おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【歩き旅と思索】 41・リアルにものを見る

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

そこそこ重いザックを背負い、ひいこらひいこら歩みを進める。ところどころで荷を下ろし、足腰を伸ばし、大空をぼおと眺める。疲れがほぐれたら、また荷を背負い、歩き始める。

 

土地から土地へ歩いてつなぐシンプルな旅だが、これはこれで価値が増しているのではないかと感じ始めている。

 

この10年でスマホがすっかり世の中に浸透した。画面をささっと触れば、ほしい情報がなんでも手に入る。世界中の誰とでも交流できる。ゲームは魔的に面白い。

 

気付くと、スマホの世界にどっぷりとはまっている。まるで、現実がスマホの世界そのものであるかのようだ。

 

無意識のうちに、メタバースの世界を生き始めている現代人にとって、リアルの世界に立ち戻る行為は見かけ以上に大切であるように感じる。

 

歩き旅では毎回、日ごとの仮の目的地を定める。テントや寝袋を背負って20キロ以上を歩くため、スマホをのぞく余力などない。お天道様が昇っている間はひたすら脚を動かす。息を吸い、吐き、「あと〇キロ」などと考えながら、ときどき大空の青や道端の草花に目を奪われながら、進み続ける。

 

峠を越えるときは、道の両脇から漂ってくる林のかおり、土のかおりに胸を満たしてもらう。ときどき野生の猿とまみえ、枝を揺らして威嚇される。人間とは違う生き物の世界が広がっていることに気づかされる。

 

リアルに広がっている世界に、あらためて気づく。とらえどころのないほど奥行きがある世界に、ため息が出る。

 

生き物としての本能、野性の勘のようなものを取り戻すうえで、歩き旅は結構に役立つ手段ではないかと思う。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~