おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 ~第4話・世界ヒーロー会議で羞恥にまみれる~

人生、何が自分に幸運をもたらすか分かりません。1本遅れて乗った電車で運命の人とめぐり合わせたり、オタクな趣味が、実は取引先の人も同じと分かって商談が進んだり。幸せを求めてガツガツするんじゃなく、かえって気楽に待ってるのもいいかもしれません。

「第368回・世界ヒーロー会議」

全長300メートルに及ぶ巨大な横断幕が、年に1度開かれるこの大会の威厳を醸し出している。

古今東西、人類の叡智はさまざまな「正義のヒーロー」たちを生み出してきた。人々を救い、励まし、勇気を与え続ける、憧れの存在が一堂に会し、親睦を深める場がある。それがこの、世界ヒーロー会議なのである。

今年の会場は中国・ゴビ砂漠。地平線のかなたまで平地が広がる場に現れた特設会場は、地球のあちこちから集まった精鋭170人を収容するに十分な広さを擁していた。

開会式を終えた会場では、早くも東西のヒーローたちが目を見張るような雄姿を披露している。鉄塔を垂直に駆け上がるのもいれば、天井を突き破って地球1周の飛行術を披露する猛者までいる。こんな出し物が、日夜ぶっ通しで続くことになる。

「くるとこ、間違えたか・・」

 

これといった特技もない、人助けのヒーロー・ざんねんマン。過去の実績が認められ、初めて顔を出すことはできたものの、あまりにも敷居が高すぎた。

日が沈み、セレブたちのボルテージが高まっていくころ、こっそりと会場を抜け出し、人影もまばらなフードコートで一人感傷に浸るのであった。

「あんた、ヒーローやないかい」

隣に居合わせたのは、見覚えのある老人だった。ゲートで入場手続きをしてくれた守衛さんだ。影の薄さが逆に印象に残ったようだ。

そうか、得意技、ないか。しかも、やらかすと。うーん。

優しさが顔からにじみ出る老人は、適当な励ましの言葉を探ろうとしたが、ついに口を開くことはできなかった。

その日から、老人とざんねんマンの、無言の食事会は続いた。朝も、昼も、夜も。もはや会場で繰り広げられる祭典は、ざんねんマンの頭の中からほぼ消えていた。言葉を介さない、心の交流を通して、二人は何かをつかみ取ろうと模索した。

7日目。最終日だ。この日は、ヒーロー全員参加のフィナーレイベントがある。一人ずつ、何か技を披露しなければならない。歴戦の猛者たちの前で大恥をかくであろう場面がまぶたにありありと浮かぶ。細身のヒーローの心の内は恥辱でかき乱された。

「あんたはあんた、でいいんじゃないか」

老人が、口を開いた。それ以上に、言えることはなかったのかもしれない 。だが、その言葉はざんねんマンの心に少しばかりの勇気を与えた。
うどんの麺をすすり上げ、老人に「ありがとうございました」と微笑みかけると、意を決したように席を立った。

各ヒーローの出演時間は5分。一人目から早速宇宙に帰るなど荒業が繰り出される中、168番目に出番が回ってきた。

恥ずかしい。恥ずかしいけれど、何もやらないくらいなら、何かやって足跡を残そう。所定の立ち位置についた。おもむろに駆け足のポーズをとると、右足を後ろにスゥと引いた。

ムーンウオークだ。結構、上手い。こなれている。ヒーロー養成学校中等部時代、黒人シンガーにあこがれて練習していたのだ。3メートルほど下がり、再び方向を変えてスタート地点に戻ったところで、予定の5分が過ぎた。静まり帰る会場。それはまるで、神々しい儀式が催されているかのような錯覚すら抱かせた。

恥辱にもだえるざんねんマン。そそくさとフィールドを抜け出すと、帰りの身支度を始めるのであった。おいらのヒーロー人生、終わったわ・・・

ざんねんマンの深い挫折感は、しかし、翌日各国で発行されたスポーツ紙によってひっくり返された。

「日本のヒーロー、得意技はムーンウオーク」「“細かすぎる”芸、世界中のお笑い芸人たちから賞賛の嵐」「奇跡の“逆張り”戦術で注目度トップに」ー。

それからしばらく、各国のメディアからざんねんマンに対する取材が相次いだ。過去の人助けの実績にも光が当てられ、「残念ではあるがまあまあ仕事をしている」「テレビ映えはしないが逆張りでやっていけるかもしれない」などそこそこの評価が与えられることになった。

思春期、宿題をさぼってこっそり続けてきた一芸が、ここで陽の目を見るとは。

何が幸せをもたらすか、分からないもんだ。注目を浴びてニンマリ顔のざんねんマン、味をしめたか、再びムーンウオークの練習に励むのであった。