おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【歩き旅と思索】 29・脳内「ストリートビュー」

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

歩いて土地と土地をつないでいく旅の、どこが面白いのか。

 

なかなか「これだ」と端的には答えづらいが、一つユニークなアンサーがある。

 

脳内「ストリートビュー」ができる。

 

ストリートビューはご存じの通り、グーグルマップの一機能だ。ヒト型のアイコンをマップに落とし、まるでその地に降り立ったような目線で前後左右に移動ができる。

 

これはあくまで疑似体験サービスだ、これに対し、歩き旅の記憶が頼りになり、いつでもオリジナルの追体験ができる。

 

学生時代、関東の学生寮を出発し、休みを利用しながら鹿児島まで歩いてつなげた。脳裏には道中まぶたに映ったワンシーンワンシーンがいまだに残っている。それらを脳内でよみがえらせれば、自分だけの日本列島移動ツアーができるのだ。

 

ああ、あそこの峠はきつかったなあ。あそこから振り返って眺めた富士は最高だった。

 

大垣から米原に抜けるとき、右手に眺めた伊吹山はのどかで癒された。

 

瀬戸内の海岸沿いに歩いていたとき。岡山・日生(ひなせ)で目の当たりにした、内海のきらめきが忘れられない。夢見心地とはこういう心境のことをいうのだろう。

 

脳内で、いつでも東京から出立できる。湘南の海岸を歩き通し、箱根の峠を越え、東海のだだっぴろく不気味さも感じさせる駿河湾を左手に家康のおひざ元を通り過ぎる。京・三条大橋にたどり着くや、そのまま淀川沿いにくだり、山陽道、そして九州へと足を向ける。一つ一つ、一歩一歩で瞳に映った光景が、脳裏に自然と蘇る。

 

北にだっていける。品川から御殿山を越え、浅草までのにぎやかな街並みを楽しく歩く。荒川を上り、北千住で国道4号に乗る。草加で松並木に心安らぐ。春日部までの道中はなんともなんとも、記憶に残る風景がなかったが、栃木に入ると随所に歴史と文化を感じさせる光景が広がっていた。やがてたどり着いた奥州の玄関口・白河の関は詩人が心寄せた草枕らしく、歴史の重みを感じさせる旧跡だった。

 

こうした光景が、いつでも、歩いたルートに沿って途切れることなくわき起こる。再現できる。追体験できる。

 

その時歩いた年、季節、時間帯により、まぶたに映る光景も、心象も異なる。すべてがベストな光景だったとは必ずしもいえないが、どれも一回こっきりの、自分だけが出会ったものであり、思い入れと愛着がある。

 

日本列島はつながっている。空間はつながっている。世の中は、つながっているのだ。

 

体験を通じて、つながりを感じることができるのが、歩き旅の醍醐味の一つだといえるのかもしれない。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~