予想もしない展開が、ざんねんマンを待ち受けていた。
まず山下氏が口を開いた。「私、今の政党、降ります」
驚くざんねんマンと川上氏に向かって、決然と宣言した。「新党、立ち上げます」
政党の名は、「ざんねん党」。
「あなたの言葉、姿勢、包容力。すべてが、素晴らしい。今の世の中に、なくてはならない人だ。ぜひあなたの考えを、社会に広めたい。ついてはぜひあなたに、初代党首となっていただきたい!」
山下氏が政権構想を語りだすのを制するかのように、今度は川上氏が立ち上がった。「いや、私も決断した!」
新たな信仰団体を、立ち上げる。その名は「ざんねん教団」。
目立たず、主役にもならず、ただ人々の傍らに立ち、その人が苦節を乗り越えるのをひっそりと助ける。そんな人間像が、現代社会で求められている。凡夫、煩悩のあふれる世に希望の光をもたらす、そんな人間集団を、産み育てていきたい。
「ついてはあなたに初代教祖となっていただきたい!」
一人の人間が、党首と教祖を兼ねようとは。漫画の世界のような展開に、さしものざんねんマンも緊張で固まった。
むむむ・・・
しかも今度は2対1で言い寄られ、悩ましい三角関係に追い込まれたぞ😂
再びコーヒーをすすり、一息つくや、まなじりを決して言い放った。
「ようござんす。お二人のご依頼、お受けいたしましょう」
どちらかを立てればもう片方の立場がなくなる。いや、どちらも言うことに理がある。私のような人間がリーダーの役を務められるとは思えないが、誰かが言ったように「神輿は軽いほうがいい」のかもしれない。それなら私が適任だ。
ここに、党首兼教祖が誕生した。その後のざんねんマンは多忙を極めた。人助けの緊急出動は相変わらず続けながら、ときに遊説、ときに説法を続けた。暮らしを憂う有権者、悩める凡夫のために言葉の花束を贈り続けた。
ざんねん党、ざんねん教のメンバーの間では、そこはかとない同類意識が芽生えてきた。やはり政治と信仰という立ち位置の違いから多少のひずみは生まれたものの、決定的な対立に至ることはなくなった。
やがて、軽すぎる神輿への不満がそこはかとなく広がっていった。小粒のヒーローに役が務まるほど、集団のリーダーは簡単な仕事でなかった。ひっそりと、ざんねん党、ざんねん教団は看板を降ろした。
山下、川上氏は再び、以前の政党名、教団名で活動を再開した。一点、よろこぶべき点があった。2人の間で、あるいは2団体の間で、目立ったいさかいごとはなくなった。「目指すものは同じ」ということを、ともに理解したからだ。
神輿から降ろされたざんねんマン。未練たらしく「党首兼教祖」時代を思い返し、「次にオファーがきたときは、もっと重い神輿になっておこう」と読書・筋トレに励むのであった。
~お読みくださり、ありがとうございました~
※この短編は先の事件が起きる大分前に書きました。今、政治と宗教の問題が叫ばれていますが、その視点では書いていません。