おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【歩き旅と思索】 ~21・個物から体験へ~

~簡単な自己紹介はこちらになります~

ojisanboy.hatenablog.com

 


ただ歩く、歩き続けるという旅を通して、私個人の社会性(会社員であること、家族であること、誰かの友人知人であること)はするすると抜け落ちていく。



そこに残るのは、ただ歩くだけの身体といえるようなものだ。



自然の一部となり、深い意志もなく、ただ肉体を動かす。自然と私とを区別する絶対の境目というものは、なくなる。



自然の中に、敢えて目を凝らすと、「私」という個物がかりそめに見えてくる。そういった感覚に近づく。



「私」という個人は、本来そのようなものではないのかと感じられてくる。



個人は、もともと確固とした存在ではない。自然、風、振動、熱、こうした環境(体験)は、本来区分けすることができない。個人つまり私は、あえてより分けてみた末に浮かび上がった、かりそめの要素にすぎない。



自分自身の存在根拠が漠とした根無し草のように思え、多少の不安定さは感じる一方、むしろ気持ちが浮き上がり、実に軽々とした思いに浸る瞬間がある。



個人・個物が絶対基盤としてあるのではなく、体験がよって立つ土台であるとしたら、私とあなた、鹿、桜の木との間に、絶対の区別はなくなる。



みんな、同じ体験(環境)を有する仲間なのだ。



孤立するものはなく、あらゆるものが緩やかにつながっている。

 

 

願望も込めてだが、そうあってほしいと感じる。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~