしている

 

親父はもう80前だ

 

昔のいかめしい父親とは違う

 

動きはのろく、なぜかやさしい

 

両親とも日頃はろくに外にも出ず

 

食べてはよこい、風呂に入ってはよこうている

 

ほとんどあの世に片足突っ込んでいる

 

それで何が幸せなのかと思う

 

どこか旅行したり、うまいもの食ったり、したらいいのではないかと

 

だが、それは私のいらぬおせっかいではないかと最近思い出した

 

父母は、今が幸せなのだ

 

生きている間、多くの矛盾に挟まれ、もだれ、怒り、あきらめてきた

 

私は小さいころからそれを見てきた

 

今はもう、助け合う両人同士がそばにいて

 

一緒に息を吸って食べて

 

それで十分、いやそれが十分、しあわせなのではないか

 

私は生きがいというものをあらためて考え直している

 

父母は幸いまだ健康であり

 

残りの日々を少しでも平穏に、長く、味わってもらいたいと思う

 

父母のささやかながらも真実の平穏と幸せを、実家の座敷から願っている