おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【歩き旅と思索】 33・住んでいる人の空間感覚

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

土地から土地へ、1日かけて平均25キロ近くを歩く旅を続けている。

 

20代のころはまだ体力があり、テント寝袋をしょって50キロ近く歩いたこともあるが、40代となってはもはやその半分も歩けない。いやはや、体の衰えとは早いものだ。

 

それはさておき、1日に30キロ近く移動すると、言葉や景色が結構変わる。人々が一般的に感じている「生活圏」を脱するように感じる。

 

それを如実に感じたのが、岐阜県岐阜市だ。

 

学生のころの話なので、もう20以上前になる。金華山の公園のベンチで野宿をし、一路西を目指した。30キロほど歩けば、あの歴史上の舞台・関ヶ原に着けるはずだ。持参していた東海地方の地図をみる限りでは、そうだった。

 

朝方、道中、地元のおじいさんと話をする機会があった。私は「今日は関ヶ原まで歩きます」と言った。それを受けたおじいさんのコメントが衝撃的だった。

 

「絶対に行けるわけがない」

 

言葉のニュアンスからして、「徒歩だったら1日じゃたどり着けない距離だよ」とおっしゃっているようだった。

 

でも、地図を見る限りじゃ、いけるはずだ。おじいさんの言うこと、本当だろうか。半信半疑だった。

 

ひょっとしたら、道中に激しいアップダウンがあり、難渋するということなのかもしれない。あるいは交通の難所があり、徒歩では危ないということか。いろいろ想像が沸いたが、いろいろ尋ねると腰が引けてしまうと思い、「そうなんですか」と短く答えて会話を終えた。

 

結論からいうと、その日のうちに関ヶ原までたどり着けた。まさに英霊が眠る激戦地。その一帯に目立った標識も観光施設もなく、うら寂しく、それがかえって激闘の重さを感じさせた。

 

おじいさんのいった「絶対に行けるわけがない」は、どういう意味だったのだろう。

 

今考えると、それは岐阜市で暮らす人の生活圏感覚だったのではないか。日々、歩き、自転車をこぎ、車で買い物をし、という暮らしの空間感覚の中に、関ヶ原という約30キロ離れたところにある土地は含まれていなかった。同じ空間の中にあるものとは認識されていなかったのだ。

 

空間は、無味乾燥につながっているわけではない。それぞれ、人の日常生活に基づいた区切りのようなものがあるのではないか。そのような発見をし、面白く思った。

 

漱石の小説に、たしかこのような一節があったと記憶する。主人公は誰かを鉄道で見送った。その人が客車に乗り込んだその瞬間から、2人の間には距離が生まれた。既に客車の人は向こうの空間の人となりかけていた。空間が、区切られようとしていた。

 

私たちのこころの中で、空間には意味づけが与えられ、区切られている。無意識にそれは行われている。ユークリッド空間のように、意味なく秩序なく無限大に広がっているものとしては、私たち人間はとらえていないようだ。空間に味わいが生まれ、意味が与えられている。

 

それが良いことなのかそうでないのか、私には分からないが、歩き旅をしていてそのように感じることが何度かあった。

 

自分の身体を使って移動し続ける旅の、面白い発見だ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~